<第三章:死と呪いの花嫁> 【14】


【14】


 悠然と、まるで王者のように、古強者の冒険者が歩いてくる。

 俺は、死蠟の短剣を振るう。

 大量の蝋が石畳に広がり、柄の着火装置を叩くと同時、爆炎が広がった。

 ライガンは軽々と火を飛び越し、大剣を振り下ろしてくる。

 重く鋭い一撃。ダンジョン豚すら容易く両断するだろう。ましてや得物はルミル鋼の剣。

 避ける。

 火を潜り、大きく距離を取る。

 巨体は一瞬で間合いを詰めてきた。また大きく距離を取り俺は逃げた。

 片目じゃ紙一重の回避はできない。距離だ。ともかく距離を取る。

 左手で短剣を投げ付けた。指で挟まれる。足止めにもならない。胴を狙う横薙ぎを潜って避けた。ライガンの膝を蹴り、また距離を開ける。

「おーおーまるでウサギじゃ。よく跳ねおる」

「うるせぇ」

 左目が、少し見えてきた。まだ霞むがやっと使える。

(蛇。再生点は?)

「使えん。どのみちルミル鋼相手じゃ。何をくらっても一撃死だと思え」

 重いはずの大剣を、小枝のように振り回しライガンは言う。

「腰の得物は使わぬのか?」

「お前じゃ不足だとよ」

 蛇が巻き付いて抑えなければ、ひとりでに抜けて獣を貪るだろう。そうしたら、次は何を持っていかれるやら。

 準備や覚悟はしてきたのに、何ともまあグダグダだ。

 けれども、位置は良し。

 ライガンの背後には獣。その死骸が、蜘蛛の糸に支配されて持ち上がる。音もなく翼を振り上げ――――――視線を俺に向けたまま、ライガンは背後に剣を振る。

 死骸が力なく倒れた。

 正確に糸を切られた。

「その手は、一度見たのであ~る」

「覗き見野郎」

 瞬時に間合いを詰めたライガンは、俺の脳天に剣を落とす。

 異様な音が鳴り響く。

 怪鳥の鳴き声に似た。昆虫の鳴き声に似た。人の悲鳴にも似た金属音。

 ルミル鋼同士のぶつかり合い。

「ほう、冒険者らしい手癖だな」

「いらねぇ世事だ」

 渾身の力でライガンを弾き飛ばす。

 エッジブレンドの剣は、気味が悪いほど手に馴染んだ。まるで10年以上振り続けたきたかのよう。

 呼吸を細く、感覚を鋭く、熟達の天才剣士のように斬りかかる。

 刹那に無数の斬撃が飛び交う。強固過ぎる刃同士は火花を生まない。ただ奏でる。金属とは思えない不協和音を。

 剣戟は、わずかな拮抗から俺の優勢に転じる。

 喰らった獣から呪いが逆流するというのなら、喰らった人間の血肉からその才が流れるのも通りか。異常な物体に通りがあるとは、おかしな話だが。

「獣の呪いだけではなく、人の資質まで喰らうか。何とも悪食な剣じゃな」

「悪食なものか、偏食家だ」

 無数の剣閃が膨らみ、ライガンを襲う。

 体格差も、膂力の差も、技と速度で圧倒する。俺の五体から剣技が溢れる。剣を振る度に新しい技が生まれる。

 棒切れ遊びが、初めて楽しいと感じた。

 敵の刃は掠りもしない。受ける必要もない。ライガンの一振りが笑えるほど遅いのだ。その間に俺は、三度剣を振るえる。

 俺の刃がライガンの肉を裂く。革鎧の防御力など紙と同じ。ただ、首には遠い。心臓にも遠い。肉や骨がぶ厚すぎる。衰えたはずの爺だというのに、再生点の底が見えない。

 だが、一方的だ。

 俺はこのまま斬り刻むだけで勝てる。

「調子に乗るなよ」

 ライガンが笑う。人を食った顔にゾクリとする。

 眼前に刃が。

 剣線を読み違えた。いや、完璧に読んでいた。完璧に見ていたのに、避けられなかった。

 一際大きな衝突音。

 俺は大きく離される。打ち負けた。技が力に負けた。刃を絡めて落とし、首を狙えたはずなのにできなかった。

 冷や汗が滲み出る。受けた衝撃で肩が痺れ、指先がチリチリと痛む。高揚した気分は一瞬で冷めた。

「貴公の剣才、剣技、剣眼、まぎれもなくエッジブレンドのものであろう。だが、所詮は身の丈に合わぬ借り物に過ぎん。十全と使いこなすには、あやつ以上の身体を持たなくてはなぁ」

 不意打ち気味にライガンが動く。

 無造作に拳で掴んだ短剣を投げ付けてきた。数は8、造作もなく剣で弾き。次も8、同じく楽に斬り落とす。

 そして、ライガンが大上段の構えで跳び込んでくる。

 二度と受けるものか。

 着地した後、回り込んで背後を狙ってやる。

 ――――――足が地面から離れない。

 ライガンの術? 何か道具が? まさか毒? どれも違う。酷使した俺の足が、疲労で痙攣していただけ。

「ほ~らな」

 俺は吠えて真っ正面から剣を受けた。衝撃で意識が一瞬飛ぶ。気付くと、目の前には石畳。飛び起きるも、ルミル鋼の剣は手の届かない場所に転がっていた。

「儂の故郷にこんな言葉がある。『狼の毛皮を被ろうとも、犬は所詮犬に過ぎん』。分不相応な力を手にしたなぁ」

「俺は人間様だ。犬でも狼でもねぇよ」

 震える手でロングソードの柄に触れる。

 蛇は離そうとしない。

「駄目じゃ。絶対に使うな。今これを使って勝てたとしても、呪いで死んでは何の意味もない」

(なら他にどうすりゃいいんだ!?)

「考えよ。ここが分水嶺ぞ。貴様が英雄に至る者か、何も成せず終わる者か、閃く白刃の中に答えを導き出せ。出来ぬなら、ただ転がるだけの躯に終わる」

「ああ、そうかい」

 ここにきて、俺を試そうって言うんだな。

 やってやるよ。

 使える武器は、全く扱えていない死蠟の短剣が1つ、普通の短剣が1つ。自然と普通の短剣を左手で構えていた。

 ルミル鋼の大剣を持った相手に、銅貨2枚で買える短剣で立ち向かう。

 到底、勝ち目がある戦いじゃない。街にいる冒険者崩れのチンピラでももうちょいマシな武器を持っている。

 だが、これで勝ったのなら?

 英雄に近付いたと言える。俺は、近付いたと声を大にして言える。

 ライガンが駆ける。

 彼我の距離は7メートル。敵が二歩進めば、大剣の間合いだ。

 白刃が閃く中、渦巻く思考から俺は最後の一手を選ぶ。

 短剣を放り捨てた。

「む?」

 ライガンが毛筋ほどの動揺を見せる。

 そりゃそうだ。戦いの中で得物を捨てるなど意味不明だ。そも、俺が潔く死ぬタイプにも見えないだろう。

 両腕の力を抜く。さも殉教者のように殺意を欺瞞する。ただの自暴自棄のように演じる。

 間合いまで残り一歩。

 短剣が石畳に落ちるまで後わずか。

 あえて刃に自ら近付いた。その奇行にライガンの視線を集め、完全な死角から短剣を蹴り上げる。

 短剣が飛ぶ。吸い込まれるようにライガンの胸板に突き刺さる。

 何故だ?

 虚は衝いた。しかし、それでも奴は反応していた。反応した上で、何故か呆けた。飛んでくる短剣を見て“別の何か”を見た。

 浅い傷ではない。こうもめり込んだ傷では再生点は機能しない。

 ライガンが血を吐く。

 短剣を引き抜こうと、溺れるように大剣を手放す。俺は、その大剣を拾いライガンの腹を斬った。

 届いた。

 破裂したかのような血の飛沫。返り血が顔にかかる。

「………………」

 何もない天井を眺めて考え、俺は大剣を捨てた。

「止めが、まだである」

「俺の勝ちだ。よくよく考えたら、結婚相手の爺ぶち殺すのは気が引ける。ただでさえ、印象が最悪なのに。今回だけは、恩情をかけてやる」

 ライガンは胸の短剣を引き抜く。深手を負った腹を両手で押さえる。戦闘力はもうない。デカイだけの爺だ。

「………儂は貴公の剣を諦めん。王子共の残骸を集め、獣という獣を束ね、獣狩りの全てを手中に収める。果ては、魔法使い共の秘奥すら掴むつもりだ。それまでは、決して諦めぬ。待ちに待った支配者無き時代なのだ。王の毛皮を被った奴隷ではない。真の王として君臨できる時代なのだ」

「ふん、老いたな」

 吐き捨てるような蛇の声は、ライガンには届かない。

 勝者の余裕で俺は口を開く。

「爺。お前なんで一瞬動きを止めた? 俺の見立てが間違ってなけりゃ、あんな短剣なんか避けられただろ」

「さあてなぁ………………少し昔を思い出したのだ。何もない奴隷の小僧に、あんな技を教えたことを。馬鹿な小僧である。次々と、あれやこれやと他人に毛皮を被せられ、最後は自分が何かすら忘れてしもうた」

「へぇ」

 どんな王様だろうな。それ。

 エッジブレンドの剣を拾う。片鞘に収めマントに隠す。花嫁を担いで、俺はその場所を後にした。

 敗者を捨て置いて。

 少しばかり、ほんのわずかだが、俺は英雄に近付いた。

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