<第一章:狂夜祭> 【05】
【05】
「どうしたの!?」
店に戻ると、キッチンのシグレに驚かれた。
俺の左目の腫れが原因だろう。
「配達先で、モヒカンのモンスターに襲われた」
ので、両腕をへし折ったが、無傷とはいかなかった。再生点もゼロだ。素手じゃ駄目だな。
「すぐサラダ作るから待ってて!」
「サラダ?」
冷やす物が欲しいのだが。
「うわっ、それどうした?」
次はソーヤに驚かれた。
「モヒカンのモンスターペアレントに襲われた」
「………あーもしかして、配達先ってマスターのとこか?」
「そうだ。モンペが届け先じゃなかったが」
「ちょっと待ってろ」
ソーヤは、地下に行き生肉の切り身を持ってくる。
「【アウドムラ】だ。意外と効くかもな」
肉を俺の左目に貼り付けた。
ひんやりとして気持ちが良い。
「ヴァルシーナ! どこだ!」
「はーい」
ソーヤに呼ばれ、ひょいとヴァルシーナが姿を現した。
彼女は俺の様子を見て『あら、うふふ』と笑う。その笑顔で俺の感情は無になった。
「ちょっと話がある」
「旦那様、まだお昼前なのにそんな♪」
「いいからちょっと」
2人は地下に移動した。
何やらソーヤの怒鳴り声が響いてくる。
「はい、食べて。ベリーとトマト、木の実にレタスのサラダ。ドレッシングは、ワインビネガーとマスタード、オリーブオイルを混ぜたもの。目の痛みに効くんだ」
「ども」
シグレからサラダを貰った。
芋を剥いていた隅っこの空間に移動して、サラダをフォークで口に運ぶ。
爽やかな味わいが広がり、ベリーの酸味と甘味が後味として残る。サラダに鎮痛効果があるかはともかく、運動した後なので小腹が空いて丁度いい。
地下の声が大きくなった。
言い争いに近い。
あまり表情の動かないシグレが、露骨に嫌そうな顔を浮かべている。野菜を切る手も心なしか激しい。
彼女の正確な家族構成は知らんが、身内同士の争いは気持ちの良いものではないだろう。
もしゃもしゃサラダを食べながら、俺はシグレに声をかけた。
「これ目に良いのか?」
「え? あ、うん。目に良いというか、抗炎症作用のある食べ物だから腫れや痛みに効果あります」
抗炎症作用が何なのかよくわからんけど、痛みに効くなら丁度いい。
「ハティ――――――聖女様が、目の痛みを訴えていてな。【蛇眼症】っていう病気が原因なんだけど」
「【竜眼症】ではなく?」
詳しいな。
「そう呼ぶ奴もいる」
「それなら、そのサラダで効果ありかと。作ります?」
「頼む」
地下からの声が少し静かになった。
その時、マニが木箱を抱えて現れる。
「シグレさーん、これどこ置くっスか?」
「隅」
「はーい」
木箱を俺の横に置かれた。
マニは、俺の顔をジロジロと見つめる。
「あんた、それどうしたっスか?」
生肉の付いた左目を指す。
「お使い中にモンスターに襲われた」
「大変っスね~」
「まあな」
サラダを食べる速度を上げる。
ほんとこいつの前では、どんな顔をしていいのかわからない。
「それ、美味しいっスか?」
「美味い」
「へー」
もしゃもしゃ。
「………………」
凝視されている。気まずい。
「く、食うか?」
「あーん」
マニは、無防備に口を開けた。
「ええッ」
「あー………もがっ!」
困っていたら、マニの口にシグレがキャベツの千切りをぶち込んだ。
「裏に野菜の箱がまだまだあるでしょ! 運ぶ!」
「うっス」
キャベツを咀嚼しながらマニは下がって行った。
心臓に悪い女だ。
シグレは仁王立ちして俺を睨む。
「フィロさん、結婚したんだよね?」
「うむ」
その自覚は全くないが。
「駄目だよ。奥さんに見られたら、誤解されるようなことをしちゃ」
「その通りだ。気を付ける」
シグレは野菜を切る作業に戻る。キャベツの千切りが山のように積もってゆく。
本当にシグレの言う通りだ。既婚者としての自覚を持たなければ………………って、それなんだろう? 後で誰かに聞くか。いや、誰に聞きゃいいんだ?
下で揉めてるソーヤとかか? 考えてみれば、俺の周りにはまともな人間がいない。いてハティくらいだ。ハティに既婚者の在り方を聞いてみるか。いや駄目だろ。俺はアホか。
サラダを食い終わると………………痛みは引いていた。
肉を剥がすと左の視界がクリアである。腫れも引いている。こんな短期間で。
サラダか、【アウドムラ】か、両方の相乗効果か。
ソーヤが地下から戻って来る。
「フィロ、今日はもう上がっていいぞ。明日も今日と同じ時間に頼む」
「わかった」
洗い場で皿とフォークを洗い棚に置いた。
地下に戻り、着替えて装備を取り戻し、番犬に【アウドムラ】を差し上げた。ニコニコと笑うヴァルシーナを無視して通り過ぎる。
シグレにお土産のサラダと、昼飯を多めに貰って初日は終了。
感想は一言。
もう行きたくない。
「ただいま」
「おかえり~早かったね」
帰宅すると今日もアリステールが出迎えてくれた。
彼女は、いつもの黒ドレスの上に古いエプロンをかけている。ゴーグルをかけ、肘まで覆う革の手袋もしていた。
「飯の準備か?」
「旦那様のために調合薬作ってた。褒めるべきでしょ」
「そりゃどうも、これ飯だ。適当に食え」
「はい、どうも」
アリステールにサラダ以外の飯を渡す。
台所でフォークを手に二階に移動。ハティの部屋をノックした。
「開いてますわ~」
戸を開ける。
みっちりと物が詰まった狭い部屋だ。
本やスクロール、羊皮紙の束、木版、石板、金属板、微細な彫りこみがされた長筒、丸められた大きな葉っぱ、物語が描かれた大楯、この世界の記録媒体が、所狭し天井まで積まれている。埋もれるように机と椅子、天蓋付きのベッドがあった。
記録媒体は、部屋に運び込む前に埃を払い日干ししたのだが、それでもかび臭さが落ちない年代物もある。
そんな中でも、微かに良い匂いがした。
ベッドの垂れ幕を捲って、寝転がる聖女様を見る。髪が黄金の麦の穂のように広がっている。あられもないネグリジェ姿。目は薄く開けられ、顔色は良くない。
「食欲あるか? 目に良いっていうサラダ貰って来た」
「いただきますわ」
防腐葉の容器に入れられたサラダを渡す。
ハティは、それを口にする前に俺を見つめた。
「フィロさん、何かありましたわね」
「特に………些細で面倒なことに巻き込まれただけだ。大した事じゃない」
「私の生業は人の話を聞くことですわ。ほら、おいで」
上体を起こしたハティは両手を広げる。
「………………」
装備を外して床に落とす。ベッドに上がり、ハティの下腹に顔を埋めた。
柔らかく優しい匂いだ。
眠たくなるほど力が抜ける。
後頭部に小さなものが置かれる感触。小さな咀嚼音。頭をテーブル代わりにされているが、大して気にすることではない。
「私、実家が農家なだけあって野菜にはうるさいですけど、これ美味しいですわね。ドレッシングが良いのかしら?」
この立派な太ももは、どんな野菜で作られたのだろう? そんなことを考えていたら、多大な睡魔に襲われ半分寝てしまった。
「で、フィロさん。何が?」
起きた。
「飯屋で働きにいったのだが――――――」
芋剥きからお使い、酒場の乱闘からマスターとの殴り合いを話す。
「その、ヴァルシーナ………さん、に、ついて、何か思うことは、ありませんこと?」
ハティは歯切れ悪く言葉を紡ぐ。
「外面は良いが、一緒に働くと嫌な人間だな」
「いえもっと根本的な………あーもーいえ、止めておきますわ。近々、嫌でもわかると思いますので」
「ん?」
何のことだ。
あの女に何か秘密でも? どうでもいいけど。
「やれやれ、言ってしまえ」
蛇の声がした。
近くにいるのだろう。頭を動かすつもりはない。
「ですが蛇さん。それでフィロさんが気を張ることになったら」
「こいつはそういうタマではない。ただ単に、興味が全くないだけじゃ」
さっきから何のこと?
俺はもう、ハティを吸いながら眠りたいのだが。
「仕方ないですわ。フィロさん、聞いてくださいまし。ヴァルシーナの正体はランシール王女なのです」
「へー」
興味な。
「反応が薄いですわ!」
「ああ、いや、そう言われたら確かに合点がいく」
シグレが国の来賓に飯作っていたり、【冒険の暇亭】がランチで混雑していた時に衛兵が出張っていたり、今回のお使いも何か――――――
「俺とラ・ダガを揉めさせたのは、何の意味がある?」
蛇が答える。
「その落ちぶれた諸王だけではない。街では今、王女の手の者と思われる連中が動き、面倒を起こしそうな勢力の力を削いでいた。余に覚えがある。これは、大きな戦の前触れかもしれん」
「戦じゃねぇよ。祭りだ。竜が来る祭りが行われるのだと」
この情報もソーヤが王女から聞いたのだろう。あいつも王女の関係者だな。しかも深く密な。
実は恋人とか? 女同士で? その可能性大か?
「ほう、【降竜祭】か! なるほどなるほど、不穏分子を潰しておきたいわけじゃ。祭りとはいえ竜の尺度で遊ばれたら、何をどうしようとも街は荒れる。それを期に善からぬことを考える連中は多い。ランシールめ、少しは考えるようじゃな」
「ウソ。竜が………来るのですか?」
ハティの深刻な声が響いた。
「どうした?」
ただならぬ雰囲気だ。
そういえば、ハティの所属してる組織は竜と関係があったような。そんなことを聞いたような。
「フィロさん。私も【冒険の暇亭】で働きますわ」
「………………え?」
何でそうなる?
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