天原学園学園長
全校生徒の注目を集めたあの大会から1週間が経った。最初は時の人だった蒼介と美月だったがそれも多少は落ち着き、元通りの学園生活が戻ってきた。
とは言え大きな変化は当然あり、いじめられっ子だった美月のAクラスへの編入が行われ、彼女を取り巻く環境が大幅に変わった事が最も大きな出来事だろう。『S』ランク生徒である鳳花桜を単独で倒したともなれば編入先であるAクラスでも話しかけられるきっかけが生まれ、美月はDクラスにいた時とは比較にならない程多くの友人ができた。彼女をいじめていた生徒たちも、自分よりも遥かに強い相手に対して強くは出れなくなったようで、今は落ち着いているそうだ。
「……じゃあこれでホームルームを終了する。各自、寄り道せず帰れよ」
蒼介が所属する2-Aクラスでは特に変わったことはなかった。元々蒼介が『S』ランク生徒だったということは全員に知れ渡っており、花桜以外の生涯はないだろうよ容易に予測されていたからだった。強いて言うなら女子生徒に告白されることが増えたことくらいか。今日も、いつも通りホームルームを済ませ東堂桃花はめんどくさそうに教室を後にしようとしていた。
「……あ、そうそう忘れてた。蒼介、後で職員室来るように」
突然名指しされ少し驚いた表情を見せる蒼介。蒼介に限らず、他の生徒たちも蒼介のみが呼び出しを受けたことに対して驚いていた。
「……なあお前、何したんだ??」
桃花が出て行った後の教室で、最初に蒼介に話しかけたのは京香だった。
「いや、何も……成績も悪くないはずだし、特にこれといってなにかしたわけじゃ……」
「そーちゃんが悪いことするわけないよ~!」
「いやでも先生直々の呼び出しだぞ?よっぽど良いことしたかよっぽど悪いことしたかのどっちかだろ」
「うーん……特に何かした覚えはないんだけど」
蒼介は記憶を思い起こして何か呼び出しを受けるような行いをしたかを思い返したが、何も該当が無かったため首をひねっていた。
「……まあ行ってみればわかるか」
蒼介は立ち上がる。呼び出しを受けた場所、同じ校舎の1階にある職員室に足を運んだ。
「失礼します」
一礼して2年生校舎の職員室へと入り、目的の先生のところへと移動する。
「言われた通り来ました」
「……おー、早かったな。今回の呼び出しの目的がわかっていたかのように」
「いや、普通に呼び出されたから普通にきただけです……」
職員室でだらだらと過ごしている桃花の前に蒼介が立つと、面倒くさそうに立ち上がる桃花。
「……お前、学園長室がどこかわからんだろ?」
「え?はい……」
桃花の問いに対して首を縦に振る蒼介。まだこの学校に来て間もないため、職員室や食堂と言った日常的に足を運ぶ場所は覚えてはいるが、プールなどの未だ利用したことのない施設については場所を知らないことが多かった。
「今回の要件は学園長直々の呼び出しだ。お前が場所がわからんと思って私が案内することになった」
「学園長からの……呼び出し?」
存在自体は知っていた。入学式の時に学園長が挨拶をしていたのを遠目からではあったが見ていたためである。無論、面識などなかったわけだが。
「私が言われたのはお前の呼び出しだけだ。お前を学園長室まで連れてったら私は帰らせてもらうつもりだからな」
そう小言を呟きながら職員室を後にする。蒼介はその後ろをついて歩き始める。
「……そういや、お前学園長のことをどのくらい知ってる?」
「どのくらい、とは?」
「例えば、名前とか能力とか……そんな感じだ」
「あー……」
桃花にそう言われ、気づく。蒼介はこの天原学園学園長のことを何も知らない。天原学園のトップに立つ存在のことを存じ上げないと言うのはもしかして良くないことなのでは、そう思った蒼介の事を励ますように桃花は言う。
「ははは、知ってるわけないよな。学園長は滅多なことがない限りは表に姿を現さないんだ」
「そう、なんですか?」
「ああ。御多忙らしくてな、学園にもほとんどいない」
「意外ですね。じゃあ、入学式の時に見れたのは結構貴重だった感じですか?」
「ああ。私ら教師陣も直接顔を合わせられる機会は滅多にない。だからお前や、花桜がこうして学園長から呼び出されていることに関して羨ましいとすら思うよ」
「そうなんで……花桜先輩も?」
桃花の口から気になる人の名前が出てきたよう気がしたため聞き直す蒼介。桃花は蒼介に問われると話し始める。
「ああ。去年までは、毎学期花桜が学園長に呼び出されていたと記憶しているよ。花桜のとこのクラスを持ってる先生は、花桜が学園長室の場所を理解しているから付き添うことはなかったんだが、今回はお前のおかげで学園長のところまでいける。役得というやつだ」
「そうですか……」
桃花の言葉に返事を返す蒼介だったが、。今の蒼介には、桃花の言葉に気になることがあってまともに受け答えするだけの余裕はなかった。
「学園長。真田蒼介を連れてきました」
「おお、ご苦労だ。入っていいぞ」
室内から聞こえる声を合図に、桃花は校長室の扉に手をかけ、開ける。扉を開いたまま蒼介にも室内に入るよう促すと、蒼介もそれに合わせて室内へと入った。
学園長室は、なんてことのない一般的な部屋と変わらなかった。応接用のソファと机、そして壁には多くの賞状とトロフィー。おそらくこの学園の生徒たちが勝ち取ってきたものだろう。
「よく来たね。こうしてお前と顔を合わせるのは初めてだ」
窓の外を見ていた、学園長らしき人物が振り向く。風格のあるその出で立ちは、初老と呼ぶには少々年老いすぎており、しかし老年と呼ぶには少々凛としすぎていた。褪せた白色の髪は後頭部で結ってある他、シャツにベスト、パンツスタイルと男装にも見える。老体にしては背も年齢相応に曲がっているわけではなく、総じて想像されるような女性の学園長とは思えない姿をしていた。
「ご苦労でした、東堂先生。あとは大丈夫ですので、戻っていただいて大丈夫です」
「……はい、わかりました」
少し残念そうな顔をしながら、桃花は一礼し学園長室を後にする。そして、その場には蒼介と学園長のみになった。
「立ち話もなんだ、座ってくれ」
学園長は蒼介にソファに座るよう手で誘導する。その所作もまた様になっていると思いながら、蒼介は頭を下げて座る。蒼介が座った後、学園長も何やら指を動かしながら対面に座る。
「……知っているとは思うが改めて自己紹介させてもらおう。私は天原ハル、天原学園の学園長をさせてもらっている」
「俺は……」
「知っている」
蒼介の自己紹介を遮るように、そう言葉を紡ぐ学園長、天原ハル。グローブを付けた指を何やら小刻みに動かしながら、更に言葉を重ねる。
「幸則、藍子の実の子だろう?知っているさ」
蒼介は、ハルのその話しぶりに違和感を覚えた。素早い思考の回転で、それを理解して口に出す。
「……父さんと母さんを、知っているんですか?」
「ああ」
その確認は、決して高い知名度による自身の両親の存在の認知の確認ではなかった。自身の両親の知人であり、両親のことに関して詳しいのか、という確認であった。そしてハルもそれを理解しており、肯定の返事を返した。
「何を隠そう……私はあの子たちの学生時代の担任だったからね」
「そうなんですか!?」
「ああ、あの子らがまだ尻の青いガキだった頃から知っている。勿論、あの子たちが何を成してきたか。そして……」
「どんな最期を迎えたのかも、ね」
「……」
ハルのその言葉に、蒼介はただ黙っていた。ハルに視線を向ける事もせず、ただ俯いていた。それ以外の反応を見せないことをハルも理解し話を続ける。
「……まあいい。それに関しては特に私は言及はしない。今回お前を呼び出した要件は別にある」
ハルはそう言って指をずっと動かしている。蒼介が顔をあげると、ハルの視線は学園長室と扉一枚で繋がっている隣の部屋の入口に向けられていた。
「……ま、ゆっくりしていくといい」
そう言いながら蒼介が同じ場所に視線を向けると、開いた扉から"浮いたカップ2つ"が運ばれてきた。
「コーヒーは飲めるかい?」
「……一応」
「良かった。私はコーヒーが大好きでね」
音を立てることもなく机に置かれたコーヒーカップを手に取り口に付けるハル。蒼介もコーヒーカップに手を伸ばすと、それに気づいた。
(……糸……)
凝視しないと見えない程度には細い糸が、カップに絡みついており解けていく瞬間。そしてそれが、天井を伝って巻き取られていくように戻っていく。その行先は、グローブを付けたハルの手だった。
「……ほう、これが見えるのかい」
「はい。目を凝らさないと全く見えませんが」
「それでも大したものだ。花桜でも最初は見えなかったというのに」
ハルはそう言ってカップを持っていない方の手を握る。ハルのその行動と共に僅かな空気の揺れを感じた蒼介は室内を見渡す。
「……これは」
蒼介の視界に映る、細長い、糸、糸、糸。映るという言い方よりも、視界を埋め尽くしている、という言い方の方が適切であろう。数十どころではない、数百、数千の糸。
「"今は"触っても問題ないよ」
含みのある言い方をしながらも安全を保障してくれるハル。蒼介も手を伸ばしてみると、触り心地は天蚕糸に似ていると思った。
「これが、学園長の能力ですか?」
「ああ、翼力で糸を紡ぐことができる。生成に使った翼力が多ければ多い程強度が増していくが、生成できる本数は少なくなるというものだ」
つまり天蚕糸程度の強度の糸であればこの程度の糸を生み出すくらい一呼吸するうちに、造作もなく生み出せるということである。
(先ほどコーヒーが入ったカップを一滴も零さず音すら立てずに机に運んだところを見るに……極めて高い精密性だ。翼力を流した量で糸の強度もあがるのなら、防御だけじゃない……どの程度この糸が硬化するかはわからないが、ひょっとすると攻撃にまで……)
「随分目が怖いな。安心しな、粗相をしてない自分のところの生徒をコイツで切り刻むことはしないさ」
蒼介自身も気づかぬうちに目に力がこもっていたのか、申し訳なさそうに表情を崩す。
「そうそう。お前たちガキンチョはそうやって優しい顔してた方がいいのさ。まあ……それでもお前の表情はちょっと、"経験"を重ねすぎている感じがするけどね」
くっくっと笑った後その表情から笑みが消えるハル。先ほどまで自分の生徒に向ける優しい眼差しとは似ても似つかない鋭い目で蒼介を見つめる。
「……蒼介。お前は、"W.o.R"を知っているかい?」
ハルからの問いに目を見開く蒼介。ハルの問いが「知っているか」という問いではなく「知っているな」というものだったのは、蒼介がそれを間違いなく知っているからということによるものだった。
「……はい、知っています。翼力を使える者のみに効果を発揮する合成薬物、ですよね?」
「そうだ。正式名称は"Wing of Rage"。この国発で世界的にはまだ有名ってわけじゃないが、既にどの国も厳重に取り締まっている危険薬物だ。その危険性は……わかるね?」
「はい、父の書斎で呼んだことがあります。能力者は能力を使うために心臓のところにある目に見えない器官……翼力を全身に行き渡らせる"翼力核"が持つポンプとしての役割を促進させる薬。元々は医療のために作られた薬でしたが……それが正しい用途で使われることはなかった」
ハルは蒼介の言葉に一度も首を横に振ることなく黙って聞いていた。そこまで話すと、今度はハルの方が言葉を紡ぐ。
「そう。ごく少量でも極めて危険な効果……翼力核の持つポンプの役割を、指先に付着した量を舐め取る程度ですら、全身から翼力を噴き出し、最後には……」
ハルも蒼介も、言葉をそれ以上出さなかった。それを服用した人間がどうなるかは、両者ともに理解していたからだった。
「……でも、何故そんな危険な薬物が出回っているんですか?」
「うむ。実はお前……というか、学内大会で優勝した者に頼んでいるのはそれなんだ」
「……学生に、危険な薬物の調査を?」
「ああ。変な話だと思うだろう?これにはちょっと事情があってね」
事情とは何だろうと思案する蒼介を余所に、ハルは話し始める。
「これまで学内大会で優勝し続けていたのが鳳花桜だと言うのは知っているね?」
「はい」
「お前は知らないだろうが、鳳花桜の実家は少々特殊な家系でね、裏社会の事情にもある程度精通しているんだ。だから調査を家の方に頼む傍ら、その報告を毎学期させていたんだ」
「なるほど……では、何故俺を呼び出したりしたんですか?」
「ん?」
蒼介はハルに問う。何故「一般人でしかない蒼介をこの件に関わらせようとするのか」、それが理解できなかった。
「花桜先輩の実家の方で調査が進められているのなら、ただの一般人の俺が首を挟む理由はありません」
「ふむ、確かにそれは正論だ。だが私にはお前を調査に頼みたい理由があってな」
ハルはコーヒーを飲み干すとカップを糸で繋ぎ、隣の部屋まで運ぶ。そしておそらくカップにコーヒーを注いでいるのだろう、指で糸を操りながら言葉を続ける。
「……結論から言えば、現在W.o.Rに関する調査が難航しているんだ」
「難航?」
「ああ。まず理由から話そう。闇市場にW.o.Rが出回っている理由として、これにはある組織が関わっていてね」
ハルは隣の部屋から糸で運んできたカップを取り、カップに口を付ける。本当に飲んでいるのか疑わしいレベルでしか減っていないコーヒーの入ったカップを机に置くと、話し始めた。
「……その組織の名は、『再会の影』と言う」
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