邪竜目覚める
<序章>
28階層。
しっとりと血で濡れた階層である。
石畳や石壁から、血の流れる光景は酷く不気味だ。しかし、この程度で動揺するなら冒険者などやれない。
そこで俺は今、ダンジョンに潜っていると、稀によくあるの状況に遭遇していた。
「オレたちのだ!」
「いいや、私たちのだ!」
俺たちの目の前では、大きな大きな宝箱が“ぐったり”と死んでいた。
このダンジョン、【々の尖塔】の宝箱というのは爬虫類のような手足が付いている。その役割は宝物の保管ではなく、分解者だ。
箱の中にある大きな口でダンジョンに転がる様々なモノを食らい、清掃、分解する………と言われているが、冒険者は誰もその活動を見たことはない。大変臆病で逃げ足が速いからだ。
ところが、この宝箱は年を重ねると動きが鈍くなる。
無機物は消化できないので、冒険者の死体が身に着けていた貴金属や装備が残り、腹に貯まり、動きを鈍らせるのだ。
そんなわけで、ダンジョンで宝箱を見付け、尚且つ狩れる速度に動きが鈍っていた場合、冒険者たちは血眼になって狩りに出る。
そして起こるのは、獲物の取り合いだ。
「あんたよく見てくれ! この深い切り傷と刺し傷の穴! オレたちの攻撃が止めになっている!」
そう言うのは、若い剣士である。
革鎧にロングソード、背中には丸盾。見本にしていい冒険者の剣士。彼の後ろには魔法使いの女と大楯と槍を持った獣人。3人パーティだ。
確かに、宝箱には大きな刃物傷と槍の刺し傷がある。どちらも深く、致命傷と言ってもいい。
「違うねぇ! ほら見て! 全体に広がる火傷と矢傷! これが弱った原因で、こいつらは運良く止めを刺しただけだって!」
と、斧と杖を携えた若い女が言う。魔法使いらしいトンガリ帽子にゆったりとしたローブ。しかし、大柄でここにいる誰よりも体格が良い。ローブから透けて見える分厚い筋肉の鎧は、到底魔法使いのものとは思えない。彼女の背後にいる男3人も筋骨隆々で大柄。女とお揃いの斧を携え、割と珍しい弩を背負っていた。
女の言い分はごもっとも、確かに、宝箱は魔法により全体的に焦げていた。弩により、手足のあちこちに太いボルトが突き刺さっている。
「………………」
で、なんで俺がこいつらの話を聞いているかというと、偶然に通りがかっただけだ。面倒であるが、こういう揉め事の調停はやらなくてはならない。そういう暗黙の了解がある。
俺は、客観的な意見を述べる。
「止めはお前ら、足止めはお前ら、そういうことで半々に別けりゃいいだろ」
『いいわけあるか!』
リーダー2人の声が揃う。
「最低でも6:4だ!」
と、剣士。
「ふざけんな! 8:2だよ!」
と、魔法使い。
「ボリ過ぎだろ! やんのか!」
「上等だ、こんにゃろうが! そっちの方が手っ取り早い!」
血気盛んな若者たちである。
「後は、若いお二人で」
仲人のような気持ちで俺は去ろうとした。
踵を返した弾みでマントが捲れる。腰に下げた2つの得物がカチャリと小さい音を上げた。
目ざとい剣士は、それを見逃さなかった。
「ルミル鋼の剣? くすんだ赤色のマントにソロパーティ。あんた、【ライガン】だろ?」
「………フィロ・ライガンだ」
最近、奪った名で呼ばれる。
「おいおいおいおい! こんなところでライガンとか、宝箱よりレアじゃないかい!」
魔法使いまで騒ぎ出す。
あ~嫌な流れ。
「おい、女。俺が先に挑戦する」
「だから、勝手に決めんじゃないよ!」
「じゃあ勝手にしろ。背後からライガン倒して、名声が得られると思うならな」
「ちっ」
舌打ちする魔法使い。
剣士は、剣の柄に手をかける。
「オレの名は、アシュタリアのテラン。フィロ・ライガン、貴公に決闘を挑む。理由は、貴公が“ライガン”であるが故に、我が名声の糧になってもらう」
「受けよう」
ライガンである以上、こんな感じの出来事はよくある。本当によくある。愚痴っても仕方ないくらいよくあるのだ。
俺は、片合掌をした右手を自分の眼前に置く。
「なんだそりゃ? 抜けよ。構えろよ」
「………いつでもどうぞ」
「馬鹿にしてッ!」
剣士のロングソードが、半ばまで鞘から抜け――――――そこでピタリと止まる。
「俺の勝ちでいいな?」
俺のルミル鋼の剣が、剣士の額に触れていた。なんてことはない。種も仕掛けもある神速だ。
片刃の剣を鞘に収める。
刃を露出させたルミル鋼専用の鞘である。常に気を張らないと自らを傷付ける剣なのだ、これは。
ギリギリと剣士の歯ぎしりの音が聞こえた。
実力差は理解したようだが、それで止まる人間ばかりなら世は平和だな。
「お、おおおおおおおおお!」
吠えた剣士は、ロングソードを引き抜いて振り上げた。
斬った。
剣士の両手首が、剣を握ったまま転がる。
いや、落ちたのは剣だけ。再生点が作用して、剣士の手首は再生している。落ちた手首は跡形もなく消えていた。まるで、損傷した現象がなかったかのように。
それだけでは終わらない。
「ルミル鋼に斬られたことはあるか? こいつに斬られると、少し時間を開けて再生点が消し飛び傷が開く。今から急いで治療寺院に行け。でないと、一生剣は握れないぞ」
「………ぐ、ぐっ」
剣士は惨めたらしく剣を拾う。背中を丸めて、パーティと共に去って行った。
良かった。もう一度、剣を振り上げるほど馬鹿ではなかったようだ。
「宝箱はお前らの物だ」
そう言って去ろうとする俺に、魔法使いは凶悪な笑顔を浮かべて得物を構える。
「今の見せられたら、ライガンを継いだのが偶然じゃないってわかったよ。よーくわかった。あの化け物爺をぶっ殺した実力に嘘偽りなし!」
「だから、なんだ?」
デカイ声である。
ここまでデカイとモンスターも避けるだろう。
「パーティ全員で挑んでも卑怯ってことはない! だね!」
「いや、卑怯だろ」
俺を無視して、パーティは襲い掛かって来た。
帰還。
時刻は昼を少し過ぎた辺り。
街は食後の休憩中のように、静かでダラダラとした空気を帯びている。
結局、またゴタゴタに巻き込まれて30階層に到達できなかった。成果物を連れて25階層に戻り、冒険者組合に税として幾らか盗られて今日の冒険は終了。
成果がゼロじゃないだけ、マシな方だと割り切る。
その足で馴染みの店、【冒険の暇亭】にやってきた。
水路の傍にある小さい飯屋だ。小ささの割には、大変な繁盛店である。今回の報酬をどこに持ち込むか冒険者組合に聞かれ、ここしか思い浮かばなかった。
「らしゃーい」
目付きの悪い女が、やる気と愛想のない声を上げる。
隻腕白髪の女主人、ソーヤ。今日もスーツ姿。愛想はないが、胸はある接客態度。
「食材を買ってくれ」
「食材? お前さんが挑戦してる階層で食えるもんあったか?」
元冒険者だけあって、ダンジョンで採れる食材には見識があるようだ。
「階層の食材じゃない。宝箱から出てきた。研究用ってことで冒険者組合にゴッソリ取られたが、美味そうな首と肩を斬り落として持ってきた」
背負っていた肉の包みを近くのテーブルに置く。
大きな肉塊だ。俺が運べる限界のサイズ。50人前はあると思う。
「宝箱から食材? もしかして、牛っぽかったか?」
「牛っぽかった」
黒毛の肉付きの良い牛だった。
「【アウドムラ】じゃないか! 超レアな食材だぞ!」
「へー」
もっと持ってくりゃ良かった。
「50年前に一度発見されたが、当時の支配者が独り占めしてわずかな記録しか残ってない。こりゃ、シグレが喜ぶぞ」
「まあ、適当になんか作ってくれ。常連に食わせる時は、俺の名前を出してくれよ」
「了解だ。して、幾らだ?」
「相場がわからん」
そも、珍しい食材に冒険者が金を出すのだろうか?
あ、引退した富裕層が出すのか?
「僕もわからん。うちの店で一番高価なのは【深海酒】だけど。一瓶金貨30枚だぞ。飯屋だから酒は割高にしてるのもあるけど、大衆向けの飯屋だしなぁ」
「勉強してくれ」
俺は適当に言った。
「とりあえず、金貨100枚だす。とりあえずな。うちの常連の金払いが良かったら、儲かったら追加で払う。そんな感じで良いなら、うちで買うぞ」
流石、繁盛店。
飯屋で金貨100枚出せるとは思わなかった。
「金貨80枚でいい。その分、俺と俺の女に【アウドムラ】を食わせてくれ。美味く料理してくれよ」
「うちの娘を信用しろ。しかし、熟成期間がわからんな。普通の牛なら冷凍して3週間程度だろうが、異世界の牛でダンジョン産と来てる。勉強しながらやるしかないか」
「なんだ。すぐ食べられないのか」
「最低でも3日は待ってくれ。辺境伯時代の資料も探さないとな。念のために毒見も用意しないと、うちの駄犬じゃ参考にならん」
「まあ、任せた」
「任された」
ソーヤは、肉塊を担ぐ。
金は後日でいいだろう。帰ろうとした俺に、彼女は他所を見ながら言う。
「あ、そうだ。こいつはちょっとした噂なんだが、16年ぶりに竜が街に降り立つそうだ」
「竜?」
「【降竜祭】ってやつだ。先王の時代は毎年行われていたけど、色々な事情で行われていなかった。そいつが再開する………という噂がある。名声が欲しいのだろ? それじゃ竜に挑戦するくらいしないとな」
「………噂だろ?」
「噂だ」
確かな噂だろうな。
家路につきながら、竜というものを改めて想像する。
大きくて、空を飛び、火を吐く。
え、人が勝てるもんなのか?
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