オールドキングと顔のない冒険者

麻美ヒナギ

オールドキングと顔のない冒険者

<序章>

<序章>


 これは、どうしようもない俺の私小説だ。


 ここに“落ちて”から10年が過ぎた。

 ここは冒険者の街だ。

 俺を拾ったのも冒険者であり、育てたのも冒険者。愛したのも、憎んだのも冒険者。知ってる奴らは大体が冒険者。そんな環境なもんで、当然、俺も冒険者として生きた。生きるはめになった。

 この街、【レムリア】の中心には、白く巨大な建造物が突き刺さっている。

 名を、【々の尖塔】。

 世界最古のダンジョンであり、数百年以上の探索の歴史をもっても尚、いまだ取り尽くせぬ秘宝を蓄えた人類の宝物庫。

 たった一つ、たった一晩、ほんの小さな勇気と決断、あるいは蛮勇。それに幸運が合わされば、冒険者は歴史に名を残せる。

 他のダンジョンを俺は知らないが、ここは間違いなく冒険者のメッカだ。

 で、俺は冒険者として生きた。

 なんと10年生きた。

 10年なんとか生き延びた。

 人間、10年もあれば酸いも甘いも知るものだ。いや、甘い方はあんまり知らない。大体、酸い方ばかり味わっている。

 その昔、元いた世界であるおっさんが『どんな職業も七年やればプロになれる』と無責任な言葉を吐いていたけど、そりゃ少しでも才能のある人間のみと痛感した。

 環境で変われる人間は、環境で才能が隠れていたのだ。凡人はどこにいっても、どこまでいっても凡人のまま。

 何を言いたいのかというと、パッとしない冒険者なのだ、俺は。

 それはもう、びっくりされるほどパッとしない。

 俺を追い抜いていく後輩も、最初は笑うが段々嘲笑が憐れみに変わる。最終的には、俺を見ないようになり忘れる。

 先達は、大体引退した。

 冒険者は短命な仕事、入れ替わりも激しい。太く短い職業なのである。俺のように細く………めっちゃ細く長く生きているだけなのは、稀の稀。

 だが、繰り返すが、パッとしない冒険者なのだ。


「いやっハハハハッッ! ほんと、先輩だけっスよ。先輩みたいなのって」

「だから前にも言っただろ」

「謙遜か冗談って思うでしょ。フツー」

 まだ午前中だというのに、酒場には音楽と活気が満ち溢れていた。

 俺の隣でケラケラと笑う後輩は、ウサギの獣人だ。

 赤く丸い大きな瞳、ボリュームのあるオレンジの長髪、幼さが残る顔立ち。

 獣人の女性らしく薄着で、胸を隠す程度の短い前掛けと、下着がチラチラ見えている着古したホットパンツ。足のブーツだけは新品で、冒険の収入で一番に買ったものらしい。

 防具は、心臓を守る胸当てと鉄製の首輪。最低限、急所を守るためのだけの代物。得物は、腰に下げた大きな矢筒に入れた細槍。こいつはこれを、相手が動かなくなるまで、しこたま投げ付ける。獣人らしい異常な膂力で放たれる細槍は、大口径の弾丸並の威力だと思う。

 あと、冒険者的に槍は怖い。

 切り傷、裂傷は怖くないが、貫通して体に残る傷は本当に怖い。

 俺と後輩が首に下げてるペンダント、全ての冒険者が所持している支給品。赤と青の液体が入った試験管の刺さっている容器。これは、古代の魔法使いが生み出した【再生点】というやつで、ようはこれRPGのHPとMPみたいなもんだ。

 魔法と関係のある青い液体は俺に関係ないけど、赤い方は超重要。

 これがある間は、手足が切断されたり、骨が折れたり、臓物が飛び出ようとも、“なかった”ことにできる。

 だが、万能ではない。

 首を落とされたら即死だ。心臓の傷は再生点を即ゼロにする。体内の異物は取り除けない。だから、槍が怖い。矢も怖い。毒も怖い。怖いものだらけ。

 女性冒険者が自然と長物を選ぶのは、たぶんこの辺りが原因なのだろう。悲しいかな、男の方が情欲で獣になる時が多い。

 ちなみに、男の前衛かつ冒険者は、剣信仰が強い。信仰の理由はわからないが、たぶん剣で名を成した男が多いだけなのだろう。もしくは、ただ単に格好いいだけか。

 男なんてそんなもんだ。

「でもまあ、10年っスよね? 10年」

「なんだよ?」

「到達階層はさておき。10年冒険者やれるってのは、スゴいことなんじゃ~ないっスかねぇ」

 後輩は、4本目のラム酒を空けた。

 俺の奢りとはいえ、こんな安酒を水のように飲めば明日は大変だぞ。

「俺は臆病だからな。ヤバイと思ったら、すぐ逃げてるだけだぞ」

「にしても、逃げ足って冒険者には大事なもんなんでしょー?」

「誰が言ったんだ?」

「先輩っスよ。忘れたんですか?」

「言ったような気も………」

 新人相手に言う教訓は、俺の言葉ではなく俺に冒険のイロハを教えた人間たちの言葉だ。それを機械的に口にしているだけなので、記憶に残りにくい。

「で! で!?」

「どうした急に」

 後輩は、椅子を動かし詰め寄ってきた。

 肩が当たる。

 五年若かったら勘違いする詰め寄り方だ。

「なんでパーティ組まないんスか? 先輩がダンジョン進めてない理由ってメーハクでしょ。お独り様だからでしょ?」

「なんでだろうなぁ」

「誤魔化さないで教えてくださいよー」

「俺みたいな凡冒険者と、誰が組みたがるよ?」

「選り好みしなきゃ組めますよ。将来有望な新人かつ、勘違いしてる奴とかとか?」

「うーん、どうだろうなぁ」

 本音は誰とも組みたくない。

 一人が良い。

 それだけ。

「どうもこうも、パーティ組みたくなるような将来有望な新人はいないっスか!?」

「将来有望はいるよ。お前とか」

「………………グヘヘヘヘ」

 可愛い顔して、滅茶苦茶嬉しそうに笑いやがる。

「組むかどうかは別だけどな」

「なんでなんスか!」

「なんでもだよ」

 後輩は俺の首を絞めてきた。

 酒を飲ませて、ウザ絡みを回避する。

 俺は一人が良いのだ。

 一人でやりたいのだ。

 10年一人でやったのだから、ここは絶対変わらない。組みたいと言う奴がどんだけ優秀で可愛くても、いや優秀だからこそ情けない俺の実態を知ったら失望するだろう。パッとしない俺でも、プライドはある。期待されてガッカリされると、ただでさえ小さい心が削れてしまう。

 後輩は、飲んで騒いで急に静かになった。

 ラム酒の空き瓶は20を超えた。大酒飲みのようだが、酒精は飼っていないようだ。完全につぶれて眠ってしまった。

 酒代を払い、後輩をおぶって店を出た。

 路地裏の狭い空から眩しい太陽が見える。やかましい酒場の飲んだくれと音楽から解放されたせいで、外がやけに静かに感じた。

 こんな場所でも良い風が吹いた。

 今日もこの国、レムリアにとって良い日になるだろう。俺はどうだかわからないが、他の冒険者、商売人、為政者には良い日だろう。知らんけど。

 転がる空き瓶を蹴飛ばして進む。

 目的地は馬小屋だ。

 といっても、本当に馬がいる馬小屋ではない。宿代のない冒険者が寝泊まりする小屋である。一応、藁や水桶やらが用意され馬も泊まれるようにできているが、寝泊まりするのは人間だけだ。

 国の援助で宿が用意する馬小屋だが、もっと快適にしろという意見は多い。だが、無料の宿泊施設を下手に快適に作ると、そこに居座る貧乏人が出てくるものだ。

 馬小屋がイヤなら、冒険者として成長しろってこと。

 ちなみに俺は、馬小屋生活は三年前に卒業している。寝床の悪さで腰を痛め、再生点が激減したので、色々切り詰めて使われていない倉庫を借りた。

 馬小屋とネズミ小屋、どっちが良い環境なのかは人の感性によるだろう。

「しかしまあ」

 マントと革鎧越しでも、背中に小ぶりな二つの感触が伝わって来る。

 冷静に考えてみれば………こいつ大丈夫か? 

 警戒心なさすぎだぞ? 

 冒険者はダンジョンの中だけで気を張ればいいってもんじゃない。女なら男の倍は気を付けないと。こんな才能のある人間が、くだらない男に引っかかってつまずくのは見たくない。

 悶々と考えて、説教しようかとも思ったが、無能の説教ほど恥ずかしいことはない。

 でも言うべきことは言うべきかと考えていたら、酒場から一番近い馬小屋に到着。

 外したら他二つに行くつもりだったが、

「え? え?」

 俺と、後輩を指差して驚いているヒーム(俺のような人間種)がいた。見覚えがある。後輩のパーティメンバーだ。

 女性で十代後半くらい。鎖帷子の鎧に、紋章の潰された前掛け。背には身の丈ほどの大盾。腰にはメイスをぶら下げている。

「飲み潰れた。ので運んできた」

「あ、はい。すいません」

 後輩を女性に渡してそそくさと去る。横目で、もう一人女性が奥から出てきたのを見た。彼女も後輩のパーティメンバーだ。

「今の人、誰?」

「誰だっけ? どっかで会ったような」

 という声が聞こえた。

 一応、君らの研修を担当したもんだけど。俺なんてそんなもんだ。

 なんとも言いようのない虚しい気持ちで歩き、辻道で止まる。

 右を行けば、我が家。

 左を行けば、ダンジョン。

 半ば機械的にダンジョンに向かう。街のどこからでも、天まで伸びる白く巨大な尖塔が見えた。今更見ても何も感情は動かない。

 何千回と通った道だ。路地の隅まで体が覚えている。何も考えなくても、ダンジョンまで到着できるだろう。

 あれ………さっき何故、足を止めた?

 心のどこかで、ダンジョンに行きたくないのか? 

 他にやることも、やれることもないのに。才能のない凡人が、怠け出したら終わりだというのに。

 言い忘れたが、この世界ゲームのようなレベルはない。

 戦ったら戦っただけ、人は擦れて削れる。削れた分、厚く強くなれるのは若い時だけ。俺の成長期は随分昔に終わっている。それに、魔法や奇跡は、神に愛された者しか得られない。

 凡人は、少ない手札でコソコソやるしかないのだ。

 まあ、10年も続ければ嘆くことも飽く。今では絶望は隣人だ。

 視界が真っ白に染まる。

 ダンジョンの目の前に到着。この白さだけは慣れない。数多の冒険者の血で、少しくらいは赤くなってもいいだろうに、ただただ無辜のように白い。ダンジョンが、人間じゃどうしようもない存在に思えて腹が立つ。

 無意味に苛立ち、いつも通りぶち抜かれた一角から中に入った。

 開けたエントランスは、ダンジョンの1階層に設定されている。ここにあるのは、冒険者組合の受付と、割高な酒場、降るための大階段。そして、ずらっと並んだポータル。

 さっさとポータルを潜ってダンジョンに挑戦したいが、先ずは受付。申請しないで無断でダンジョンに潜ったら捕縛される。最悪、しばらくダンジョン出禁だ。死活問題だ。

 真っ直ぐ受付に向かい、自分の担当を呼んだ。

 ………………が、また来ない。また臨時で別の人が来た。今回は半年持たなかった。気にせず申請を済ませて、ポータルの前に。

 光の渦の前で手をかざすと、『5』と数字が一つ表示される。不思議なことに、この世界でも数字は同じ表記だ。

 ダンジョンには5階層毎にポータルがあるそうで、そこを起点にして冒険者は階層を踏破して行く………らしい。

 恥ずかしながら10階層まで行ったことのない俺には、小耳に挟んだ不確かな情報に過ぎない。冒険者とは秘密主義者なのだ。仲間以外に、ペラペラとダンジョンの情報を漏らす者はいない。

 さて、ポータルを潜る。

 眩い光の後、かび臭いジメっとした空気と闇が広がる。

 腰にぶら下げたカンテラを振る。中に入った翔光石は刺激を与えると光を発する。ぼんやりとした光が、幅4メートルほどの通路を照らした。

 湿った石畳の床、隙間なく詰められた石壁、同じく石の天井。実にダンジョンらしいダンジョンの光景。

 進む前に、装備と持ち物のチェック。

 革鎧の状態は最悪。縫い糸のほつれと革の摩耗、とっくに寿命が来た物を騙し騙し使っている。あと一撃でも攻撃を受けたらボロ革と化すだろう。マントで隠してなければ笑いものになる状態だ。

 そのマントは問題なし。

 昔、蚤の市で購入した由来不明の代物。たぶん盗品。くすんだ赤色で俺には少し大きいサイズ。しかし、この大きさは色々隠せて丁度いい。俺のパッとしない存在とか、見られたら舐められるような使い古しの武器防具とか。

 左腕に固定した丸盾は、まあまあだ。

 手入れは欠かしていないが、素人の手入れ。本職が見たら我慢ならん状態かもしれない。俺より頑丈なら問題ないと割り切っている。

 剣を抜く。

 剣だけは、鈍く切れ味を保っていた。

 全長1メートル。切って良し、突いて良しのロングソード。最も頼りになる冒険の友。

 短めの十字鍔に、片手でも両手でも扱えるグリップの長さ。何度も研いだせいで、元の刃より二割ほど痩せている。

 だが、重い。

 何度振っても重いまま、軽いと感じたことは一度もない。ただ慣れた重さだ。この重さがなければ、俺には何も斬れないだろう。

 背負ったズタ袋を開ける。

 二日分の水食糧。

 書き込んで汚れたマップ。

 表面の擦り減ったコンパス。

 布で包んだ予備の翔光石。

 身分証のスクロール。

 財布の袋。全財産は、銀貨2枚と銅貨5枚。後輩に奢ったのと、今月の借家代を支払ったので、大分寂しい中身。

 最後に、靴を確認。

 履き慣れたブーツ。俺の足の形になった靴。いや、俺の足が靴になったのか? 靴底の軟素材に異物がないか確認。ダンジョンのモンスターは、目より聴覚で探知してくる。俺みたいな“お独り様”は、小さな物音一つが命取りなのだ。

 小さな鉄くずと小石を取り除き、チェック終了。

 で、どうするか?

 どうしようか?

 二つだ。

 一つは、倒せるモンスターを倒して日銭稼ぎ。もう一つは、本来の冒険者らしく階層の踏破に挑戦。――――――の二つが、俺のできる冒険。

 ま、いつも通り日銭稼ぎだな。

 薄暗い通路を進む。

 人間は俺一人。暗く湿って、まともな生物などいやしない場所。

 非常に落ち着く。

 自分の居場所って感じ、今まさに冒険者してるって感じ。街中より百億兆倍ここは居心地が良い。住みたい。三日ももたず死ぬだろうけど。

 サクッと体が覚えた最短ルートで6階層に到着。獲物を探しながら、慣れに慣れた歩みでそのまま7階層に。

 そこで、第一獲物を発見。チョチョと呼ばれているモンスターだ。

 その姿は、羽根の生えた人の生首。その実は、羽根の生えた卵型のモンスター。慣れない人間には、卵の人面瘡が本物に見えるのだ。

 ちなみに、卵の代用品として名高い。煮て良し、焼いて良し、揚げても良し、羽根や表皮も炙って塩かければ食える。チョチョに捨てるとこなし。

 中身を漏らさず、割らずに捕獲できれば、よく行く飯屋で一食無料にしてもらえる。養殖もされているチョチョだが、ダンジョン産の方が味が濃厚なのだ。

 剣を鞘ごと抜く。

 チョチョ捕獲のコツは、割らないギリギリの力加減で殴り倒すこと。俺の少ない得意技である。

 いやまあ、全力でぶん殴ってもチョチョを割れないだけなんだが、悲しいので得意技ってことにしておく。

 身を低く。呑気に飛ぶチョチョを、付かず離れずの距離で追跡した。

 天井にぶら下がった時が攻撃チャンスだ。そのチャンスを焦らずゆっくりと待つ。気配を殺すのだけは、本当に得意なのだ。

 5分経過。

 いいや、10分か。

 もしかしたら小一時間ほど、待ちに待ってチャンスが来た。

 剣を肩に背――――――止める。

 チョチョが闇に消えた。

 同時、厚い殻が割れる音、『ぐっちゃぐっちゃ』と肉を咀嚼する音が響く。

 チョチョを食ったのは、巨大な豚だ。通路の七割を埋める巨体。短いながらも力強い足。血走った捕食者の目。

 ダンジョン豚。

 レムリア豚とも言われる、この国の名産品。こいつが太るための主食が何なのかは聞かないでくれ。意識すると豚肉が食えなくなる。

 このモンスターは、食物連鎖の頂点だ。

 中堅の冒険者のフルパーティでも戦って勝てる相手じゃない。

 その皮膚は、並の武器や魔法でも傷一つ付かない。その骨は、建材の支柱や、攻城兵器に使われるほど頑丈。その歯は、フルプレートの騎士鎧すら噛み砕く。その肉は、とても美味しい。ほんと美味しい。名産になるのも納得の美味さ。

 静かに、静かに。

 俺は、後ずさりしてダンジョン豚の進路から外れる。

 ダンジョン豚は、脅威中の脅威である。だが、動きが直線的かつ強者故の鈍さが弱点だ。

 大事なのは角。

 常に角を意識して逃げる。

 この階層のチョチョは諦めて次へ。

 8階層に到着した。

 8階層だ。

 次は9階層。

 先に言ったように、5階層毎には中間地点のポータルがある。ただ、その一つ前の階層。そこには、番人がいるのだ。

 いわゆる、ボスだ。

 大物のモンスターだ。

 俺が10年進めない原因だ。

 違うな。

 進めない原因が俺自身にある。

 進むだけなら、誰かが番人を倒すのを待てばいい。番人は倒された後、三日から五日程度で復活する。その間は通り放題だ。

 倒し急ぐのなら、名声が欲しいのなら、同じ目標の冒険者パーティで組めばいい。

 そのどれもしないで、一人で挑戦しているのは、俺が馬鹿だからだ。そりゃ担当も呆れて何度も変わる。

 どうしても、俺はあの番人を一人で倒したい。

 倒さないと何も始まらない。

 俺の冒険は、まだ何も始まっていない。

 一人でやるにしても、もっと賢いやり方があるのだろうが、それができるなら10年も無駄にしていない。

 また、辻道だ。

 右は、9階層に続く階段。

 他は、日銭稼ぎの道。

 なんでか、ダンジョンの静寂の中で後輩の笑い声が聞こえた。死んだはずの感情が沸く。こうなると、もう自然と体が動いた。

 降りた。

 9階層に、降りた。

 ガラッと景色が変わる。

 巨大な柱が並ぶ宮殿。奥には巨人の玉座。待ち構えているのは、大量の死者。骨になってもまだ動く死者たち。

 緑に光る眼が一斉に俺を見る。総数は30くらいか? 運良く数が少ない日だ。

 屑鉄のような武具を手に、骨は一斉に俺に襲い掛かって来た。

「焦るな、焦るな」

 冷や汗をかきながら自分に言い聞かせる。

 こいつら攻略方法はある。大事なのは一歩進む勇気。枯れた精神を絞り出し、進む勇気。

 一歩進んだ。

 ならば次は、走り出す。

 骨に向かって、空間の中央まで、骨に接触しそうになる寸前で――――――俺は踵を返して骨たちに背を向けた。

 骨の集団とランニング開始。

 他人が見たらシュールで笑える光景だろうが、やってる俺は必死だ。こけたら骨の集団に惨殺されるのだから。

 走る。

 走る。

 速すぎず遅すぎず、骨と一緒に広間を円状にランニング。

 骨の状態にも個体差があるため、足の状態が悪いものから遅れ出す。まともな個体は俺の背後に迫る。だが、ギリギリ攻撃されない距離を保つ。

 やがて、骨の集団は大体一列になった。

 まるで、子供の列車ごっこのよう。

 骨に回り込むという知能はない。あるのは、生者を襲うという単純なルーティン。故に、こういう動きになる。

 ここまでは良し。

 次だ。

 ミスるな。

 震える唇を噛み締め、振り返る。

 抜き放った剣を担ぎ、間近に迫った先頭の骨を両断した。先頭が崩れたせいで、後続が巻き込まれる。

 剥き出しの骨と骨がぶつかり、押し合い、噛み合い、骨の集団は“絡まった”。

 全て一塊、とまで上手くはいかないが、20体近くは団子状で行動不能に。五体満足なのは8体だけ、他はどこか欠けていたり、まともな状態でないため歩みは遅い。

 下がりながら剣を担ぐ。

 一体ずつ。一体ずつだ。冷静に慎重に。

 迫ってきた錆びた剣を、左手の丸盾で防いだ。

「ふっ」

 呼吸を止めて、剣を振り下ろす。

 また骨を両断できた。

 また剣を担ぐ。

 また盾で受け、剣を振り下ろす。

 両断。

 受け、振り下ろす。

 受け、振り下ろす。

 受け、振り下ろし。

 これを繰り返す。

 剣技なんて上等なもんじゃない。技の域でもない所作。まともな剣士が見たら笑うだろう。こんなもんが、俺のできる最大の攻撃だ。

 受け――――――攻撃が来ない。

 まともな状態の骨は全部倒した。残りは一塊の骨。

 ちょっと休憩。

 緊張と疲労で、心臓が爆発しそう。

 剣を床の隙間に突き刺し、ズタ袋を開ける。

 飯だ。

 唯一の楽しみといっていい飯。

 取り出したのは円柱の弁当箱。今日も【冒険の暇亭】の弁当である。俺が10年戦えたのは、この店の飯があったからだ。

 異邦人の娘が作る飯はどれも絶品で、どこかで知ったメニューでありながら、元の世界のよりも美味い。

 知る人ぞ知る、というか地元の人間が守りに入り隠すほど美味い。他所の国の人間に知られたら、彼女が攫われるんじゃないのかと心配する者がいるほど。

 彼女の飯で育ち、助けられ、名声を得た冒険者は本当に多い。

 そんな彼女を【冒険者の母】と呼ぶ者もいる。

 俺は流石に、小さい頃から知っている子を母と呼ぶのには抵抗がある。まだ16歳だし。大人びた美人さんなのは確かだが、母て。

 して、本日の一食目はカツサンドだった。当然、ぶ厚いカツである。

 水を一口飲んで実食。

 フワフワのパンに、まだサクっとした触感の残るソースのしみ込んだカツ。下茹でした肉は柔らかく、噛めば甘辛のソースと肉汁が口に広がる。

 たかだか、パンとカツと侮るなかれ。

 シンプルなものほど奥深い。

 このソースの旨味は宇宙だ。

 味噌とか入っているのかな? そういえば、最近はエルフ産の味噌も価格が安定して安くなった。魚醬や、醤油、砂糖もしかり。他にも様々な調味料が開発され供給されている。

 そもそも、この国のある右大陸は気候が安定して、土地も肥えている。加えて、ダンジョンという無限に資源の取れる豊穣の地がある。

 これで発展しない方がおかしい。むしろ、なんで最近まで繁栄しなかったのか? 俺のような凡冒険者が知らない理由があるのか?

「やらねぇぞ」

 カツサンドを頬張りながら、蠢く塊の骨に言った。

 骨の伸ばす手が、カツサンドに伸びている気がしたからだ。

 カツサンドをよく噛んで飲み込む。

 完食。

 満足。

 戦闘を再開する前に、再生点を確認。

 10ある目盛の4が、現在の俺の再生点。最大値が5なので、消費的にはそこまでではない。これまでの経験的に考えて、目盛4あれば手足4本分。内臓破裂なら1回耐えられる。軽い骨折や、裂傷なら消費は目盛0.5くらい。

 当たらないのが一番だが、そうもいかないのが俺だ。

 剣を担ぎ、塊に狙いを定める。

 慎重に攻撃しないと骨を自由にしてしまうため、じっくりと頭蓋骨を狙う。そこを破壊すれば骨は止まる。

 狙いすまし、また剣を振り下ろし始めた。

 些細な反撃はあったものの順調に敵を倒してゆく。中で休憩を入れ、体感一時間ほどで全ての骨を破壊した。

 三ヶ月ぶりだが上手く行った。

 よし、これで攻略完了。

 となるなら、俺はここで10年も留まっていない。

 自然と呼吸の間隔が早くなる。

 光が弾けて、玉座に王冠が現れた。

 それを頭に乗せたのは、巨人の骸骨。全長5メートル、担いだ巨剣は折れていても4メートル近い。錆び付き、刃こぼれ、剣としての機能は失せているが、当たれば即死間違いなしの武器。

 骨の巨人は咆哮を上げた。

 これに逃げずに立ち向かえるまで二年かかった。

 だが、その程度。

 立ち向かえるようになっただけ。

 勇気だけで敵が死ぬなら、皆勇気を持つ。勇気を持っても死ぬから人は臆病になる。

 歯を噛み締めた。

 やってやる。

 今日こそはやる。

 こいつの首を刎ねて王冠を潰す。

 進んでやる。

 俺は、剣を担いだ。

 今更、10年目でやっと気付いた。これ、巨人と同じ構えだ。トラウマと同じ構えしていたとは、しかもそれに気が付かなかったとは、やっぱ俺はどっか壊れている。

 でも、今日壊れるのは巨人の方だ。

 一点狙い。

 振り下ろされた巨剣を足場にして、巨人の首まで近付く。そして、全身全霊の一撃をお見舞いする。

 だから振り下ろしを誘い――――――


「はぁ?」


 ――――――状況が理解できず声を上げてしまった。

 巨人は土下座のように伏せた。

「しまっ」

 理解するまでの一瞬で、巨剣は目の前まで迫ってきた。

 巨人の見たことのない行動、伏せてからの剣の横薙ぎ。

 俺程度の凡冒険者が、反応できるはずもなく。弾き飛ばされる。骨や肉、内臓の潰れる音を聞きながら俺は壁に叩き付けられた。

 後は闇。

 完璧な闇に落ちてゆく。

 ああ、うん。

 死んだな、これ。

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