<第一章:狂夜祭> 【01】
【01】
「ただいま」
「おかえりなさーい」
玄関口で妻に出迎えられた。
闇に溶けるような長い黒髪、左目を隠す垂れ去った前髪、背中の開いた黒いドレス、豊かな胸とすらりとした肢体。そして、魔性を秘めているように見える冷たい美貌。
一応妻のアリステール・ライガンだ。
恋愛もクソもない結婚だったことと、お互いまだ『夫婦』という感じになっていないので、何ともまあ、何とも微妙な関係である。
「ハティは?」
いつもなら、もう1人女性が出迎えてくれる。アリステールに張り合って熱烈に。
「聖女様なら寝てるよ。目の調子が悪いからって」
「目? 大丈夫なのか?」
彼女の目は、短期間だが見えなくなったことがある。
確か、【蛇眼症】とかいう奇病のせいだ。
「視力には問題ないけど、痛みがあるみたい。少し強い鎮静剤をあげたから、それで大丈夫」
「治療寺院に連れていくか」
「大丈夫だって、ジュマの治療術師よりアタシの方が腕は上だから」
「それはそれ、これはこれ、セカンドオピニオンは大事だ」
「せ、せか? なにそれ?」
「前に診てもらった治療術師がいる。念のためってことだ」
「前診てもらったのに治ってないなら、ヤブじゃない」
「付き合いもある」
「付き合い程度で、大事な体は診せられないってば」
「ハティの体が大事とな?」
仲が良いのはいいことだけど。
「聖女様が不調だと旦那様は気が散るでしょ。家の女は万事健康であるべし、ってお婆様が」
「そんなもんか」
「そうよそうよ」
こいつが言うなら間違いないのだろう。
「お前、飯は?」
「食べたよ。旦那様は?」
「食べた」
【アウドムラ】のせいで、冒険者組合の査定が長かったのだ。待っている間に携帯食の残りを食べてしまった。
「お風呂は?」
「入って来た」
それも待っている間にすませた。
「あそ。この後は?」
「寝る」
「………うん、はい。オツカレサマデス」
俺は地下の自室に行く。
何故だか、アリステールも付いてくる。
一張羅のマントをベッドに脱ぎ捨てると、彼女はそれを拾って装備用のラックに掛けた。
続いて俺は、黒革の鎧を外す。
アリステールが用意したライガンに伝わる革鎧である。名のある諸王から、製法を盗んで作った物だとか。
前来ていた革鎧が紙に思える防御力だ。安い刃物と安い腕では傷一つ付かない。しかも、軽くて動きを全く阻害しない。
「手伝いませう」
「いいよ。自分でやる」
背中にあるホックを外し、両脇腹にある留め糸を解く。すると簡単に脱げる。
鎧は自分でラックに置き、武器も置く。
白い短剣に金色の機械蜘蛛、スクロール状に収められた槍、あと今日奪った弩が1つ。ボルトが15本入ったポシェット。手首に隠した短剣が2つ。
少し迷って、ロングソードも置く。
ルミル鋼の剣だけは手元に置いた。
「ちょっとー、ねぇちょっとー」
「なんだ?」
アリステールは、不満そうな顔で両手を振っている。
「妻に要望はないの? あれやれこれやれ、腕揉め足揉め、あれ食わせろ、片付けとけとかとかとか!」
「片付けって、扱いミスると怪我じゃすまない武器ばかりだぞ」
「信用してよ」
「してるしてる。だが、それとは別の話だ」
納得してないアリステールの顔。
さておき俺は、ベッドに横になる。ほどよい疲労感だ。眠ろうと思えばすぐ眠れるだろう。
「………………むぅ、なんだかなぁ。それで旦那様、冒険の成果は? 30階層は越えられた?」
アリステールはベッドに腰掛け、胸元から本と筆記具を取り出す。
「今日もそれやるのか?」
「やるに決まってるでしょ。ライガンの女たるもの、夫の回顧録を作るのは使命なの」
「それにしても早いだろ」
回顧録なんて、引退した冒険者が昔を思い出しながら作るもんだ。
「早くて困ることはないの。ほら、旦那様。30階層に挑戦してどうなったの?」
「………28階層で他の冒険者と揉めて帰って来た」
「揉めた原因は?」
「偶然居合わせ、獲物の取り合いの仲介を頼まれた。しかし、俺が【ライガン】と知ると獲物そっちのけで戦いを挑んできた」
「ほほう、殺したの?」
「殺してねぇよ。殺しを選ばない方が、名声に繋がる時もある」
「あら、意外な選択」
アリステールは、本に書き記す。
「してして、どんな相手だったの?」
「剣士のパーティと、斧持った魔法使いのパーティだ。2人共若かった。この先、生き残れるなら、一角の人物になるかもな」
「斧? 魔法使いが?」
「珍しい組み合わせだよな」
稀に近接武具を持った魔法使いを見かけるが、大抵の場合は飾りや形見だ。あの魔法使いのようにしっかりとした使い手は初めて見た。
「もしかして、ラズヴァの親類?」
「ラズヴァ? 聞いたことある名前だな」
どこで聞いたかは忘れた。
「先祖が名のある開拓者の場合は、その証として斧を使うことが多いの。ラズヴァといえば、この【々の尖塔】を発見した開拓者だよ。先王もその血を引いている。もちろん、現支配者のランシール王女や、聖女様にもラズヴァの血が流れている。後は………そう、思い出した。ラスタ・オル・ラズヴァ」
「ああ、酒場の」
割と有名な人物だ。【猛牛と銀の狐亭】の店主。安い酒といったらあの店である。それ以外は全部中の下の店だ。
「有名な冒険者だよ。先王の親戚だし」
「知らなかった」
全然行かない店だから。
「その魔法使い。ラスタ・オル・ラズヴァの身内だったりして」
「殺してないし、人数は向こうが多かった。後でまた、因縁付けられる理由があるか?」
「身内の情は、人の判断を鈍らせるよ」
「身内の情か」
アリステールの言葉に苦い物を覚えた。
こいつの祖父を殺したのは俺だ。
その事実を包み隠さず言ったが、『仕方ない』というサッパリした反応だった。
この女の内面がわからない。
身内を憎んでいたのか、何も感じないのか、俺には計り知れない感情を抱えているのか、何もかもわからん女だ。
「有利な状況での敗北の方が、不名誉だよね」
「そらそうだ。笑いものだな」
あ、ちょっとマズいか。
名誉は血なのだ。冒険者にとって面子は何よりも大事である。冒険者として生きたいなら、尚のこと。
「再戦ありうるよね」
「他にも」
他にも懸念がある。あった。
「あいつらの得物を1個奪ってきた」
ラックに飾られた弩を指す。
「これもう、取り戻しに来いって誘ってるよね?」
「短剣じゃ距離がなぁと思っていたところ、中々良さそうな弩だったからつい。それ以上の他意はない」
「旦那様が1人でそう思ってもさぁ」
「そうだなぁ。止めにもう一つ」
「まだあるの? なんで生かしてきたの?」
ライガンらしい物騒なことを言う。
「連中の取り合っていた獲物が宝箱でな。中身が【アウドムラ】っていう珍しい食材だった」
「うそん。【アウドムラ】って伝説の食材だよ。お爺様が長生きだったのも、【アウドムラ】を食べたからって言われてる。それを旦那様が見付けるとは、偶然にしては出来過ぎ。死んだお爺様の導き?」
「さぁな」
仮に導きだとしても、トラブルは呼ぶなよ。
「ほほう、【アウドムラ】とな」
「ほーん」
しゅばっと、ベッドの下から黒猫と蛇が滑り出てきた。
「そこで何してた? 畜生共」
「余と、このクズで賭けをしておった。いい加減今日あたり、そこの処女を抱くのではないかとな」
と、蛇。
「うむうむ、愛人は隙あらば抱いているのに、嫁は放置とか。度し難いゴミクズである。僕が生きていたら首刎ねだぞ♪」
と、黒猫。
「飯抜くぞ、この野郎共」
「さておき、【アウドムラ】じゃ! 余が生前、もう指をかけていたのに、狂公めに奪われた至上の百養! 献上するのじゃ! あれを食うために余は再臨したと言っても過言ではない!」
「ああ、はいはい。沢山あるから食わせてやるよ」
そう言って、うるさい蛇を手で追い払った。
腕組みした猫が語り出す。
「ふーむ、【アウドムラ】ねぇ。大方、生産プラントが誤作動して、昔の家畜を再現したのだろう。味はともかく、謳うような百養も神的効果もないと思うぞ」
「はぁー本当に貴様は、人間を知らん男じゃな」
「はぁ!? 僕は物知りだが? 僕ほど知識豊富で、思慮深い生き物はいないのだが? だが!?」
猫は、意外と煽られ耐性がない。
「知識を詰め込んだとて、人に触れねば人を知れぬ。脳に情報を入れただけの白痴め」
「お、おまっ、完全に侮辱だな! 大変な侮辱だ!」
猫が毛を逆立て蛇を威嚇する。
蛇は余裕たっぷりで言った。
「事実が侮辱とは、貴様が愚か者の証明じゃな。後学のために教えてやろう。【アウドムラ】に効能があろうがなかろうがどうでもいいのだ。冒険者にとって大事なのは、それを“食った”という事実。冒険者は名声を食う生き物であるからな」
その通り。正論だ。
「意味がわからん。食の自慢が名声になるのか?」
ここまで言っても、猫には理解できないようだ。
「他者が得られなかった物を得た。それが名声じゃ。馬鹿め」
「おお、なるほどそういう。僕のような生まれついての王者には、理解する必要のないことだったな」
『猫畜生がなにを言う』
俺と蛇の声がハモった。
「猫でなければ学べぬこともある。うむうむ、1つ学びを得た故、君らの失礼を許そう」
猫は去って行った。
「ふむ、あとは若い2人で乳繰り合え。余は街を見て来る。何ぞ、嫌な空気を感じるのだ」
蛇も去る。
「………ふ、2人ってきりだねぇ。たはー」
何故か今更、アリステールは緊張していた。
「じゃ、俺は寝る」
「え? あ、はい」
毛布に包まり目を閉じた。
アリステールが動く気配はない。しばらく放置しても動かないので声をかけた。
「どうした?」
「アタシって女として魅力がないのかなぁ~って」
「そんなことはない」
魔性の美貌を持っている。誘われて断るような男はいない。ただ、中身は純朴な生娘だけど。
「それじゃなんで旦那様は襲ってこないの?」
「襲うって、悪い言葉をまた」
「夫婦の営みをしませう」
「あ~はい。確かにそうだな。じゃま、やるか?」
もそりと毛布を捲った。
「………………」
アリステールは氷のような顔をしていた。
黙っていれば、本当に冷たい美人だな。
「旦那様さぁ、アタシのこと女として見てないでしょ? 聖女様に対する接し方と全然違うのだけど? どこが嫌なの? 言ってみ」
「特に嫌なとこはない」
嫌になるほど知ってもいない。
「好きなとこは?」
「顔と胸?」
「それ、聖女様の方が好きでしょ?」
「ハティも好きだが、だからといってお前が嫌いというわけではない」
こうなることは結婚前から予想できたと思うが、流石にそれを口にしたら駄目だな。
「へーそうなんだーへー」
魔性の美貌が、子供みたいに拗ねていた。
「はあ、わかったわかった。さっさと夫婦の務めを果たそう。やりゃいいんだろ」
アリステールを押し倒した。
「思ってたのと違う」
「人生そんなもんだ」
彼女のドレスを捲り上げて行く。
抵抗はない。もっと拒否られると思っていたが、緊張すらしていない。触れた内腿の肉が冷たい。表情も冷たい。人形みたいだ。いや、てかこれ死体みたいだ。
色々とまさぐり続け、音を上げたのは俺の方だった。
「………………すまん、勃たない」
「あ、疲れているからね。仕方ないね。それってアタシの魅力と関係はないよね?」
「なんか、全然興奮しない」
「はぁ!?」
氷が怒りで溶けた。
しかし、これだけは言わせてくれ。俺も文句がある。
「あるだろ、こう、恥じらい的なもんが! せめて緊張してる感じでもな!」
「痛いのは嫌だから、魂を凍らせて感情を殺してるだけ! さっさと済ませてよ!」
「やるか! 言わせてもらうが、こればっかりはお前が悪いぞ! 俺は死体や人形に興奮する特殊性癖じゃねぇよ!」
「旦那様は、痛がるアタシを見て興奮したいってこと!?」
「最初は痛いかもしれんが、そのうち楽になるだろ!」
そこんとこ詳しくないけど。
「女性が痛がる姿で興奮するとか、最低」
うわっ、こいつ。
「もしかして………旦那様。アタシのこと『面倒くさい女』って目で見てる?」
「見てる。見た。今後もそう見続ける可能性も高い」
「何でぇ!」
「男と女の営みってのは、お互いの気持ちの高まりが大事だ。んな死んだような状態で抱けるかよ」
「旦那様って、経験人数豊富? 何人?」
「2人」
「少ないじゃん」
「お前こそどうなんだよ」
「アタシは経験豊富ですよ。恋愛に関する本は500冊以上読みましたし、愛の女神とも契約を結んでいます。ほら、旦那様が前に死にかけた時、助けてあげたでしょ? あれ、その女神様の力です」
ドヤ顔のアリステール。
「でも処女なんだろ」
「当たり前じゃん!」
その愛の女神とやらは、セックスについて教えてくれなかったのか? 死姦の神か?
面倒過ぎて頭が痛くなった。
「ん?」
足音を察知した。
この地下室は、玄関付近の物音がよく聞こえるのだ。
数は5、6人だな。鎧の擦れる音もする。
「ここで待ってろ」
ルミル鋼の剣を手に玄関に向かう。
ノックされる寸前で、こちらから扉を開けた。
城の衛兵は少しだけ驚いて俺を見る。
「何の用だ?」
「フィロ・ライガン。逮捕状が出ている。城まで同行して頂きたい」
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