<第三章:オールドキング> 【05】
【05】
「私の名前ね。【フィロ】っていうんだけど」
「うん?」
「本当の名前じゃないんだ」
「ん? それじゃ本当の名前は?」
「ないんだよねぇ、これが。生まれた時から“おい”とか“愚図”とか“ゴミ”って呼ばれてた」
「………………」
「あ、ごめ。嫌な気分になった?」
「そんなことはない」
「よかった。まだ元気みたいで」
「そりゃまあ――――――」
「はいはい、もう一回ね、もう一回。でもちょっとだけ聞いてよ。大事なことだから」
「聞く」
「素直でよろしい。【フィロ】って名前ね。船に乗っていた時に、隣にいた子が言っていたの。私を元気づけるために。私、船に慣れてなくて、体調も崩していたから不安で不安で、毎日泣いていたのよ」
「その子………男か? いくつだ?」
「妬いてるの?」
「妬いてる」
「安心してよ。男だけど6歳か、7歳くらいかな? 子供よ子供。君は大人ね、はいはい」
「子ども扱いは止めろ」
「胸の吸い方とか完全に子供だったよ?」
「………………」
「冗談だってば。でね、その子が言うに私みたいな赤い髪をした【フィロ】っていう英雄様が、苦しんでいる人間をみんな救ってくれるんだって。同じ髪の私はきっと、その血を引いているから大丈夫だ。どんなツライことも大丈夫って」
「そういう英雄がいるのか」
「おかしい話………やっぱ悲しい話かな。【赤髪の将軍シュナ】って人がいるんだけど、その子、それを【フィロ】って間違えて覚えていたみたい」
「………そうなのか?」
「そうなのよ。長剣持ってたとか、赤いマントとか、私が聞いた特徴と同じだった。小さい子だし、誰かの話を摘まんで聞いたんでしょうね。それか、その子の親が眠る前に聞かせたのか」
「そのシュナって、どんな奴なんだ?」
「ええ? まあ、英雄じゃないわよ。だって将軍よ? 将軍。戦争の偉い人でしょ? 英雄なわけないよ」
「英雄ってそういう………いいや、違うか。こっちじゃ違うのかもな」
「違うのよ、ホント。でもね、でもねって私思ったのよ。【フィロ】っていう英雄がいないなら、私が【フィロ】になればいい。どうですか? これ。冒険者やるのにどう?」
「素晴らしいよ」
「………馬鹿にしてない?」
「してねぇよ。本当に偉いって思ってる。顔に出にくいのはわかってるだろ」
「知ってる知ってる」
「で、そのガキはどうした?」
「ああうん、船が沈んだ時に死んじゃった」
「………そか」
「人間なんてすぐ死んじゃうからねぇ」
「お前は死ぬなよ」
「生意気、弱々な癖に~」
「そんな弱々相手に、さっきまで声上げてじゃねぇかよ」
「ああ! それ言う!? 知らないんだ~凄いからね? 私が本気だしたら」
「本気は勘弁してください」
「素直でよろしい。………あのさぁ、冒険者やってたら………………」
「なんだ?」
「やっぱ、死ぬかもしれないよね?」
「そりゃな、でも俺が先に死ぬよ。弱々だし」
「………………やだよ。そういうの」
「でも、事実だろ? むしろ死んでやるよ。お前のために」
「………バーカ」
「フィロ」
目覚めると激痛に襲われた。良い夢を見ていたのに台無しだ。
牢屋の冷たい床で寝ていた。
人間の残した悪臭が、湿った空気の中を漂う。
全身が痛い。近衛兵の槍でボコボコに叩かれたのだ。穂先で突かれなかっただけ、ありがたいと思わないといけないか。
足音が聞こえた。
近付いてくる。
「中々店に来ないと思ったら、城の牢屋にいるとはね。あなた、変な人間ね」
ロリ巨乳のエルフだった。聖女様の学友の母を自称している女だ。
鬼灯のような宝石の付いた杖を抱えている。
「どうしてここに?」
「城で暴れた馬鹿者を見物に」
「暴れてねぇよ。首狩りそこねて取り押さえられただけだ」
「………プッ」
無表情で笑われた。人は無表情で笑われると、倍腹が立つとわかった。てかこの人、さっきから俺を見る目が人間を見る目じゃない。ゴミとか死体を見る目だ。
「さて、調べた結果ですけど」
エルフは、胸からスクロールを取り出し広げる。
「冒険者組合に忍び込んで、『フィロ』という方の身分証の写しを手に入れたわ。これによると、彼女の契約した神は【喰らう者バーンヴァーゲン】と【ミテラ】。この【ミテラ】の別名をご存じ?」
「いや」
「炎の英雄、堕落の英雄、隷属の王、奴隷王、つまりは、主従の契約を強くする神。フィロさんが………奴隷であったことは?」
「さっき知った」
「あらそう。【ミテラ】の契約で、逃げ出した奴隷に罰を与えるものがあるわ。と言っても、ここはレムリア、奴隷制のない国。ミテラの信仰も薄く、命を奪うような罰は与えられない。やれて嫌がらせみたいなものね。例えば、人生の転機に小さい不運をけしかけるような」
巨人の剣が迫る瞬間、彼女は転んだ。
あれを躱していれば、全てが変わっていた。
怒りで血が沸く。
痛みが消える。
「それは証明、できるか?」
「できないわよ。バーンヴァーゲンは、白痴の神。ミテラは、契約者の不利になることは言わない。あなたが首を狩ろうとした男も、証拠は残していないでしょう。………あら? 詰み?」
「あの男は俺に金を積んだ。フィロを自分の持ち物とも言った」
「お幾ら?」
「金額の問題じゃねぇよ。どうでもいい。あいつはフィロを侮辱した。だから殺すと決めた。それだけだ」
「落ち着きなさい。根拠なしの難癖よ。はいこれ」
「あ?」
エルフから羊皮紙を受け取る。
「あなたが暴れて壊したキャルバー商会の金の流れ。結構な人数を介していたけど、ダーケストという男が大本。聖女を狙った刺客も、こいつが雇ったみたいね」
「護衛の奴が、そんな名前だった」
「確かな証言によると、偉丈夫で黒い鎧。間違いなくて?」
「間違いない」
「聖女に刺客を向けたのだから、最低でも国外退去ね。護衛の方だけど。まあ、雇い主にも少しは嫌がらせできるでしょ。王女に話を持っていくから、しばらく待――――――」
俺は、羊皮紙を破り捨てた。
「言っただろ。どうだっていい」
「え、馬鹿?」
「王女様のありがたい言葉だ。名声も何もない冒険者なんざ、知ったことじゃねぇとよ。あの女の裁きに期待しちゃいない。俺が、俺の好きなようにやる。何を敵に回してもな」
立ち上がる。
今からでも、奴らを殺しに行く。
「向こう見ずな馬鹿は嫌いではないわ。でも、己の力量を考えなさい。馬鹿やる前に、生き延びることを頭に入れなさい。馬鹿が馬鹿できないとか、生まれた意味がないわよ」
「知ったこっちゃねぇよ! あいつを殺せりゃ俺の命なんざどうでもいい!」
「はぁ~やれやれね。構ってられないわ」
エルフは、杖で床を小突く。
すると光が生まれ、白い毛玉が現れた。
バーンヴァーゲンだ。
「ヴァエ!」
毛玉が蛇を吐き出した。
「貴様、いきなり現れたと思ったら何すんじゃ! ………ん? ここ何処じゃ? お?」
蛇は周囲を見回すと、エルフの足元によってローブの中身を覗いた。
「ほほう。顔に似合わずえげつない下―――ぎょば!」
エルフは蛇を踏み付けた。
「相変わらず最低ね、オールドキング」
「つ、潰れる」
「私の夫の国では、悪神でも敬い祈り、手を合わせば、守り神になると言われている。私があなたを滅ぼさない理由はそれよ」
「だーれが、悪神じゃコラ!」
「ああそれに、誰にも見られず声も届かず、寂しい路地裏でウロウロしてる蛇の姿が、生前のあなたと比べたら滑稽で哀れで、爆笑できる酒の肴になったからね」
どういうことだ?
このエルフが蛇を?
「ほんとエルフは性格が最悪じゃな。男が寄ってこんだろ?」
「間に合ってるわ、十分に」
「うごごごごっ」
蛇は、エルフのサンダルでグリグリと踏み締められた。
流石に死にそうだ。
「それじゃ、後は馬鹿同士で好きにやりなさい。私には関係ないことだけども、あなたが殺そうとしてる男の護衛、強いわよ。英雄と呼ばれる人間でなければ届かないほど」
「知らねぇ」
「はいはい、せいぜい派手に死になさい」
エルフは去って行った。
って、
「おい、牢は開けろよ」
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