<第一章:血の道> 【05】


【05】


「まあまあ、機嫌直してくださいよぉ。この店、ロージーちゃんの実家みたいなものなんで、好きなもの頼んでいいですから」

 目覚めた俺は、ピンク触手に連れ出された。

 何の因果か、着いた店はいつもの【冒険の暇亭】である。

「いらっしゃいま――――――あ、モスモス。どしたの?」

 モスモス?

「モスモスじゃないです。ロージーちゃんです。シグレちゃんも覚えませんねぇ」

 注文を取りに来た黒髪の猫獣人と、このピンク触手は知り合いのようだ。

 血縁ではないだろう。

 知的なスレンダー美人と、IQ低そうなピンクでは遺伝子が全く違う。

「はいはい、モスモス。フィロさん大丈夫? 何か変なことされていない?」

「され――――――」

 事実をシグレに伝えようとしたら、触手に口を閉ざされた。

「やだなー、フィロさんはロージーちゃんの担当冒険者ですよ。感謝されることはあっても、変なことするわけないじゃないですか~」

「怪しい。それでご注文は?」

 シグレは、モスモスをジト目で見た後、俺には営業スマイルを浮かべる。

 触手を引っぺがし、俺は言う。

「トマトパスタ」

「もっと高いものでもいいですよ。ロージーちゃんのおススメわぁ、ダンジョン豚のヒレ肉ステーキ胡桃ソース温野菜付きでっす」

「モスモス。人の注文にケチ付けるなら、触手引っこ抜いてタコ焼きにするよ」

「ひんっ、シグレちゃん。ソーヤさんに似てきましたね。あ、ロージーちゃんは、魚人の月見麺で」

「トマトパスタと、月見麺ね。少々お待ちください」

 注文を終えると、シグレは厨房に引っ込む。

 給仕服の長いスカートから、尻尾の先がちらりと見えた。

「さてさて、フィロさん。ズバリ、ズドンと本題に入りましょう。ギュスターヴ・ライガンと何か揉めていますね?」

「さあな、俺を襲ってきた奴に聞け」

「聞きましたよ。聞ける状態じゃないですけど。フィロさん、やりすぎましたね」

「やりすぎてない。殺せてないし」

「すーぐそれですねぇ。殺すことが上等ですか?」

「上等だ」

「はっきり言い切っちゃいますかぁ。聖女様の護衛なのになぁ~」

「だからだ。欠片も不安は残せない」

「あの方、お礼参りするような人ではないですけど」

 知るか。

 正直、今すぐこいつをぶっ倒して、あの男に止めを刺しに行きたい。

 モスモスは、少し考えて口を開いた。

「ん~ぶっちゃけちゃいますと、冒険者組合はギュスターヴ・ライガンを探っています。昔から、あの人がダンジョンに潜り始めると、悪冠が異常に出てくるのですよ。それはもうポコポコと。フィロさんが倒した悪冠もその一つです。悪冠を作り出しているのでは? と怪しんでいる人は多く、組合も同意見です。でも証拠はない。フィロさん、その辺り心当たりは?」

「ねぇよ。興味もねぇ」

「フィロさんの興味とは?」

「………………」

 めんどくさ。

「ロージーちゃんは、あなたの担当ですよ。聞く権利はあるかと」

 モスモスが触手をうねうねしながら聞いてくる。

 絡まれてもうぜぇ。面倒だから言ってやる。

「………英雄になることだ。あの男は手始め、ギュスターヴの爺もいずれ倒す」

「殺すってことですよね?」

「場合によっては」

「上級冒険者には勝てないでしょ」

「不可能や無茶を通すから英雄だ」

「不思議な力をお持ちなのはご存知ですけど、あの腕とかどうやったんですか? 肘から先が消し飛んでましたよ。再生点を完全に無効化、いえすり抜ける御業。治療魔法も意味なかったですし、そもそも負傷ですらない可能性もあるそうで」

「へぇー」

 知らんけど。

 本当に知らんけど。

「まあ~冒険者は秘密主義ですから、そこのツッコミは野暮でした」

「そうだな」

 簡単に手札を晒すかよ。

 って、一個思い出した。

「おい、俺は初級冒険者になったんだよな? 20階層は踏破扱いだよな? やり直しとか言うなよ」

「そこはご安心ください。気絶中にポータルの認証はしておきました。ロージーちゃん気遣いできて偉いなぁ」

 ほっとしたが、そもそも。

「当たり前だろ。気絶させんな」。

「だ~か~ら~エッジブレンドさんは大事な証人なんですってば、止めなきゃ駄目でしょ。もう根に持つなぁ。小さいこと気にしていたら英雄になれませんよ!」

「小さいことじゃねぇだろ。逆恨みで、俺や聖女様に被害が及んだらどうすんだよ」

「冒険者組合は馬鹿じゃないんですから、対策はしますし補償もします」

 全然、信用できねぇ。

「うわ、信用できないって顔してる」

「当たり前だ」

「冒険者なら………あーフィロさんお一人様でしたね。パーティ組んでる人なら、相互の信頼関係の大事さを説けるのですけど、面倒くさい人ですねぇ。だからロージーちゃんが担当させられたのかぁ。はぁ~貧乏クジだにゃー」

「もう帰っていいか?」

「まだ何も進展してませんけど!?」

「じゃあ、さっさと要求を話せ。どうせ俺にやらせたいことがあるんだろ」

「話の流れで察してくださいよぉ。日本人なんですから空気読むのは得意でしょ?」

「………………」

 本当に帰るぞ。

 斬られた傷が痛いし。もう寝たい。

「すいませんでした。ロージーちゃんが悪かったと思います。………その『マジ無理帰ろう』って顔止めてください」

 モスモスが空気を読んだ。

「で?」

 なんか意識したら、体が異常に痛くなってきた。

「ギュスターヴ・ライガンの怪しい証拠を掴んだら、ロージーちゃんにご一報を」

「あいつと関わることは止めないのだな」

「むしろ非公式の密偵として雇ってあげているのです」

 俺は、指で輪っかを作る。

「幾ら出す?」

「金貨で50枚」

「話にならない。俺が爺をぶっ倒して総取りした方が儲かる」

 あいつの背負った剣を売るだけで、ひ孫の代までの財産だぞ。

「それならそれで良いと思います。フィロさんの方が、裏で何やってるかわからない老獪より扱いやすいですし。でも、情報掴んで手助けが欲しいなら連絡をば」

「情報を掴めないなら、手助けはしないって聞こえるが?」

「はい、その通り。望んだ私闘を、冒険者組合が止める理由はありませんから。でも、関係ない人に迷惑かけちゃ駄目ですよ」

 結局、組織なんてそんなもんだ。

 期待しちゃいないけど。

「………………帰る」

 モスモスと話したせいで、体調が急激に悪くなってきた。

「ご飯まだですよ」

「お前の奢りなんだし、俺の注文分も食ってろ」

「ひどっ」

 シグレには悪いが、席を立って店を出る。

 しばらく歩くと足がもつれた。

「あ?」

 腹に触れる。手がぐしょぐしょに濡れた。腹と胸から大量に出血している。再生点が切れたとはいえ傷はギリギリ残らなかったはずなのに、なんで今更。

 冷や汗が噴き出た。

 無意識の内に、路地裏を通って家に向かって歩いていた。向かうべき治療寺院は逆方向なのに。人通りがある道を通っていたら、助かった可能性もあったのに。大量出血のせいで、まともな判断ができていない。

「マズっ」

 崩れ落ちた。

 足に力が入らない。

 床に自分の血が広がる。

 割と、冗談のような量。冗談にならない量。猛烈な眠気が襲ってきた。死へ誘う睡魔だ。恐ろしい速度で体が冷える。耳に響く心臓の音が小さくなる。

 笑えないぞ、こんな最後。

 まだ何も成してない。英雄を目指そうってのに、あんな男1人倒して終わりとか。


「うるさい男に勝ったと思えば、こんなところでネズミのように死にかけてる。変な男」


 遠くで声がした。いや、耳元かもしれない。

 最後の力を振り絞って声の主を見る。

 死神がいた。

 女の姿をした死神だ。

 闇を被ったかのような暗く艶めいた長い黒髪。ガラス玉のような感情のない瞳。黒いドレスの上からでもわかる、むしゃぶりつきたくなるような体。くびれた腰と成熟して大きく実った胸、肌は闇に映える白さ。人の造形とは思えないゾッとする美形な顔。

 淑女のようにも、

 少女のようにも、

 母のようにも、

 未亡人のようにも見える。

 女は、纏った闇色が血を吸うのも構わず、俺を抱き寄せた。

「ルミル鋼で傷付けられたのね。あれは再生点と相性が悪いの。でも、それだけじゃない。貴方、何か冒険者の神に嫌われることでもしたのかしら?」

「――――――ッ」

 冷たいものが唇に触れた。

 氷かと思った。死体かと思った。それが女の唇と気付くには、かなりの時間がかかった。

 冷たいはずなのに、俺の心臓の音は高くなり、血が温まる。

 誰だ? 何をした?

 女は、飽きたかのように手を放して俺を床に落とす。

 去って行く女。

 大きく開いたドレスの背中に向かって、俺は声を絞り出した。

「待て、誰だ? 名前を」

「頑張ってくださいね。花婿様」

 意識が落ちる。


 何かの夢を見た。

 夜の草原で祈る女の姿だった。

 夢の意味は、何もわからない。

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