入学式の日

 それは、何度も見たことのある夢の光景だった。

 その日は、あいにくの雨だった。でも、雨の日だからと辟易することは無かった。前日から、父さんと母さんは俺のためにいろいろな準備をしてくれていた。

 誕生日プレゼントを用意してくれた、お祝いに大好きな料理を沢山作ってくれた、蝋燭の立てられたケーキまで用意してくれた。

 父さんと母さんと姉さんは蝋燭だけの暗闇の中で、ハッピーバースデートゥーユーを歌ってくれた。ケーキの蝋燭も吹き消して、皆が拍手してくれた。4人で、楽しい誕生日パーティーだった。楽しかったんだ。


 そこで泣いている少年は誰だろう。


 そこで泣いている少女は誰だろう。


 少年の足元で横たわっている人は誰だろう。


 少女の足元で横たわっている人は誰だろう。


 先ほどまで見ていた光景はなんだったのだろう。


 テーブルに所狭しと並べられた料理の数々は?


 真ん中に置かれた、名前の書かれたチョコプレートが置かれたケーキは?

 

 いや、それを俺は知っていた。忘れられない、忘れたくても忘れる事の出来ない、脳裏に焼き付いた光景。

 楽しい楽しい誕生日パーティーは、ほんの些細な過ちから、血と死で塗り固められた生み出す地獄へと変貌を遂げた。

 まるで人形のように硬くなった父さんと母さんの身体。雨は止むことなく振り続けていた。父さんから買ってもらったお気に入りのTシャツも、母さんが誕生日プレゼントにくれたネックレスも、雨に濡れて冷え切ってしまっていた。

 それでも、俺は涙が止められなかった。傍にいた姉さんも、涙が止まることはなかった。だって、悲しかったから。父さんも、母さんも。もう戻ってこないのだということを、あの幼い俺は理解していた。だから悲しかった。悲しくて悲しくてしょうがなかった。でも、どうしようもなかった。

 あの日、楽しかった光景は。一瞬にして地獄絵図へと変貌を遂げた。

 



「……」


 目を開けると、映っていたのは見慣れた天井だった。掛布団を剥いで身体を起こすと、壁にかけてあった時計が目に入った。長針が1のところに、短針は6をほんのすこし過ぎた場所に位置している。


「……時間ピッタリの起床、というわけじゃないか」


 ベッドの傍のカーテンを開ける。飛び込んできた景色は、数週間前のソレとは全く異なる光景だった。


「……慣れていかないとな。『天原』の生活に」


 自らの生活拠点が変わったことを、窓から見える都市の光景を見て再認識する蒼介。そこは、自身がまだ足を踏み入れて間もない世界だった。




 リビングに降りると、既に蒼介よりも早く起きていた者が台所に立っていた。


「あら蒼介君、おはよう」

「おはようございます、路子みちこさん」


 自分を養ってくれている女性に軽く挨拶を済ませる。テーブルには既に朝食である焼かれた食パン、ブルーベリーのジャム、野菜サラダ、コーンスープが並べられている。


「もう蒼介君ったら、お義母さんって呼んでくれてもいいのよ?」

「あはは……」


 路子の愛想笑いを浮かべながら自分がいつも座っている席につく。手を合わせて「いただきます」と呟き、朝食にありつくことにする。


「……杏奈は、まだ寝てる感じですか?」

「そうなのよ。あの子、今日は入学式だって言うのに夜遅くまでゲームしてたみたいで……」

「まあ、いつも通りなのが杏奈らしいというか……」


 杏奈の部屋は、夜遅くまで電気が点いていることがほとんどである。蒼介が確認する限り、自身が起きている日付が変わる午前0時までは部屋の灯りが点いており、路子曰くその後もしばらくは灯りが消えないとのことだ。これは杏奈が趣味のビデオゲームをプレイしているからであり、夜遅くまでプレイしている影響で朝はギリギリになることが多いのだ。


「全く、高校生になるんだからその辺りはいい加減大人になってほしいんだけどねぇ……」

「中学から高校までは、楽しいことが一番楽しく感じられるって言いますからね。度が過ぎれば、勿論俺も注意しますけど」


 そんな話をしていると、リビングのドアを開けて話題の少女が入ってくる。


「……」


 如何にも寝起きですという感じで杏奈の髪の毛は爆発しており、寝巻もずれてしまっていて下着が見えてしまっていた。普段は曲がっていない背筋は猫背になっており、多少色っぽくはあるが、残念美少女という表現がよく似合う光景だった。


「杏奈、もうご飯出来てるよ」

「……ご飯……」


 杏奈は開いているかどうかすら定かではない瞼を擦りながら、ゾンビと見紛うような足取りで席に着く。


「……杏奈」

「……ご飯……」

「……そこは俺の膝の上なんだが」


 杏奈が覚束ない足取りで座ったのは、蒼介の膝の上だった。そしてそのまま、蒼介が手に持っていた食パンをあむあむと食べ始める。


「……もぐもぐ」

「……しょうがないやつだな」


 呆れた風に蒼介は、杏奈に食パンを食べさせる。困り顔で路子の方を見ると、どうしようもないという顔で首を横に振った。

 結局杏奈は蒼介の分の朝食を蒼介の膝の上で全て平らげ、杏奈の分の朝食は蒼介が摂ることになった。




 入学式は、新入生及び在校生とその保護者が一堂に介する行事である。全校生徒が保護者含め集まる行事は入学式くらいしかなく、学校でも特に大きなイベントのひとつである。

 在校生は事前に登校して、ホームルームの後クラス単位で入学式が行われる講堂へ移動する。既に3年生が集まっており、次いで2年生が講堂内に移動する。1年生の保護者一同は既に生徒たちの後方の席に着座していた。


「これより、天原学園入学式を執り行います」


 教師と思われる、スーツを羽織った男性による司会が進行する。能力者を養成することに重きを置いた新設校と言っても、入学式というものが他の学校と違うわけではない。新入生代表の挨拶、在校生代表の挨拶、学園長からの挨拶、それらがあって終わりだ。


「……私たち新入生は、偉大な翼神の意志を継ぎ、立派な能力者として大成することをここに誓います。新入生代表――」


 下ろしたてのブレザーに身を包む、新入生代表の1年生が挨拶を済ませ、自身の席に戻る。その後、司会の教師が進行を続ける。


「続いて、在校生代表挨拶。在校生代表、3-A、『鳳 花桜おおとり かおう』」

「はい」


 その言葉に凛とした返事を行い、席を立つ一人の生徒。長いダークグリーンの髪を靡かせて、壇上へ上がる。


「おい見ろよ、鳳先輩だ」


 蒼介の隣に座っている2-Aのクラスメイトがひそひそと声をかけてくる。


「有名なのか?」

「そりゃもう。品行方正、成績優秀。加えてあの容姿に誰にでも分け隔てなく接する性格の良さ……生徒会長やってるのも頷けるぜ。伊達にお前と同じ『S』は貰ってないって事だ」

「そうなのか。あの人が……」


 壇上に立つ鳳花桜を見つめる蒼介。蒼介はこの天原学園における2人目の評価『S』生徒であり、それはつまり既に10年の歴史の中で評価『S』の生徒が存在すると言う事だった。それが、あの壇上に立つ生徒、鳳花桜である。


「……新入生の皆さま。先ずはご入学、おめでとうございます。貴方たちの入学を、我々在校生一同、楽しみに待っていました」


 落ち着いた、しかし真の通った声がマイクによって拡声され講堂内に響き渡る。これだけの観衆が集う中での挨拶である、先ほどの代表新入生ですら声が固まっていたというのに、詰まらずハキハキと言葉を紡ぎ続ける。


「本校は皆さまもご存じのとおり、貴方がた新入生がこれまで通った学校とは違い、能力者の養成に重きを置いた新設校です」


 聞き心地の良い声を全く詰まらせることなく、鳳花桜は言葉を紡ぎ続ける。


「無論、これまでと異なる規則などに戸惑うこともあるでしょう。しかし安心してください、そう思ったのは何も貴方たちだけではありません。我々在校生も、同じように思いました」

「……この学校独自の校風や規則に触れ、貴方たちなりにどう過ごせばいいかを考えてください。大丈夫です、わからない時は我々在校生が、貴方たちの道標となりましょう」

「そして共に行事を楽しみ、喜びを分かち合いましょう。私達共に、充実した学園生活を送りましょう」

「……最後になりますが、皆様の充実した学園生活を祈り、代表挨拶とさせていただきます。在校生代表、3-A、鳳花桜」


 その言葉と共に、講堂内が拍手に包まれた。彼女の素晴らしいスピーチに蒼介も無意識に手を叩いていた。




「鳳先輩、凄かったね~!」


 入学式がつつがなく終了し、教室に戻った2-A一同。授業まではまだ時間があり、事実上の休み時間ではあるが、興奮冷めやらぬ感じで蒼介の隣の席の花楓が話しかけてくる。


「ああ。生徒会長もやってるんだろ?」

「うん!鳳先輩は2年生の頃から次期生徒会長だって言われてたね~」

「へぇ……2年の時から才覚を発揮してたんだな」


 蒼介が入学する前、即ち彼女が2年生の頃から、彼女はあのように振舞っていたらしい。


「私もあんな風になりたいよ~」

「なら、先ずは遅刻しないようにしないとな」


 蒼介と花楓の会話に割って入る京香。花楓は少し怒った様子で京香に反論をする。


「も、も~!今年こそは頑張るって~!」

「でも今日の朝、登校時間ギリギリだったよな?」

「うっ……」

「そういえば、食パン咥えてたな……あんなの漫画でしか見た事なかったけど……つまり、食べる時間もないくらいギリギリだったってことだよな?」

「う、うぅっ……そーちゃんまでっ……!」


 その場に花楓の味方をする者は誰も居なかった。過去一年の彼女を知る者は当然として、幼いころの彼女しか知らない蒼介も彼女の味方をしなかったところを見るに、余程彼女の遅刻とは信頼ある情報なのだろう。


「い、いいもん!絶対に無遅刻無欠席を貫いて、みんなを見返すんだから~!」


 涙目になりながらその場にいる全員にそう言い放つ花楓。その宣言が僅か1日で破られるだろうということはその場にいる花楓以外の全員が考えたことであり、その決意が水泡に帰した時全員がこう思った。


(まあ、花楓だからしょうがないかな)

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