<終章>
<終章>
「口が堅い信用できる商会を教えてくれ」
「どうした急に」
色々と落ち着いたある日、俺は【冒険の暇亭】の女主人の元に訪れた。
「短剣が欲しい。できれば装飾があって、割とピカピカしてる感じの」
「何用だ?」
「贈呈用。記念品みたいな感じだ」
「さては、送り相手は女だな?」
「………………」
何故知っている。
「古い騎士の家では婚姻のさい剣を送る習わしがある。敵に“かどわかされた”時の自害用にな。今では刃を潰した刃物を送り、“どちらかが死んでも後追いしないように”って意味を込める。懐かしいなぁ。僕の最初の結婚の時も、友人が送ってくれた」
「え、いや、別に俺は結婚するために………」
「ライガンの娘に送るんだろ? 婚約の証として。だが、ハティちゃんにも送るから、“短剣の数”について口外しない商人を紹介しろ、ってことじゃないのか?」
ってことだが、
「そんなことはない。ただ単に口の堅い商会が知りたいだけだ」
「ま、そういうことにしてあげるよ。待ってな、ザヴァ夜梟商会に招待状書いてやる」
招待状を受け取り、俺は商会に。
時間をかけて短剣を選び。口が堅いと言っても、どこから漏れるかわからないので、念には念を入れて同じ物を5本も購入した。
かなり高い買い物だった。財布がほぼ空になった。
アリステールの支援と、ハティからのお給料があるから、この程度の出費は問題ない。問題があるなら、女の金で俺の生活が成り立っているということだけだ。
大問題じゃねぇか。
完全にヒモだこれ。
冒険、冒険に行かないと。ダンジョンに潜って一山当てないと。女2人から金貰ってるドクズと噂される。そんな英雄がいてたまるか。
とりあえず、今日は家に帰って婚姻の証をハティとアリステールに渡し、明日の冒険の準備だ。
護衛の仕事はしばらく休みのはずだから、がっつりダンジョンの攻略に時間をかけられる。ライガンの爺と戦うよりは、モンスター相手の方が楽なはずだ。俺も強くなったし。
あ、いやまて。
連日ルミル鋼の剣を振っていたせいで、再生点が不安なのだ。今も空である。1日休んだだけで完璧に回復するか? 一応、蜘蛛だけで普通のモンスターなら余裕なのだが、頼りすぎると剣が鈍る。
俺の本質は剣士だ。剣1つで切り開いてこそ、英雄に至る。搦め手や小手先の技に頼るのは悪手。後々、自分の首を絞める結果になるやも。しかし、奇策や奇剣を知らねば、剣1つで対応できないのも事実。
うーむ。
色々考えながら家路に向かう。
世界が茜色に染まる時間だ。仕事を終えた人間たちが騒ぎ始めている。夜は、酒と飯と女と遊びと喧嘩の時間だ。
少しだけ、そういう気分を近く感じる。
夕日の人波の中、ある人影に目を奪われた。
「………ッ!」
夕焼けよりも赤い髪、少年のような少女の後ろ姿。
幻と思った。
幻でしかありえない。
理解していても、自然と足が赤い髪を追う。
走り出したいのに人混みが邪魔をする。何度も見失いそうになるも、人の合間に赤い髪を見付けては後を追う。
気付けば路地裏に入っていた。別世界の入り口のように思えた。赤い髪が角を曲がる。追う。追うが、どれだけ速く走っても追い付けない。まるで、影を追っているかのよう。
大した距離を走ったわけでもないのに、激しく息が乱れた。
剣が、鎧が、マントが重い。新人の頃に戻ったかのように、心肺が軟弱に悲鳴を上げる。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁっ」
汗が冷たい。
一足早く夜闇に満たされた路地裏が、酷く不気味で恐ろしい。微かに見える赤い髪が、何かの希望に感じた。
距離の縮まらない鬼ごっこが続き。
急に、どす黒く赤い空が広がる。
ここが街のどの辺りなのかはわからない。ただ広く開けて、周囲に人の気配がある建物がない。演劇場を思わせる場所。
そこに、赤い髪の少女が立っていた。
在りし日と何も変わらない姿で。
「久しぶりだね。“スズツキ”」
彼女が俺の名を呼んだ。【涼月】と、俺が忘れていた名前を呼んだ。
「フィロ、なのか?」
「やだなー私の顔忘れちゃった?」
近付いてきた彼女は、背伸びをして俺の髪を撫でる。
間近で見ても変わりはない。あまりにも、何もかも、懐かしさで胸が締め付けられた。
「大きくなったねぇ。大変だったでしょ?」
自分の中の何かが折れた。
跪いてフィロを抱き締め、腹に顔を埋める。
「お前がいなくなってから、俺は1人で10年、藻掻き続けた。せめてお前の敵を討ってから………違うか。違う。死に場所を探してさまよい続けていた。俺はお前が死んだ日に、俺も一緒に死んでいたんだ。体だけが、何かを成そうと、無意味に生き続けた」
「無意味なんかじゃないよ。君の人生には大切な意味がある。魂を擦り減らしながらネズミのように生きた10年も、オールドキングから冒険者の残滓を集めていることも、獣を狩り呪いに侵されたことも、聖女に愛され、魔女に見初められたことも、全部が全部、神に捧げるためじゃない」
甘い夢が一瞬で覚めた。
「お前は、誰だ?」
フィロの顔で薄ら笑う女を見つめる。
「愚鈍、所詮は奴隷女の男だねぇ。殺したい相手もわからないの?」
「ミッ、ミテラッ!」
脳裏に浮かんだ神の名が叫ぶ。
彼女を突き飛ばし、暗いロングソードを引き抜く。フィロの姿をした神の首を――――――斬れなかった。
今しがた感じた体温も匂いも、吐息の熱さすら懐かしい彼女そのものだ。頭で違うと理解していても、体が納得しない。
「アハハハハハハ! 私があげた力で私を斬ろうというの?」
「お前の、力だと?」
「奴隷の子は奴隷。奴隷が拾った子もまた奴隷。全て私の子よ。私の物よ。その肉も骨も血の一滴も、魂までもが全て私の物。そんな哀れな子に、誰が力を貸すというの?」
「ふざけるな。ふざけるなッッ!」
俺の力だ。俺が手に入れた俺だけの力だ。こんな奴の力なわけがない。
「憎みなさい。あなたの憎しみも私の物。私の糧。そして殺しにおいで、もっともっとその剣を育てて、いつか炎を宿らせて、私のような英雄になって堕ちるまで。それまで待っているから、この女の魂をしゃぶりながら」
フィロの姿が消える。
また、俺だけが1人残された。
先の見えない深い夜の闇が辺りを満たしていた。
吠える。
「ミテラ! ミテラ、ミテラ、ミテラ、ミテラッッッッ!」
狂ったように神の名を叫ぶ。
どうしようもない憎しみが血涙となって流れ出た。
それでもまだ、俺は剣を手放せない。
燃え滾る感情の中、心の一部が凍る。死しても尚、死した後でも尚、必ず殺すという意思を鋼のように固める。
「いいだろう神よ。お前が俺の神だというのなら、この剣がお前の力だというのなら、立ち塞がる全てを斬り、喰らい、捧げてやる。だが最後に、最後に剣を突き立てるのは俺だ! 我が悪食の末、神殺しを見るがいい!」
乾いた風が吹く。
街の暗がりをさまよっていた。
遠くから、夜に熱狂する人々の声が聞こえた。
血が冷めきっていた。
肉が強張っていた。
骨が凍っていた。
喉がカラカラだ。
目は血走っている。
風が動く。
背後から迫る気配を感じた。音もなく迫る白刃の気配。乾いた風の中では手に取るように察知できる。
親指で柄を弾く。
暗い刃が、思考よりも早い閃光となり敵を斬り裂いた。
夜の静寂に雷鳴が響く。
確信をもって剣を鞘に収めた。そして、敵を見る。
切断されたルミル鋼の大剣が地を打つ。ワンテンポ遅れて、両断された老人の体がズレて崩れ落ちた。
最早、何の感慨もないライガンの抜け殻。古びた遺骸。
「抜いたなァ。お前が先だぞ」
流れる血の川を背に、俺は歩き始めた。
<了>
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