<第三章:死と呪いの花嫁> 【15】



【15】


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 まどろみの中、女は夢を見る。

 始めて黒いドレスを着た時のこと。

“お前は死と呪いの花嫁になるのだ”と言われた。

 血の匂いで意味を理解した。

 いつも急に、あるいは命じられるままに、女は暗い夢の中に落ちた。目覚めると、いつも血の匂いがした。目の前に広がるのは、人とは思えない潰れた花婿の残骸。

 何度も何度も、そんなものを見せられるうちに、女は自分の甘い考えに後悔していた。

 普通の人生などライガンの女には用意されていない。

 例え、いつか、幸運に恵まれたとして、自分に憑いた化け物を殺せる者が現れるとして、それが真っ当なはずがない。

 化け物を殺せるのは、それ以上の化け物でしかないのだ。


『あれは駄目だな。これも駄目。うーむ、おしいが駄目だ』


 いつの間にか現れた黒猫が、花婿たちを品評する。

 最初は、おかしくなった精神が慰めのために作り出した幻だと思った。ところが、この猫は自分の知らないことを知っていた。古い歴史から、予言めいた未来の術まで。

 彼は、王子は、自分を、女の中にある化け物の親玉だと言った。

 夢よりも暗い歴史を王子から教わった。王子のそれは、神と信仰されてもおかしくない功績だ。同時に、歴史から消されるほどの悪でもある。


『正義を成すにも悪が必要なのだ。その逆もまたしかり。悪にかけても善にかけても英雄がいるのと同じ。民草は、その一面でしか人を判断できん。全く暗愚だね』


 そんなことを猫の姿で語るのは、おかしかった。心の慰めになった。

 血の匂いと、死体の山の中でも慰めになった。


 ある日、


『見所はある。騎士家系の“崩れ”か“落とし子”か。諸王の末かもしれんな』


 王子がそう語る人物に出会った。

 若い剣士だ。

 剣技の良し悪しはわからないが、剣を振る姿を美しいと感じた。

 彼の鍛錬の様子を、こっそりとずっと見ていた。何日も何日も、飽きもせずに。

 見所があると感じたのは王子だけではなかった。祖父が彼に剣を与えた。ライガンが秘蔵するルミル鋼の剣だ。

 女の父が、かつて使っていた剣。

 父がどういう死に方をしたのか、同じ時期に母が何故死んだのか、祖父にも怖い祖母にも聞けなかった。

 葬儀の時、祖母に止められるも棺を開け、そこにあった炭のようなモノが両親の最後の姿だった。

 若い剣士は剣を振るう。

 女はそれを遠くから見ていた。

 甘い考えが、また生まれる。

 結局、本当にただ甘いだけの考えだった。

 剣士は死に、また別の男が花婿の候補として現れた。

 長生きしそうにない男だ。

 飢えた野良犬みたいなギラギラした瞳で、遠くを見ている。遠くの誰かを憎んでいる。

 王子は大層気に入ったみたいだが、嫌いな男だった。

 けれども、そう、生きてくれるなら。

 自分よりも長く生きてくれるなら、魅かれてやってもいい。


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 庭で剣を振る。

 何ともこれが難しい。

 ルミル鋼の剣は重い。腰に下げたロングソードと比べたら倍はある。それでいて、刃渡りは10センチほど短い。

 これで殺すためには、いつもより半歩踏み込みが必要だ。そして重さが全身に食い込む。10も振れば息が乱れる。

 扱いは理解しているのだ。相手の動きからどこでどう振ればいいのか、斬り返せばいいのか、最適な足指の配置、腰の捻り、肩、握り、その他多く。意識したらキリがないこと全てが、自然とできる。できるようになっていた。

 だが、体が全然ついてこない。

 30も剣を振ると限界だ。

 太ももの肉が攣り、指の感覚がなくなる。そこから更に無理をしようものなら、背骨が肉から剥き出るだろう。

 なかなかどうして、こりゃ難しい。

 疲労で適当に剣を振り、自分を傷付けようものなら致命傷にすらなる。自分の剣と言い張れるのは、まだまだ先だ。

「若いと言われる歳でもねぇのに、これはキツイ」

 休憩を挟みながら小一時間剣を振った。

 汗だくだ。足が生まれたての小鹿みたいに震えている。指にタコまで出来ていた。冒険者として、それなりに鍛えていたつもりだったが、今までの10年が遊びみたいだ。

「………見ても面白いもんなんてねぇぞ」

 ずっと背後で見学していたアリステールに言う。

「そうかな?」

「そうだぞ。汗だくの野郎なんか見て何が楽しい」

「割と、楽しい気が? 前の………ううん、何でもない。あんまり上手くは見えないよね。旦那様」

「うるせぇよ。才能豊かなら10年も凡冒険者やってねぇ」

「けど今は………………あ、良い匂い」

 小麦粉の焼ける匂いが漂う。

 もうすぐ昼飯の時間だ。

「ハティがパン焼いてる」

「起きてパンの匂いかぁ、なんか久々かな」

「味にケチ付けたら尻を叩くぞ」

 アリステールは少し笑い、表情を強張らせる。

「お爺様は、殺したの?」

「殺してねぇよ。お前に気を使って半殺しで我慢してやった」

「嘘っ。旦那様って気遣いできたんだ」

「お前、俺を何だと思っている」

「あー………………止めておきます」

 絶対、よくない言葉が浮かんだな。

「ただ、爺がもう一度襲ってきたら殺す。それだけは忘れるなよ」

「わかってる。それはもう、仕方ないよね。どうしようもない」

 来るだろうか?

 俺には、古びた脳みその中身はわからん。蛇に聞いても『あるがままだ。好きにしろ』と一言返すだけ。

「ご飯ですわよ~」

 とハティの声。

 剣を鞘に収め、アリステールと目を合わせて家に戻る。

「儂の肉じゃ!」

「我らは家族も同然、財産は共有しようではないか」

 蛇と猫が餌を取り合っていた。

 勝手にやっていろ。ハティも完全に無視している。アリステールだけはアワアワしていた。

 昼飯は、平焼きパンと野菜の入ったスープ、干し肉とワインである。

「聖女様、思ったよりも貧――――――きゃん!」

 魔女の尻を叩いた。

 中々の叩き心地。

「いっっつうう、質素ですね」

「あ、はい」

 3人で席に着き、手を合わせて祈りを捧げる。

 俺は、飯を用意してくれたハティと、戸棚の隙間からこっちを見ている毛玉と、頭に浮かんだ赤毛の少女に感謝を伝える。

「いただきます」

 と、賑やかになった食事を開始する。

 前に、

「話がありますわ」

 ハティから大事な話があった。

「フィロさん、アリステールさん、お二人のご結婚のことです。様々な事情、世相、権力者の圧力などもあって………………ご結婚をゆ………ゆる………………ゆっ、ゆっゆゆ、ふぐっ!」

 ハティは、バシバシと自分の胸を叩き出す。

「だ、大丈夫か? 無理するな。別の日でもいいんだぞ?」

「ご安心をフィロさん! 下手に先延ばしにした方が面倒ですわ! ええ! 許しますよ! 結婚! すればいいじゃないですか! 許さないと大変なことになりますからね! ほっっんと王女この野郎ですわ! でも私、一緒に住みますからね! 夜だって遠慮せず迫りますけど! 文句あります!?」

『ないです』

 俺とアリステールは同時に頷いた。

 聖女様がこんなおかしなテンションになった原因は、大体俺のせいである。

「ほら、食べますわよ! また冷めますわよ!」

 やけ食い気味に、ハティはパンをもしゃもしゃ食べ出す。

 俺もアリステールも続く。

 やっぱり、味はわからなかった。今後、男女関係の話を食卓に持ち出すのは禁止としよう。

 ふとアリステールを見る。

 笑っていた。

 普通の顔で笑っていた。

 こんな顔もできるのかと、ほんのわずかに心音を高鳴らせて思った。

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