雪ん子になれなかった女の子

尾岡れき@猫部

雪ん子になれなかった女の子


――君って、雪ん子になれる素質があるのにね。







 真面目で、みんなのお姉さん。そう言われていた。怒らせると怖いから、雪女。でも、それがいつからだろう。雪ん子ちゃんと言われて、それが当たり前のように馴染んできた。


 ――ちょっとイメージと違うかな。どちらかと言うと【雪ん子】ちゃんじゃない?

 そう言ってくれたのは、転校してきた稲葉君だった気がする。

 ――雪ん子ちゃんを、あのワルガキと一括りにするのもどうかと思うんだけどね。

 そう言ったオトナは誰だったんだろう。


 ワルガキ団改め、クソガキ団と揶揄されて。イタズラとか好きじゃなかった。でも、誰かが一緒にやろうって誘ってくれて。あ、きっとあれは彩ちゃんだった気がする。イタズラって、人を傷つけるだけじゃないんだなって知った。輪に入れない子の興味を引くように、小学校の教室をシャボン玉で埋め尽くした。


 意地悪をする子には、落とし穴へご招待してあげた。泣くのなら、最初から意地悪しなければ良いのに。そう思っていた。深さ2メートルの落とし穴は、ちょっとやりすぎだなって思うけど。


 あれは誰だったんだろう。

 過ぎ去ったら、もう憶えていないことが多い。


 ペラペラと、彼はアルバムをめくる。

 その中に彼はいないのに。

 その中に、私を見つけて、唇を綻ばす。

 彼が胡座をかいて見るから、私はそこに収まるようにちょこんと座る。


(重くないだろうか? 辛くないだろうか?)


 心配になる。モデルのように綺麗でもない。スタイルだってよくない。あの頃は、そんなことを気にしたこともなかった。当たり前だけど。でも、と思う。女の子達がママゴトをしたり、折り紙を折る姿を見て、妙に嫌悪感を抱いていたんだ。


――女の子はそうするもの。


 でも私は男の子たちと駆け回ったり、野球をしたりするのが好きだった。その延長線で空手を習った。折り紙が大好きな女子軍団は「オトコオンナだもんね、下河さんは」と笑う。嘲笑う。


 私は、笑われた意味が分からない。

 そんな時だった気がする。


――君って、雪ん子になれる素質があるね。


 そう言った子がいた。その子が誰なのか思い出せない。雪がしんしんと降り積もっていることだけは覚えている。道路標識に手が届くくらい、雪が積もったのだ。しんしんと、しんしんと。


 まだ、帰るのは早いからさ。

 もっと、遊ぼうよ。


 そう手招きされた。


 駆け回って、雪だるまを作って。雪合戦をして。男の子達と張り合って。

 折り紙とか、どうでも良かった。

 女の子らしさとか言われても、よく分からない。


 氷柱を折る。

 寒さなんか感じなかった。


 もっともっと、雪が降って。もっともっと雪で埋め尽くして。この雪のなかを駆け回りたいと思った。帰りたくない、勝手に私を決めつける人達のところには。そう思った矢先だった。

 氷が割れるように。

 その声が響いた。


――お姉ちゃん、寒いよ! もう、帰ろうよ!

 半べその弟の声。気づけば、私と弟以外に誰もいなかった。


(あの子は……?)

 今頃になって、指先がシンジン痛い。お気に入りの毛糸の手袋が、すっかり濡れて、凍りついていた。







雪姫ゆき、どうしたの?」


 視線を感じたのか、彼が私の手を軽くきゅっきゅっと握る。言葉にするだけで、息が白い。最近は雪が降ることも少ないが、天気予報は大雪警報。交通機関は、夕方から早めの運休を決めている。オトナ達がせわしなくニュースを睨んでいた。


 高校も休校になったのに、近所の子にせがまれて、今は彼と一緒にカマクラを作っているのだから、私もあの人も本当に物好きだって思う。


 ――だって、バイトも休みになったしね。どうせなら雪道デートとしゃれこみたいじゃん?

 彼はそう微笑むけど、デートと言うにはチビちゃん達というライバルが多すぎる。「遊んで」リクエストに、彼はまるで息をつく暇がなかった。


「何でもないよ」


 クスリと笑みを零す。あの頃は私も、時間が無限にあるかのように駆け回っていた。本当に子どもの時って、エネルギーが無尽蔵だって思う。


「冬希兄ちゃん、次は雪合戦しよー!」

「ちょ、ちょっと?」


 無邪気な声は、有無を言わさず彼を引っ張り出していく。すっと離れてしまう指と指に一抹の寂しさを感じながら、私は作りかけのカマクラを完成させることにした。


 ペタン、ペタンと手袋で固めていく。チビちゃん達の勢いに負けてしまったけれど、こんなことならスコップを持ってくれば良かったと、後悔してしまう。


 ぺたん、ぺたん。

 ぺたん、ぺたん。

 ぺた――。

 と、手と手が重なった。

 私の隣で、小さな女の子が、音もなく笑った。








――君って、雪ん子になれる素質があるのにね。


 音が奪われたとは、こういうことなんだろうか。口をパクパクさせても、言葉にならない。


――雪ってステキだよね。埋め尽くして、真っ白になって。体温も奪っちゃう。君の声だって奪えるよ? 凍りつかせることだってできるよ?


 私は、ただ無言で女の子の言葉を聞く。


――寂しかったんじゃないの?


 そうだ。私は寂しかった。誰と話しても、誰と遊んでも本当の私が出せない。結局、私は遠慮して本音を飲み込むことを憶えた。だって、そうしたら、みんなが「良い子」って褒めてくれるから。


――でも、それって窮屈じゃない? そんなことしなくても、ココで雪遊びをしようよ? ずっと、雪遊びしようよ?


 寒いって思う。あの時は寒さなんか感じもしなかったのに、今はただただ寒い。体の震えが止まらない。求めてしまう。指先をのばしてしまう。彼の名前を……。


――ムリムリ。だって、彼の名前なら、もう真っ白に埋め尽くしたから。

 パリン。割れる音がした。あの子が何かを踏み潰したのだ。雪が降る。雪が降り続ける。私を埋め尽くすように。寒いって思ってしまう。体が動かなくて。凍りついて、感覚を失って。


 瞼が閉じる。

 まるで、劇場で緞帳が落ちるように。

 視界が真っ白で。


 もう何も見えない。


 このまま、眠ってしまおう。

 そうしたら、楽だから。

 そう思った瞬間だった。








 唇に触れた。










「ふ、冬君?」


 目の前で、さもイタズラが成功したと言わんばかりに、彼が笑う。唇に、私は指で触れてみる。指先に血流がめぐる感覚を取り戻し、じんじんする。


「寂しそうだったから、サプライズ。みんなには内緒ね」


 そう言いながら、また温度を重ねてくるから、この人は狡いって思う。

 でも、って思う。


 暖かい。


 みんなは、私のことを変わり者って言う。

 でも、彼はそんな私を全肯定してくれる。疎外感はない。一人ぼっちと思わなくなった。寂しくなったり、取り残されるような感覚に陥ってしまう前に、彼は私をこうやって攫っていく。


「あー! 冬希兄ちゃんと雪姫お姉ちゃんが、カマクラに隠れてチューしてる!」


 目ざとい子どもたちにすぐ見つかった。


「し、してないし!」


 彼のその言い訳は、ちょっと無理がある気がする。


 と、彼は私の手を引いて、カマクラを出る。雪で足をとられそうになりながら。もつれて転びそうになりなると、彼が支えてくれて。


 笑みが自然と溢れて。

 ぺたん、ぺたん。足音が遠ざかって。

 ぺたん、ぺたん。

 

 振り向くと、足跡が、カマクラを出て数歩。途絶えた跡が――チビちゃん達の作る雪玉で、すっかりと潰されててしまっていた。









――君って、雪ん子になれる素質があるのにね。本当に残念だよ。

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