<第三章:オールドキング> 【08】


【08】


「どうなっても知らんぞ!」

 蛇が叫び――――――ゾッと俺の中にある“何かが”ゴッソリと白紙になった。そこに何があったのからすら思い出せない。脳の一部が切り落とされたような感覚。

 それを代償に、振り下ろされた4本の腕を斬り落とし、騎士を弾き飛ばした。

 体が、燃える。

 傷が焼ける。

 心臓が燃え盛る。

 そして比喩ではなく、その剣身は燃えていた。

「何だ、この剣は? こんな剣は、こんな英雄は存在しないはずじゃ。これは貴様の」

「言え! 蛇! この剣の名を!」

 蛇が剣の名を呼ぶ。


「英雄の中の英雄、【フィロ】の一剣・無銘」


 彼女の名を冠した剣を握り締める。

 それは、ありふれたロングソードだった。紅蓮の炎を纏う剣身を除けば、俺が腰に帯びたロングソードと全く同じ。いや、似すぎている。本物以上に本物だ。

 柄に五指が吸い付くように馴染む。

 10年では足りない。では、20年か? 50年か? 百か? 千か? どれほどの年月をかければ、これほどまでに手の一部になるのだ? この腰にある剣が、折れた剣が。

 そう、この剣は腰に帯びた剣と同じ物なのだ。細かい傷の一部が、10年連れ添った剣と重なる。

 まるで、“遥かな年月と数多の伝説を経て”完成したかのように。

「蛇、存外お前の力は悪いもんじゃないかもな」

「貴様、平気なのか?」

 膨大な熱により、体から蒸気が上がる。

 火を飲み込んでも、ここまで熱くはならないだろう。

「ああ? 平気なわけないだろ。死ぬほど熱い。心臓が破裂寸前だ。血が蒸発してる。剣を振るえて、あと一度」

 騎士が飛び上がってきた。

 新たに6本の腕を生やし、高らかに笑う。

「ハハハハハッッ! やはりそうだったか! 英雄なのだな! 我が神よ! 偽りの聖母よ! ようやく我が魂は解放され、呪いはあなたの元に還る! 世の神々よ! 残されし獣たちよ! アールディの末、ダーケストが逝く! 我が最後、我が呪いの究極を、照覧あれ!」

 騎士の輪郭が、崩れてこぼれた。

 それは最早人ではなく、様々な獣のパーツをごちゃ混ぜにして作った肉の大蛇。高く高く、月を穢しそうなまでに巨大に膨らみ伸びる。

 大蛇が、吠えた。

 空気が震える。地面を震わす。この醜い獣の咆哮は、国中の誰しもが聞いたであろう。生物の範疇ではない。化け物の形をした災害だ。

「やれるのか?」

 蛇は、まだ不安なようだ。

 剣を担ぐ。

 思い返すのは、ただそれだけの何万回と繰り返した剣の所作。これから更に、億か兆かと繰り返し、昇華する技。

 例え誰かが笑おうとも、これしかない貧者の技とて、全てに届く。俺が目指す光。たった一つの、最後に行きつく一条の白刃。

「一撃で決めてやる」

 英雄の名を冠す一撃で。

 心を空に、捧げられるモノ全てを担い、俺は、剣を振り下ろす。

 音が消えた。

 色が失せた。

 時すらも斬った。

 サン、と。

 間合いですらないのに、大蛇は両断された。

 時が動き出し、遅れ。

 雷鳴が轟く。

 豪炎が舞う。

 大蛇は断末魔を上げながら、灰となり散る。悪い夢が覚めるかの如く。

「おい、貴様。それ」

「ああ」

 剣は、炎の中に消えた。何も残さず、いや、俺の中に大きなものを残して消えた。

 獣の灰を眺めながら蛇は語る。

「【フィロ】という名の英雄は存在せん。貴様の女が語った夢物語だ。しかし、剣は出た。獣を屠るほどの力を秘めた剣が。余の力は、“名を残した冒険者の武器を吐き出す”ではないのか?」

「合ってるよ。ただ、“現在”と“過去”だけじゃないってだけ」

「………なんだと? それではアレは未来の?」

「だな」

 あーあ、できちゃったよ。生きなきゃいけない理由。敵を全部ぶっ殺したら死ぬつもりだったのに。

 と、締めに入ろう。

 スタスタと屋敷に入る。

 中は酷い有様だった。俺と獣のせいで、屋敷をシェイクしたような状態。家具は残らず崩壊して、天井も崩れて私兵を押し潰している。

 血の匂いが濃い方向に足を進め、拍子抜けするほど簡単に商人を見つけた。

「ひっ、ひっ」

 運のない奴だ。両足を瓦礫に挟まれ動けなくなっていた。だが、こいつの護衛はみんな潰れている。逆に運が良いと言うべきか? あ、俺が?

 目が合うと、商人は早口でまくし立てた。

「まま、待て! 待て待て待て待て! ダーケストを倒したのだな? エリュシオンの騎士を殺せるとは貴様はまさしく本物の英雄だ! おれが広めて謳ってやる! しかし英雄であろうとも金は必要だろ? いやそうだ女奴隷でも何でもくれてやる! そうだ国を盗ろう! あんな獣人の売女が玉座に居座――――――」

 俺は、商人の頭を踏んだ。

「た、た、たかが! 奴隷一匹ではないか! これでは割に合わなさすぎる!」

 ゴミを踏み潰した。

 ブーツの汚れは、高そうな絨毯で拭う。

 特に感情が動くわけでもなく屋敷から出た。人だかりが出てきていた。掻き分けて進んでいく。視線は睨んで瞑らせた。

 肌に合わない白い街並みから出て、いつもの路地裏に入った。

 ふと見上げると、空は薄く明かりを帯びている。いつの間にか、夜明けはすぐそこだ。新しい今日が始まる。

「マズい」

 フラフラだ。これは?

「なんじゃ? 怪我か?」

 蛇の心配がとても気持ち悪い。

「腹が減った」

「………………勝手に食え」

 丁度良いから、あの店に行こう。

 路地裏を出て、目抜き通りを歩く。流石に人通りは少ない。だが、こんな時間なのに店の用意をしている人間をチラホラ見かけた。だから何だというのだが、微笑ましさを覚える。

 不思議だ。

 街が明るく見える。視界も広い。

 ああ、簡単なことか。足元じゃなく空と人と街を見ているからだ。

「なーに、笑っとるんじゃ。気持ち悪っ」

「何でだろうなぁ」

 軽快な歩みで【冒険の暇亭】に到着。店は………完全復活していた。前とほぼ同じであるが、所々鉄板が打ち込まれて強化されている。

 しかも、こんな時間なのに店には明かりが点いていた。

 戸を開くと、

「いらっしゃい」

 スーツで決めた女主人が出迎えてくれる。

「やってる?」

「やってるよ。仕入れで裏が少し騒がしいけど、適当に座りな」

 適当な席に着く。

「あら、いらっしゃいませ」

 シグレ嬢も、奥から出てきて出迎えてくれる。早朝より爽やかな笑顔である。

「お客さん、丁度良かった。遅れちゃったけど階層踏破のお祝いしなきゃね。好きな物注文していいよ。ボクの奢り」

 なんと無料で食わせてくれるようだ。

 ご厚意に甘えて。

「トマトパスタを」

「え? どうせなら、もっと高いのでも。おススメはダンジョン豚の頬肉を―――ふが」

 シグレ嬢は、女主人に口を塞がれた。

「二人前で良いか?」

「それで」

 俺は、女主人に頭を下げた。

 二人は厨房に引っ込み、俺は一人で飯を待つ。隣に、そわそわしながら座るフィロの幻影を見ながら。

 別に、あの時と同じ席でもないのに、今更。

 フィロの思い出に浸りながら飯を待つ。

 今の俺を見たら、彼女はどんな顔をするのやら。怒るだろうか? 笑うだろうか? 誉めてくれるだろうか? 誉めてほしいものだ。

 雑魚にしては頑張った方なので。これから、まだまだ努力をしないといけないが。

 しかし、10年も経ったのに、思い出を鮮明に思い出せる。

「最初に抱いた女は生涯忘れん。二度と抱けない女は死ぬまで恋しい。そんなもんじゃ」

 蛇がそんなことを言い出す。

 気を利かせて聞いてやろう。

「忘れられない死ぬまで恋しい女とは、どう付き合えば?」

「別の女を抱け。一時は忘れられる。酒を飲んで泣け。そうやって老いれば、諦めと上手く付き合えるようになる」

「そういうもんかねぇ」

 参考になったような、ならんような。

「余は疲れた。限界じゃ。寝るから忘れて帰るなよ」

「おう」

 蛇は、俺の首に纏わりついた状態で静かになる。特に意味はないが、マントで隠した。

 女主人と、その娘がパスタを運んできた。

 注文通り、シンプルなトマトパスタだ。

「お待ち。ポトフとサラダ付きな」

「これこれ」

 変わってなくて嬉しい限り。

 二人がいるのに構わず、フォークを手に取りパスタを口にした。トマトの旨味がオイルに沁み込みパスタとよく絡んでいる。疲れた体に丁度良い塩味。

「うめぇ、うめぇ」

 ガツガツと丼ものを喰らうようにパスタを口に運ぶ。我ながら下品な食い方だ。口の周りがオイルでベタベタだ。子供みたいだ。でも、止まらない。

 ペロッと一人前のパスタを平らげた。

 サラダを口一杯に頬張り、ポトフを吸いながら飲み込む。具だけになったポトフをじゃかじゃか口に運ぶ。

 感極まって、二人に言った。

「これを最初出された時、俺は半分も食えなくて。一緒に食べたあいつに食ってもらった。気を利かせてコッソリ分けた後なのによ。冒険者の体じゃなかったんだろうな。ホント………これ美味いよ。うん、美味い。………やっと食えた」

 自然と、ボロッボロに涙が出た。鼻水も出た。構わず、残ったパスタを食べ続ける。あいつみたいに。思い出のフィロのように。

 ああ、俺。

 あいつが死んでから、初めて泣いたな。

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