<第一章:狂夜祭> 【06】


【06】


「おはようございます、ですわ!」

 朝からハティの元気な声が響く。

 サラダの効果があったのか、目の痛みは昨晩から綺麗に消えていた。

「え、おはようございます」

 いきなりのことで気圧されるシグレ。

「ヴァルシーナさん、いらっしゃいますか?」

「地下で着替えてますよ」

 シグレは俺に『何事?』という視線を送って来る。俺は何とも言えない顔で返した。

 2人で地下に降りる。

 前を歩くハティは食糧庫を開けて、次に着替え室を開けた。

「あらやだ」

 着替え中のヴァルシーナがいた。

 仕立ての良い黒い下着だ。これが王女の下着姿と思うと………いや、ハティの方が興奮するな。

「ヴァルシーナさん。お話がありますわ」

「朝から何? ハティちゃん」

 俺の視線を気にすることもなく、ヴァルシーナは給仕服を着て行く。

「私もここで働かせて頂きます」

「あらあら、助かるけど聖女様の公務はよろしいの?」

「竜が来るのに、文折をしている場合じゃありません」

「だからって、ここの給仕をしなくてもいいでしょ」

「“手伝って差し上げる”と言っているのですわ。私の男を使いたいのでしょ? なら、私も噛ませなさい」

「“私の男”?」

 って言ったよな。

「私の護衛ですわ! ただの言い間違い!」

 ハティは顔を赤くさせて言い返す。

 着替え終わったヴァルシーナは、ロッカーの鏡を見ながら髪を整え始めた。

「既婚者を“私の男”なんて間違えないわよ。ねぇ? フィロちゃん」

「だから言い間違いですわ! 話を聞きなさい!」

「はいはい、うるさいわねぇ」

 言い合う2人を見比べると、年の離れた姉妹感がある。

 鼻の形がそっくりだ。目はヴァルシーナがやや吊り目で鋭く、ハティは下がり気味で穏やかな印象を受ける。性格が目元に出ているようだ。

「つまり、ハティちゃんはワタシに恩を着せたいのね?」

「崇秘院の聖女として、竜が来る前の大事を片付けるのは公務。手伝って当たり前ですのよ」

「結構よ。ワタシの方で片付けるから」

「それじゃ、フィロさんを使わないでくださいまし」

「使って“あげている”のよ。こんな問題ばかり起こす………ワタシのことは話したの?」

「ええ、昨日」

「やっぱり気付いていなかったのね。愚鈍なのはある意味長所だけど。ともあれ、こんな問題児に試す場を与えているだけでも感謝してもらいたいわ。普通なら、一回目の除名の時点で国外退去よ」

 為政者らしい嫌な感じが出てきたな。

「恩着せがましいですわね。あなたのことだから、利用価値があると判断しただけでしょ」

「どんなものでも使いようはあるのよ、世間知らずの物差しで、ワタシを測らないで」

「ごめんなさい、わかりませんわ。あなたほど“小じわ”できるような苦労はしていないので」

「面白いことを言うじゃない」

「あはは」

「うふふ」

 女同士の会話だなぁ、としみじみ思う。

「とりあえず、フィロさんを使うなら私を通しなさい。王女の走狗ではなく、聖女の護衛として仕事をさせなさい。これが私の要求ですわ」

「こっちに得がないじゃないの。上手く行ったら聖女の名声で、やらかしたらワタシが面倒を処理する。割に合わないわ」

「なら、私の方で勝手にやりますわ。勘違いしているようですが、これは礼儀として“わざわざ確認をしているだけ”ですのよ」

「おかしなことを言うのね。ちり紙集めで世相を知ったつもり? 聖女様に街の問題なんて処理できないでしょ?」

「炎教と揉めていますわよね。次に、フィロさんを向かわせるならそれですわ」

 ヴァルシーナが眉をひそめる。

 炎教。

 数々の火の魔法の元となった【大炎術師ロブ】を始祖とする宗教だ。

 火は魔法の始まりであり終端。全ての魔法使いが、火の魔法使いといっても過言ではない。

 炎教は、他所の国ではかなりの勢力と聞く。だが、不思議とレムリアでは宗教施設が存在しない。信者の集まりも見たことがない。噂では、ランシール王女が追い出しているとか。

「フィロちゃん、あなた女の後ろに立っているだけで恥ずかしくないの? 何か言うことはないの?」

 ヴァルシーナが俺に話を振って来た。話を逸らす時点で負けを認めたようなものだが、

「フィロさんは今関係――――――」

 ハティの前に出る。

「ランシール王女、俺に前に出ろと言ったか?」

「そうよ。あなたが聖女様をそそのかしたのでしょ? 最初から自分で言いなさいな。情けない」

 炎教については蛇の情報なんだが、まあ俺の情報みたいなものか。

 それよりも、

「俺に、前に出ろと言ったよな?」

「………………」

 ヴァルシーナは、怪訝な表情を浮かべた。

「護衛に前に出ろってことは、護衛が必要な事態なわけだ。大変だな」

 俺は、片合掌の右手を眼前に置く。

「あら、王とわかった上で剣を抜く気?」

「権威も立派な剣だ。冒険者の“王の娘”なら、この作法がわかるだろ。先に――――――」

「フィロさん! お戯れはそこまで!」

 ハティに抱き着かれて止められた。

 遊びで剣を抜くつもりはない。抜いたこともない。だから、俺の剣は真剣という。

「やっぱり狂犬ね」

「はいはい、ヴァルシーナさん。今回の件は私の一存ですわ。フィロさんは何も関係ありません。女同士でしっかりと話し合いましょうね」

 ヴァルシーナは、微かな焦りを隠して王女のような顔でハティを見下す。

「ハティちゃんの言う通り、次は炎教に向かわせるつもりよ。あんな終末思想の自殺志願者なんて、ワタシの国にはいらないわ。竜が来たついでに街に何をするかわかったもんじゃない」

「つまり、追い出せということですのね?」

 その程度で終わるかね。

「好きになさい。ただし、尻拭いは一切しないわよ」

「元から期待していませんわ。感謝も後で結構です。ではフィロさん、いいですね? 手筈通り後は任せます」

「了解」

 なんやかんや、話はまとまったようだ。

 まとまったよな? でも、ハティがここで働く必要あったか?

「おはようございますー!」

 ドカンという勢いで戸が開いて、ウサギの獣人が現れた。

 マニだ。

 彼女はヴァルシーナには目もくれず、俺と、俺に抱き着くハティを交互に睨む。

「あら、マニちゃん。初めて遅刻しないで来たわね」

「早く来て損した気分っス。この人、誰っスか?」

 マニは、敵を見る目でハティを見ていた。

 し、心臓が痛い。

「驚きなさい。このハティちゃんは聖女様よ。しかも、今日からここで働いてもらうわ」

「へーそこの男の人とどういう関係なんスか?」

 ハティも目で『この女とどういう関係?』と言う。

「どういう関係かしらねぇ、ワタシにはわからないわぁ」

 ヴァルシーナはとぼけていた。

 ハティは、俺の腕に強く胸を押し当てて言う。

「フィロさんは、私の護衛ですわ。仕事上でも私生活でも大事な人ですの」

「へー! 聖女様って男作ってもいいもんなんスね! 知らなかった!」

 バチバチである。

「マニちゃん。ちなみにフィロちゃんは既婚者よ」

「頭おかしいんじゃないスか? ホントに聖女?」

 ヴァルシーナの奴、楽しんでるな。

「失礼な人ですわね。フィロさんは確かに既婚者ですけど、妻との関係は大したことないので構わないですわ」

 無茶苦茶なこと言うな。

「あんた無茶苦茶言うっスね」

 ヴァルシーナは、心底楽しそうな笑顔を浮かべて言う。

「挨拶はそこまでにして、マニちゃん、ハティちゃんに仕事教えてね。聖女様だからって遠慮はしなくていいから」

「任せてくださいっス。客に色目使うのは上手そうだけど、それだけじゃここの仕事は勤まらねぇッスよ」

「お手柔らかにお願い致しますわ。けど私“色目”っていうものがよくわからないので、お手本を見せていただけますか? 大変、お上手そうですし」

「ハハッ」

「フフッ」

「ウフフ」

 女3人が笑いだす。

 異様な空気である。

 静かに戸が開いた。銀髪のエルフが現れ、笑う女たちを見て開けた時よりも静かに戸を閉めた。

 胃が痛いから、さっさとお使いに行きたい。

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