<第二章:降竜祭> 【08】
【08】
「なっ!」
ランシール王女は驚いて声を上げる。
ソーヤは、王女とシグレを庇うように前に出た。マスターも軽く戦闘態勢をとっている。
俺は剣に手をかけ、鉄鱗公の背後にいるハティと目が合い止める。
「ほう、王女ではないか。この国の王は、ハラワタと血肉の匂いが好みであるか」
「鉄鱗公こそ、何故このようなところに?」
ソーヤを押し退け、ランシールが前に出た。
俺よりも斬りかかりそうな雰囲気だ。
「貴様に用はない。剣の匂いを追っていたら、ここに辿り着いたまで」
「剣の匂い?」
「そこの男」
鉄鱗公がアゴで俺を指す。
「何だ?」
「小竜を散らした剣、実に見事だった。俺様に披露する権利をやる」
「断る」
ロングソードの鞘を背に回す。
「フィロ、見せなさい」
「黙ってろ」
王女に言い返すと、『収監してやろうか?』と睨まれた。
ため息交じりに俺は説明した。
「この剣は、おいそれと抜いていいもんじゃない。ドワーフにも10数える以上、刃を晒すなと言われた。どうしても見たいというのなら、鉄鱗公以外は退去しろ。もちろん、命の保障ない」
「くだらんホラ話をするな」
ずけずけと歩き、鉄鱗公が俺の前に立つ。
人形みたいな面の小さいクソガキだ。
この距離なら殺れる。
ロングソードでなくとも、ルミル鋼の剣で――――――
「止めとけ」
ソーヤに後頭部をぶっ叩かれた。
「鉄鱗公もおやめください。この男の剣は、奇剣であり凶剣。秘匿は心臓を開いて見せるようなもの。どうか、寛大な心で察して頂きたい」
「関係ない。俺様が見たいから見せろと命令しているだけだ」
「ですが、鉄鱗公。それでは臆したと見られるかと」
「………何?」
愛想笑いを浮かべるソーヤに、鉄鱗公は背の赤い大剣を抜く。
改めて見ると、大得物だ。濁った水晶のような剣身は太く厚く、マスターの体格でも振るうのに苦労しそうなサイズ。
それを片手で軽々と保持しているのだから、まあ化け物だ。膂力だけは確実に。
「飛竜の次は、鉄鱗公自らが我ら冒険者と立ち会ってくれるのでしょ? なのに、飛竜を多く狩った男の剣を見たいとは、次の戦いのための“小賢しい偵察”に思われます」
「………………」
「どうか、竜として威厳ある態度を。今のような立ち振る舞いは、姉君たちの名も傷付けることになります」
なんだ?
仮面のような鉄鱗公の顔が、一瞬だけ煮え滾った怒りに歪んだ。ほんの一瞬だけ。もしかしたら、俺しか見ていなかったような一瞬だ。
流石に少し震えた。
こいつ、人の擬態の奥に何を隠している? 本当に竜なのか?
「鉄鱗公」
ハティが、ソーヤと鉄鱗公の間に立って言う。
「ランシール王女もいらしていることですし、本来の要件に取り掛かってはどうかと」
「………ふん、そうだな。興も冷めた。仕事にかかるか。王女よ、小さきものの王よ、我が父【黄金竜ソリン】の名の下に命じる。邪竜を、我らの手に戻せ」
邪竜?
「なっ! お待ちください!」
ランシールが、本気で焦りながらまくし立てる。
「邪竜ラザリッサの封印は白鱗公との盟約! それにゴブリンの王、禁域の主との契約でもあります! それをいきなり受け渡せとは!?」
「竜の祖たる父上の言葉であるぞ? 聞けば姉君は従う。それに、小人共の許可は先に得た。最も、貴様の返答次第と言われたが」
「応じることはできません。アレは父の敵。二度もレムリアを滅ぼしかけた生きる災禍。あらゆる魔法と、神の奇跡を喰らう不死の怪物です。白鱗公ですら力を奪われたのですよ? 人も竜も、関わってはいけない存在。あのまま地下で永久に封じ、歴史から秘匿するのが最善です」
「勘違いするなよ、人間。これは命令だ。絶対だ。それに報酬は用意してやった。父上は、この地に1000年の安寧を約束した。短い冬の後、暖かな光と穏やかな風に満たされる。土地は肥え、人が糧に困ることはない。まさしく楽園だ」
「今と何が違うというのですか?」
「“今”を保証すると言っているのだ」
「報酬ではなく、脅しですが?」
脅しだよな。
「やれやれ、王とはいえ所詮は人か。愚図め。小竜を見たであろう? 俺様は、あれをまだまだ呼ぶことができる。その数を、千と思うか、万と思うか、空を埋め尽くすほどか、好きなように想像せよ。俺様としては、小竜のクソ溜りになった廃墟で邪竜を探すのは嫌だが、その程度だ」
俺は斬る気だ。
英雄と謳われる人間なら、十分斬る理由がある。ハティさえ、間にいなければ。
「ランシール様、提案がありますわ」
「何? ハティ」
ハティは、難しい表情を浮かべて語る。
「降竜祭の間だけ、一時的に邪竜の封印を任せてくださいまし。少しでも、ほんの少しでも、こちらの用意した封に不備があると感じたなら、ソリン様に考えを改めますよう進言します。人も竜も、先ず体験しなければ危機は理解できませんもの」
鉄鱗公は、舌打ちをして黙る。
一応、ハティの意見は尊重するようだ。
ランシール王女はこめかみを押さえている。頭が痛い話なのは確かだ。やはり、ここで斬るのが最善だと思う。
「ソーヤさん、ちょっと」
悩んだ末、ランシール王女はソーヤを連れて外に出た。
鉄鱗公が、イライラと足踏みを始める。
怯えたアリスは、俺の腕を掴んできた。ハティは、俺たちを笑顔で見つめていた。
シグレは、止めていた手を動かして飛竜を綺麗に解体する。マスターは、それを手伝っていた。
5分後。
ランシールとソーヤが戻って来た。
ランシールは言う。
「ハティの提案通り、降竜祭の間だけ、一時的に封印を任せます。あくまでも一時的に。不備があれば即現状に戻すと約束してください。鉄鱗公」
「不備など起こらんが、約束してやろう」
ランシールは、最早不愉快さを隠していない。
「………それじゃ行くわよ。ダンジョンとは違う深淵、ゴブリンの地下帝国に」
シグレとマスターは待機となったので、アリスはシグレに預けてきた。というか、アリスは知らん人間と会い過ぎて軽く熱が出ていた。やっぱり、他人と関わるのが苦手なようだ。
俺、ハティ、鉄鱗公、ランシールとソーヤは、馬車で街を出た。
草原を進み、朽ちた遺跡跡のような場所で止まる。
潜んでいた見張りのゴブリンとソーヤが話し、彼らは隠されていた階段を現す。
降りる。
俺とソーヤのカンテラは、終わりの見えない階段を照らした。
空気に強い湿気が混じって来た。
水気が嫌なのか、鉄鱗公が顔をしかめている。
30分近くかけて長い階段を降り切ると、太陽のない渓谷が広がっていた。
黒い岩石地帯と、淡く光る苔やキノコ。遥か上空には滝が流れており、そこから流れる水は岩々を侵食して川を作っている。
透明度の高い羽虫に、瞳のないカエル、川を泳ぐ怪魚や、キノコを齧る毛のないウサギ、目に付いた生物も全て、優しい発光で地底を照らしている。
幻想的な空間だ。
地上と全く生態系が違う。
「おい、フィロ」
景色に見とれていたら、ソーヤに小突かれた。
「珍しいもんは沢山あるが、持って帰るなよ。ここでしか生きられない生物ばかりだ」
「………キノコの1つくらい」
アリスが喜ぶかもしれん。
「絶対に駄目だ。突然変異を起こす可能性もある」
念を押して駄目と言われた。
黙って歩く。
ごつごつとした岩がブーツの底に触る。ダンジョンを歩くための靴じゃここは歩き辛い。足首とカカトが痛くなってきた。
俺でこうなのだからと心配して女性陣を見ると、ランシールとソーヤは悪路を全く気にせず歩いていた。ハティも余裕だ。
もしかして俺、鍛えが足りないのか?
いや、きっと出血のせいだ。
気合を入れて歩き、その気合も尽きた頃にあるものが見えてきた。
湖だ。
一際、強い光を放っている湖だ。
中心に何かが浮いている。巨大な皿? 盆? 更にその中心には人影があった。
湖の岸に到着すると、軽い吐き気を覚えた。
原因は湖の光だ。
妙な不快感だ。
岸には小舟が停まっており、ゴブリンの一団もいた。皆、兜を被り武装している。
「邪竜は湖の中心にいます。ワタシとソーヤはここで待ちます。後はご自由に、鉄鱗公。1つ警告しておきますが、封に失敗した場合は湖の盆を返します」
盆の八方は、岸に打ち付けられている巨大な杭と鎖で繋がっていた。あの幾つかを切断すれば、盆はひっくり返るのだろう。
「この湖では全てが沈む。何も浮かんではこない。言い伝えでは、魚人すら知らない世界の底に繋がっているとか」
興味なさげに鉄鱗公は小舟に乗る。
「漕げ」
オールを足蹴にして俺に命じた。
ハティと共に乗り込み、俺はオールを漕ぐ。
水というより泥を漕いでいる感触。底を覗くと、水底の眩い闇と目が合った。いや、その奥に潜む何かとも。
ゾッと背筋が寒くなる。
これ、水じゃないだろ? 得体の知れない液体だ。落ちたくはないな。
船は進み、しばらくして盆に到着。
鉄鱗公は不機嫌そうに小舟から降りる。ハティの手を取り俺も降りた。
中心には、女が鎖で拘束されている。
身長の高い爬虫類の獣人。ツインテールの長い黒髪、褐色の肌、細く縦長の瞳孔、頬の一部には竜に似た鱗があり、太い尻尾もある。飾り気のないワンピースの下には、グラマラスな体が透けて見えた。
女は長い舌を見せて、ぬらっとした口調で喋り出す。
「あら、誰かしらぁ? 幼竜と神の奴隷、それと………………【獣の王】?」
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