<第一章:狂夜祭> 【12】


【12】


 用意された芋を剥き終えると、次が運ばれてくる。

 人参だ。

 天井に迫る勢いの大量の人参をひたすらに剥く。心を別のところに置いて手を動かす。数時間かけて人参を剥き終えると、次は大量のキャベツが運ばれてきた。

 作業台に移動、まな板の前でソーヤに中華包丁を渡される。

「サラダ用に千切りしてくれ。これ見本な」

 見本のサラダと同じサイズでキャベツを切る。

 手早く正確に、ただただ切りまくる。切ったものが山になるとソーヤが回収。全て切り終わると、

「次はリーキだ」

 すぐ次が用意された。

 太いキュウリみたいな野菜を、用意された見本通り輪切りにする。

「玉ねぎ」

 終わると次、

「人参」

 次、

「水菜」

 次、

「レタスは手で千切ってくれ」

 次、

「切った野菜を鍋に入れてくれ」

 お湯の入った大鍋に切った野菜をぶち込む。

「軽く揉む」

 両手で野菜を揉む。

 お湯の温度は、火傷するほどではなかった。

「2分たったら隣の冷水に移動。また2分揉んでからあげてくれ」

 指示通り、水の入った鍋に野菜を移動。2分揉んだ後、ザルで野菜をすくう。

「これ、ドワーフに作ってもらった水切り機な」

 足踏みペダルの付いた円柱状の機械に野菜を入れたザルをセット。ペダルを踏むと、中に入れたザルが回転して水が切られる。

「サラダは3回踏めば丁度良い状態になる」

 回転する野菜を見つめた。よく回っている。

 3回踏んだ後、機械からザルを取り出した。

「これにドレッシングをかければ、サラダの完成だ」

 ソーヤは、サラダの入ったザルを厨房の隅に置いた。いつの間にか、他の惣菜も沢山並んでいる。

「んじゃ、残った野菜も全部今の処理をしてくれ」

「わかった」

 大量のサラダを作った。

 普通の人間の一生分のサラダを午前中に作った。

「ドレッシングを作ってくれ」

 ソーヤは、すり鉢とすりこぎ棒を俺の前に置く。

「小さじ半分の塩、大さじ一杯のワインビネガー、よく混ぜろ」

 すりこぎ棒で塩とワインビネガーを混ぜる。

「コショウとマスタード、醤油を数適」

 追加された材料も混ぜる。

「仕上げにオリーブオイル、丁寧にゆっくり馴染ませろ」

 少しずつ入れられてゆくオリーブオイルを丁寧に混ぜ合わせた。

「容器に移し替えたら完成だ。オリーブオイルには、薬草と同等の抗炎症作用があるんだぞ。痛みが続く時は多めにとってみた方がいい」

「へー」

 ハティの目も、オリーブオイルのおかげで痛みが治まったのか。

 ドレッシングも大量に作り、瓶に入れて並べて行く。

「夕方にまたサラダとドレッシングを作ってくれ。今あるのは昼食後にはなくなる」

「この量がか?」

 客に牛や馬でもいるのか?

「肉と酒はどんな店でも食べられるが、食えるレベルの野菜を出す店は少ない。信仰する神の制約で肉食えない冒険者もいるからな。そういうお客さんはうちに殺到するってわけ」

「へー」

「何よりも、サラダは楽だ。出来合いのものにトマト刻んでドレッシングかけたら完成。これがポンポン売れるのだから店としても大変助かる」

「そんな主力商品を俺に作らせていいのか?」

「馬鹿言え、うちの主力商品はまだまだあるぞ。大体、レシピ盗もうにも調味料が用意できないだろ。美味い野菜売ってくれる農家探すのも大変だぞ」

「そりゃそうだな」

 料理に興味もない。

 俺とソーヤがサラダを用意している後ろで、シグレは厨房と客席を行ったり来たり、料理と接客、めぐるましく働いていた。働き者という次元ではない。ほぼ1人で店回している気もする。他人の俺が心配になる働きぶりだ。

 と、シグレは急に作業を止める。

「お昼、先にもらいまーす」

「おう」

 シグレは、一足早く昼飯を食べるようだ。

 そのメニューは、エナジーバーみたいな棒状の固形物とお茶だった。

 シグレは、カリカリカリカリッとリスみたいに棒状の固形物を口に入れ、お茶で飲み干す。

「おかーちゃん、次お昼にする?」

 20秒くらいの食事時間だった。ダンジョン内の冒険者でもここまで早くない。

「え、大丈夫なのか?」

 つい声を上げてしまう。

 あれだけ動いた飯屋の娘が、そんな小食じゃ駄目だろ。死ぬぞ。

「え? 大丈夫だよ。これね【アウドムラ】から作ったペミカン」

「ペミ?」

 カンってなんだ?

「干し肉、動物性脂肪、ナッツ類、ドライフルーツを混ぜて、乾燥させた保存食だよ。【アウドムラ】で作ったこれは、人間に多大な活力を与えるみたいで、一本で半日以上お腹が空かないんだ。しかも全然疲れない」

 その成分、合法か?

「フィロ、先に食え。昼は時間ないから簡単なもので我慢してくれよ」

 ソーヤに、ナポリタンとサラダを出された。

 ペミカンでなくて良かった。

「遠慮なく」

 シグレを倣って、立ったまま手早く食す。

 自分で作ったサラダは、割と美味しい気がした。肩にいる毛玉にもあげる。

 パスタはモチモチだ。懐かしい味がする。

 しっかりよく噛んで豆茶で飲み干した。

「ごちそうさま」

「そんな急がなくてもよかったのに」

 ソーヤにそう言われても、シグレのあれ見た後じゃのんびりできない。

 とうの彼女は、凄まじく料理を作っていた。ランチタイムは戦場になるのだろう。

「で、次の仕事は?」

「洗い物だ。昼から夕飯にかけて大量の洗い物が出る。逐次洗って行かないと、洗い場が埋まる」

「わかった」

 もう既に、洗い場には汚れた食器が積まれていた。

 ソーヤから肘まで覆う革の手袋を貰い、食器洗いを開始した。

 洗浄のヘチマを手に、洗い粉と水と共に、無心でひたすらに食器を洗い洗い洗う。

「ッ」

 右耳の耳鳴りが酷くなった。

 軽く耳を叩くと左右で音が違う。仕事が終わったら、治療寺院に行かないと駄目だな。アリステールに診てもらってもいいか。

 さておき、集中しよう。

 何も考えないように集中しよう。

 食器を洗う。

 泡と水とヘチマだけが俺の世界だ。なんかファンシーだ。

「野菜いらないミャ」

「よし、お前の昼飯なし」

「外道! 出るとこ出てやるミャ!」

 誰かとソーヤの声がした。

 誰かさんは、文句を言いながらも結局飯を食べたようだ。

「げぇ、野菜っスか。もっと肉が食いたいっス」

「夜には食わしてやるから我慢しろ。前みたいに摘まみ食いしたら半殺しにするからな」

「ひでぇ店っス」

 マニとソーヤの声が背後でした。

 そしてまたしばらくすると、

「この野菜も美味しいですわぁ。とても新鮮。作り置きとは思えません。ドレッシングも何か特別なことを?」

「野菜は、お湯と水に入れると鮮やかさを長持ちさせることができる。まあ、そもそも美味しい野菜ってこともあるが。ああ、ドレッシングはフィロに作らせた。気に入ったのなら材料を渡すから家で作ってもらいな」

「あらまあ………嘘!? フィロさんが料理を?」

 ハティとソーヤの声だ。

 ドレッシングくらい作るが、買って帰った方がよくないか?

 無心、無心だ。

 集中。

 心を殺して食器を洗う。

 店は忙しくなるが、俺は流されずマイペースにただ洗う。別次元にいる生き物のように店には関わらず、流れて来る食器を洗い乾燥用の棚に置く。

 そういうマシーンである。

 だが、洗っても洗っても食器は減らず増え続け、そういう地獄にも思えてきた頃、自分が何者かすらわからなくなり、ようやく店の空気が落ち着き始めた。

 食器の山が減り始めて、洗い場を空にするとほぼ同時に、店は閉店した。

 土産を持ってハティと外に出ると、とっぷりと日が暮れていた。

 普段とは違う疲労感だ。

 大昔のクラブ活動の後のような、学校帰りのような、そんな感情を覚えつつ帰路に着く。

「ん~、体を動かす方が労働って感じしますわ」

「確かに」

 ハティの性格上、家に籠るより体を動かす方が性に合っている。

「あのお店のパンに野菜、魚料理と麺料理、揚げ物、炒め物、スープ、全て絶品でしたわ。世の中にはまだまだ知らない美味しい食べ物がありますのね」

「そうだな」

 無給でこき使われたことを除けば、まかないの美味しさを素晴らしかった。土産も無料だ。しかし、無給なのだ。

「それはそうとして、フィロさん。深刻な顔で皿を洗っていたようですが、そんなに嫌でしたの? あそこの仕事」

「ちょっと考え事をな」

「聞いても?」

 文折の聖女様に話せないことはない。

「英雄になる。英雄の中の英雄になる。そう、うそぶいていた俺だが、ここにきて何を成してそこに行けばいいのかわからなくなった。がむしゃらに名声を得たところで、高みに行けるのか? 何の英雄になればいいんだ? なれるのか? そこがわからない。迷っている」

「あら、良いことですわよ。それ」

「何が?」

 どこが?

「人は、夢が現実味を帯びて来た時ほど道に迷うのです。今まで大雑把に方角だけだった進行方向が、近付けば砂漠になり荒地になり沼地や山道、氷河になるのです。そして、それは全て入り組んだ迷路。当然、歩みは遅くなります。でも、良いことですわ。確実に夢に近付いた証なのですから」

「………………そう、なのか?」

「そうですわ」

 聖女様にきっぱり言われると、そんな風に思えてきた。

「た~くさん、悩んで苦しんでくださいまし。私がいつでも聞きますので」

「そうか」

 心強い。

 そして驚くほど、心がスッキリした。

 空にある狂ったような大きな三つ月が、安らかな太陽に見えるほど。

 自然と、ハティと手を繋ぐ。

 そうか。

 俺は、英雄に近付いているのだな。

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