おれは夢を見ない

しゃぶしゃぶ食べ放題について

　しゃぶしゃぶ食べ放題の店に座っていた。

　一万円もあればもっといいものを食べに行くことだってできたはずなのに、身体が勝手にしゃぶしゃぶ食べ放題の店に吸い寄せられた。としか言いようがないくらい、気がつけば一名様ご来店ですという声をかけられていた。昼時も過ぎた頃で店が空いていたからか、そのまま広々とした四人がけの席に通される。

　しゃぶしゃぶ食べ放題の店にメニュー表はなく、あるのはどのような肉を頼むことができるのか、食べ放題のグレードを選ぶコースの説明だけだ。おれは側を通った店員に声をかける。

「スイマセン、この和牛が食べれるコースにアルコール飲み放題を付けてください」

「ご注文はそちらのパネルを使ってお申し付けください」

　ウキウキで頼んだおれに、ぴしゃりと叩きつけるような冷淡さで応える店員。だが許そう。なにせおれは一万円札を持っているのだ。

　太極図のような形に仕切られた鍋に、二種類のスープを入れてくれるのがオーソドックスなしゃぶしゃぶ食べ放題の店のやり方だ。おれは基本の白だし味と、無難なキムチ鍋味を選ぶ。百円追加する事で薬膳スープ味、豆乳鍋、ホタテ味なども選べたようだが、興味がなかった。おれは一万円札を持っているが、無駄な高級嗜好を好む男ではない。食べ放題の店とは逆説的に己の欲望を試される場でもある。必要なものを必要なだけ食べること、それが重要なのだ。

　まずは野菜のコーナーに向かう。必要なのは大量のキノコとネギだ。おれは肉を食いにきたのだから、腹にたまるような芋などを追加するのは言語道断、葉物も出来るだけ減らしたい。正体を失うほど細く千切りされたネギとしめじを山ほど盛って、そのまま全てキムチ鍋味の方にぶち込む。肉を入れる隙間がないくらいみっしりと野菜で埋まった鍋を見て、おれは小さく頷いた。

「おっと、米と酒だな」

　肉を食いにきたから他のものは最低限に、とはいうものの白米は別だ。白米が肉汁を吸ったものは、肉単体よりも美味い。肉を詰め込むために白米を避ける派閥もあるようだが、おれからすれば本末転倒である。別におれたちはしゃぶしゃぶ食べ放題の店を滅ぼすために来店しているのではないのだから、元を取るために肉だけを詰め込む必要はない。最も美味い体験を得るために、おれは白米も食べなければならない。ちょうど炊き立ての炊飯器が運ばれてきたところに出くわしたため、山盛りに白米を盛ってみる。漫画のような美しい白い山。困っちゃうね。

　ビールをジョッキに注ぎ、ウキウキ気分でテーブルに戻ると、なぜか別の人間が座っていた。三人。そのうちの一人が、目敏くおれを見つけて手を振ってくる。

「やっぱり。凄腕の催眠術師ってヨウくんだったんだ。おーい」

「なーんでお前がここに座ってるんだ、白雲（しらくも）」

「ぼくも遊鞠（ゆうまり）さんに呼ばれてさ」

「どうもどうも。せっかくなので他のメンバーにも顔合わせをしておこうと思いまして」

　深夜のテレビ番組で何度か一緒に共演したことのある白雲召（しらくもしょう）という男は、手品師だった。甘い容姿と人柄の良さから画面映えはするものの、バカだったため大ウケするというほどではなく、手品も何かを消したり出したりするだけでいまいちパッとしない枠としてそれなりに交流のある男だった。

　その横に座っているのは、なるほど先程俺の部屋で消失トリックをキメてくれやがった、自称政府職員の遊鞠双兵（ゆうまりそうへい）という男。目の前で溶けるように消えておいて、何事もなかったかのような遊鞠の物言いに言葉を失っていると、白雲が呑気な笑顔を浮かべながらヘラヘラと喋る。

「顔合わせだっていうけど、凄腕の催眠術師なんていうからさ。絶対ヨウくんだと思ったんだよね〜」

「ええ、情報よりも素晴らしい使い手でしたね、黒輪揺介さん。やはりあなたに依頼したことは間違いではなかった」

　談笑する二人の前に、おれはようやく腰掛ける。既におれの席の隣に座っていた、前髪をぱっつん切り揃えたおかっぱ髪の小柄な女が、射殺すような視線で睨んできたが、気にしている余裕がない。

　気づかれてるのか？おれが一万円札を抜いてきたことを？ いや、それ以前に……怒ってない？ 消しちゃったわけだし。混乱の中出てきた言葉は我ながら間抜けなものだったが、

「……あんた、死んだんじゃなかったんですか」

「おや、殺す気だったんですか？」

「まさか」

　思わず声が裏返る。ごまかすためにビールを飲む。味なんかわかったもんじゃないが、喉越しはいい。グッと飲んで頭が冷える。

「眠らせようとしたら消えちまったから、死んだのかと思っただけですよ」

「いやあ、驚きました。分身に向けた催眠術で、まさか本体の私が眠ってしまうとは」

　参りました、などと言いながら頭を掻く男―――遊鞠。

　分身……分身って言ったか？ 今？ 政府の職員が、分身？

「今分身って言った？ 忍者？」

「ヨウくんの催眠術はマジっすからね〜。耐えようと思っても耐えらんないですよ」

「ですが、これで能力の強制解除が行われることも実証されました。言葉遊びの延長でしたが、当たりでしたね」

　何故か自分のことのように自慢げに語る白雲に、遊鞠がよくわからない相槌を打つ。と、おれの隣に座っていた女が聞こえよがしに呟いた。

「へえ……そんなすごいんですか。冴えない顔のくせに」

「……この失礼なお子さんはあんたの娘？」

「レディに向かって失礼ですね！ 私は水卜誓（みずうらちかい）。代々国に仕えてその行く末を占う占術師の127代目です」

　鼻息荒く胸を張ってみせる水卜とやらは、どうみても中学生くらいの子供にしか見えなかった。

　そんな占術師に白雲が噛み付く。

「ヨウくんはすげーんだぞ！ バカにすんな！ 占い師！」

「占い師じゃなくて占術師です！ あんな当たらぬも八卦とか言ってるような輩と一緒にしないでください！ というか遊鞠さん、こっちのチワワみたいな男性は何者なんですか」

「誰がチワワだ！」

「彼は白雲召。空前絶後の手品師です」

「フン。聞いた事ないですね」

「なんだとお！」

　怒るのが下手すぎて吠え猛る小犬のように威嚇する白雲と、ツンとすました様子の占術師水卜。なんだとお、って。ちょっと間抜けすぎるが、この抜けたところが白雲のいいところだからそのままでいてほしいとも思う。牽制し合う二人を、安っぽい笑顔の遊鞠がやる気なく宥めようとしている。

「すいません、彼女はなにぶん世間知らずなもので」

「俗世の事に興味がないだけですよ。占術師は知らなくていい事まで知る必要はないので。売れない手品師のこととかですね」

「まあまあ、まあまあまあまあ」

　おれはそれを眺めながらビールをちびちびと啜っていた。そこに、無愛想な店員が肉の乗った皿を持ってやってきた。プラスチックでできた正方形のお重のような皿に、和牛の薄切りが乗っている。水卜と名乗った女は、机に置かれた皿に素早く手を伸ばし、箸で肉をつまみ上げると、大きくため息を吐いた。

「だいたい、しゃぶしゃぶって言っても安いチェーン店じゃないですか。見てくださいこの肉。これ、成形肉ですよ」

「なんだと」

　おれは思わずビールのジョッキを置く。

　そんなバカな。

「この和牛は、偽り……？」

「この人たちに合わせたのかもしれないですけど、会合ならいつものようにそれらしい料亭とかでやればいいのに」

　聞き捨てならないことを抜かしながら、箸を野菜でひたひたにしたキムチ味のスープに突っ込もうとした女の手を、おれは思わず掴んで止める。

「おい待て、そっち側に肉を入れるんじゃない」

「ちょっと、何するんですか」

「どうやら占術師サマはしゃぶしゃぶ食べ放題の食い方を知らんらしい」

「何なんですか、別にどうやって食べてもいいでしょう。こんなもの」

　呆れた口調の水卜を無視して、おれは菜箸でキムチ味のスープに浸った野菜を手繰り寄せ、かき集めて鍋の中に土手を形成する。そうして、肉をつまみ、スープだけが入った白だし味の方に肉をくぐらせる。色が変わるか変わらないかの瀬戸際を見極め、土手の上に肉を横たえる。

「これが正しいやり方だ。白だし味のスープは下茹で専用レーンとして用いる。こうすることで、野菜が余分な灰汁を吸わなくて済むようになる」

　そして、白だしスープに浮かぶ灰汁を、備え付けられた灰汁取り網で掬う。

「灰汁の正体は、肉に付いた余分な脂や血液などだ。粗悪なそれを野菜に付着させ、食べ続ければあっという間に胸焼けを起こす。味も悪くなるし、スープも濁る。それでは、十分にしゃぶしゃぶ食べ放題を堪能したとは言い難い。だからこそ、灰汁落としをするためのレーンが必要なんだ」

「本当にうるさいですね……」

「最も重要な作業はこの灰汁取りだ。灰汁を取り続けることで、ウマい肉を大量に食べることができる。胃もたれすることなく」

「……こんなチェーンの食べ放題の、しょーうもないしゃぶしゃぶなんかに、なんでそんな本気の食べ方を編み出してるんですか」

「いや、結構、実に結構。含蓄あるお言葉だ」

　おれに言われた通り、肉をしゃぶしゃぶして口に運んだ遊鞠は、嘘くさい笑みを満面にたたえてそう言った。胡散臭い男の胡散臭いセリフと気のない拍手に、おれはムッとする。しかし、隣の水卜は何やら慌て出す。

「遊鞠さん、本気？ なんで……本気で褒めてるの？ この食べ放題攻略男を？」

「誓さん。彼は例え話をしているのですよ。調理次第でどんな肉でもそのポテンシャルを最大限に引き出すことができる。このように調理方法がごく限られた場所であっても―――つまり、能力はその在り方ではなく運用こそが重要である、ということです」

　いや、そんな事を言うつもりがあったわけじゃないんだが。

　胡散臭いとしかおれには思えない遊鞠の言葉を聞くや否や、水卜は借りてきた猫のように神妙に肉を白だしスープに泳がせ、キムチ鍋から土手の野菜を剥がして口に運ぶと、俯いた。

「……認めましょう。確かに、先ほどとはまるで違う」

　うーん。なんつーか……この娘、チョロすぎないか？

　生温い視線で見つめているのがわかったのか、眉をしかめて水卜が言い訳を始める。

「私は天才ですが、実戦経験が薄い事だけは欠点だと認めています。それがあなたの言う能力者としての心構えだというなら、素直に認められないのは私の不徳です」

「急にしおらしいなあ、誓ちゃん」

「下の名前で呼ぶのやめてください。レディに対して失礼ですよ」

「なんだよお！ 遊鞠さんは下の名前で呼んでただろ！」

　白雲はそんなことを言いながら手元の肉を全て湯通しして土手の上にあげていた。

　おれはそれを一枚拝借して白米の上に載せる。

「ちょっと。この人、なんでこんなに距離が近いんですか」

「根っからのお人好しなんだ、白雲は。悪い奴じゃないから仲良くしてやってくれ」

「なんかそんな感じしますね」

「おれは悪い奴だから仲良くしなくてもいい」

「なんです、それ。もしかしてあなた、若い女の子が苦手なんですかあ？」

「おれは人間が苦手なんだよ」

　ちょっとその気になったら眠ってしまう相手と、どう接していいのかおれにはよくわからない。触れたら壊れる硝子細工に触りたくないのとおんなじで、自分を抑えるのが大変なのだ。というかまあちょうどさっき自分を抑えられなくて寝かしたばっかりだけど。

　ちら、と遊鞠を見るが、肉の取り合いで楽しそうにじゃれはじめた白雲と水卜のことを貼り付けたような笑みで眺めている。俺が気にしているのは家に置きっぱなしの一千万円のことと、今懐にある一万円札のことだ。さっきは欲に負けてころっと眠らせてしまったが、あの金はどうなるのだろうか。なんとかしておれのものにならないかな。そんなことを考えながら、ビールを一気にぐびりと飲み、肉を乗せた白米をかきこむ。

　うむ………うまい。

　まあ、なんだ。

　後で考えればいっか！