<第一章:異邦人と蛇> 【01】


【01】


 吐くほど痛い。

 痛いということは、まだ生きている。

 階段近くまで吹っ飛ばされたようだ。巨人は遠くで、ボーっと突っ立っている。

 追撃してこないのは、俺を脅威に感じていないのか、死んだと思ったのか、殺す価値もないと判断したのか。

 知ったこっちゃないが、俺はまた、まだ、生き残った。それだけのことに、それ以上の理由なんてない。

 震える手で再生点を確認。案の定、ゼロ。

 意識した途端、痛みが激しくなる。

 腰、背中、首、両腕、関節という関節、体中に響き渡る痛み。こうも刺激が酷いと気絶もできない。

 出血は奇跡的にないが、中はボロボロかもしれん。

 こりゃ、治療寺院に行かないとダメだ。いや、行けるのか? こんな状態でダンジョンから出られるのか? ダンジョン豚に遭遇したら絶対に逃げられない。チョチョにすら負けるかも。その他のモンスター全てにも負ける。

 ならいっそ――――――

 馬鹿なことを考え、剣を握り締めると違和感を覚えた。

 軽い?

 剣の重さが………………あ?

「あああああああッッ!」

 剣が、ぽっきり折れていた。

 剣身が半ばから綺麗に“ぼきり”と。

 俺の心の中の何かも、一緒に折れた気がした。

 目の前が真っ白。


 何をどうやってダンジョンから逃げ帰ったの覚えていないが、俺は片足を引きずりながら街中の鍛冶屋を回っていた。


「こりゃ駄目だな。屑鉄にもならんぞ」

 俺の剣を診ているのは樽だ。タル。短い手足の生えた樽―――にしか見えない物。

 この樽の中身はドワーフと呼ばれている。

 よく見ればただの樽ではなく、視界を確保するためのガラスの眼球があり、ちんまい手足も緻密に動かせるように仕掛けが施してある。

 彼らが何故こんな姿なのかは知らないが、鍛冶の腕は確かだ。どのくらい確かかと言えば、この国の鍛冶職人が、ドワーフ以外ほぼ廃業するほど。

「しゅ、修理できないのか?」

「こいつはヒームの業だ。そこそこの鉄を溶かして、鋳型に流し込んで、トンテンカンと叩いて整え研いで一本あがり。『はい、次』ってな。言っちゃなんだがロマンがない。今日日、こんなもん小人族でも作らんぞ。時代は合金、鍛造、至高の炎術により剣精を鉄に秘める業。生み出された刃は、硬くも柔らかく、軽くも強く鋭くってな」

 そして、お高い。

 最低でも金貨を出さないと買えないのが、ドワーフの武具だ。最近の新人冒険者は、借金して武具を買っている。

 借金のできない新人は、中古の武具で命を試すか、自作で工夫するか。どちらにせよ、何をしてでも手に入れる価値と性能が、ドワーフの武具にはある。無論、それを使った冒険者の実績も伴っている。

「“こんなもん”と言うのなら、再現や修理くらい簡単に――――――」

「できん。こいつは、腕がどうこうの問題じゃねぇんだ。同じ鉄かどうかの問題だ。馴染まん鉄を合わせて、刃が成るわきゃねぇだろ。ヒームの製法探すとこから始めりゃ、再現できるかもだが………たけぇぞ? 普通に剣買うよりもたけぇ。あんた金あるように見えねぇけど?」

「………………邪魔した」

「まあまあ、これなんかどうだ? 寸法はほぼ同じ。ドワーフ製のロングソード、金貨3枚だ」

 あるか、そんな金。

 次に行く。

 次の鍛冶屋にも同じ対応をされた。

 更に他所の鍛冶屋に行くが、借金を勧められた。

 目ぼしい鍛冶屋で大体同じ対応をされ。

 最後に訪れた店で、

「一昔前の剣だなぁ。久々に見たなぁ。オイラ達の武具が流行した後、これ系の武具は中央大陸売り払われたんだ。ランシール王女の命で。剣と一緒に中央に渡った鍛冶師もいたはずだなぁ。あっち行きゃ会えるかもなぁ」

「中央大陸………………」

 長い船旅が必要である。

 無理。

 一番無理なやつ。

 この街には、海産物を売りに魚人が出入りしている。彼らから海の話を聞いたことがある。海は、ダンジョンより危険だ。木材に乗った程度で渡れるもんじゃない。渡れるのは、神に愛された者だけだ。俺には絶対に無理。

「邪魔、した」

 フラフラになりながら鍛冶屋を後に。

 精神と肉体、両方に限界が来た。

 どこをどう歩いているのかわからない。たぶん自分の家に向かっている、と思う。半分寝ていても目的地に辿――――――やっぱ無理っぽい。

 狭い路地で倒れ込んだ。

 動けない。

 全身痛い。

 寒くて熱い。

 あ、お空が茜色。夕日が綺麗だ。

「………………」

 俺の冒険、終わりだな。

 挑戦なんかしなきゃよかった。適当なモンスターを狩って帰れば、今頃【冒険の暇亭】で美味い夕飯を食えていた。

 いいや、どの道終わりの引き延ばしていただけか。長い引き延ばしだった。

 10年だ。

 あの時、あの場所で、あの敵に、あいつらと一緒に俺は死んでいた。遺品の剣を持ち出して、欠片も才能なんてないのに、剣士のふりして、しかも一人で立ち向かって、何がしたかったんだろう。何を求めて生きていたのだろう。

 死んだ人間が生き返るわけでもないのに。


「おい、貴様」


 声がした。年配の男の声。

 こんな路地裏に先住民がいたとは。

「ここは余の寝床である。死ぬなら他所で死ね。穢れるわ」

「冒険者は、自由な生き物だ。死ぬ場所も自由に選ばせろ」

 せめて静かに死なせろ、と声の主を睨み付けると………ん?

「どこだ?」

 誰もいなかった。

 幻聴か?

「ここだ」

 ぬるっと溝から蛇が這って出てきた。

 ちっさい蛇だ。ウサギにも狩られそうなサイズ。喋ることから恐らくは、

「こんな場所に神様がいるとは」

「神? 余が? なんの神だ?」

「は?」

 この世界の喋る動物といえば、多くは神の別姿だ。街を歩けば、人語を解する動物と遭遇する。人の姿をした神もいるが、俺には判別ができない。

「なんじゃその反応。余を神と呼ぶなら何の神か申してみよ」

「知らねぇよ。てめぇで名乗れよ」

「知らん」

「はぁ?」

 俺を試しているのか? それとも本当に自分が何なのかわからないのか? わからないとしたら、そんな神はいるのか? 神と呼んでいいのか?

「再生点、これは再生点だな」

 蛇は無遠慮に俺に近付き、再生点の容器に噛み付く。

 こいつ毒ないだろうな? 怖いんだが。

「何故、こんなゆったりとしたマントをしておる? 再生点が仲間に見えないであろう」

 俺の唯一価値のある財産に蛇は牙を立てた。

 蒲焼にしてやろうか?

「仲間はいねぇよ。一人だから見せる必要はない」

「何故だ? 一人で冒険はできんぞ」

「うるせぇな。だから、こんなところで死ぬんだよ」

「死別か? 捨てられたか?」

「………関係あるのかよ」

「関係ないなら余は出てこんぞ。一応の縁があって、ここに………来たのではないのか?」

「だから、わかんないって」

 死にそうな時に、死ぬほど疲れる。

 俺は蛇に一番の疑問をたずねた。

「あんた名前は?」

「余の名前はなんだ?」

「だから知らねぇよ」

「何故、知らぬのだ? 貴様が余を呼んだのだぞ」

「いやもう」

 質問と質問のキャッチボールだ。話にならない。

「なんじゃ、この剣」

「おまっ!」

 蛇は、剣を鞘から引き抜いていた。

 見た目より力がある。やっぱ神か? いやモンスターか?

「折れた剣が得物とな、使えるのか?」

「使えねぇよ! 直そうと街中回って無駄だっただけだ!」

「新しい剣を買えばよかろうが。心が折れぬ限り、刃は幾らでも換えが効くのだ」

「これは………死んだ仲間の遺品だ。換えは効かねぇよ」

 唯一の剣だ。

「折れたのなら、それはもう遺品ではなく鉄屑だ。ゴミだ。仲間に悪いと思うなら、そんなもんさっさと捨てて、別の剣を手にせよ」

「このッ!」

 人が気にしてて口に出さなかったことを、ずけずけペラペラと。

 殴り倒――――――そんな体力もなかったの忘れてた。拳を振り上げることもできない。

「貴様弱いの~雑魚雑魚の雑魚ではないか。なんでこんなのに余は呼ばれたのだ」

「呼んでねぇよ」

「呼んだぞ。貴様の心が余を呼んだのだ。クッソうるさい泣き言であった」

「お前、本当に何なんだ?」

 神には全く思えない。

 しかしならば、何なのかが全くわからない。

「余にも余がわからん。頭に濃い霧がかかっておる。しかし、一個確かなのは【冒険者】に関わる存在であること。これは間違いない」

「さいですか」

 さておき、残念なことがわかった。

 何か俺、このままじゃ死ねないっぽい。全身痛く、寒気も熱もあるが、それだけ。まだ立ち上がる力はないが、もう少しで………………もう一度立ち上がるのか? さっき死ぬと覚悟した時、楽に感じたのに。

 こんなどうしようもない。どうにもならない冒険稼業が終わると思って、安堵したのに。

 ところがどっこい。

「終わらない、か」

 フラつくけど、立ち上がれてしまったよ。

 こんな折れた剣じゃ、どうにもならないのに。折れてなくても、どうにもならないのに。

「………え、何してんだ?」

 蛇の腹が膨らんでいた。自分の何倍もの膨らみ。

 飲み込んでいた物を吐き出すように、

「オロロロロっ」

 いや吐いた。

 鞘に収まった剣を、蛇は吐き出した。

「汚っ」

「失礼な。確かに小汚いが、【冒険者の父】が使った剣であるぞ」

「【冒険者の父】? 伝説的な冒険者じゃないか」

 数多の冒険者を育て、導いたことで有名な冒険者だ。実は、初めてダンジョンに挑んだ時、一度だけ遭遇したことがある。

 ほんの一瞬で、あのダンジョン豚を両断した剣技。人間業じゃない。

 あの剣技に耐えうる剣。

 自然と惹かれ、剣を手にする。蛇の体液でベトベトしてなくて一安心。

 少し鞘から抜いて刃を見た。

 古いロングソード。重量、採寸、細工と、俺が使っていた物とほぼ同じ。

 違うのは、年輪だ。

 指痕でへこんだ柄、ぬらっとした刃の擦り減り、染み付いた血と技の残滓。

 俺の10年など比べようもない年月の痕が、この剣にはある。本物かと思ってしまう迫力が細部に宿っていた。

「剣を手に、なすべきをなせ冒険者よ」

「………いや、だから」

 だから、なんだろう? 頭の内が整理できない。腰に下げた折れた剣が、妙に重く感じた。

 俺は、仲間の形見で、あの敵を倒して。

 倒して、どうするつもりだった?

「………………」

 蛇は消えていた。

 幻のように。

 ただ、剣は残る。それを握る俺の手に、今までに感じたことのない熱と力が宿る。

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