<第一章:狂夜祭> 【07】


【07】


 修羅場から抜け出し、街を歩く。

 街は朝。

 商人が忙しく冒険者が静かな時間帯。

 おかげで、誰にも襲撃されず目的地に到着できた。

 俺の目の前には、コの字の建造物がある。

 1階建てでコンクリートのような建材が使われていた。黒く煤けて半ば朽ちかけているが、形はギリギリ保っている。

 恐らく、中心には御神体があったのだろう。今は代わりに、小さな焚き火の跡があるだけ。まだ新しい痕跡だ。

 ここは、元炎教の施設である。

 目抜き通りが近いのに取り壊されもせず残っているのは、政治、宗教、個人感情と、色んな事情があるのだろう。

「………………チッ」

 嫌な匂いがする。

 これも新しい。

「誰ですかい? 信者さんでしたら、すいませんねぇ。今日のところはお引き取り願いやす」

 奥から初老の男性が現れた。

 小柄で、灰にまみれたような薄汚れた貫頭衣をまとっている。濁った両目、堀の深い顔立ち、白髪交じりのボサボサ頭と無精ヒゲ。手元には、教本が一冊。

 男以外に他の気配はない。

「フィロ・ライガンだ。崇秘院、【文折の聖女】ハティ・ヘルズ・ミストランドの使いで来た」

「へぇへぇ、ライガンとは物騒な名前だァ」

「“フィロ”・ライガンだ。そこ間違えるな」

「へぇ、フィロ何某さん。何用でさ?」

「炎教、伝道者ビルギルで間違いないな? あんたに国外退去を命じる」

「………そいつは一体、何の権利があってでさぁ」

「言っただろ。聖女の使いだって。これはまだ公表されていないが、近々街に竜が来る。その間、あんたのような不穏分子に街にいてほしくない」

「断る、と言いやしたら?」

「困る、と言い返すな」

「そいつは困らせてすいませんねェ。ではお引き取りを」

 すんなり行くわけないな。

 俺は、ハティに渡されたメモを取り出す。

「16年前の記録だ。炎教の信者の証言。ある炎教の司祭が、この場所で巨大な炎の柱を呼び出し、街を破壊しようとした」

「へぇへぇ、流石は竜の聖女様。耳が達者なことで」

「同じような記録は1つや2つじゃない。それを【文折の聖女】が公表したらどうなる? ただでさえ肩身の狭い炎教は、この廃墟ですら居場所がなくなるぞ」

「それで、どうなりやすか?」

 とぼけた男だ。

「ばらされたくなかったら、荷物まとめて出て行け。といっても一時的なものだ。ことが済んだら戻ってきていい。この廃墟の管理人としてな」

「………こいつは困った。あっしは街から出て行くつもりはありやせん」

「何故だ? 街が騒がしくなる間、ちょっとだけ出て行くだけだぞ」

 今度は、俺がとぼける番だ。

「あんたさんが言う『巨大な炎の柱』。どうなったかご存知で?」

「さあな? 興味のないことだ」

「ある一匹の竜が食ったんでさぁ。こいつはいけねぇ、火は人の手にあってこそ叡智足りえる。でけぇトカゲ如きが人の火を、ましてや我らの聖なる炎を、喰らって良い理由なんて欠片もねぇんですぜ」

「だから、竜に一泡吹かせたいってか?」

「そうなりやす」

「お前のいう『聖なる炎』は、竜が食わなかったら街を焼き尽くしていた。それでも食った竜が悪いと?」

「悪いさね」

「いやいや、お前らの方が害悪だろ」

 一歩、歩みを進める。

 もう二歩進めば、刃の間合い。

 これは、殺気を込めた警告だ。

「害悪? そいつは、罪のない子供たちを殺したクズ共に言ってくだせぇ」

「そいつらはもう、死んでるだろ」

 事の詳細は、ハティから聞かされている。

 16年前、レムリア王の死後間もなく王座は空位であり、国は混乱の極みにあった。エリュシオンからやってきた法王が国を牛耳るも、褒められた統治ではなく様々な問題を生み出す。

 その1つが、東からやってきた獣人連中だ。

 レムリアから東には、原始を思わせる深い森がある。そこには人の営みよりも自然を選んだ連中が住む。

 ただ、はぐれ者はどこにでもいるもの。ある集団が森から出て来て街を荒らした。

 とはいえ所詮は野盗止まりの連中だ。数も100に満たなかった。軍隊に敵うはずもなく、だが軍隊に挑むほど“愚かでもないクズ”だった。

 この愚か過ぎないクズというのが一番厄介なのだ。戦う術を持たない弱い人間にとっては特に。

 当時の炎教は、街から潤沢な寄付を貰っていた。

 合わせて、冒険者の孤児を引き取っていた。この世界の慣例なのだ。潤った宗教団体が、慈善活動として孤児を引き取り育てることは。

 で、そのクズの獣人連中は炎教を襲った。

 金や命を奪った。

 子供の命もそこに含まれる。

 報復として、生き残った炎教の司祭が街を焼き尽くそうとした。

 細かい時間の前後はわからないが、炎教を襲った獣人は何者かに殺されている。その炎で死んだのではない。

 そんなとこだ。

「確かに、報復相手は死んでまさァ。だが、子供らの無念はまだこの土地に染み付いている。痛い痛いとすすり泣いている。それを捨て置いて、離れることはできませんぜ」

 俺は耳をすます。

 無音だ。

「何も聞こえないぞ。大体16年も前だ。魂は新しい命になって、今頃元気に走り回っているんじゃねぇの?」

「あんたさん、ライガンを名乗るのにお優しいことを言いなさる。あっしらの教義とは違いやすが、苦しみもなく現世で笑っているというのなら………あっしも嬉しいことでさァ」

「あんたも大変だな」

「へぇへぇ」

 男は微笑んだ。

 さて、

「茶番はこのくらいでいいか?」

 風向きが変わる。

 鉄の味を感じるほどの濃密な血臭が漂う。1人や2人で、こんな風にはならない。

「お喋りは、もうしまいですか」

「聖女の使いである以上、いきなり斬った張ったマズいだろ。前口上が必要なんだよ、面倒くさい。んで、何を殺った? 物取りか? チンピラか? ………まさか」

「あんたさんが来る前に衛兵を、いやありゃ近衛かねぇ。まあ、どちらでも構いやしません。肉塊に肩書はありやしませんぜ」

 手加減する必要はなくなった。考えようによっては良い状況だ。しかしこれ、ランシールの織り込み済みか? 俺のせいとか後で言われないよな?

 解せないな。

 一番解せないのは、奴の得物だ。何で兵を殺した? まさかあの本?

 男は地べたに腰を降ろして言う。

「とはいえ、ここは1つ引いちゃ貰えませんかね? 兵の方々は不幸なことになりやしたけど、あんたさんまで死に急ぐ必要はねェ。あっしとしては、竜が来るまで街に居られればいい。ただ、それだけでさァ」

「ガキの使いじゃねぇんだ。『はいそうですか』と帰れるか。それにお前、殺し慣れてるだろ?」

 殺しをしたのに平然とし過ぎだ。

 汗1つ掻いてない。

 サイコでももう少し表情が動く。どれだけ殺しが日常にあるんだよ。

「見逃しちゃくれねぇと?」

「そういうことだ」

 一歩進み。

 ――――――血よりも粘ついた何かを感じた。

 景色が高速で移り変わる。

 思考するよりも早く、感覚が体を動かしたのだ。

 地面と壁を蹴り、男の背後へ。

 斬りかかるか下がるかの二択。俺は、下がることを選んだ。

 距離が開く。

 彼我の距離は7メートル。思ったよりも体が退かせている。

 ブワッと汗が噴き出た。

 首筋が温く濡れる。

 触れると、汗で薄まった血が指に付着する。

 うなじを斬られた。

 背後に何かがいた。

 伏兵? それとも、魔法か? まさかこいつも、獣を使うとか言わないよな? あれはアリステールしか使えないはずだ。

 マントの胸部分も切れている。心臓の位置だ。

 退いたのは正解。突っ込んでいたら両断されていた可能性もある。

 だが、良し。

 初手は躱せた。

 蛇曰く、『どのような敵でも、初手を躱せたなら五分と五分』。逆に、俺が初手を当てられたのなら必殺だ。

「って………おいおい」

 視界の端に、転がる人体のパーツを見付ける。

 腕だけでも最低30近くはある。折れた槍に剣、盾、近衛兵の鎧や、獣人の頭も転がっていた。

 全て刃物傷だ。恐ろしく鋭利な。

「おーおー、よく動きなさる。あっしは生まれつき足が不自由でねェ。走ったことは一度もございやせん。年のせいか、最近は立っているのもつれぇときた」

 ゆっくりと、座った男が俺を向く。

 手にした本が、独りでに捲れ始めていた。

「だがねェ。生まれてこの方、斬った張ったで負けたことは一度もねェ。あんたさん、【神の剣】を見たことあるかい?」

「面白れぇこと言うな。お前が見せてくれるのか?」

「見たら最後、お先真っ暗、仲良く肉片の仲間入りだァ。………ようございやすか?」

 片合掌の構えをする。

 距離は遠し、得物も見えず、だが十分。

「ここだけの話、俺は神を斬るつもりだ。【神の剣】程度、斬れんでどうする」

「罰当たりなお人だ。――――――死ね」

 血風が動く。

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