第3話 赤ずきんと格闘 ……違うかも

 五日が経ち、ついに格闘大会の開催日となった。

「いやー、楽しみだわぁー。」

「そ、そうですね……。」

 赤ずきんとリレインは二人で会場へ向かっていた。赤ずきんが向かっているのは当然なのだが、そこにリレインがいるのは何故かというと、故郷をめちゃくちゃにされてしまわないかという監視のためであった。無論、監視目的ということは赤ずきんには伝えておらず、そもそも赤ずきんをいくら監視したとしてどうすることもできないのだが、なにもせずにはいられなかったのだ。


 ……。


 その会場はメテビア市営の「防魔式運動場」だった。

 魔法がそれとなく発達しているこの世界においては、単なるボール遊びでも命を奪う危険行為になりかねない。なので、魔法を使い慣れている者専用の設備が整った運動場が各地に存在している。

 物語外で例えるなら、現代日本においては蹴ったサッカーボールを当てられても「かなり痛い」で済むのだが……、この世界では魔法で強化された脚力で、魔法で硬化されたサッカーボールを全力で蹴った場合、魔法による身体強化を行っていない人間に当たると、まず無事では済まない。現代日本基準で例を挙げるなら、公道を走る「車に飛び出して突き飛ばされた」時と同じくらいのダメージが発生する。そしてそんな硬く速いボールが勢い余って運動場外に飛び出してしまわないようになど、さまざまな対策が施されたのが「防魔式運動場」というわけなのだ。

 簡潔に表すなら、運動場全体を「魔法の結界」で覆っており、結界の外に出ようとする衝撃を緩和して被害を防ぐことができるようになっている。


 そして魔王討伐が目的になるほど強い人間同士が戦うのであれば、周囲へ余計な被害が出ないほうがいい。今回、ここが会場として選ばれたのはそういう理由であった。



 さて、そんな格闘場にはすでに多くの人間が集まっていた。リレインの目からすれば、誰もが強そうに見える。しかしながら赤ずきんはといえば、あまり浮かない顔をしていた。

「うーん……。なーんか、強そうな人いないなぁ。」

 赤ずきんは危険度ランクCの「ブラストウルフ」を単身で、しかも余裕で倒せるほどの強さを持っている。ランクCほどになってくると、チームプレイで駆除するのが当たり前であるのに、だ。


 そんな赤ずきんは不満そうに周囲を眺めていたが……。

「そうだ!」

「……な、なんですか?」

 その声を聞いたリレインは、嫌な予感を覚えた。根っからの戦闘狂であろう赤ずきんの思いつきなど、一般人からすればロクなものではないだろうからだ。そしてその思いつきとは……。

「『選別』しよう。」

「へ……。」


 呆気にとられるリレインに対して、すこし困ったように向き直る。

「あー、ちょっと。……キミ、名前なんだっけ。」

「ぼ、僕ですか? リレインです……。」

「そうだった、リレイン。たぶん、キミにとっては危ないから、いったん遠くまで離れててくれない?」

「え……? どういうこと、ですか。」

「まあ、いいからいいから。運動場の外くらいなら大丈夫かな。」

「あ、はい……。」


 リレインは魔法が使えない一般人だということくらいは覚えていた赤ずきんは、ここから立ち去るように促す。当のリレインは状況を理解できていないようだったが、言う事に逆らっては危ないだろうと予測できたので、素直に従うことにした。



 五分後……。


「――よし。そろそろいいかな。……えーっと、【召喚】!」


 赤ずきんはしゃがみ、地面に右手を開いて着けた。するとそこから、彼女の身長の二倍はある半径を持つ大きな魔法陣が展開された。

 赤ずきんがそのまま魔法陣の中央にいると、なにやら足元から「氷山」のようなものが盛り上がってきた。それはどんどん大きくなっていき……、赤ずきんを乗せたまま、彼女の身長の四倍ほどの大きさにまでなった。


 そしてそこまで大きくなる頃には「氷山」の全容が見えるようになっていた。それには腕と足が二本ずつ生えており、赤ずきんが乗っている場所は部分的に小さく盛り上がっていた。おそらくそこは頭部なのだろう。

 要するに氷山とは、「氷でできた巨大な人形」であった。


 赤ずきんの身長は特別低いというわけでも、高いというわけでもない。つまるところほぼ一般的な女性の身長なのだが、氷人形はその四倍もの高さである。そんなものが突然現れたらどうなるか。

「……な、なんだ、あれ。」

「あれは……、『アイスゴーレム』!?」

 赤ずきんの言う「強そうではない人」たちが次々とそれを目撃者し、声を出すのであった。


 「アイスゴーレム」とはその名のとおり、氷で作られた岩人形ゴーレム。赤ずきんはそれをこの場に召喚したというわけであった。ちなみにアイスゴーレムは危険度ランクでいうとCにあたる。

 そして赤ずきんはゴーレムの頭に乗ったまま「強そうではない人」たちに向かって、にこやかに言う。

「ねぇアンタら。コイツ倒せる?」

「「「………………は?」」」

「魔王討伐隊に参加したいんでしょ? じゃあ、コイツくらいは倒せるよね。」


 そう、赤ずきんの目的とは、彼らが危険度ランクCの存在を相手に戦えるかという「選別」であった。

 魔王はランクAであるため、これくらい倒せなければ話にならないだろう。至極当然の考えだが、赤ずきんの目からはどうにも、今いる彼らがランクCの相手も満足にできないようにしか見えていないのだ。

 仮にそんな相手と戦ったとしても不満しか残らないと判断した赤ずきんは、彼らに大会前に辞退してもらおうと考えたのである。


「お、おい、どうする……。」

「………………。」

「相手しなくていいだろ、別に。」

 だが、人々の反応は冷ややかだった。それも当然で、なにせ彼らからすれば、急にアイスゴーレムを召喚した変なヤバい女が絡んできたに過ぎない。


 そんな彼らを見た赤ずきんは真顔になり、アイスゴーレムに対してハンドサインを下した。

 アイスゴーレムはその腕を思い切り振り上げたかと思うと、一気に地面に叩きつけ――。


 ズドン!!


「わっ!!?」「な、なんだ!?」

 轟音と突如揺れた地面に彼らは驚く。慌てて周囲を見回すと、腕を振り終えたアイスゴーレムが目に入り、それが原因だとその場の全員が理解したようだった。

 注目を集めたアイスゴーレム、その上に乗っている赤ずきんは再度彼らに問いかける。

「やるの? やらないの?」

 これは脅しではない、という意味の脅しであった。


 流石に無視すると大事になりそうだと感じた彼らは、消極的に顔を見合わせる。

 ……しばらくそうして黙っていたかと思うと、その中のひとりの男が赤ずきんに向かって一歩進んだ。

「よ、よし、やってやろうじゃねぇか。ランクC相手なら戦ったことがある。」

 そして男は後ろを振り返って、人々に尋ねる。

「誰か一緒に戦ってくれる奴はいないか? 急ごしらえだが、チームプレイと行こうぜ。」

 危険度ランクCなら、徒党を組むのが当たり前だ。そしてその問いかけに対して一人、二人と反応を示し、赤ずきんの前に三人の男が並ぶ形となった。三人ともやる気になったらしい。


「は………………?」

 その三人を視界に入れた赤ずきんは、とても分かりやすい呆れ顔をした。

「「「よし、来い!!」」」

 三人集まって気が大きくなっているのか、男はやたら威勢のよい声をあげる。


「――【ウェイト・ミラー】。」

 赤ずきんがそう呟くと、赤ずきんの両隣の中空にアイスゴーレムが合計「二体」、追加で出現した。ドシン、ドシン! と、着地の衝撃が二度走る。

 【ウェイト・ミラー】とは、「重量のある鏡」という意味だ。赤ずきんはまるで鏡写しのように、アイスゴーレムを質量そのままで増殖させたのだ。

 (ちなみにこれは赤ずきん専用カスタムで、【召喚】の手順を省くための魔法。なんでも増殖させられるというわけではない。)


「……そっちが三つならこっちも三つ。どうする?」

「「「………………。」」」

 男三人を見ると、驚きすぎて固まっていた。

「『魔王』に挑むなら、これくらい『ひとり』で倒せるでしょ? 」

「「「………………。」」」

 男たちは互いに顔を見合わせたり、三体並ぶアイスゴーレムを見比べたりしていた。

 自分たちでは手に負えないと思ったのか、前に出ていない残りの集団のほうを見つめる。しかし彼らは見つめ返すばかりで、戦うどころか逃げる素振りすら見せようとしない。


 それを見た赤ずきんは無言で、パチンと指を弾く。すると三体のアイスゴーレムたちは一歩、一歩と歩き始めた。

 歩く度にドシン、ドシンと揺れる振動が男たちにも伝わる。だんだん迫ってくる三つの氷山を目の当たりにして、ようやく現実を実感したのだろう。

「「「うわあぁぁぁぁぁッ!!!!」」」

 三人とも一目散に逃げ出した。


 ……。



「……はぁ。あーあ。」

 赤ずきんはため息をついた。やっぱりか、こんな程度か、という気持ちだった。どうせこれでみんないなくなるから、この氷塊をさっさと片付けよう。

 彼女がそんなことを考えていた時である。


「――そうそう。コレくらい倒せないと、ねぇ。」


 まだ残っていた集団の中から男の声が聞こえてきた。そしてすぐに集団からひとりの男が飛び出し、赤ずきんの乗るアイスゴーレムの近くに華麗に着地。

 男はアイスゴーレムを見上げて一秒、そのままジャンプしつつ右手に魔力を込めて、氷を殴り付けた!


「おっと。」

 アイスゴーレムはぐらりと揺れ、赤ずきんは飛び降りる。すると、男が殴った部分には大きなヒビ割れができていた。


「アイスゴーレムは身体の内部に核がある。それを壊せば討伐完了ってわけさ。……でもま、外側から壊すのは骨折りものだけどね。」

 そのヒビは、確かに核にまで到達していた。おそらく瓦割りの要領で外側に強い衝撃を与え、それを内部にまで伝えたのだろうと赤ずきんは推測した。とはいえその推測が正しかろうと間違っていようと、この男がかなりの実力者であろうことは伺い知ることができた。

 核を破壊されたことにより、ガラガラと崩れ落ちる氷塊。


 ……。


 その音が止んだ時、男は赤ずきんに話しかけた。

「どうする? 後二体も壊せばいいかい?」

「いやー、そうこなくっちゃ! 良かった、あなたみたいな人がいて。」

 赤ずきんの顔は明るくなった。ようやく戦えそうな相手が現れたためである。

 そしてもう「こんなモノはいらない」と赤ずきんがパチンと指を弾き、二体のアイスゴーレムは砕け散った。一撃で一体壊れるなら、あっても無くても変わらないのだろう。


 男はは赤ずきんに向かって言う。

「さぞかし名のある召喚師とお見受けしたけど、どうかな?」

「いや? 私はむしろ、【召喚】なんて好きじゃないよ。」

「おや、そうなのかい。」

「だって、」

 赤ずきんは言いながら、軽く構えの姿勢をとる。


「……直接戦ったほうが楽しいでしょ?」

「はは、同感だ。――ボクの名は『バロン』。お付き合いいただけるかな?」

「もちろん。……えーっと、これ、私も名乗ったほうがいいの?」

「いやいや、これはボクなりの礼儀ってやつさ。言いたくなければ言わなくてもいいよ、お嬢さん。」

「あ、そう? じゃあとりあえず私は『赤ずきん』ってことで、よろしく。」

「ふっ。こちらこそよろしく、赤ずきん。」



 リレインは運動場の観客席にいた。

 運動場では時折、スポーツなどの大会が開かれることがある。そういった場合に一般人が観戦できるよう、観客席が設けられているのだ。もちろん席は結界によって守られており、よほどのことがなければ安全圏である。

 さらにはこの座席席には離れた場所でも映像や音声が届くモニターが、映画館のように備え付けられている。先ほどまでのやりとりもリレインは見ていたという訳だ。


「……やっぱり、とんでもないことをするなぁ、赤ずきんさん。」

 彼女の行動について見慣れているのではないのだが、規格外の行動をしてくると予想していれば、案外精神を乱されることはない。と、リレインはそこまで学習してしまっていた。


 そして、いよいよ赤ずきんとバロンの二人が戦いを始めたその時。

 突然、バロンの姿が見えなくなった。

「………………え?」



 ……。


「ぅ……、うぐ……ッ!」

 バロンは「赤ずきんの後ろ」にいた。しかしそれだけではなく……、なんと赤ずきんの「肘鉄」が、綺麗にバロンの腹部に直撃していた。


「よし、狙いどおり!」

「……な、何故……、分かっ……た……。」

「貴方、ハデ好きでしょ? だから私の死角に来るかなって思ってて。」

 赤ずきんはアイスゴーレム撃破の動きを見て、バロンが目立ちたがり屋で派手なことをしてくると読んでいた。そしておそらく彼はただ勝つだけではなく、無駄なことをしてくると想定した。すなわち、相手の圧倒。

 瞬時に死角である後ろへ回り込み、慌てふためく様子を見ながら一撃で倒す準備をし、振り向いて気づいた瞬間に仕留める……、ということをするだろうと考えたのだ。


 ちなみに実際には目で動きを見てから対応もできたのだが、「読み」を当てることができた快感を得るために、赤ずきんはバロンが動いた瞬間に目を閉じ、来ることを予想して背後に肘鉄を放っていた。まさしく強者の余裕というやつである。


「ぐっ……、なるほど。どうやら、ボクは君を軽んじてしまったらしいな。いいだろう。なら次は、本気でぶつかりに行くとしよう。」

「うん、そうしてくれる?」

 二人はそう言うと、ほぼ同時に後ろへ跳んで距離をとった。だいたいアイスゴーレムの体長と同じくらい、赤ずきんの身長の四倍くらいの距離だった。

 ダメージを受けて険しい顔のバロンと相対するは、余裕綽々の赤ずきん。



 ……先に動き出したのは赤ずきんのほうだ。

 バロンにギリギリ直撃しないよう、指先から氷の弾丸を二個撃ち出した! 彼がどのように対処するのかという様子見が目的の攻撃だった。


 バロンは氷弾を視認すると、「大きく動いて避ける」ことにした。……弾はそのまま地面に突き刺さる。

 赤ずきんはそれを見て、彼がようやく本気になってくれたと実感した。というのももし彼にまだ余裕があるのなら、正体不明の氷弾を叩いたり、ギリギリで避けたりするなど、「安定性に欠けた対処」をすることが考えられたからだ。

 もし氷弾が触ると爆発する仕掛けにでもなっていたら、叩いて対処すると大ダメージを受けることになってしまう。

 もし氷弾が途中で大きくなったり、わずかでも軌道がズレたりしたら、ギリギリで避けようとすると当たってしまいかねない。

 バロンは赤ずきんの攻撃に対してなにも分析できていない状態であるので、そういったリスクを負わないようにするため、大袈裟に避けるという行動は最適解のひとつであった。


 赤ずきんはそんなバロンの行動に少しばかりの敬意を表し、今度は身ひとつで接近戦をしかけるために一気に間合いを詰めることにした。

 ――地面を一度蹴って、真っ直ぐバロンに飛びかかる赤ずきん。しかしバロンはそれも警戒し、赤ずきんの線状の移動経路から垂直になるように跳び退く。


「そ。……なら、『これ』はどう?」

 赤ずきんはバロンの動きを見ながら、氷の弾丸を三つ、右手の人差し指に装填する。今度はバロンに当てるつもりだ。

「――発射!」

 氷弾のひとつは「バロンの今いる位置」を狙い、残りのふたつは「左右の逃げ道」を狙う。それは避け方を誤ればひとつは直撃してしまうという、嫌らしい攻撃だった。

 とはいえ氷弾自体はそこまで大きいものではなく、弾の間となる場所に位置取りすれば避けるだけなら難しくない。しかし問題は、バロンは「氷弾の性質を知らない」ということと、「本体である赤ずきんは野放し」であるということの二つ。

 すなわち今回の最適解は、氷弾から遠く離れて、かつ、赤ずきんが追いかけるか再度氷弾を飛ばしてきても対応できる場所に行くこと。


 そしてバロンはその場所を思いついた。

 答えは単純な話で、「上空高くにジャンプ」すればいい。地面に対して水平に撃ち出された氷弾は高さを稼げば当たらないうえ、赤ずきんが跳んで来るなら一直線でルートが分かるので迎撃しやすい。そしてどちらでもなく四発目の氷弾を撃ってきたとしても、重力によって落下するバロンは「動く」的だ。動かない的を撃つより遥かに難易度が上がる。


 おもむろに跳び上がったバロンを見た赤ずきんは、迷わず彼に突進することを選んだ。先ほどと同じように地面を蹴り、空中に飛び出す。

 バロンはそれを見て、迎撃準備。赤ずきんの速度に合わせて拳や足を前に突き出せば、それだけでパンチやキックが成立するのだ。


 しかしバロンが足を引いて待ち構えていると……、赤ずきんの軌道は突然上にズレて、彼の視界から見えなくなる。

「――なっ!!?」

 と、思った瞬間、バロンの身体は斜め下に向かって勢いよく飛ばされた!

 赤ずきんは弧を描くように上に「飛行」し、バロンの服を掴んで彼ごと自身を一回転させ、勢いに乗せて「投げ飛ばした」のだ。

 そう、赤ずきんは魔法で空を飛ぶことができるが、バロンはそのことを知らなかった。


 自身が跳んだ高さに、赤ずきんの飛行速度と遠心力が加わり、かなりのスピードで地面に急速接近するバロン。彼は不意を突かれながらも空中で姿勢を変え、なんとか受け身をとる準備をしていた。

 だがそこは、赤ずきんが一枚上手だった。

 なんと赤ずきんがバロンを投げた先には、「射出された氷弾」があったのだ。彼がいくら受け身をとれたとしても、それが効果的なのは着地点になにも無い場合だけ。今回のように異物がある場合、それだけで着地のタイミングや姿勢がズレて衝撃をやわらげられないこともある。


 そして赤ずきんの氷弾は、ただの異物ではなかった。

 バロンが氷弾に触れた瞬間、氷は急激に体積を増して彼の身体を包み込む。すると……、一秒ほど静止したのちに、内側に凝縮されていた「エネルギーが急激に膨張」、ガシャン! 解き放たれた衝撃により氷は砕け、破片を散らしながらバロンを吹き飛ばす!

「ぐあっ!!?」

 鋭利な氷片が突き刺さりながら吹き飛ばされ、地面を転がるバロン。これでも身体強化の魔法をかけているのだが、もし生身であれば確実に死亡していたほどだった。


 ……。


 ――さてここまで、赤ずきんが肘鉄を喰らわせて二人が距離をとってから経った時間は、実に七秒。まだたったの「七秒」なのだ。しかもその半分は赤ずきんが言葉を発していただけで、実際の戦いは四秒にも満たない。



 そして……、赤ずきんとバロンはその後、「五分」もの間戦い続けた。単純計算すると五分とは三百秒。彼らの先ほどのやりとりが七秒なので、そのおよそ四十三倍の時間なのだ。


 それだけの間、戦った二人はどうなっているかというと……。


「はぁ……、はぁ……。」

 赤ずきんは息を切らせていた。短距離走の選手でも五分間ずっと全力疾走していれば疲れて当然なので、まだ分かるだろう。

 しかし片やバロンのほうは、満身創痍と言えるレベルでボロボロだった。赤ずきんの攻撃そのものや、吹っ飛ばされて地面で擦れたことにより、衣服や肌のところどころが損傷。自身の血でその身を汚しながら、地に伏せるように倒れていた。


「……な、何故、だ……っ!」

 倒れながらもがくバロン。その声は赤ずきんに向けられていた。

「はぁ……。何故殺さないのか、ってこと?」

「何故だ、何故だ! ……何故オレはこんなヤツに勝てないんだっ!!」

「あっ……、そう。」


 赤ずきんは彼の態度に呆れ果てた。ここまでやってもまだ心が折れていないらしい。

 赤ずきんが多少疲れを見せているとはいえ、力の差は明らかだった。それなのにまだ負けを認めないということは、よほど現実を受け止められないか、いまだに隠している奥の手があるということか。どちらにせよこんなに追い込まれている時点で、やはりバロンは赤ずきんが満足できるほどの強さではなかったに違いない。

 ちなみに赤ずきんが彼を殺さない理由だが、単純に「面倒」だからである。動物を殺害しても多くは器物損壊罪になる程度なものだが、相手が人間であるだけでそれは重い罪となる。赤ずきんとしては重い罪を持とうと特に気にしていないのだが、それを気にする「弱い連中」に追いかけ回されても面白くない。なので殺害は避けたかったのだ。


「……やる……。……してやる……。」

「ん?」

「殺してやるぞ、女ァ!!」

 当初の紳士的な態度はどこへやら、殺意むき出しで起き上がったバロンは赤ずきんに向かって叫んだ。

「あちゃー、やり過ぎたかぁ。」


 何故こうもバロンが憤っているかといえば、赤ずきんのせいであった。

 なんと赤ずきんはバロンを殺さずに心を折るため、五分間のうち最後の三分ほど――実質半分以上の時間――は徹底的に彼を「おちょくっていた」のだ。

 具体例を挙げると、赤ずきんがバロンに対して直近で攻撃した三回。その一回目は「デコピン」、二回目は「膝カックン」、最後の三回目は目の前で手を叩いて音を出すだけの「猫騙し」だった。下手に強い攻撃をしてしまうとバロンが死ぬ恐れがあったので、極限まで手を抜いて攻撃する必要があった。それこそ、彼女が息切れして精神力を消耗するくらいに面倒なものであった。それも全てはバロンの心を折り、負けを認めさせるため。

 しかしその思惑通りにいかず、バロンを逆上させてしまった。赤ずきんにとって面倒なことこの上ないというわけだ。


 とはいえここまで実力差を見せても心が折れないというのは、やはり普通ではない。もしかしたら、本当に奥の手を隠しているのかもしれないとも赤ずきんは考えていた。

 そして……、その考えはどうやら的外れではなかったらしい。バロンは倒れながら赤ずきんに向かって、右手を伸ばして手のひらを向ける。

「――死ねぇッ!!」

 バロンはそう言うと、右手をぐしゃっと音が鳴りそうなくらいに強く握る。


 すると次の瞬間、赤ずきんは口から大量の血を吐き出した。

「ッ!? かはぁ……っ!!?」

 続いて赤ずきんを襲うのは、「死」の気配を孕んだ強烈な痛み。どうやらバロンの魔法により、身体を内側から潰されたらしい。赤ずきんはそのまま立っていることも難しくなり、膝をつく……どころか、一気に倒れ込んでしまった。


「……くくく、はははは。ど、どうだ! オレの【ハート・クラッシュ】は!!」

 バロンは倒れた赤ずきんを見て、自分も倒れた姿勢のままだが高笑いをした。


「勝った! このオレをバカにするからだ!! ざまあみやがれ!!」



「は、【ハート・クラッシュ】……!?」

 観客席にいたリレインには、赤ずきんとバロンのやりとりが見えて聞こえていた。(とはいえ、赤ずきんの素早い動きは目で捉えられない時もあったのだが。)

 そしてリレインは、バロンが発した言葉を聞いて驚いた。


 【ハート・クラッシュ】がその名前のとおりの魔法であるなら、心臓ハート潰すクラッシュということになる。いくらあの赤ずきんが強いとしても、心臓を潰されればひとたまりもない……、

 ……こともない、ということをリレインは知っていたからだ。


 先日、メテビア市に来るために乗ってきた列車内で、赤ずきんは確かに言っていた。


~~~


「……ま、確かに心臓が止まったら危ないけどさ。」

「けど……?」

「対策すればよくない?」

「……なにをですか?」

「心臓を止められてもいいように。」


……。


「カンタンだよ。魔法で心臓の代わりを果たせばいいの。」


~~~


 バロンはきっと決死の思いで【ハート・クラッシュ】を使用したのだろう。だがもし赤ずきんが前に言っていたことが本当なら、ダメージを与えただけで死に至ることはない。

 そして赤ずきんが口だけの人間ではないということは、身近にいてよく分かっていた。ほぼ間違いなく本当のことなのだ。きっと心臓を潰されたくらいでは、赤ずきんは死なない。


 だからリレインは「それ」を見ても、特に驚きはしなかった。



「………………。」

 赤ずきんは声を発することもなく、動き出そうともしない。傍目には死んでいるようにしか見えないだろう。そして死んでいるということは当たり前だが、自分から動くことはできないはずだ。


 ぴくん……。


 ゆえに赤ずきんの身体が一度跳ねたのを見たバロンは、見間違いだと考えた。あるいは、風かなにかによって動いたんだ。そうに違いない、と。


 ぴくん……、ぴくん……。


 しかし、見間違いや風にしては動き過ぎている。

「は………………、っ!?」

 だが、間違いなく心臓を潰した。あいつは口から血を吐き、倒れて動けなくなった。間違いなく潰した。潰したはずだった。手にもその感触は確かにあった。

 いや……、本当に潰したのだろうか。それこそ見間違えだったのではないだろうか。

「――はは、ははははは……っ!」

 そうだ、見間違えに決まっている。そうでなければありえない。


 ……「あの女の死体が浮かび上がっている」だなんて、見間違えだ。



 ……。


 赤ずきんの身体は宙に浮かぶ。それはまるで昇天のようだったが、バロンを見下ろす高さまで浮かぶと、彼女は上半身を起こして目を開いた。

「――あー、痛かったー……!」

「ッ!!?」

 その声は決して大きいものではなかったが、バロンの耳にもしっかりと届いた。


「いやー、やってくれるじゃん。ちょっとナメてたかな。」

 そして赤ずきんとバロンは目が合う。あまりのことにバロンは固まり、声も出せなかった。

 赤ずきんはそのままゆっくりと降下して、着地。ドスン! ……それは少女が落下した音にしては、あまりにも重いものだった。それは決して音だけのものではなく、なんと赤ずきんの着地点には浅めのクレーターができていた。

 この時、バロンは恐怖を覚えていた。それは心臓を潰したはずの女が生きているからではなく……、目の前にいる「赤ずきんの重圧感があまりにも大きい」ためだった。

 今の彼女はバロンにとって、今まで戦ってきた相手の誰よりも、いや、今までのどんなもの、できごとよりも恐ろしかった。


 何故バロンがそう感じているのか。それを端的に表すなら、赤ずきんがついに本気を出してしまったことが理由になる。否、正確には赤ずきんが「本意ではないが、本気を出すことになってしまった」。

 どういうことかというと、赤ずきんはバロンと戦っている間、常に自分にリミッターをかけていた。心臓を潰された時の対策と同時に、「心臓の動きを抑制する魔法」をかけて過ごしていたのだ。そうすることで身体能力を抑えることができ、気を抜かなければ人を殺さないように振る舞うことができるのである。

 何故圧倒的と言えるほどの強さを持つ赤ずきんが、ブラストウルフに追いかけられたり、格下相手と数分戦ったりしただけで「息切れ」をしていたのか。それこそが大きな理由だったのだ。

 そしてそのリミッターは、バロンが心臓とともに破壊した。今までは「手加減の手加減」という状態だったが、もう一切の手加減が無くなってしまった。そう、「手加減の手加減」という状態でもバロンを子ども扱いできるほどの強さだったのだ。ならば彼が恐怖を覚えるのも無理はない。


 赤ずきんがバロンに向かって一歩足を踏み出すと、脚力が強いあまり地面が割れた。そこに攻撃の意思はなかったのだが、バロンを震えさせるには充分だった。

「ひ、ひぃぃぃっっっ!!?」

「……あー、めんどくさいなぁ、もう。」

 赤ずきんはそう言いながら浮かび上がった。下手に足踏みをするだけで運動場を破壊しかねないためだ。


「さてと……。あなた、バロンさんだっけ? 離れたとこから魔法で内側を潰すって、面白いじゃない。ちょっとマネさせて。」

 そう言うと赤ずきんは右手人差し指を伸ばし、なにもないところを突く。それを三回ほど行うと、

「ふぐぉっ!!?」

 三回目にして突然、バロンが叫びながら腹部を押さえてうずくまった。

「ああ、こういうことか。理解。」


 赤ずきんは見よう見まねで魔法による遠距離攻撃をやってみたところ、指が遠隔でバロンの腹部に直撃した、ということだった。赤ずきんとしては軽く指でつついた程度だが、バロンは鳩尾みぞおちを思い切り殴られたような重いダメージを受けていた。


「うん、位置調整はこんなもんか。――ねぇ、バロンさん。『やり返していい』?」

「……っ!?」

 バロンは言葉を発することもできず、驚くことしかできない。

「『どういうこと?』って顔……。いや、結構痛かったから、あなたのも潰しておきたいなーって思ったの。」

 赤ずきんはバロンに向けて右手のひらを広げ、狙いをつけながら微調整を行う。その矛先は……、バロンの心臓。

「まさか、死なないでしょ? これくらいじゃ。」

 狙いがピッタリ合った瞬間、バロンは生物としての本能で「死」を感じ取り、上半身をわずかに動……、

「えいっ。」


 ――パァン!

 赤ずきんが軽い声と同時に開いた手を握ると、なにかが破裂したような音がした。

「ぐあああぁぁぁぁぁッッッ!!!」

 そして一瞬遅れて聞こえる、バロンの慟哭どうこく。彼のほうを見ると……、なんと左腕が真っ赤に染まり、肘から先が無くなっていた。破裂音は「彼の腕が握り潰された」音だったのだ。もし彼が上半身を動かしていなければおそらく、破壊されていたのは心臓だっただろう。死に至らずに助かったと言うべきか、重症で苦しむはめになってしまったと言うべきか……。


「あー、動くからー……。」

 そんな相手に対して、赤ずきんはまたもや軽い口調であった。

「ウワア、いやだ、たすけ、しぬ、ウワ、ワワワワァァァァあああ!!!!?」

 度重なる恐怖と、左腕を破壊された現実を受けて、バロンは完全に正気を失っていた。派手に吹き飛ばされた左腕からは大量の血が吹き出ており、このままでは間違いなく失血死するだろう。そうでなくとも、彼の精神はもう壊れてしまっている。


 その壊れ様は、赤ずきんのやる気を削ぐのに充分だった。

 やり返そうとしただけなのに、ここまで醜くなるなんて。あーあ。これ、放っておいたら死ぬだろうなぁ。めんどくさっ。……などと、赤ずきんは思っていた。

 もしこのままバロンが死のうものなら、赤ずきんは間違いなく加害者認定されるだろう。仮に生き残ったとしても、精神崩壊により自殺してしまったら同じこと。そうすると弱い連中に追いかけ回されるはめになる。やはりそれは割に合わない。


 そんなこんなでどうしようと考えていた赤ずきんだったが、ひとつの案を思いついた。

「あ、そっか。血を止めて黙らせればいいんだ。」

 赤ずきんは宙に浮いたまま、バロンに向かって魔力を込めた手を伸ばす。そしてまずは、彼の「左腕を血液ごと凍結させた」。


「ぎゃあッ!?」

 突如冷たくなった左腕に驚くバロン。


 失血を防ぐにはどうすればいいか。血が何故流れ落ちるかといえば、液体だからだ。ならば温度を下げて固体にすればいい。固めてしまえばこれ以上血は流れない。という、シンプルな考えであった。


「で……、ほいっと。」

 続く赤ずきんは、「バロンの顔を凍りつかせた」。これにより口元を氷で覆い、強制的に黙らせることに成功した。


「――~~~~ッ!?」

 バロンは言葉を発することができないながらも必死に、それはもう必死に、ジタバタともがき苦しんでいた。何故なら封じられていたのは口だけではなく鼻もだったからで、要するに「呼吸ができない」状態となっていたのだ。

 彼はそのままはひとしきり暴れたあと……、ついにぱったりと動かなくなった。


「これでよし。」

 赤ずきんはバロンが動かなくなったのを見て、魔法を解除して顔の氷を砕いた。なにもバロンを殺したかったのではなく、一時的に黙らせることが目的だった。赤ずきんの案とは、「窒息による気絶」だったのだ。

 後は彼の身体が必死に生きようと無意識に呼吸するはずなので、放っておけば死にはしないだろう。


「あー……、ほんっとに痛かったぁー……。」

 赤ずきんは空中にいるまま背伸びをし、何故か少し嬉しそうな声色で言った。


 言うまでもないことだが。赤ずきんとバロンの戦いは、これにて赤ずきんの勝利で終わった。



 「うわぁ………………。」

 観戦していたリレインは完全にドン引きしていた。彼はバロンの知り合いというわけではなかったが、さっきまで活発に動いていた者が封される姿は気分の良いものではなかった。

 (しかし、先に心臓を潰すという非人道的な行いをしたのはバロンであるが。)


 そんな凄惨な光景を目の当たりにしていたリレインは、無意識的に赤ずきんのほうを見る。するといつの間にかそこには、赤ずきんの他にもうひとり誰かがいた。

「え……?」



「イッヒッヒ。」

 赤ずきんの後ろにいたのは「老婆」。位置的に老婆は赤ずきんの暴虐を目にしていただろうが、そんなことは無かったかのように堂々としている。その老婆は腰も曲げておらず、まっすぐ直立していた。

「その声は……、おばあ様!?」

 老婆の声を聞いた赤ずきんは驚き、すぐに振り向く。

「元気でやっているようだね、『エリザベス』。……いや、今は『赤ずきん』と呼んだほうがよかったかな? イッヒッヒ。」

「いや、エリザベスでいいけど……。おばあ様、なんでこんなとこにいるの?」

「そんなこと、どうでもいいじゃろう。お前さん、『魔王』に会いたいんだろう?」

 赤ずきんと老婆は久しぶりの再会のようだが、それにしても老婆はやけに赤ずきんの事情を知っているようだった。


「あ、それ知ってるんだ。うん、そうだよ。」

「だから……、イッヒッヒ。そのために『この大会』を開いたのじゃ。」

「え……!? それって魔王討伐の、これ?」

「イッヒッヒ。」

 その笑い声は「肯定」の意味を含んでいた。どうやら赤ずきんが「魔王」を探していることを知り、わざわざ格闘大会を開催したのだ。


「ま、どうせお前さんを呼べさえすればなんでもよかった。他のヤツらはただのチリさね。」

「そう? 強いやつなんて探せばいそうだけど。」

「いいや、それはない。お前さんより強いヤツなんて、世界中どこを探してもおらん。」

「えー、ウソだぁ。」


 老婆の言うことに対して疑問を浮かべる赤ずきん。別に自分が弱いとは思っていないのだが、「最強」かどうかと聞かれると即答はできなかった。何故ならいくら赤ずきんとはいえ、世界の全てを知っているわけではないのだから。

 それこそ、「魔王」のことはなにも知らない。だからこそ手がかりを求めてここにやって来たのだ。なので赤ずきんは思い切って聞くことにした。


「……じゃあ私って魔王より強いってこと?」

「いや? それも違うぞ。」

「それなら……、どういうこと?」

「まだ分からんのかい。なら教えてやるかね、イッヒッヒ。」

 老婆は赤ずきんを見つめながら、わざとらしくわらい、告げる。


「――『魔王』とはエリザベス、アンタのことだよ。」

「………………え?」



続く

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氷の魔法の赤ずきん ぐぅ先 @GooSakiSP

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