オールドキングと顔のない冒険者
麻美ヒナギ
オールドキングと顔のない冒険者
<序章>
<序章>
これは、どうしようもない俺の私小説だ。
ここに“落ちて”から10年が過ぎた。
ここは冒険者の街だ。
俺を拾ったのも冒険者であり、育てたのも冒険者。愛したのも、憎んだのも冒険者。知ってる奴らは大体が冒険者。そんな環境なもんで、当然、俺も冒険者として生きた。生きるはめになった。
この街、【レムリア】の中心には、白く巨大な建造物が突き刺さっている。
名を、【々の尖塔】。
世界最古のダンジョンであり、数百年以上の探索の歴史をもっても尚、いまだ取り尽くせぬ秘宝を蓄えた人類の宝物庫。
たった一つ、たった一晩、ほんの小さな勇気と決断、あるいは蛮勇。それに幸運が合わされば、冒険者は歴史に名を残せる。
他のダンジョンを俺は知らないが、ここは間違いなく冒険者のメッカだ。
で、俺は冒険者として生きた。
なんと10年生きた。
10年なんとか生き延びた。
人間、10年もあれば酸いも甘いも知るものだ。いや、甘い方はあんまり知らない。大体、酸い方ばかり味わっている。
その昔、元いた世界であるおっさんが『どんな職業も七年やればプロになれる』と無責任な言葉を吐いていたけど、そりゃ少しでも才能のある人間のみと痛感した。
環境で変われる人間は、環境で才能が隠れていたのだ。凡人はどこにいっても、どこまでいっても凡人のまま。
何を言いたいのかというと、パッとしない冒険者なのだ、俺は。
それはもう、びっくりされるほどパッとしない。
俺を追い抜いていく後輩も、最初は笑うが段々嘲笑が憐れみに変わる。最終的には、俺を見ないようになり忘れる。
先達は、大体引退した。
冒険者は短命な仕事、入れ替わりも激しい。太く短い職業なのである。俺のように細く………めっちゃ細く長く生きているだけなのは、稀の稀。
だが、繰り返すが、パッとしない冒険者なのだ。
「いやっハハハハッッ! ほんと、先輩だけっスよ。先輩みたいなのって」
「だから前にも言っただろ」
「謙遜か冗談って思うでしょ。フツー」
まだ午前中だというのに、酒場には音楽と活気が満ち溢れていた。
俺の隣でケラケラと笑う後輩は、ウサギの獣人だ。
赤く丸い大きな瞳、ボリュームのあるオレンジの長髪、幼さが残る顔立ち。
獣人の女性らしく薄着で、胸を隠す程度の短い前掛けと、下着がチラチラ見えている着古したホットパンツ。足のブーツだけは新品で、冒険の収入で一番に買ったものらしい。
防具は、心臓を守る胸当てと鉄製の首輪。最低限、急所を守るためのだけの代物。得物は、腰に下げた大きな矢筒に入れた細槍。こいつはこれを、相手が動かなくなるまで、しこたま投げ付ける。獣人らしい異常な膂力で放たれる細槍は、大口径の弾丸並の威力だと思う。
あと、冒険者的に槍は怖い。
切り傷、裂傷は怖くないが、貫通して体に残る傷は本当に怖い。
俺と後輩が首に下げてるペンダント、全ての冒険者が所持している支給品。赤と青の液体が入った試験管の刺さっている容器。これは、古代の魔法使いが生み出した【再生点】というやつで、ようはこれRPGのHPとMPみたいなもんだ。
魔法と関係のある青い液体は俺に関係ないけど、赤い方は超重要。
これがある間は、手足が切断されたり、骨が折れたり、臓物が飛び出ようとも、“なかった”ことにできる。
だが、万能ではない。
首を落とされたら即死だ。心臓の傷は再生点を即ゼロにする。体内の異物は取り除けない。だから、槍が怖い。矢も怖い。毒も怖い。怖いものだらけ。
女性冒険者が自然と長物を選ぶのは、たぶんこの辺りが原因なのだろう。悲しいかな、男の方が情欲で獣になる時が多い。
ちなみに、男の前衛かつ冒険者は、剣信仰が強い。信仰の理由はわからないが、たぶん剣で名を成した男が多いだけなのだろう。もしくは、ただ単に格好いいだけか。
男なんてそんなもんだ。
「でもまあ、10年っスよね? 10年」
「なんだよ?」
「到達階層はさておき。10年冒険者やれるってのは、スゴいことなんじゃ~ないっスかねぇ」
後輩は、4本目のラム酒を空けた。
俺の奢りとはいえ、こんな安酒を水のように飲めば明日は大変だぞ。
「俺は臆病だからな。ヤバイと思ったら、すぐ逃げてるだけだぞ」
「にしても、逃げ足って冒険者には大事なもんなんでしょー?」
「誰が言ったんだ?」
「先輩っスよ。忘れたんですか?」
「言ったような気も………」
新人相手に言う教訓は、俺の言葉ではなく俺に冒険のイロハを教えた人間たちの言葉だ。それを機械的に口にしているだけなので、記憶に残りにくい。
「で! で!?」
「どうした急に」
後輩は、椅子を動かし詰め寄ってきた。
肩が当たる。
五年若かったら勘違いする詰め寄り方だ。
「なんでパーティ組まないんスか? 先輩がダンジョン進めてない理由ってメーハクでしょ。お独り様だからでしょ?」
「なんでだろうなぁ」
「誤魔化さないで教えてくださいよー」
「俺みたいな凡冒険者と、誰が組みたがるよ?」
「選り好みしなきゃ組めますよ。将来有望な新人かつ、勘違いしてる奴とかとか?」
「うーん、どうだろうなぁ」
本音は誰とも組みたくない。
一人が良い。
それだけ。
「どうもこうも、パーティ組みたくなるような将来有望な新人はいないっスか!?」
「将来有望はいるよ。お前とか」
「………………グヘヘヘヘ」
可愛い顔して、滅茶苦茶嬉しそうに笑いやがる。
「組むかどうかは別だけどな」
「なんでなんスか!」
「なんでもだよ」
後輩は俺の首を絞めてきた。
酒を飲ませて、ウザ絡みを回避する。
俺は一人が良いのだ。
一人でやりたいのだ。
10年一人でやったのだから、ここは絶対変わらない。組みたいと言う奴がどんだけ優秀で可愛くても、いや優秀だからこそ情けない俺の実態を知ったら失望するだろう。パッとしない俺でも、プライドはある。期待されてガッカリされると、ただでさえ小さい心が削れてしまう。
後輩は、飲んで騒いで急に静かになった。
ラム酒の空き瓶は20を超えた。大酒飲みのようだが、酒精は飼っていないようだ。完全につぶれて眠ってしまった。
酒代を払い、後輩をおぶって店を出た。
路地裏の狭い空から眩しい太陽が見える。やかましい酒場の飲んだくれと音楽から解放されたせいで、外がやけに静かに感じた。
こんな場所でも良い風が吹いた。
今日もこの国、レムリアにとって良い日になるだろう。俺はどうだかわからないが、他の冒険者、商売人、為政者には良い日だろう。知らんけど。
転がる空き瓶を蹴飛ばして進む。
目的地は馬小屋だ。
といっても、本当に馬がいる馬小屋ではない。宿代のない冒険者が寝泊まりする小屋である。一応、藁や水桶やらが用意され馬も泊まれるようにできているが、寝泊まりするのは人間だけだ。
国の援助で宿が用意する馬小屋だが、もっと快適にしろという意見は多い。だが、無料の宿泊施設を下手に快適に作ると、そこに居座る貧乏人が出てくるものだ。
馬小屋がイヤなら、冒険者として成長しろってこと。
ちなみに俺は、馬小屋生活は三年前に卒業している。寝床の悪さで腰を痛め、再生点が激減したので、色々切り詰めて使われていない倉庫を借りた。
馬小屋とネズミ小屋、どっちが良い環境なのかは人の感性によるだろう。
「しかしまあ」
マントと革鎧越しでも、背中に小ぶりな二つの感触が伝わって来る。
冷静に考えてみれば………こいつ大丈夫か?
警戒心なさすぎだぞ?
冒険者はダンジョンの中だけで気を張ればいいってもんじゃない。女なら男の倍は気を付けないと。こんな才能のある人間が、くだらない男に引っかかってつまずくのは見たくない。
悶々と考えて、説教しようかとも思ったが、無能の説教ほど恥ずかしいことはない。
でも言うべきことは言うべきかと考えていたら、酒場から一番近い馬小屋に到着。
外したら他二つに行くつもりだったが、
「え? え?」
俺と、後輩を指差して驚いているヒーム(俺のような人間種)がいた。見覚えがある。後輩のパーティメンバーだ。
女性で十代後半くらい。鎖帷子の鎧に、紋章の潰された前掛け。背には身の丈ほどの大盾。腰にはメイスをぶら下げている。
「飲み潰れた。ので運んできた」
「あ、はい。すいません」
後輩を女性に渡してそそくさと去る。横目で、もう一人女性が奥から出てきたのを見た。彼女も後輩のパーティメンバーだ。
「今の人、誰?」
「誰だっけ? どっかで会ったような」
という声が聞こえた。
一応、君らの研修を担当したもんだけど。俺なんてそんなもんだ。
なんとも言いようのない虚しい気持ちで歩き、辻道で止まる。
右を行けば、我が家。
左を行けば、ダンジョン。
半ば機械的にダンジョンに向かう。街のどこからでも、天まで伸びる白く巨大な尖塔が見えた。今更見ても何も感情は動かない。
何千回と通った道だ。路地の隅まで体が覚えている。何も考えなくても、ダンジョンまで到着できるだろう。
あれ………さっき何故、足を止めた?
心のどこかで、ダンジョンに行きたくないのか?
他にやることも、やれることもないのに。才能のない凡人が、怠け出したら終わりだというのに。
言い忘れたが、この世界ゲームのようなレベルはない。
戦ったら戦っただけ、人は擦れて削れる。削れた分、厚く強くなれるのは若い時だけ。俺の成長期は随分昔に終わっている。それに、魔法や奇跡は、神に愛された者しか得られない。
凡人は、少ない手札でコソコソやるしかないのだ。
まあ、10年も続ければ嘆くことも飽く。今では絶望は隣人だ。
視界が真っ白に染まる。
ダンジョンの目の前に到着。この白さだけは慣れない。数多の冒険者の血で、少しくらいは赤くなってもいいだろうに、ただただ無辜のように白い。ダンジョンが、人間じゃどうしようもない存在に思えて腹が立つ。
無意味に苛立ち、いつも通りぶち抜かれた一角から中に入った。
開けたエントランスは、ダンジョンの1階層に設定されている。ここにあるのは、冒険者組合の受付と、割高な酒場、降るための大階段。そして、ずらっと並んだポータル。
さっさとポータルを潜ってダンジョンに挑戦したいが、先ずは受付。申請しないで無断でダンジョンに潜ったら捕縛される。最悪、しばらくダンジョン出禁だ。死活問題だ。
真っ直ぐ受付に向かい、自分の担当を呼んだ。
………………が、また来ない。また臨時で別の人が来た。今回は半年持たなかった。気にせず申請を済ませて、ポータルの前に。
光の渦の前で手をかざすと、『5』と数字が一つ表示される。不思議なことに、この世界でも数字は同じ表記だ。
ダンジョンには5階層毎にポータルがあるそうで、そこを起点にして冒険者は階層を踏破して行く………らしい。
恥ずかしながら10階層まで行ったことのない俺には、小耳に挟んだ不確かな情報に過ぎない。冒険者とは秘密主義者なのだ。仲間以外に、ペラペラとダンジョンの情報を漏らす者はいない。
さて、ポータルを潜る。
眩い光の後、かび臭いジメっとした空気と闇が広がる。
腰にぶら下げたカンテラを振る。中に入った翔光石は刺激を与えると光を発する。ぼんやりとした光が、幅4メートルほどの通路を照らした。
湿った石畳の床、隙間なく詰められた石壁、同じく石の天井。実にダンジョンらしいダンジョンの光景。
進む前に、装備と持ち物のチェック。
革鎧の状態は最悪。縫い糸のほつれと革の摩耗、とっくに寿命が来た物を騙し騙し使っている。あと一撃でも攻撃を受けたらボロ革と化すだろう。マントで隠してなければ笑いものになる状態だ。
そのマントは問題なし。
昔、蚤の市で購入した由来不明の代物。たぶん盗品。くすんだ赤色で俺には少し大きいサイズ。しかし、この大きさは色々隠せて丁度いい。俺のパッとしない存在とか、見られたら舐められるような使い古しの武器防具とか。
左腕に固定した丸盾は、まあまあだ。
手入れは欠かしていないが、素人の手入れ。本職が見たら我慢ならん状態かもしれない。俺より頑丈なら問題ないと割り切っている。
剣を抜く。
剣だけは、鈍く切れ味を保っていた。
全長1メートル。切って良し、突いて良しのロングソード。最も頼りになる冒険の友。
短めの十字鍔に、片手でも両手でも扱えるグリップの長さ。何度も研いだせいで、元の刃より二割ほど痩せている。
だが、重い。
何度振っても重いまま、軽いと感じたことは一度もない。ただ慣れた重さだ。この重さがなければ、俺には何も斬れないだろう。
背負ったズタ袋を開ける。
二日分の水食糧。
書き込んで汚れたマップ。
表面の擦り減ったコンパス。
布で包んだ予備の翔光石。
身分証のスクロール。
財布の袋。全財産は、銀貨2枚と銅貨5枚。後輩に奢ったのと、今月の借家代を支払ったので、大分寂しい中身。
最後に、靴を確認。
履き慣れたブーツ。俺の足の形になった靴。いや、俺の足が靴になったのか? 靴底の軟素材に異物がないか確認。ダンジョンのモンスターは、目より聴覚で探知してくる。俺みたいな“お独り様”は、小さな物音一つが命取りなのだ。
小さな鉄くずと小石を取り除き、チェック終了。
で、どうするか?
どうしようか?
二つだ。
一つは、倒せるモンスターを倒して日銭稼ぎ。もう一つは、本来の冒険者らしく階層の踏破に挑戦。――――――の二つが、俺のできる冒険。
ま、いつも通り日銭稼ぎだな。
薄暗い通路を進む。
人間は俺一人。暗く湿って、まともな生物などいやしない場所。
非常に落ち着く。
自分の居場所って感じ、今まさに冒険者してるって感じ。街中より百億兆倍ここは居心地が良い。住みたい。三日ももたず死ぬだろうけど。
サクッと体が覚えた最短ルートで6階層に到着。獲物を探しながら、慣れに慣れた歩みでそのまま7階層に。
そこで、第一獲物を発見。チョチョと呼ばれているモンスターだ。
その姿は、羽根の生えた人の生首。その実は、羽根の生えた卵型のモンスター。慣れない人間には、卵の人面瘡が本物に見えるのだ。
ちなみに、卵の代用品として名高い。煮て良し、焼いて良し、揚げても良し、羽根や表皮も炙って塩かければ食える。チョチョに捨てるとこなし。
中身を漏らさず、割らずに捕獲できれば、よく行く飯屋で一食無料にしてもらえる。養殖もされているチョチョだが、ダンジョン産の方が味が濃厚なのだ。
剣を鞘ごと抜く。
チョチョ捕獲のコツは、割らないギリギリの力加減で殴り倒すこと。俺の少ない得意技である。
いやまあ、全力でぶん殴ってもチョチョを割れないだけなんだが、悲しいので得意技ってことにしておく。
身を低く。呑気に飛ぶチョチョを、付かず離れずの距離で追跡した。
天井にぶら下がった時が攻撃チャンスだ。そのチャンスを焦らずゆっくりと待つ。気配を殺すのだけは、本当に得意なのだ。
5分経過。
いいや、10分か。
もしかしたら小一時間ほど、待ちに待ってチャンスが来た。
剣を肩に背――――――止める。
チョチョが闇に消えた。
同時、厚い殻が割れる音、『ぐっちゃぐっちゃ』と肉を咀嚼する音が響く。
チョチョを食ったのは、巨大な豚だ。通路の七割を埋める巨体。短いながらも力強い足。血走った捕食者の目。
ダンジョン豚。
レムリア豚とも言われる、この国の名産品。こいつが太るための主食が何なのかは聞かないでくれ。意識すると豚肉が食えなくなる。
このモンスターは、食物連鎖の頂点だ。
中堅の冒険者のフルパーティでも戦って勝てる相手じゃない。
その皮膚は、並の武器や魔法でも傷一つ付かない。その骨は、建材の支柱や、攻城兵器に使われるほど頑丈。その歯は、フルプレートの騎士鎧すら噛み砕く。その肉は、とても美味しい。ほんと美味しい。名産になるのも納得の美味さ。
静かに、静かに。
俺は、後ずさりしてダンジョン豚の進路から外れる。
ダンジョン豚は、脅威中の脅威である。だが、動きが直線的かつ強者故の鈍さが弱点だ。
大事なのは角。
常に角を意識して逃げる。
この階層のチョチョは諦めて次へ。
8階層に到着した。
8階層だ。
次は9階層。
先に言ったように、5階層毎には中間地点のポータルがある。ただ、その一つ前の階層。そこには、番人がいるのだ。
いわゆる、ボスだ。
大物のモンスターだ。
俺が10年進めない原因だ。
違うな。
進めない原因が俺自身にある。
進むだけなら、誰かが番人を倒すのを待てばいい。番人は倒された後、三日から五日程度で復活する。その間は通り放題だ。
倒し急ぐのなら、名声が欲しいのなら、同じ目標の冒険者パーティで組めばいい。
そのどれもしないで、一人で挑戦しているのは、俺が馬鹿だからだ。そりゃ担当も呆れて何度も変わる。
どうしても、俺はあの番人を一人で倒したい。
倒さないと何も始まらない。
俺の冒険は、まだ何も始まっていない。
一人でやるにしても、もっと賢いやり方があるのだろうが、それができるなら10年も無駄にしていない。
また、辻道だ。
右は、9階層に続く階段。
他は、日銭稼ぎの道。
なんでか、ダンジョンの静寂の中で後輩の笑い声が聞こえた。死んだはずの感情が沸く。こうなると、もう自然と体が動いた。
降りた。
9階層に、降りた。
ガラッと景色が変わる。
巨大な柱が並ぶ宮殿。奥には巨人の玉座。待ち構えているのは、大量の死者。骨になってもまだ動く死者たち。
緑に光る眼が一斉に俺を見る。総数は30くらいか? 運良く数が少ない日だ。
屑鉄のような武具を手に、骨は一斉に俺に襲い掛かって来た。
「焦るな、焦るな」
冷や汗をかきながら自分に言い聞かせる。
こいつら攻略方法はある。大事なのは一歩進む勇気。枯れた精神を絞り出し、進む勇気。
一歩進んだ。
ならば次は、走り出す。
骨に向かって、空間の中央まで、骨に接触しそうになる寸前で――――――俺は踵を返して骨たちに背を向けた。
骨の集団とランニング開始。
他人が見たらシュールで笑える光景だろうが、やってる俺は必死だ。こけたら骨の集団に惨殺されるのだから。
走る。
走る。
速すぎず遅すぎず、骨と一緒に広間を円状にランニング。
骨の状態にも個体差があるため、足の状態が悪いものから遅れ出す。まともな個体は俺の背後に迫る。だが、ギリギリ攻撃されない距離を保つ。
やがて、骨の集団は大体一列になった。
まるで、子供の列車ごっこのよう。
骨に回り込むという知能はない。あるのは、生者を襲うという単純なルーティン。故に、こういう動きになる。
ここまでは良し。
次だ。
ミスるな。
震える唇を噛み締め、振り返る。
抜き放った剣を担ぎ、間近に迫った先頭の骨を両断した。先頭が崩れたせいで、後続が巻き込まれる。
剥き出しの骨と骨がぶつかり、押し合い、噛み合い、骨の集団は“絡まった”。
全て一塊、とまで上手くはいかないが、20体近くは団子状で行動不能に。五体満足なのは8体だけ、他はどこか欠けていたり、まともな状態でないため歩みは遅い。
下がりながら剣を担ぐ。
一体ずつ。一体ずつだ。冷静に慎重に。
迫ってきた錆びた剣を、左手の丸盾で防いだ。
「ふっ」
呼吸を止めて、剣を振り下ろす。
また骨を両断できた。
また剣を担ぐ。
また盾で受け、剣を振り下ろす。
両断。
受け、振り下ろす。
受け、振り下ろす。
受け、振り下ろし。
これを繰り返す。
剣技なんて上等なもんじゃない。技の域でもない所作。まともな剣士が見たら笑うだろう。こんなもんが、俺のできる最大の攻撃だ。
受け――――――攻撃が来ない。
まともな状態の骨は全部倒した。残りは一塊の骨。
ちょっと休憩。
緊張と疲労で、心臓が爆発しそう。
剣を床の隙間に突き刺し、ズタ袋を開ける。
飯だ。
唯一の楽しみといっていい飯。
取り出したのは円柱の弁当箱。今日も【冒険の暇亭】の弁当である。俺が10年戦えたのは、この店の飯があったからだ。
異邦人の娘が作る飯はどれも絶品で、どこかで知ったメニューでありながら、元の世界のよりも美味い。
知る人ぞ知る、というか地元の人間が守りに入り隠すほど美味い。他所の国の人間に知られたら、彼女が攫われるんじゃないのかと心配する者がいるほど。
彼女の飯で育ち、助けられ、名声を得た冒険者は本当に多い。
そんな彼女を【冒険者の母】と呼ぶ者もいる。
俺は流石に、小さい頃から知っている子を母と呼ぶのには抵抗がある。まだ16歳だし。大人びた美人さんなのは確かだが、母て。
して、本日の一食目はカツサンドだった。当然、ぶ厚いカツである。
水を一口飲んで実食。
フワフワのパンに、まだサクっとした触感の残るソースのしみ込んだカツ。下茹でした肉は柔らかく、噛めば甘辛のソースと肉汁が口に広がる。
たかだか、パンとカツと侮るなかれ。
シンプルなものほど奥深い。
このソースの旨味は宇宙だ。
味噌とか入っているのかな? そういえば、最近はエルフ産の味噌も価格が安定して安くなった。魚醬や、醤油、砂糖もしかり。他にも様々な調味料が開発され供給されている。
そもそも、この国のある右大陸は気候が安定して、土地も肥えている。加えて、ダンジョンという無限に資源の取れる豊穣の地がある。
これで発展しない方がおかしい。むしろ、なんで最近まで繁栄しなかったのか? 俺のような凡冒険者が知らない理由があるのか?
「やらねぇぞ」
カツサンドを頬張りながら、蠢く塊の骨に言った。
骨の伸ばす手が、カツサンドに伸びている気がしたからだ。
カツサンドをよく噛んで飲み込む。
完食。
満足。
戦闘を再開する前に、再生点を確認。
10ある目盛の4が、現在の俺の再生点。最大値が5なので、消費的にはそこまでではない。これまでの経験的に考えて、目盛4あれば手足4本分。内臓破裂なら1回耐えられる。軽い骨折や、裂傷なら消費は目盛0.5くらい。
当たらないのが一番だが、そうもいかないのが俺だ。
剣を担ぎ、塊に狙いを定める。
慎重に攻撃しないと骨を自由にしてしまうため、じっくりと頭蓋骨を狙う。そこを破壊すれば骨は止まる。
狙いすまし、また剣を振り下ろし始めた。
些細な反撃はあったものの順調に敵を倒してゆく。中で休憩を入れ、体感一時間ほどで全ての骨を破壊した。
三ヶ月ぶりだが上手く行った。
よし、これで攻略完了。
となるなら、俺はここで10年も留まっていない。
自然と呼吸の間隔が早くなる。
光が弾けて、玉座に王冠が現れた。
それを頭に乗せたのは、巨人の骸骨。全長5メートル、担いだ巨剣は折れていても4メートル近い。錆び付き、刃こぼれ、剣としての機能は失せているが、当たれば即死間違いなしの武器。
骨の巨人は咆哮を上げた。
これに逃げずに立ち向かえるまで二年かかった。
だが、その程度。
立ち向かえるようになっただけ。
勇気だけで敵が死ぬなら、皆勇気を持つ。勇気を持っても死ぬから人は臆病になる。
歯を噛み締めた。
やってやる。
今日こそはやる。
こいつの首を刎ねて王冠を潰す。
進んでやる。
俺は、剣を担いだ。
今更、10年目でやっと気付いた。これ、巨人と同じ構えだ。トラウマと同じ構えしていたとは、しかもそれに気が付かなかったとは、やっぱ俺はどっか壊れている。
でも、今日壊れるのは巨人の方だ。
一点狙い。
振り下ろされた巨剣を足場にして、巨人の首まで近付く。そして、全身全霊の一撃をお見舞いする。
だから振り下ろしを誘い――――――
「はぁ?」
――――――状況が理解できず声を上げてしまった。
巨人は土下座のように伏せた。
「しまっ」
理解するまでの一瞬で、巨剣は目の前まで迫ってきた。
巨人の見たことのない行動、伏せてからの剣の横薙ぎ。
俺程度の凡冒険者が、反応できるはずもなく。弾き飛ばされる。骨や肉、内臓の潰れる音を聞きながら俺は壁に叩き付けられた。
後は闇。
完璧な闇に落ちてゆく。
ああ、うん。
死んだな、これ。
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