<第三章:顔のない冒険者たち> 【02】


【02】


 黒いパン。

 半分にされた大きくて硬そうなパンが目の前にある。

「ん」

 と、パンを差し出した人物は、ボロボロの剣士だった。

 ボサボサの赤い髪、汚れた革鎧、背負った丸盾は大きく欠けていて、腰に下げた剣にいたっては、鞘ごと半分に折れて失せている。

 そいつは、俺の隣に腰を降ろすと、自分のパンを齧り出す。

 ほぼ死にかけの俺は、パンを手に取り噛み付くが、噛めない。てか、口の中の水分がない。

「ああ、ごめっ」

 革の水筒をくれた。

 俺は夢中で水を飲んだ。

 咽ながら命の水を飲み干した。

 急激に湧いた空腹感に押され、パンに食らい付く。

 硬いなんてもんじゃない。

 布の塊のような触感。腐敗を疑う酸っぱい味。けれども、空腹は食を進めた。雑巾でも食えるほどの空腹だった。

「あ、ありが、ありがとう」

「はいはい」

 俺は、泣きながらパンを貪る。

 捨てる神あれば拾う神あり、という言葉が身に沁みた。それと驚いたことが二つ。言葉が通じていることと、俺が生きようとしていることだ。

 生きる気力なんてないと思っていたのに、泣きながら飯を食うとか、これじゃまるで、ただ死ねないだけの怠け者じゃないか。

「あのさぁ、君。勘違いしないで欲しいんだけど、私は別に良い人ってわけじゃないよ?」

「………………」

 裏があるのだろうか?

「死にかけの爺や婆が、小動物に餌付けする感じ? 自分が弱っている時、自分よりも弱い生き物見ると安心するっしょ? まあ、そんな感じね」

「………………」

 ゴリッと口中に響く音と異物感。

 吐き出すと、それは歯だった。新しい血と肉の付いた俺の歯だ。パンの硬さに負けてしまったようだ。しかも奥歯。

「あれま」

 そいつは、、腰かけた石畳を指で叩きながら何かを唱える。

「おいでませ、おいでませ、身欠け、骨欠け、月欠け、みつる。【喰らう者バーンヴァーゲン】」

「なんだ、これ?」

 不思議なことが起こった。

 光と共に、白い毛玉が現れる。

 毛玉のサイズは、俺の頭と同じくらい。埃がよく取れそうなフワフワな毛並み。プルプルと左右に震える愛らしい動き。

 つい手を伸ばすと『ぐぱぁ』と大きな口が開いた。人間のような歯が並んだ口。

「うおわっ!」

 食われると思い、驚いて飛び退く。

「アッハハハハハ! そんな驚かなくても、歯の神様だぞ。知らないのかい?」

「歯の神様? 神?」

 どういうことだ? 神がこんなに簡単に現れるのか?

「そういやあんた、変わった格好だね。もしかして………異邦人ってやつ?」

「異邦人。たぶん、そうだ」

 他所の世界の人間、という意味ならそうだろう。

「それが、こんな場所でなにやってんの?」

「街に入ったら、いきなり殴り倒された」

「あ、はい。まあ、大変だね。まあ、生きてんだし良いでしょ」

 良くはない。

「ほら、抜けた歯をヴァーゲン様に渡して」

「渡す? 歯を?」

 よくわからないが、毛玉に向かって抜けた歯を放り投げた。毛玉は大口を開けて歯を飲み込む。

 すると、

「痛っ」

 歯の抜けた場所が激烈に痛みだす。

 視界が点滅し、呼吸が止まり、背筋が攣るほどの痛み。

「まあ、痛いよね。でも痛いってことは、生きていたいってことだよ」

 痛みの中、奥歯に痒みを覚える。

 舌で触れると、新しい歯が生えていた。

「凄い」

「凄くないよ。こんなの小間使いや身分が………まあ、その程度」

「あんたは、どうなんだ?」

「はい?」

 生命の危機を脱した俺は、ふとした疑問を口にする。

「あんたも弱ってるんだろ?」

「言った?」

「言った」

「まあ、言ったかぁ」

 剣士は、剣を俺に見せる。折れて剣と呼べない代物。

「これがこうで、そうよ」

「………わからん」

「まあ、安い剣買っちゃったのだ。腕には自信あるんだけど、こうもナマクラだと流石にねぇ。派手に失敗してパーティにも見限られちゃってさぁ。アハハ」

「はぁ」

 剣が折れて、なんかあって装備もボロボロ、仲間にも捨てられたと。

「悪いんだけど、ヘトヘトでさ。ここで寝かせてよ。さっきのパンは場所代ってことで一つ」

「あ、ああ」

 剣士は、膝を抱いて顔を伏せる。しばらくすると寝息が響いてきた。

 寝付きがいい人間だ。

「………………」

「ヴァ」

 毛玉が跳ねて俺の肩に乗る。

「ヴァ、ヴァ」

 毛玉にしか見えないが、これは神らしい。神のようだ。神故に、俺がやろうとしていることも理解できるのだろう。

 回復した体を引きずって歩く。

 落ちている小石を拾い。口に入れると、思いっ切りそれを噛み締めた。



 一晩明け、ようやく剣士が目を覚ました。こんな場所で丸一日もよく眠れるものだ。

「ん、おはよう。君、まだいたんだ」

「他に行くところがない」

「ハハハッ」

 剣士は、乾いた声で笑う。

「パン代」

「え? は?」

 俺は、背中に隠していた剣を差し出す。

「ロングソード。良いのか悪いのかはわからない。でも、これ持ってる人間が一番多かったから、たぶん使える」

「君、金持ってたの?」

「ない。でも――――――」

 口を開いて、新しくなった歯を見せる。

「歯に詰めていた物が、そこそこの値段になった」

 銀歯二本で、銀貨2枚。

 銀の“混ざりもの”が珍しいとのことで、色を付けてもらった。何よりも交渉で大きかったのは、俺の肩に乗った毛玉だ。

 商人と一緒にいた小さいフクロウ(たぶん神?)と何やら話して、値段を上げてくれた。俺には『ヴァ』しか聞こえなかったけど。

「も、貰ってもいいの!?」

「いいよ。俺使えないし」

 剣士は、ロングソードをかっさらう。鞘から引き抜き、興奮した様子で刃を見ていた。

 気に入ったようで安心。

 神が間に入ってナマクラはないと思う。この世界の神の立場は、よくわからないけど。

「じゃあ、俺寝るから」

 ようやく痛みが治まり、睡魔に襲われる。

 抜いた歯の痛みと、生えた歯の痛みで、丸一日眠れなかったのだ。この毛玉、痛みに関しては全くどうにもしてくれない。しかし、枕には丁度よさそうだ。

「君、ボクと一緒に冒険者やろう!」

「え、いや、俺何もできないし」

 急な誘いで驚いた。てか、冒険者ってなんだよ。

 そもそも、荒事が無理。雑魚だし。

「大丈夫さ。荷物持ちでもしてくれればいいよ。敵はボクが全部倒すから!」

 剣士は、剣を抜いて空に掲げる。

 ありふれた普通の剣が、神々しくも特別な物に見えた。

 そしれ俺は――――――


「そして、冒険者を始めたわけですわね。ワクワク」


 今度は、聖女様に話の腰を折られた。

「………違うよ」

「え?」

「違う。普通に断った。眠たかったし、できるとも思わなかったし」

 あの時の、あいつの信じられないものを見た顔が、昨日のことのように思い浮かぶ。

「では、【巨人殺し】様は、どうやって冒険者に?」

「この四日後、死ぬ寸前であいつがまた現れて『水とパンが欲しかったら、一緒に冒険者やれ』って、凄い笑顔で言われた」

「あ、はぁ、生活能力ないのですわね」

「なかったなぁ~」

 自分のために、生きようとする気力がなかった。

 こっちに落ちてきて幸運だったのかもしれない。向こうじゃそのまま死んでいた。

「続けるぞ。冒険者になった話から」

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