<第二章:降竜祭> 【06】


【06】


 ダンジョンに走ろうとし、足を止める。

 少なったとはいえ飛竜はまだ空にいる。ここを狙っている。今、旗を取り除いたら襲ってくるだろう。

「竜の奴らダンジョンに向かってるぞ!」

 1人の叫びで、周囲がどよめき出す。

 列が一瞬で乱れた。

 マズいマズいマズい! 再び我先にと押し合いになったら、俺も動けなくなる。

 見捨てるのか?

「見捨てよ! ダンジョンに避難している民草は、ここにいる冒険者よりも価値がある! 迷うな走れ! 一刻も早く!」

 蛇の言うことはわかる。

 ダンジョンにはアリスが避難している。他に戦う術のない人間も多く。しかも、まだ避難が完了していない可能性もある。動くなら急がなければならない。

 わかってる。

 わかってはいるが、足が動かない。

 今救った人間を見捨てることができない。こいつらは、敵じゃないのだ。俺に礼を言った人間だ。

 関わるんじゃなかった。こんなことなら、最初から見捨てておけばよかった。

「おい、あんた」

 1人の冒険者に肩を掴まれた。

 珍しいエルフの剣士だ。軽装の鎧に深緑色のマント。煌びやか装飾のある剣を帯びていた。

「ダンジョンに向かえ。私の家族が避難している」

 続々と他の冒険者からも声が上がる。

「ここはいい! その旗があれば避難者を守れるだろ!」

「頼む! 療養中の仲間を避難させているんだ!」

「お願いします! 妹がダンジョンにいるんです!」

「母がダンジョンにいるんだ!」

「行ってくれ! ここは大丈夫だ!」

「さっさと行け! 大丈夫だって!」

「ほら! 行けよ!」

 血を流している者、歩くだけで精一杯の負傷者、仲間に肩を借りないと動けない者まで、似たようなことを言う。

 聞いていてバツが悪い。

 悪すぎて、こんな場所にはいられない。

「ここは、任せる」

 手にしていた長柄を回し、天蓋のように広がっていた旗を回収。石突きで石畳を打ち、戦旗をスクロール状に戻した。

 盾を持つ冒険者たちが、一斉に大声を上げ、盾を掲げて得物を鳴らす。

 飛竜たちは、一瞬動きを止めた。

 邪魔な旗が消え、何故か獲物が威嚇している。獣の脳ではすぐ処理できない状況だ。いや、獣は思考することを止めた。近くの獲物を襲うことに集中する。

 ダンジョンに向かった飛竜の一角も、こちらに引き返してきた。しかし、かなりの数が向こうに飛び去っている。

 駆けた。

 前を立つ冒険者の間を、身を低くネズミのように駆ける。

 背後で戦闘音が響く。

 獣と人の絶叫が聞こえる。

 俺は振り返らない。男が任せると言った以上、振り返る理由はない。

 閑散とした目抜き通りを駆け抜ける。上空から死角になる軒先を走るが、つい反射的に身を晒してしまった。

 ルミル鋼の剣を抜き放ち、すれ違い様に人間を食っていた飛竜の首を落とす。

 怒りを買った。

 剣を鞘に収めると同時、8匹の飛竜が殺到して来る。

 路地裏に飛び込んだ。飛竜のサイズでは入り込めない狭い路地だ。飛竜は首を伸ばし、火を吐こうとする。そこに爆弾を放り投げ、背中に爆風を感じながら加速した。

 路地裏を走る走る走る。本物のネズミになったように。

 小さい空を見上げる。

 影はない。青空があるだけ。

 撒いたか? もう追って――――――来た。

 一匹の飛竜が、横壁を突き破って現れる。無理やりもいいところだ。

「しつこい!」

 飛竜に体ごとぶつかる。

 長い首を小脇に抱え、逆手で抜いた剣を胸に突き刺す。

 心臓の位置はわからない。ただ深く奥を貫き、剣を回して中身を抉る。飛竜は暴れに暴れるが、建造物が邪魔で満足に抵抗できない。無理やり侵入したことがアダとなった。

 剣の切っ先が、激しく動く筋肉の塊に触れる。

 飛竜は大量の血を吐いた。抵抗を弱める。その首をへし折り止めを刺す。

 剣を抜こうと、抜けない。

「マズッ」

 がっちりと飛竜の胸に埋まっている。岩に挟まったかのような感触。足をかけて抜こうとするが、周囲から羽音が聞こえだす。

「捨て置け! 囲まれているぞ!」

 蛇の切羽詰まった警告。

 空に影。上から瓦礫と共に飛竜が降って来る。

「クソッ!」

 ルミル鋼の剣を諦めて、路地裏から逃げ出した。飛竜の開けた穴を通り、再び目抜き通りに。

 囲まれた。

 15匹の飛竜が、俺1匹に集まっている。

 旗を使えば自分の身は守れるだろう。だが、あれを抱えては走れない。使ってわかったのだが、旗を広げれば広げるほど恐ろしく重たくなるのだ。

 ダンジョンはもう、すぐそこに見えているのに。

 どうする? 

 切り札をここで使うか? 10秒で足りるのか? それで、ダンジョンまで辿り着けるのか?

 刹那に迷い、刹那で動くしかない。迷えば、守れる者も守れなくなる。

 動く。

 ロングソードに指をかけた。

 だが、俺の迷いは無駄に終わる。

 飛竜の群れが横殴りで吹っ飛んだのだ。

 ぬっとモンスターが現れた。

 直立の二足歩行、3メートル近い巨躯、そして狼の獣頭。奪ったのかボロボロの革鎧を着ている。骨で作られた歪な大剣を肩に担いでいた。

 この騒ぎに乗じてダンジョンから出てきたのか?

 しかも、飛竜が怯えている。

 このモンスターの一撃で飛竜の5匹が四散し、残ったものは戦意を失い飛ぶことすらできていない。

 だが、なんだこの威圧感のなさ。

 敵意がない?

「早く女の元に行け。トカゲの雑魚と遊んでいる暇はないぞ」

「………は?」

 人語を解した。

 そんなモンスターなど見たことがない。

 呆気にとられた俺に、モンスターは近付き手を伸ばす。俺の肩、腰のベルトを掴み、ひょいと持ち上げた。

「は?」

 モンスターは投擲体勢をとる。

 投擲物は俺である。

「よし飛べ」

 空を飛んだ。

 物凄い風圧で顔面が歪み、意識がブラックアウトした。

「起きよ! 死ぬぞ! フィロ! フィロッッ! あの馬鹿! 他にやり方があるじゃろ!」

「はっ!」

 蛇の声で覚醒した。

 フワフワと夢見心地で街を見下ろしている。

 わ~鳥になったようだ。いや違う。砲弾になったのだ。後はもう、落下するだけだ。

 狙いは完璧。

 着地地点は、ダンジョンの1階層入口付近。50匹近い飛竜の群れが、今まさに避難民に襲い掛かろうとしている。

 黒い群れを通し、パニックの波に揉まれる人混みの中、偶然にも、あまりにも偶然にも、アリスを見つけた。手を合わせる彼女と目が合った。

 ロングソードを抜く。

 空を斬る。

 夢中で狙いなどなく、ただ間合いにいる飛竜を全て斬る。妙な手応えを感じた。広く浅く鋭く、知覚が伸びるような手応え。何故か、刃圏の外にいる飛竜にも切断は広がる。

 ただの一撃で群れの半数を散らした。

 ――――――やった。

 近付いた!

 かつて見た一撃に確実に近付いている!

 黒の混ざった血が空に巻き散らされ、それを纏いながら叫ぶ。大きな声で叫ぶ。

「そこぉぉぉぉぉ! どいてくれぇぇぇぇぇ!」

 着地点の避難民が、蜘蛛の子を散らすように逃げた。逃げ遅れた老婆は、ピンク色の触手が持ち上げて退かせた。

 石畳を踏み砕きながら着地。貫くような衝撃が臓器や背骨まで広がり、全身が痺れる。この移動方法、2度とやるものか!

 飛竜たちが俺を見た。

 食事を邪魔されて激怒していた。

 再び、青い旗を広げる。

 渦の如く、青い大輪の花が咲く。たなびく旗が吠えている。それは、民草を守れることへの歓喜。旗手が最も望んだ夢の中の夢。果たせなかった得物の本懐だ。

 旗は飛竜を防ぐ。

 先ほどと同じ、爪も火も一切を通さない。

 さて、これからが問題だ。

 俺の周囲にいる人々は冒険者ではない。旗の守りは完璧といえるが、俺自身は反撃が出来ないのだ。

 つまり、別の誰かが飛竜を倒すのを待たなくちゃいけない。さっきのモンスターが来てくれればいいが、たぶんアレは来ない。来れるなら、最初から1人で飛竜を倒している。

 正門の冒険者も、こちらに向かっているはず。ただ、どれだけの数が残っているのか。どれほどの時間がかかるのか不明だ。

 後、俺自身の時間が、思ったよりも残されていない。

 首に刺されたような痛み。口の中に鉄の味が広がる。再生点を見ると、見たことのないドス黒い色をしていた。

 ロングソードの影響か? 

 それとも旗か?

「いかん。こんな落とし穴があるとは」

「どういうことだ?」

 蛇に聞く。

「この旗の旗手の死因は、首の矢傷じゃ。今、貴様の首にも同じような傷ができておる。持ち主と同じような運命を辿ると、結末も同じになるようじゃ。我が力にこんな落とし穴があるとは」

「今更ッ」

 脚に力が入らなくなり、旗の長柄に体重を預ける。

「致し方ない。旗を消し、ダンジョンに逃げよ」

「できるか、馬鹿野郎」

 血を流しながら、精一杯の声で叫ぶ。

「長くはもたん! 急いで冷静にダンジョンに避難してくれ! 頼む!」

 冒険者組合の人間が声を上げた。

「みなさーん! 列を乱さず順次ダンジョンの中に! 中は安全です! 邪魔な手荷物は一旦捨て置いてくださいーい! 慌てず急いで冷静に!」

 人の波が動き出した。葬列のように重たく遅く感じる。

 血を飲み込む。

 何とか、今は耐えるのみ。

 時間が遅い。無限にも思える遅さ。

 しかし、飛竜の攻撃が弱まっていた。また、別のところに行くのかと思えば、羽ばたきながら不気味に俺を見ていた。

 こいつら、気付いたのか?

 気付かれたとして、俺にはどうしようもできない。

 視界が暗くなる。

 ヤバい。

 意識も。

 闇の奥、遠くで………………………………歓声が聞こえた。

 誰かが待ち望んだ援軍の声が――――――

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