<第三章:死と呪いの花嫁> 【02】


【02】


 眼下に小さくなった街並みが広がる。

 何をされた?

「いや!」

 それよりも今は、動かないと死ぬ。

 落下が始まった。全身が厚い風に包まれる。

「ッ、そう何度も何度も! 死にかけてたまるか!」

 機械仕掛けの蜘蛛を取り出す。

 蜘蛛は大量の糸を吐き出し、金の糸で編んだパラシュートを作り出した。

 マズい。

 落下速度が少ししか下がっていない。

 このまま地面に落下したら運が良くても半身が潰れる。

 グングンと地面は近付く。

 助かる手は一つ。

 パラシュートを切り離して、蜘蛛を地面に向かって投げ放った。

 一足先に地上に着いた蜘蛛は、街の家々に糸を巻き付け大きな巣を作りだす。

 そこに俺は突っ込んだ。

 柔らかい糸で作り出した巣は、俺の体を包むと伸びに伸びて鼻先が石畳に触れる距離でギリギリ落下速度を殺せた。

 巣から降りる。

 目抜き通りの喧騒が聞こえた。周囲に人影はない。あの女と遭遇した路地裏から、さほど離れてはいない。

 で、何をされた?

 蜘蛛が糸を回収するのを眺めながら考える。

 魔法の類だろうか?

 あの衝撃の割に俺の体に傷はない。似たものをあげるなら、たった今味わった巣に包まれる感触がそれ。

 しかし、完全に見えなかった。

 蛇の言う<認めてないが>ビビって見えなかったのではなく、視覚的に完全に見えなかった。油断していたからでも――――――女相手で油断していたのは確かだが、見えない攻撃だったのは確か。だと思う。正直、自信はない。

 達人と呼ばれる連中は“こういうのに”どうやって対応しているのか? 勘なのか? 俺には勘で判断できるほど経験がないと?

 駄目だ。

 頭をフル回転させても欠片もわからん。それどころか別のことを考えてる始末。

 こういうのは蛇に考えさせるのが吉。

 だが、自分で考えなきゃ成長はないのだろう。こうも似たような感じで初撃をくらっていると、自分の成長に疑問を感じてしまうが。

 まあ、今回はノーダメージで切り抜けたのだし、良しとして切り替えるか。いいや、もっと根本的な原因に気付くべきなのか。

 真実は、ただ俺が小者というだけな気もするが。

 ま、

「流石に、二回目は対応できるぞ」

 空から降ってきた不可視の攻撃を避ける。

 俺のいた場所が、大きく粉砕されて散る。

 やはり見えなかった。だが“見えない”という知識が頭にあったおかげで避けられた。

 光学迷彩みたいな透明な敵だ。

 弱点は大きすぎること。風の動きや、周囲の変化で察知できる大きさ。

 粉砕した石畳の破片が降り注ぎ、歪な輪郭が少しだけ見えた。

 獣?

 サイズは5メートル近い。ゴリラみたいな前屈姿勢。腕が俺の全身よりも太く長い。

 不可視の獣が両腕を振り上げた。

 選択肢が浮かぶ。

 糸は使い過ぎた再使用できない。白い短剣でも焼き尽くす前に潰される。普通の短剣を投げて通用するとは思えない。

 ならば、この敵なら、腰の剣を手にする。

 溶接したかのような剣と鞘の重なりが、左手の親指で押し上げるだけで動く。

「お気に召したか」

 剣を――――――とてつもない気配を感じた。

 獣すらその気配を察して止まる。

 俺のような小者でも感じ取れるほどの格上。生物として決して敵うはずのない圧。竜か? あったこともない想像のモンスターを思い浮かべる。

 屋根の影がそれだ。

 人影がそれ。

 ただの人間サイズの影が? 馬鹿な。何者だ?

「って」

 獣が音もなく消えた。

 その一瞬で屋根にいた人影も消えた。

 逃げられたな。

 上の奴には見逃されたのか? そも敵か? 味方と考える理由もないが。

 あれ、殺せるくらい強くなったら英雄に近付くだろうか?

「………帰ろ」

 あの女は流石に逃げただろ。

 ハティのところに戻ろうと目抜き通りの人混みに入る。

 昼飯時なこともあり混んでいた。スリに気を付けながら人の合間を縫って歩く。最近、盗られて困るものが増えたから気を張っている。プロの盗賊は、耳のピアスを気付かれることなく盗むと聞く。

 しかし、人が多いな。

「見事と言うべきか。才覚のある2人を倒すとは」

 いつの間に、隣にアフロの巨漢が並んで歩いていた。

 混んでるとはいえ、一片の気配も感じさせず近付いてくるとは。戦闘後で感覚が鋭くなっていたのに。

 動揺を飲み込み、口を開く。

「次はお前が相手だろ? 逃げるなよ」

「急くな。次は孫娘だ。儂と戦うのはその後、貴公がライガンを継いだ後で好きにせい」

「継ぐ、ねぇ」

 くだらねぇライガンの名前なんざ、適当に利用して捨ててやる。ま、小遣い程度にはなるだろう。さっきの女が孫娘なら同じく。

「準備が出来次第、追って連絡をする。楽しみにしておけ、貴公は新しいライガンとなるのだ。これは大変な誇りであるぞ、塵芥のように消え去る冒険者よりは。そう、貴公が名乗っている奴隷の女のよう――――――」

 秘めた烈火が、自動的に体を動かした。

 爺の顔面に短剣を突き刺す。眼球に触れる寸前で、刃は太い二指に挟まれた。

「急くなと言うとろうが」

「てめぇから火を点けといて、殺し合いの場を選ぶのかよ」

 周囲の人間が、俺たちを見て足を止める。人垣が出来つつあった。

「やれやれ、注目されるのは困るのであ~る」

 爺が何かを落とした。

 導火線に火のついた玉、爆弾?

 ボンという破裂音と共に、視界が真っ白に染まる。周囲から悲鳴が湧く。煙を払うと、爺は消えていた。

 忍者かよ、あのアフロ爺。

「………………」

 1人残った俺は、騒ぎで立ち止まった冒険者たちの注目を浴びた。

 見えるように短剣を袖に収め、

「スリだった」

 と言う。

 立ち止まった者たちは、一斉に興味を失って通り過ぎて行った。

 俺も続く。

 戻ると、文折の行列ができている。商会が気を利かせて護衛を並べてくれていた。

 アイコンタクトで彼らと交代した。

「む! サボリですか! 駄目ですよ、冒険者以外の仕事も真面目にやらなくちゃ!」

 行列の先頭にいるピンク触手にそんなことを言われた。

 よく見れば、並んでいるのは冒険者組合の組合員たちだった。

「なんで組合の連中が?」

「宣伝も兼ねてですわ」

 ハティは、こそっと呟く。

 無駄に明るい笑顔を浮かべて、俺の担当のピンクが言った。

「いやぁ、文折はありがたいですよ。ダンジョンの遺失物の中には、個人向けの文章は多いですから。街の人間になら届けることはできても、宛先が海越えちゃうとコスト面で無理ですし貯まる一方です。処、ゲフンゲフン。お焚き上げで天に送ってもらえたら亡くなった冒険者の無念も晴れるでしょう」

 建前のボロが出るところだったぞ。

 こいつ組合員でいいのか? こんな奴だから俺の担当に回された説もあるか。

「あの、お知り合いですの?」

 ハティは、俺の目を見て聞いてきた。

「俺の担当だ」

「………他には?」

 他って言われても。

「割と最悪の担当だ。できれば変えて欲しい」

「なら良しですわね」

「あ、はい」

 どういうやりとりだこれ?

「むふ、熱々ですね。羨ましいなぁ~」

「な! 違いますわよ! 私たちは護衛と聖女。仕事仲間であって、そういう関係ではございません!」

 ピンクの小言をハティは全力で否定した。

 公の場だからな。否定するのは仕方ない。別に傷付いてはいない。俺、大人だもの。

「あーまーそういうことなら、そういうことですね。んじゃま、お手紙お願いしまッす」

 ピンクの後ろの組合員たちが、どっちゃりと手紙の溜まった箱を見せてきた。

 こりゃ、今までの中で一番の量だ。

 当分、手紙の回収はなしだな。



 家に大量の手紙を運び込むと、ハティは仕分けの作業に入った。

 結局は全部燃やすわけなのだが、その前に誰が書いたのか、誰に宛てて書いたのかを確認して目録を作るのだ。

 量が量なので手伝おうと思ったが、『大丈夫ですわ』と断られた。

 この仕事は彼女の聖域だ。護衛とはいえ、俺が立ち入っていいものじゃなかった。

 鶴の恩返しよろしく、仕事中の彼女の部屋には近づかないでおこう。

 一応、夕飯だけは買っておいた。

 彼女の好きな【冒険の暇亭】のカツサンド。ポテトサラダも付けておく。

 自分の夕飯はシグレに貰った保存食を適当に食べた。美味いが微妙に寂しい味だった。

「ヴァ」

 呼んでもないのに、俺の神様が出て来る。

 ここ最近、俺の活動具合のせいか、捧げる供物の質が上がったからか、以前よりもモコモコ度が上昇している毛玉だった。

 キッチンを漁り、神の供物を探す。

 例の肝がまだ残っていた。これにしよう。味はともかく健康には良い。そして、間違っても俺は二度と食べたくない。

「ギョヴァ!」

 肝を食った神が悲鳴に似た声を上げた。

 健康に良いので問題ないはず。

 ないよね?

「おい、余の飯は?」

「あ~はいはい」

 干し肉と酒を適当に蛇の餌にした。

 ぼんやりと時間が過ぎるのを待った。夜は更けていくが、ハティの仕事が終わる気配はない。

「風呂入るか」

 いつもはハティの後で入っているのだが、先に入らせてもらおう。

 地下から寝間着を取ってきて浴室に向かう。

 小さい浴室だ。

 大人1人がギリギリ足を伸ばせるバスタブと、小さい姿見の鏡、小さい桶、石製の座椅子が一つ。ぶら下げられた籠には、石鹸やらヘチマやらのバス用品が入っていた。バスタブには、生活用水を汲み上げるポンプと温水装置が付いている。

 ポンプのレバーを何度か引いて、バスタブを水で満たす。

 次は、温水装置。

 これの仕組みはシンプルだ。

 鉄籠に入った翔光石を振って、バスタブに入れるだけ。

 すると、翔光石から光と熱が発生してバスタブの水を沸騰させる。

 翔光石。

 ダンジョンから、ほぼ無限に採れる鉱石だ。街の照明や、冒険者の使うカンテラの光源として使われている。衝撃で光と熱を発する物体であり、その純度が高いほど効果は上がる。

 温水装置に使われている翔光石は、カンテラに使っているものよりもツルンとして透明度も高い。純度が高い証なのだろう。

「っと」

 もうお湯が沸いた。少し熱すぎるくらいだ。

 温水装置をバスタブから上げて、水で冷やして所定の位置に戻す。

 桶でお湯をすくって、熱いお湯を頭から浴びた。手早く適度に石鹸で全身を洗い、バスタブに浸かった。

「あ~」

 贅沢が身に沁みる。

 自宅に風呂がある生活とか本当に贅沢だ。前の生活からは考えられない。ハティに感謝しなければならない。

 それはそうと、更に稼ぎを増やしたい。

 護衛の仕事もいいが、ライガンと決着が付いたら冒険者の仕事に本腰を入れないと。

 女一人も養えないで、英雄は名乗れないだろう。最低でも自立した女性に釣りあう収入を得ないと、今のままでは完全にヒモだ。

 長風呂したいが、明日のため、戦いのために早めに寝なければ。

 風呂を出ようとしたところ、気配を感じた。

 浴室の前、木製の扉の先、衣擦れと下着を降ろす音も聞こえた。いやもう、1人しかいないのだが、

「お邪魔しますわ~」

 ハティが風呂に入ってきた。

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