おれは夢を見ない
遠野 小路
催眠術師について
五円玉を糸で吊るして振ってみたことはあるか?
やったことがある人はわかると思うが、どう上手く振ろうとしても糸の先でぐるぐる回ってしまって見た目が間抜けなことになる。だから吊るすなら細い鎖のような、糸状だが捻れないものを使った方が見栄えがいい。なんなら、五円玉では小さすぎるのでもう少し大きい別のものを使う方がいい。おれはホームセンターに売っていたスポーツ用のなにか、ボールが転がっていかないようにする円形の台のようなものを貼り合わせて使っていたが、フリスビーでもシャンプーハットでも好きなものを使えばいいと思う。催眠術師に求められているのは紐付きの輪っかを目の前で振ることで、それっぽければ何でもいいのだ。
もっと言うなら、テレビ番組で催眠術師に求められるのは適度な胡散臭さと適度なそれっぽさだけで、催眠術の実力なんてものはどうだって構わない。おれが何もしなくても、リアクションの上手な芸人やアイドルたちが台本に沿って、首をがくりと落として眠ったり、椅子と椅子の間で身体を棒のように硬直させたり、嫌いな食べ物を美味しく食べてみせたりする。無理をしているにしてはあまりに美味そうに食べるもんだから、おそらくはじめから好きなものを食べているんだろう。アイドルが塩辛を大好物だと公言してしまうのがイメージ戦略的にマズかったりするのかもしれないが、おれにはアイドルのイメージがどうあるべきなのかわからない。
視聴者の方だって多分、おれが本当に催眠術を使えると思ってはいないだろう。そういうフィクションとして消費されるために、おれはおれの仕事をやっている。
だから、本気でおれの催眠術を欲している男がやってきてもおれは全く信用できなかった。フィクションを大真面目に信じ込んでいるのか、それを盾に無理難題を押し付けようとしているのか、判別がつかなかったからだ。
「冗談でしょう。政府の機関? 『
「ええ、ええ。ごもっともな反応です、
このクソ暑いのにジャケットまで羽織った全身スーツの男は、俺のクソ暑い貧乏アパートに踏み込んできても汗ひとつ流さずにそう言った。受け取った名刺は見たこともないような高級そうな紙でできていて、『法務省外局公安調査庁
「お貸しっつってもはいどうぞと渡すわけにもいかねえんですけどね」
「もちろんお仕事を依頼するわけですから、謝礼をお支払いする用意がございます。一回ごとに百万円ほどになるかと思いますが」
「……言ってること、怪しすぎると自分でも思いません?」
「妖しい事件を調査することこそ我々の組織の存在意義ですので」
微妙に噛み合わない会話におれの苛立ちが頂点を迎えようとしたその瞬間、男が懐から出した札束に思わず目を奪われる。
おいおいおいおい。マジか。おれの混乱をよそに男は札束をちゃぶ台の上に無造作に置いて、上手い料理を薦める時のような気軽な手つきでずいと突き出した。
「これは依頼の謝礼とは別の、とりあえずの手付金です」
「あんたが……いや、あんたの組織とやらが、どうしてこうも高くおれを評価しているのかわからんですが、おれはただのインチキ催眠術師ですよ」
突き出された大金に目が惹かれそうになるのを必死で堪えながら、なんでもないような表情で俺は男に相対する。
交渉ごとで何かを欲しがっている事を悟られたら負けだ。しかし、百万円は仕事の少ないおれには魅力的に過ぎる。おれは既に負けそうになっているが、だからこそ劣勢を悟らせるような真似をするわけにはいかない。
「狙った夢を見させるだとか、記憶を遡らせるだとか、変な暗示を信じ込ませたりだとか、感動を三千倍にするとか、そういうことは一切できない。そういうのはテレビのやらせなんだから」
「でも『そういうのじゃない』のはやらせじゃない、でしょう? あなたの催眠術……眠らせる力は本物だ」
「知ったような口をききますね」
「調べたことは知っていますよ。あなたのことも、あなたの家族のことも、あなたの能力のこともね」
プラスチックの安っぽい人形が浮かべるような笑みを貼り付けて男はおれの目を覗き込んでくる。負けじと見返すが、男の瞳は底なし沼のように深く、暗かった。クソ、こいつはどこまでおれの事を知っている?
この男の言う通り、おれが人を眠らせることができるのは本当だ。おれは人を眠らせることにかけてはおそらく人類史上最高の才能の持ち主だ。こんにちは。今からあなたは眠くなりますサン、ニー、イチ、ゼロ。ぱんと手を叩けばスコンと意識が飛んで首が落ちる。アホみたいなやらせ映像にしか見えないだろうが、おれが人に催眠術をかけるとそうなる。五円玉でもちくわでも、なんかのスポーツで使うよくわからない器具であっても、穴の空いた丸いものを目の前で振ってサンニーイチゼロでスコンスコンだ。おれは死神。大鎌の代わりに輪っかを持って意識をざくりと刈り取っていく。
催眠といっても、眠らせる以外の他のことができるわけじゃない。狙った夢を見させるだとか、記憶を遡らせるだとか、変な暗示を信じ込ませたりだとか、感動を三千倍にするとか、そういうことは一切できない。やり方もよくわからないし、人を眠らせるのと何か関係があるとも思えない。どうして眠らせることと、意識や感覚をおもちゃにしていじくりまわすことが同じ催眠術として扱われてるんだろうか? ただおれにできるのはどんなやつでもスコンと眠らせることだけだ。絵面としては死ぬほど地味だし、芸能人がおれに眠らされて『本当に寝ちゃうんだって!』と興奮して叫んだところで映像として面白みがないから使われない。嘘をつくことが生業の、TVの向こうの人間が使う『本当に』なんて言葉に、本当の意味なんて宿るわけがないのだ。だからおれへの世間の評価というのは、たまにテレビに出てくるインチキ催眠術師の一人、というものであるはずだった。
黙り込むおれを置いて、男は自分の言いたいことを更に告げる。
「我々は『覚醒者』と呼んでいる超常現象を引き起こす存在の対処に追われています」
「覚醒者……なんですか、それ。ヤク中?」
「彼らの言葉を借りれば、目醒めてしまったらしいですよ。この世界は真実の世界ではなく、夢の中のようなものなんだそうです」
「そりゃあなんともおめでたい奴らで。羨ましいですね」
「しかし、この世界の在り方を夢のように捻じ曲げられては困る。そこで我々が対処しているのですが、どうにも上手くいかない」
「それで、なんでおれに話が来るんだ」
「目醒めてしまったなら、眠らせてしまえばいい」
でしょう? と尋ねられても、おれにはマジで実感のない話だから何もわからない。変な奴らに目をつけられて、何らかの犯罪に巻き込まれようとしているんじゃないか、それだけが気が気でならない。男はやれやれと肩をすくめて、更に胸元から札束を出してくる。出るわ出るわ、十束の札束。
「警戒心の強いお方だ。では、こうしましょう。今からあなたが私を眠らせられたら、この一千万円をお渡しします。その後は警察でも何でも呼んで、私を突き出して構いません。如何です?」
「とりあえず、眠らせてから考える」
男が言い終わるかその前に、俺はお手製の振り子を男の目の前に翳す。いい加減やりとりも面倒くさくなってきたし、本人からの了承が出たのだ、眠らせてしまっても悪くないんだろう? サンニーイチゼロ。一息に数えきれば、虚を突かれた男が警戒する素振りを見せるより前に男は意識を失って、畳にべたりと倒れ込む。と、思ったら、まるで角砂糖が水に溶けていくように男の姿は薄くなり、消えていった。
後に残されたのは、男の着ていた服と、ちゃぶ台の上の一千万円だけ。
「ええ……? なんで?」
眠らせてから考える、と言ったが、考えるも何もどうしたものだか本当にわからない。正直、一千万円が出てきた瞬間理性が吹き飛んでいたとしか思えない。おれはあいつを眠らせただけで、この世から消し去るようなことはしていないはずなのに、どうして消えてしまったんだ。
「……とりあえず、飯でも食いに行くか」
こんだけあれば、一枚くらい無くなっててもバレやしないだろう。
おれは指紋がつかないようにタオルで手を包みながら札束から一枚一万円札を抜き取って、ボロアパートを後にした。
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