<第二章:泥と修羅> 【07】


【07】


 鍵を開け、家の扉を開く。

 いきなり半裸のハティに詰め寄られた。

「フィロさん! 出かけるなら書き置きの1つでも残してくださいまし! 起きたら私1人で捨てられたと思ったじゃありませんか!」

 新鮮な慌て顔だった。

「すまん。朝飯買いに行ってた」

「私が作りますのに」

「よく寝てたからな」

 玄関に入る。

「ん~」

 ハティは、俺の首に両手を回すとキス顔で迫ってきた。

 軽く触れ合う気持ちで唇を合わせると、舌を入れられた。朝食の袋が潰れそうな勢いでがっつかれた。俺も応戦して、呼吸を忘れるほど貪り合った。

 軽く息を乱し、熱い吐息でハティは言う。

「朝食は後にしません?」

「あ、いや」

 俺の脳の指針も、朝食よりセックスの方に傾いたのだが、

「これが聖女で大丈夫か?」

「はにゃふぁあああああああああ!」

 唐突な声に、ハティが跳び上がって驚いた。

 おもしれー女。

「だ、誰ですの!? どこに!」

「これだ」

 俺は視線を自分の足元に移す。

 そこには、ズボンに爪を立ててぶら下がっている猫がいた。

「み、見られッ、聞かれッ、消さなきゃ、埋めなきゃッッ!」

 たぶんこれが、一番聖女としてアウトな言葉だ。

「気にするな聖女よ。僕は口が堅い。他人の秘密をペラペラ喋るのは悪行である。僕は善行を積む猫であるからな」

「は、はぁ、もしかして名のある神です?」

「名のない神未満といったところかな」

 変な猫だ。

 変な蛇と似たモノを感じる。

「腹減って倒れたから、連れてきた」

「で、飯はどこだ? ここか?」

 ズボンから降りた猫は、勝手に家に入っていく。

 善行と言う割には図々しい奴だ。

「フィロさん、あれ飼いませんよね? うちには蛇さんがいますのよ」

「飼わないよ。適当に飯食わせたら追い出す」

 猫を追って、俺たちも居間に移動した。

 フォーク、ナイフ、スプーンを取り出し、買ってきたものを食卓に並べる。

「青豆のサラダ、チーズ入りの卵焼き、ピクルスとベーコン。それと食パンだ」

 惣菜は葉っぱの容器に入っていた。パンを包んでいるのも葉っぱ。万能の葉っぱである。

「まあ、朝から豪華ですわ」

 ハティは目を輝かせた。

 聖女の世間体で清貧を装っているが、彼女は健啖家だ。

「食パンに挟んで食べようか」

 ザクザクと厚めにスライスした。

「ショクパンとは、変わった名前ですわね。どういう意味ですの?」

「食べられるパン」

「………え、食べられないパンはないでしょ?」

「確かに」

 何故に、異世界風のパン名にしなかったのか。

「おい、僕の飯はどこだ?」

 青豆のサラダを小分けして猫に渡す。

「豆か」

「文句あるのか?」

「うみゃーみゃーみゃーみゃー」

 急に猫っぽい鳴き声で食べ出した。

 ハティは、もう食パンに色々挟んで齧り付いていた。

「うわっ、柔らかい。美味しい」

 お気に召したようだ。

 俺もベーコンと卵焼きを挟んで食べる。焼き立て食パンのフワフワしっとり感が素晴らしい。卵焼きチーズや、ベーコンの塩気や旨味が口に広がる。

「やだ、お茶を忘れていましたわ」

 ハティはパンを咥えながらお茶の用意をしだした。

「うむうむ、馳走になった」

 猫は満足したようだ。

 猫らしく小食である。うちの蛇なんか酒なら樽ごといくのに。

「ところで――――――」

 俺は、パンを食しながら肝心な疑問点を口にする。

「お前は誰だ? 名前はなんだ? 一緒にいた女は何者だ? なんでライガンと組んでる?」

「僕は猫だ。名前は言えん。一緒にいた女は花嫁だ」

 猫は、ぺろぺろと顔を洗いながら続ける。

「可愛そうな女でな、血や家のしがらみで苦しんでいる。当の本人は痛みなどないと思っているが、ああいうのはある日突然、耐えられなくなり心を壊す。そういう哀れな部分が母と似ているのだ。して、勘違いしているようだが、僕はライガンの小僧と組んではおらんぞ。あくまでも個人的に花嫁に肩入れしているだけだ。以上、豆代くらいは喋ったか?」

 わかったような。何もわかっていない。

 小僧とは? あの爺のことか?

「お茶ですわ~」

 ハティの淹れた甘い豆茶を一口。

「猫さんは、お茶は飲めませんよね?」

「うむ、熱いのは無理だ。代わりに酒でも貰おうか」

「少しお待ちをば、確か蛇さんの隠したお酒が戸棚に」

 ハティは戸棚を漁る。

「蛇さん? あんなもん飼育できんだろうに」

「勝手やってるだけだ。別に飼育してるわけじゃねぇよ、猫」

 猫と呼ばれた猫は首を傾げる。

「うーむ、猫ではあるし名乗れんが、やはり慣れんな。僕のことは、『王子』と呼べ。花嫁もそう呼んでいる」

 また偉そうな呼び方だ。

「ぎええええええええ! 王子!? 王子じゃと! 追い払えー!」

 急に蛇の声が響いた。

「蛇さん、お客様に失礼ですわよ」

「客じゃと!? こんなもん我が家に入れたのか! 即追い出せー!」

 いつになくうるさい。

「話聞いたら追い出すから、ちょっと待て」

「聞く必要はない!」

 猫は蛇をじ~っと見つめると、ぺかっと顔をほころばせた。

「おおっ誰かと思えば貴公か。お互い愉快な格好になったな」

「寄るな!」

 猫は嬉しそうに近付き、蛇は本気で威嚇していた。

「はっはっは、現世の諍いなど捨て置こうではないか」

「余が一方的にやられとったんじゃぞ! むしろ今死ね! 殺す!」

 蛇は噛み付きにかかり、猫の前足で簡単に頭を抑えられた。

「因果なものだ。互いに小畜生の姿になったが、貴公は僕より弱い姿とは」

「助けよ! おい!」

 仲がよさそう。

「………友達か?」

「それに近しいな」

「んなわけあるか!」

 蛇の悪友っぽい。

「聖女もフィロもよく聞け! こやつは余が可愛く思えるほどの大悪党、大虐殺者、大魔王であるぞ! 殺した人間を積み上げたら天まで届く! 悪の中の悪である!」

「その倍は生かしたし、助けた。僕がいなかったら現人類の人口は、今の三分の一程度だろう」

 小動物が壮大な話をしている。

「偽善じゃー! 偽善の中の偽善じゃー! それを巨悪と呼ぶのじゃぁぁぁ!」

 ほんと蛇がうるせぇ。

「ほら、蛇。お前が好きなチーズ入りの卵焼き買ってきてやったから機嫌直せ」

「食べるぞ~………はっ、騙されんからな!」

 と言いつつ、蛇は食卓に上がって卵焼きに齧り付いた。

 一番最初に聞くべきだったことを聞く。

「猫王子。お前が俺に“逃げろ”という理由がわからんのだが」

「善意だと言ったが?」

「善意になる理由がわからん」

 そもそも、花嫁の意味もわからん。

「花嫁に憑いているものに勝てんからだ。例えそこの――――――ぷぷっ、蛇の助言があったとしてもな」

「貴様、笑ったな?」

 小動物バトルが始まる前に、蛇と卵焼きを床に降ろした。

「勝てないってどういうことだ?」

「普通の人間には、どうしようもない存在だ。貴公ではただの餌でしかない」

「俺が?」

「そうだ。こればかりは、才能や努力ではどうしようもない次元である。運命に選ばれないと倒せない敵だ」

「そりゃ面白いな」

 英雄が倒すに値する敵だ。

「蛮勇か、冒険者らしいな。しかし、美人を侍らせて子を作って老いる幸福もあるのだぞ? ほら戦うなんぞ虚しく無意味なことだろ?」

 一理ある。

 けれども、

「それはそれ、これはこれだ。ライガンを倒し、名を上げる。これは絶対な。花嫁とやらが邪魔をするなら倒すだけだ。女相手は気が進まないけど」

「どうしても退かぬか」

「退かん。善行を積みたいと言ったよな? なら、花嫁を倒す術を教えろ。これも立派な善行だぞ」

「あるなら教えてやりたいが、そういうものではない。あえて言うのなら、苛烈に生き、数多の犠牲の中に咲く刹那的な信仰と信奉が、唯一対抗できる運命であろう」

「うん、わからん」

 馬鹿でもわかるように言ってくれ。

「古い竜狩りの術に似ていますわね」

 パンを食べ尽くしたハティが言う。

「犠牲の最中、残った英雄が――――――いえ残された英雄が、人の理を超えて敵を滅ぼす逸話は稀によくありますわ」

「ほぼ正解である。だからこそ、貴公では無理だ。アレは狡猾でな。大食いではないが、栄養価の高い生き物を好む。犠牲は極少ないのだ」

「既存の方法では無理ってだけだな」

「聞かん男であるな。聖女も説得してはどうか?」

「私、戦いのことはよくわかりませんし、フィロさんが“勝てる”というなら勝てると思いますわ。聖女の私が言うのだから間違いない」

 ハティはドヤ顔を浮かべた。

 うん、絶対に負けない。負けられない。

「お、お~ん。これはこれで行けるかもしれんな。無理だろうが。さて、僕は帰る。逃げろという話を決して忘れるなよ。逃げ足も冒険者の特技であろうが」

「あ、お待ちになって王子」

 軽やかな笑顔を浮かべたハティは、隠し持っていた鉄籠に猫を閉じ込めた。

『は?』

 俺と猫の声がハモる。

「ハティ、これはどういうことだ?」

「フィロさん。私、戦いのことはよくわかりませんけど、この猫王子はフィロさんの敵の仲間なんですわよね?」

「そうだな」

 そうかも。

「なら、人質にしましょう!」

 聖女的に一番アウトが更新された。

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