<第一章:狂夜祭> 【04】


【04】


 配達先は、目抜き通りの一等地にある。

 レムリアで一番有名な酒場といえば、ここ【猛牛と銀の狐亭】だ。レムリアで酒が一番安い店でもある。ちなみに飯は、大量の塩と油で酒を進ませるだけの料理。食えたもんじゃない。

 して、受取人は【ラ・ダガ】とあった。

 評判の良くない冒険者だ。

 奴、いいや、“奴ら”と言った方が正確か。ラ・ダガは、かつて『四強なる諸王』と呼ばれていた。そんな諸王が大陸を跨いでレムリアで冒険者をやっている理由は1つ。

 戦に負けたのだ。

 どこの誰に敗北したのかは知らないが、数十万とあったであろう兵力のうち、レムリアに連れてこれたのは100にも満たない。その敗残兵を冒険者にして、レムリアに亡命したのである。

 当たり前だが特例だ。そんなことは普通許されない。許してしまったら、他国の軍隊が冒険者として入り込み、レムリアを内部から破壊できてしまう。

 特例で許された理由は明かされていないが、想像に難くない。

 金だろう。

 敗けたとはいえ諸王。敗けるまでは、民草を泣かせては貯め込んでいたのは間違いない。そういえば、奴らがやってきた年に城門が建て直されていた。

 酒場の扉を開く。

 客席数も広さも街一番の酒場だ。ただ今は、空席が目立つ。毛色の違う冒険者たちが原因だろうか?

 狼のフリをした犬共が30匹。お行儀よく酒を舐めていた。

 俺は、こいつらが嫌いだ。

 朱に交っても赤くならない異物共。ダンジョンに潜るわけでもなく、名声を求めるわけでもなく、徒党を組んで街に繰り出し偉ぶっている。

 更に最悪なのは、強い人間に対しては文字通り犬のように媚びへつらい。弱い人間に対してだけ牙を剥く。しかも、群れで。

 何度、誰かにぶっ殺されないかと思ったことか。

 あ、今の俺にならやれ――――――いやいや、止めておこう。俺は飯屋の店員としてここに来たのだ。下手な行動はトラブルの元。

 目を合わせないように、犬の姿を視界に入れる。

 ラ・ダガの顔はわからないが、一匹偉そうな奴を見付けた。

 痩せた身長の高い男だ。黒い鎧に、毛皮のマント、大そうな両刃の大剣を片手に、酒場のやっすい椅子の上でふんぞり返っている。

 くすんだ灰色の髪、顔面に大きな刃物傷。歳は、30手前くらいか。一国の王だったにしては随分と若い。だが、表情の陰り具合は初老のようだ。

 こいつだな。

 俺が近付くと、傍の席にいた2人が剣に手をかけた。

 どう見ても俺は飯屋の店員なのに、臆病なこった。

「ラ・ダガさんで?」

「なんだァ、てめぇ」

 当たり。俺の眼識も少しは肥えたか。

「ヴァルシーナさんから、お届け物です」

「ヴァルシーナ、だと?」

 俺は、抱えていた包みをテーブルに置く。

 ラ・ダガは、部下に顎で命じ、包みを開けさせた。出てきたのは瓶詰の野菜。キャベツ? ピクルスかな?

 ラ・ダガは、無表情で瓶を掴んだ。そして、瓶に貼り付けられたメモを見て激高した。

「あの女狐がッ!」

 吠えて瓶を床に叩き付ける。しかも、憎々しく踏み付けた。

「あ~あ、もったいない」

 酸っぱい匂いが辺りに広がる。瓶の中身は、ザワークラウトのようだ。

 理解できない。

 どんな理由であれ、感情が荒れたとはいえ、食い物を足蹴にするとか………………殺すか?

 お使いとして我慢するか? 飯屋の店員なら、うんまあ、殺すのが正しいよな?

 この場合、何が正しいのだろうな。俺にはわからん。ま、お使いは完了した。このまま帰るのが一番正しいと思う。

「てめぇ」

 ラ・ダガは、震える指で俺を指す。

「あ゛?」

 軽く殺気で返してしまった。

「駄賃がまだだったなァ。おい、払ってやれ」

「そりゃどうも」

 いつの間にか背後にいた男が、俺に剣を振り下ろす。

 乾いた皮袋の破裂した音が響いた。

 人間の頭蓋を裏拳で思いっ切り殴り付けると、こういう音がするのだと今知った。

「………やっちまった」

 血の滴る自分の拳と、床に倒れた男を交互に見る。死んだか? でも、剣抜いていたしなぁ。

 誰かが声を上げた。

「陛下! こいつライガンだ!」

「最初からそのつもりか! 全員でかかれ! 殺せッッ!」

「え、いや、本当に俺はお使いで」

 30近い剣が一斉に鞘から抜かれた。眩しいほどの白刃が輝く。

 何という剣呑か、ここは酒場だぞ? 酒呑めよ。

 周囲を見るも、女給はテーブルに隠れ、モヒカンのマスターにいたってはジョッキを磨きながら完全に無視していた。

 ああ、そういうこと。

「抜いたのは、そっちが先だぞ」

 俺はスクロールを取り出す。同時、剣を持った犬が群がって来た。

 視界が青く染まる。

 目も覚めるような空の青。

 それは、一振りすると槍となる。返しで振るうと槍に結ばれた大きな旗が現れる。

 名は、【蒼天の大旗】。

 竜と共に滅びた王国の、最後の旗手が振るったとされる戦旗。

 伸縮自在の青い旗は、剣を防ぎ、槍を防ぎ、数百の矢を絡めとり、魔法で焼かれようともすぐ様にその青を取り戻す。

 旗手が死した後も尚、戦場から軍が徹底するまではためき続けたという。

 見ての通りの旗、殺傷能力はゼロに等しい。

 だが、

「見よ。この青を」

 青き旗は酒場中に広がり、犬共に絡み付く。

 長柄を脇に挟み、俺は全身で旗を振るった。

 大漁だ。

 包まれた悲鳴と怒号が響き、解き放たれた犬共は酒場の壁に激突。そのまま壁を突き破って目抜き通りに転がる。

 10人近く無力化できた。

 次を絡めとろうと旗を振るも、急に旗が重たくなり鈍くなった。簡単に避けられる。

「射かけろ!」

 ラ・ダガの命令で、6匹の犬が弩を構えた。

 旗の一振りで易々とボルトを絡め落とす。今度は驚くほど軽い。

 装填の隙は逃さない。

 踏み込み、旗の槍部分で突き刺――――――また重たくなった。俺が動けないほどの重さ。

「おいおい、まさか」

 3人が斬りかかって来た。

 何もしていないのに旗はその3人に絡み付き、彼らを外に放り出す。

 この旗は、蜘蛛と同じで半自動的に動く。だが、蜘蛛にはない強い意思を今感じ取った。人間に対する異常なまでの非暴力性だ。

 表に放り出された連中が戻って来た。

 全員無傷に近い。

 モンスター相手に使用した時は“使える”と思ったのに、こんな落とし穴があるとは。

「何やってんだッ! 囲んで殺せ!」

 四方八方から剣が振り下ろされる。

 刃は1つも届かない。青い旗が全てを絡めとり阻む。

「まいったな」

 俺は掠り傷1つ受けないが、敵も同じく大した怪我はない。時折、旗に包まれては外に放り出され、しばらくするとまた戻って来た。俺は何度か反撃に動くも、旗に阻まれる。

 割と手詰まりな状況だ。

 蜘蛛でどうにかするべきか? 酷使したせいで最近ガタがきて、あまり使いたくないだが。それに旗と糸が絡んで両方使えなくなるのは困る。

 あのロングソードか、ルミル鋼の剣があれば旗は斬れると思う。今手元にないけど。剣士が剣を手放すのは愚策だったなぁ。落ちている剣を拾って試してみるか? 全然関係ないが、ハティの胸に顔を埋めたい。太ももを撫で回して、尻を揉みたい。

「………………ん?」

 足りない頭で考えていたら、周囲が静かになっていた。

 ラ・ダガの犬共が、息を乱して膝を突いていた。

「終わりか?」

 まだ小一時間も経過していないぞ。体力のない飼い犬だ。

 1人だけ冷静な顔持ちで、ラ・ダガは次の支持を出す。

「火を点けろ」

 流石にマズいかもしれん。旗が大丈夫でも俺が熱に耐えられない。室内だし酸欠で死ぬことだってあり得る。

 犬の1人が、瓶と火種らしき物を取り出す。

「あ」

 簡単なことだった。

 柄を回す。酒場中に広がっていた旗は一纏めになった。石突きで床を打ち、体重をかけて押すとスクロール状に形態が変化、収まった。

「え?」

 と、間抜けな顔をした犬の顔面を椅子で殴打。砕けた椅子を捨て、そいつから剣を奪う。

 冒険者のロングソードよりも幅広で長い剣。割と良い剣だ。

 これなら簡単にラ・ダガの首を――――――


「そこまでだッッ!」


 酒場が揺れるほどの大声が響く。

 やっとジョッキを磨き終えたのか、酒場のマスターが割って入って来た。

 モヒカンが特徴的な中年の大男だ。

 身長は2メートル近く、現役の冒険者でもそういない筋肉量と恵まれた体格。

 俺にとっては、件のラスタ・オル・ラズヴァだ。

「ライガン! 喧嘩は貴様の勝ちだ! それ以上何を望む!」

「“フィロ”・ライガンだ」

「ならば、フィロ・ライガン。疾く去ね」

「おいおい、おかしいだろ。抜いたのはこいつらが先だ。それに、これが刃引きした剣に見えるか?」

 俺は、手にした剣をマスターに投げ付けた。マスターは、太い指で剣を掴み。ボキリと親指の力だけで刃をへし折る。

 ヒームの膂力じゃねぇ。

「ナマクラだ。こんなもんで人は斬れん。斬れてせいぜい、“野良犬”程度だ」

「貴様ッ!」

 その言葉に思う所があったのだろう。ラ・ダガはキレ散らかしてマスターに剣を向けた。

 ゴスン、と丸太が石を打ち付ける音がした。マスターの拳に打たれ、ラ・ダガの頭は酒場の床に突き刺さった。

 前衛芸術のようだ。

 ある程度鍛えていた証か、まだ生きている様子。

「出て行け貴様ら! 出禁だ! 次に敷居を跨ぐときは命で払って貰うぞ!」

 本物の気迫に怯えた犬共が、ボス犬を連れて出て行く。

 ふと目に入ったザワークラウトの残骸に、瓶に張り付いていたであろうメモを見付ける。

『人数分、用意致しました。船旅のさいはご利用を』

 この内容でキレた理由が理解できない。それとも、食べ物自体に侮辱的な意味合いでもあったのか?

 まあいいか、俺も帰ろう。

「待て、ライガン。貴様には用がある。ヴァルシーナの言う『詫び』とやらがこれならば、大概だぞ。奴らはあれでも上客だった。確かに素行は褒められたもんじゃない。だが、そんなことを言いだしたら、全ての冒険者が素行不良だ」

「あんた耳が悪いのか? “フィロ”・ライガンだ。二度と間違えるな」

「奪った悪名も飲み込めんのか、存外小者だな。“ライガン”」

 すぅーと深呼吸を1つ。

 今回はお使いに来ただけだ。それも完了した。後は、帰って芋剥いて終わり。乗っちゃいけない。

 よし、自制した。俺、偉い。

「あんたこそ、存外安い挑発をするな。古い名前が泣かないか? ま、安酒に用はない。帰らせてもらう」

 出て行こうとする俺に、マスターは一言。

「まだ終わっていないぞ。駄賃代わりに拳を1つ貰っていけ。うちの女の子を傷付けたのだ。そのくらいせんと、こっちの気が収まらん」

 女の子って歳のガキじゃねぇだろ。

 あー馬鹿らし。

 もういいや。

「殺すぞ、てめぇ」

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