<第二章:泥と修羅> 【03】


【03】


 眼前の矢を躱す。

 敵が次矢を番えるよりも早く、窓の縁を蹴って外へ。

 屋根に飛び乗った。

 次の矢も躱す。

 3回連続の頭狙い。誘ってるのか?

 射手は、フード付きのマントで人相を隠していた。体格は小柄だが、手にした弓のしなりは力強い。

 彼我の距離は、7メートル。

 俺は、『撃ってこい』と血まみれの左手を動かす。

 射手は、マントを翻して逃げ出した。

「は?」

 滑るような動きで屋根から屋根を跳んで逃げている。背中があっという間に小さくなった。

 ライガン=逃げ足を忘れていた。

「てめぇ!」

 遅れて追う。

 幸い俺の方が足は速い。ぐんぐんと距離は縮まる。

 調子が良い。

 体が熱く足が軽い。心臓の脈動が力強い。ギアが一つ上がった感じ。再生点はゼロで、負傷もあるというのに絶好調である。

 強敵に勝ったことが原因か? それとも、いや後だ。

 呼吸を止める。

 ゆらっと全身の力を抜き、脱力から反転、肉体を爆発させる。屋根を破砕して自らを撃ち出す。

 15メートルを一気にゼロにした。

 気付いた射手は、振り向き様に矢を放つ。俺は、その矢を掴み射手に向かって振り下ろす。

 防がれた。

 体格の割に力が強い。だが体格で勝る俺は射手を押し倒し、もつれ合って屋根から転げ落ちる。

 落下の最中、民家の煙突に激突。俺と射手は、離れて地面に叩き付けられた。

 狭い一本道だ。

 周囲の民家に人気はない。

 お互い痛みに耐えながらノロノロと立ち上がった。

 彼我の距離は、5メートル。

 さて、短剣を投げるか、詰めて突き刺すか、それとも?

 射手は語らず。俺の左手を指す。

「あ?」

 見ると、ダクダクと血が流れていた。傷のサイズにしては出血量が異状だ。血の凝固作用が働いていない?

 眩暈がした。出血多量の眩暈じゃない。左肩に痺れも感じる。これは、

「毒か」

 射手は頷く。

 なるほど、俺の妙な調子の良さも毒で体がおかしくなっていただけか。

 射手は、弓を水平に構えて矢を4本番えた。

「お前さぁ、毒を使うってことは自分が弱いこと認めてんだよな?」

 フードの中の目がわずかに動く。

「しかも弓使うってことは、狩人か斥候か暗殺者だろ。弓使いの有名な冒険者なんざ聞いたことがねぇ。冒険者なら剣か魔法に決まってる。次点で槍。変わり種なら斧とか槌もあるな。おいおいおいおい、弓使いなんかぶっ殺しても俺の名声は欠片も上がらねぇじゃねぇか!」

 2つの短剣を放り捨てた。

「あ~アホらし」

 腰の剣も落とす。

 射手の隠しても漏れる動揺を感じた。

「雑魚なんざ、右腕一本でいい。くびり殺――――――」

 俺は血を吐き出した。

 矢が放たれた。

 石畳に額が付くほどの前傾姿勢で矢を躱す。

 筋肉を弓のようにしならせ、俺は自らを放った。射手は次の矢を番えている。その狙いは顔面、いい加減見え見えだ。マントで矢を絡めて振り払う。

「ほらな。弓使いなんかクソだ」

 逃げようとした射手の首を掴む。

 射手は細身の剣を取り出して、俺の右腕に突き刺す。だが刺さりが甘く、渾身の力を込めると貫通する前に肉で刃をへし折れた。

 柔らかな喉笛を潰す。

 射手が声のない悲鳴を上げた。バタバタと足を動かし失禁する。抵抗がなくなりダランと体を伸ばす。指先は肉を抉り、首の骨に触れた。このまま砕いてやる。

「止めよ。貴様の勝ちじゃ」

 蛇みたいな声がした。蛇がいた。

 視界が明滅する。頭の中で何かよくないものがグルグルと回っている。

「敵だぞ。殺す」

「そやつの顔をよく見よ」

「顔?」

 射手の体を乱暴に振ってフードを捲る。

 色白の肌に長い耳、短い銀髪のエルフ。あどけない顔立ちは、どう見ても子供だった。

「クソが! ガキじゃねぇかよ!」

「そう、エルフである。長命種から恨みを買うと、後々それはもう長~く面倒が続く。………………ん? ガキ?」

「ガキなんか殺して英雄になれるか!」

 射手のガキを投げ捨てた。

「そうか? 子供程度、割と殺しておると思うが」

「知るか! 俺の思う英雄ッ」

 ゴパッと大量の血を吐く。マズっ、この量はマズい。

「どうした? 重症か?」

「矢に毒が塗ってあった。蛇、お前詳しいだろ。陰湿そうだし」

「血が固まっとらんな。エルフが矢に塗布する毒となると、うーむエルフ連中は余の時代には弓矢なんぞ使っとらんかったし、そーなると獣人じゃな。原始植物産の毒となると………………うむ、わからん」

「おまっ」

 右目が見えなくなった。どうやら目からも出血しているようだ。

 耳に水が溜まる感触。耳からも出血か。

 腕の毛穴からも血が滲む。

「蛇、言っておきたいことがある。小手先の技を覚えさせ、色々と武器使わせていたけど、俺に一番合っているのは真っ正面からの捨て身だ。前の奴に圧倒されたのは、退いたのが原因だ。間違いない。戦い方が悪かったから格上の、ごぶっ」

 また血を吐く。

 どれだけ血があるのか不思議な量だ。

「今それ言う必要あるか?」

「知るか! 錯乱してんだよ!」

「うむ、無駄に体力を使うな」

「毒のせいで死にそうだが、精神的には滅茶苦茶に絶好調だ。いつもこんな感じなら、俺は無敵だ。誰にも負けん」

「毒に負けてるではないか」

「負けてないねぇよ! これから勝つねぇ!」

「うーむ、性格が面白くなっておるな。毒のせいか? 死にかけてるせいか?」

「どっちもだろうな!」

 片足から崩れ落ちた。

 否、耐えた。

 血を飲み込み、奥歯を噛み締める。

 蛇は呆れた感じで言う。

「戦闘の度に一服盛るか。いつもこうなら優位に立てるぞ」

「その案はありだな。英雄は毒では死なんし」

「お、おう。冗談なんじゃが? 毒が死因の英雄は結構おるぞ。まあ、貴様には聖女がいるからヘーキじゃろうて、あの体は飾りではないからな。毒程度どうとでもなる………たぶん。死ぬのは待っとれ、呼んできてやろう」

 蛇は聖女様を呼びに行った。

「………………」

 あ、限界。

 視界が狭くなる。

 全身が固まった。ああ、立ったまま気絶するとはこういうことかと意識を手放し――――――気合で引き戻した。

 ガキが立ち上がっていた。

 傷付いた喉で必死に呼吸を整え、弓矢を俺に向ける。

 性懲りもなく頭に飛んできた矢を右手で受けた。痛みがかなり遠い。

「根性は認める。俺の方が上だけどなッッ」

 大きく振りかぶって、ガキの顔面を殴り付けた。その後頭部が石畳でバウンドする。流石にピクリとも動かなくなった。

「よし」

 後は、生き残れば俺の勝利だ。

 すると、また。

「誰だ?」

 闇のように暗くなった視界の中で、更に黒く小さな影を見つける。

 金の目、短毛の黒猫。

「また、花嫁のお気に入りが残ったか」

 落ち着いた男の声だ。

 若い声音だが、酷く年老いたような雰囲気もある。

「貴公、今からでも逃げよ。ライガンの手の届かぬところに逃げて、逃げて、逃げ続けよ。そうでなければ、貴公も死と呪いの一部となって永遠に苦しむことになる。そう僕のようにな」

 猫は幻のように消えた。

「知るかよ。だから誰だよ」

 視界が黒一色で塗り潰された。体の力を抜く。

 意識もどこかに落ちる。

 どこまでも落ちて、落ちて、落ち続けて――――――



 ――――――目覚めるとベッドの上で裸の女に抱かれていた。

 地下の自室だ。

 自分のベッドだ。

 女は俺の上に乗っていた。ゆっくりと腰をくねらせている。

 薄闇に栄える金髪と白い肌、揺れるたおやかな2つの乳房。すぐにでも果ててしまいそうな激しい快楽の波。こりゃ、

「夢だな」

「ええ、夢ですわ」

 聖女様を抱き寄せて、胸に顔を埋める。

 薬品と甘い匂いに包まれた。汗ばんだ肌が吸い付く。脳が溶けそう。

 ああ、最高の夢だ。

 なのにどうしてか俺は、脳に染み付いた彼女の名を口にしてしまう。

「フィロ。俺は、英雄に近付けたのか?」

「は?」

 熱く火照った肌が、急激に零下に落ちた。

 あれ?

 あれれ?

 おかしいぞ。

「………ん? 夢? だよ? な?」

「くっ、ぐ、ゆ、ゆ、ゆ………………夢ですわよッ!」

 聖女様の拳を受けて、夢なのに夢に落ちた。

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