第2話 赤ずきんと旅行

「フム……、ここにおったようだね。」


 薄暗い小屋の中、机の上の水晶玉のようなものを見ながら、老婆が呟く。

 その水晶玉のようなものには二人の人間が映っていた。それは赤いずきんを被った少女と、頼りなさそうな青年。


「……『赤ずきん』ということは、予言のときはもう間も無く……、か。イッヒッヒ。」


 老婆は本棚から、ゆっくりと一冊の本を取り出した。それには絵本のような、絵日記のような……、絵の描き方を心得ていない子どもが描いたような、崩れた絵があった。そして老婆が開いたページには、「赤ずきん」を模したような絵。

 老婆がその絵を見つめていると、部屋の中にいた「猫」が老婆に飛びついた。


「……うん? お前さん、これが気になるかい? なら、読み聞かせてやろうか。イッヒッヒ……。」


 老婆は「猫」に語りかけるように言った。



 列車には、座席が有料となっているものがある。基本的に列車というものは料金を支払って乗るものだが、そこからさらに料金を上乗せすることで、通常よりも快適な座席に座ることができるのだ。

 例えば、二人で隣り合った席。ゆったりとした広めの椅子に、手を伸ばせば簡単に用意できる、飲み物や食べ物を置くことできる台。そして各駅には、そういった座席で食べるための弁当が販売されていることが多い。また、端の席には眺めを楽しめるような構造になっている窓があり、動く景色が観る者を楽しませたり、話の種になったりもする。

 そして到着時刻まで乗客はなにをしてもいいし、なにもしなくてもいい。ただ時間が過ぎるのを和やかに待つだけでいい。これを「旅行」という目的において利用するのは、ひとつの正解と言えるだろう。


 ……と、前置きが長くなったが、ここからは簡潔に表すことにする。


 今、赤ずきんと青年は、列車に乗っていた。


 前回の時点で青年は、なにもかもを諦めて卒倒したのだが、赤ずきんは行動の規模が大き過ぎただけでそれ以外は普通の少女なのだ。(人を殺しているれっきとした犯罪者ではあるが。)

 ともかくその後、覚悟を持って接すれば意外と分かり合えるということが判明した。そのため、二人は並んだ座席に隣り合わせで座り、比較的普通に会話している。

 なおその座席はもちろん有料、しかも弁当も完備だ。さらに料金は全て、赤ずきん持ち。彼女は強さ故にそれなりに稼いでいるのである。


「……そりゃ、死ぬでしょう。」

 会話の中でその青年、リレインが言った。

 ……流石にずっと焦点を当てているのにまだ「青年」呼びなのは彼に悪いので、ここからは名前を書かせていただく。


 リレインは赤ずきんの話に出てきた、【キネティック・エナジー・ストップ】について話していた。

 それは、赤ずきんが「狼」――「ブラストウルフ」という種族らしい――に対して使用した「範囲内の全ての運動エネルギーを停止させる魔法」だが、彼が言うには……。

「酸素もそうかもしれませんが、まず全ての物の動きが止まっちゃうんですよね?」


 赤ずきんはまるで他人事のように返す。

「うん。たぶん。」

「たぶんって……。まあ、それなら心臓とかも止まるってことになりますよね?」

「うん。そうかも。」

「じゃあ、それで死ぬじゃないですか。」


 心臓が止まれば死ぬ。これはある程度の教育を受けた人間なら、誰もが知っている常識である。

 実際に自分の心臓が止まったり、あるいは身近な人の心臓が止まった経験がある人は少ないだろうが、死ぬということは古今東西、さまざまな物語の中で生物の死を表現するためによく使われる。またフィクションでなくても心臓マッサージのやり方は、緊急時のために多くの人が一度は学ぶだろう。心臓が止まることは命の危機というのは、誰もが、いつ初めて知ったか分からないほどには常識なのである。

 ……だが。


「え?」

 赤ずきんは何故か不思議そうに聞き返した。

「……え?」

 リレインも思わず聞き返す。赤ずきんはそれに対して言葉を続ける。


「えっと、ただ『心臓が止まるから死ぬ』ってこと?」

「……それ以外にあります?」

「別に死ななくない?」

「………………は?」


 リレインは言った。「心臓が止まれば死ぬ」と。

 だが赤ずきんはこう言った。「心臓が止まっても死なない」と。


 ………………。


 ……二人の間にしばらくの沈黙が流れる。


「……ま、確かに心臓が止まったら危ないけどさ。」

 その沈黙を破ったのは赤ずきん。


「けど……?」

「対策すればよくない?」

「……なにをですか?」

「心臓を止められてもいいように。」

「……? ………………??」


 リレインは混乱していた。というのも、この隣にいる女がなにを言っているのか、理解できないからであった。


「そんなに難しい話かなあ。」

「……あの、難しいというか、訳が分からないというか。」

「カンタンだよ。魔法で心臓の代わりを果たせばいいの。」

「……え? ああ。」


 確かにそれならなるほど、理屈は理解できる。リレインは一瞬そう思った。


「………………え? どういうこと?」

 しかし理解できていなかった。理解した気になれただけだったのだ。


「じゃあ教えるね。まず心臓って、全身に血を送り出す役割があるでしょ? それは……。」


 ………………。



 ……数十分後。リレインはひたすら相づちを打ちながら無心で過ごしていた。赤ずきんの説明がひたすら続いていたのだ。だが、リレインは魔法にも医学にもそこまで明るくないので、彼女の言葉が耳に入っては、ただ抜けていくだけであった。


「……だからそうしておくと、心臓が止まっても平気ってこと。それでその後に……、」

「ア、ソウナンデスネ……。」


 喋り方がおかしくなる程度には大きな精神的疲労を抱えたリレインに、無自覚無遠慮な赤ずきんの追撃が来ようとしていた。しかしその時、車内に響き渡る声が聞こえてくる。


「……間もなく~、間もなく~、『メテビア』。『メテビア』です。お降りのお客様は、お忘れ物の無いようご注意ください。間もなく~……。」


「あ、もうそんな時間なんだ?」

「………………(ホッ、終わった)。」


 それは二人の目的地であり、リレインの地元である『メテビア駅』に着くという旨のアナウンス。列車の旅とともに赤ずきんの知識披露会も終わりを告げるのであった。



 メテビア市。そこは、右を見れば広大な畑と数軒しか見当たらない家屋、左を見れば広範囲に広葉樹が生い茂る深い森。そんな、左右にどこかミスマッチさが感じられるような風景が出迎えてくれる場所であった。どこを見てもだいたい自然溢れる情景となっていて、一言で表すなら「田舎」が相応しいだろう。

 赤ずきんは大きな荷物を両手で持ちながら、リレインは肩にそこそこサイズの鞄を肩に掛けながら駅から出てきた。


「とりあえず泊まるところから、でしたっけ?」

「それなら大丈夫。予約してきたから。」


 赤ずきんは荷物から地図付きのガイドブックを取り出し、広げながら言った。周囲の景色と地図を見比べていて、すぐにだいたいの方角は掴めたようだった。

 そして宿泊施設のある方角と思われし方向を向きながら赤ずきんが言う。


「じゃあ行ってくるね。待ち合わせ場所はどうする?」

「あれ、案内しなくて大丈夫ですか?」

「たぶん大丈夫。それにキミって飛べるの?」

「……いえ。」


 赤ずきんは魔法により、その身ひとつで「空を飛べる」。しかしそれはリレインはもちろんのこと、実は並の魔法使いが逆立ちしてもマネできないほどの技術であった。

 なのでそもそも魔法が使えないリレインは、空を飛べなくて当たり前で落ち込む必要も無いのだが、やはり少しは気が沈む様子。


「……まあまあ、すぐ戻ってくるから。とりあえず、ここでまた集合でいいかな?」

「ああ、はい。ではそれで。」

「じゃあそういうことで。」


 そうして赤ずきんは荷物を手にふわりと飛び上がり、空に消えていった……。



 ………………。



 ……およそ二十分後。消えていった場所と同じところから、手荷物ひとつ持っていない赤ずきんが飛んで来るのが見えた。


「あ、おかえりなさい。」

「おまたせー。」

 とん、と軽やかに地面に着地。そのまま赤ずきんは言葉を続ける。


「さてと、じゃあ……、『本題』に案内して。」

「ええ、そうですね。」



 リレインの地元である、メテビア市への旅行の主な目的。それは「害獣駆除」であった。



 「サンドアリゲーター」。

 中型のワニの一種。全身が土のような茶色をしていて、人間でいうところの肩甲骨あたりの場所に、握り拳ほどの穴が左右ひとつずつ空いているのが特徴である。

 主食は土で、そこに含まれるミネラルや水分などを摂取。その後は食べた土の残りかすとして、背中の穴から砂を排出するという習性を持つ。その砂が出てくる様がまるで翼のように見えることから、別名「ドライウイング(乾いた翼)」とも呼ばれることもある。この砂の排出は排泄行為のようなものなのだが、敵対生物から逃げる際の攻撃にも使われる。



「それ、図鑑で見たことあったかも。」

 赤ずきんは昔に読んだ図鑑を思い出しながら言った。


 さて、今は畑が広がる道を歩きながら、二人が会話しているところである。

「特に、『砂害さがい』が深刻なんですよ。」

「そうなの? でも確かサンドアリゲーターの砂って、高価じゃなかった?」

「それはそうらしいのですが、砂は排出されたての状態でなければ値がつかないんだそうです。」


 サンドアリゲーターから排出されたての砂は、きめ細やかで「砂」としての品質が非常に高い。なのだが、例えば砂が舞ってから地面に落ちてしまうと、それだけで一気に品質も落ちてしまうのだ。

 これは言うなれば「三秒ルール」のようなもので、「三秒ルール」とは食べ物が地面に落ちてから細菌が付着するまでに三秒かかり、その前に拾って食べれば細菌は付着せず、問題無く食べられるというもの。それと同様に、サンドアリゲーターの砂も地面に落ちてから三秒ほどで不純物が付着してしまい、品質が維持できないという訳である。


 リレインは続けて話す。

「それにあの砂では作物が育たないので、どんなに高価でも駆除されたほうがありがたいと思います。」

「ああ、土から水とか栄養とかが奪われちゃってるから、ってこと?」

「そういうことですね。」

「なるほどねー。」


 ……そんなこんなで話しながら二人が歩いていると、遠くのほうに砂が舞っているのが見えた。そして舞う砂の下にはワニらしき影も。


「お! アレかな?」と赤ずきんが言った。

「たぶん、そうだと思います。ではお願い……」

 します、と続けようとしたところ、赤ずきんは颯爽と中空に飛び出した。

「あっ……。」


 赤ずきんがジャンプした着地点に向かって氷を放ち、地面を凍らせる。そこからまるでスケート選手のようにスピードを出しながら滑り、赤ずきんはあっという間にワニの元にたどり着く。

「よーし、まずは……。」


 利き手ではない左手を前に突き出し、気合いを込める。

「【ブリザード】!!」


 赤ずきんが使う中でも比較的、一般的な魔法である【ブリザード】。なお一般的な魔法というのは、「人間レベル」の魔法という意味である。しかしそれでも普通の人間からしたらかなり強いくらいなので、あえて利き手ではない手で放出することで出力を制限していた。


 だが……、ワニは変温動物である。


 変温動物とは、ほとんど自力で体温を調整できない動物のこと。大まかに、暑い場所では体温が高く、寒い場所では体温が低くなるという性質を持つ。そして多くの変温動物は体温が低すぎると活動できず、「凍死」してしまうことも珍しくない。これは人間のような恒温動物とは異なり、体内のエネルギーを使用して体温を上げるということができないためである。もちろん、サンドアリゲーターもその例に漏れない。

 そこに寒さの権化とも言える、吹雪が襲いかかるとどうなるか。


 サンドアリゲーターは、動きを止めた。


 ……とはいえすぐに死ぬということでもなく、ごくわずかだが動いていた。なので赤ずきんからは、ただびっくりして動きが遅くなったようにしか見えていない。赤ずきんはサンドアリゲーターがすでに死にかけていることも知らず、追撃を加えようとしていた。


「よし、動きが止まった! 【アイスネイル】!!」

 赤ずきんは右腕を後方に伸ばしたかと思うと、手のひらから鋭く尖ったつららが生えた。その見た目はまるで巨大な「釘」のよう。

 そして彼女は、勢いよく地面を蹴って飛び上がる。そのまま、満足に動くことのできないサンドアリゲーターの真上から……、


 グチャッ! 硬いウロコを貫き、「釘」はその心臓を串刺しにした。


 ………………。


 赤ずきんはそのまま様子をうかがっていたが、サンドアリゲーターが微動だにしないことを確認すると、「釘」を引き抜いた。血が吹き出るということはなく、「釘」によりできた大穴と、肩の二つの穴でキレイな正三角形が生まれていた。

「ま、こんなもんでしょ。」


 ちょうどその時、リレインが慌てて走ってくるのが見えた。

「ま、待ってくださーい……!」

「ほら、ちゃんと殺しておいたよー。」

 そんな物騒なことを言った赤ずきんの顔は、笑顔だった。


「………………。」

 リレインはそれを見て、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。赤ずきんがまた人間離れした行動をしたため、やはり「魔王」にしか見えないのだ。


 そしてその「魔王」はふと思いついたように、リレインに問いかける。

「あ、そうだ。『コレ』って貰ってもいい?」

「『コレ』って……。」

 赤ずきんが指しているのはサンドアリゲーターの死体。

「好きにしていいなら処分してくるけど。」

「あ……、まあ、たぶん大丈夫です。」

「オッケー。」


 赤ずきんはそう言うと氷の魔力を解放し、パキッという音を立てながらサンドアリゲーターの尻尾以外全てを氷漬けにした。そのまま尻尾を両手で掴み、サンドアリゲーターを担ぎ上げる。

「じゃあ貰ってくね。一時間くらいで戻ると思う。」

 そのまま赤ずきんは浮かび上がり、凍ったワニの死体とともに空へ消えていった……。


 ………………。



 ……残されたリレインは、まだ落ち着かない様子だった。

 町の人々が厄介者にしていたサンドアリゲーター。最初は普通に退治しようとしていたが、撒き散らす砂のせいで近づくことも難しく、すぐに手に負えなくなった。

 そうして退治のための会議を開いたり、他の市や町から腕自慢の駆除業者を呼ぼうとしたりしていたり。だがそんな中、サンドアリゲーターの砂が高価であることを知った町長が、突如退治に対して反対を始めて……。などと、色々あっておよそ三か月にも渡るいざこざとなっていたが、赤ずきんのおかげであっという間に解決したのだ。

 みんなに黙ってでも退治の依頼をしに行ったかいがあったかなと、リレインは考えていた。


 さて、悩みの種は退治された。その死体の処分もされる。となればあとは、リレインの仕事はその事実を報告するのみだ。

 赤ずきんが戻ってくるまでにおよそ一時間と考えると、家に戻って休憩する時間はあるだろう。そう思ったリレインは一度帰宅することに決めたのであった。



 ……一方で赤ずきんは、というと。サンドアリゲーターを担ぎ上げたまま、とある廃墟にやって来ていた。廃墟の入り口は妙に白いシャッターで閉められており、その目の前にはフードで顔が見えない男がひとりポツンと佇んでいる。


 その男はワニを担いだ赤ずきんに気づくと顔を上げ、話し始めた。

「ん、なんだい? いきなりそんなモノ持ってきて。キミ、名前は?」

「あー、なんだっけ。……確か、『ブランシェット』。」

「……ああ、ご存知のようだね。通って。」

 男はトランシーバーのようなものに小声で囁くと、やがて、シャッターが昇っていく。


 通称「ブランシェット隠れ家(かくれが)」。ここは表向きにはただの廃墟にしか見えないが、社会の流通を担っている施設のひとつ。そして取り扱っている商品は……、金である。分かりやすく言い換えるなら、「モノを金に換える」施設。一般的な消費の概念では金をモノに換えることが多いのだが、ここではその逆をしているのだ。


 例えば、赤ずきんが持ってきたサンドアリゲーターの死体を普通に売ろうとすると、なかなかに大変である。まず売る者の身元証明からして大事おおごとで、サンドアリゲーター自体の身元も明らかにする必要がある。理由は極端な話、動物園やサーカスなどで興行用に飼われていた動物を殺害したり、研究施設などで保管されている実験動物や剥製を持ってきたりして売ることも可能であるからだ。違法な手段で入手した物を金に換えた場合、換金を行った施設側に責任が追及されることも珍しくはない。またそうでなくても、表面に見えない微生物、細菌の類が生態系に影響を与えることもある、という点も無視するには大きい要素に違いない。

 今回は凍らせて細菌の活動を抑えているとはいえ、死体を市や町の許可も取らずにほぼ無断で持ってきている。許可をとれば法に触れることは無いとしても、公に手続きを踏むとなると手間になることが予想された。なので赤ずきんはここに運んできたのだ。


 そして一点、冒頭のやり取りについて補足。

 男は「キミ、名前は?」と聞き、赤ずきんはそれに対して「ブランシェット」と回答した。どういうことかというと、ここはいわゆる「一見さんお断りシステム」で、男が言ったのは「キミ、(この施設の)名前は?(知ってたら通してあげるよ)」という意味だったのだ。

 何故このような回りくどいやり取りをしているかというと、金にならない不用品を持ってくるような、民度の低い人間を選別するためだ。通常「キミ、名前は?」と聞くと当人の名前を答えるはずなので、そこで馬鹿正直に「ブランシェット」以外の言葉を答えてしまうような情報弱者を入れないようにすれば、そこの利用者はある程度分別がついているか、信用できる筋からの紹介のみということになるというカラクリだ。

 ちなみに名前を聞くことで、ブラックリストに入れることが容易という利点もあるのだが……、それは本筋とは関係ないので、ここは補足の補足ということでひとつ。



 ……。



 廃墟の中には、入り口にいた男とはまた別の男がいた。赤ずきんは明るい調子で彼に声をかける。

「こんちはー。」

「いらっしゃい。……ワニ、か。持ってくるの、大変だったろう。」

「……や、そうでもないよ。それでコレ、いくらくらいになる? 買人ばいにんさん」

 挨拶も軽やかに、さっそく本題に入ろうとする赤ずきんだった。買人と言われた男はそれを聞き、ニヤリと笑う。


「……逆に聞くが、いくらにしてほしい?」

「0ゴールド。」

「……ははっ。まさか、本気か? アンタ、ここを利用したことは?」

「『ここ』は初めてだけど。」

「なるほど。分かってて言ってるということか。じゃあアンタ、『なにが欲しい』?」

「……『魔王について』。なにか知ってる?」

「ふうむ、最近聞いた情報はあるが。……ま、教える分にゃ問題ないかもな。」


 要するに。

 モノを金に換える施設に、サンドアリゲーターの死体を持ってきた赤ずきん。本来ならそのまま金に換えるのが正規の手続きなのだが、そこでなんと0ゴールド……、「金は不要」と答えた。それは「金ではないものが必要」という意味だ。そしてその「金ではないもの」はなにか。赤ずきんにとって欲しいもの、それは「魔王についての情報」。

 この施設の利用客は当然ながら赤ずきん以外にもおり、その際にモノだけでなく、金を多く得るために情報も売られる場合がある。どうやらこの買人は他の利用客から「魔王」の情報を聞いていたようで、サンドアリゲーターの死体はその対価に使えそうだと判断した、ということである。

 しかしまだ、具体的にサンドアリゲーターの死体の価値を厳密に鑑定していない状態だ。買人は調べさせてもらうように赤ずきんに言う。


「ん、どーぞー。ワニがわとして使えるかな、って思うんだけど。」

「いや、背中に穴が三つも空いてる。表面積的に難しいように見えるな。」

「そっか。じゃ、値段がつかない?」

「いいや? 鮮度バツグンだから、食うには使えそうだしな。……いいだろう。」


 ……買人が言う魔王の情報とは。





「『魔王討伐隊メンバー募集』……、『格闘大会』……。開催場所は……、メテビア市!?」


 帰路に着いていたリレインが市役所の前を通ると、そこに貼られたポスターを見て驚いていた。そのまま彼の言った通りの内容が書かれていたからだ。


 概要としては、危険度ランクAの「魔王」と戦うためのメンバーを募集するため、格闘大会を開くというもの。そこで優勝したもの、ないし優秀だと判断された者は、そのメンバーとして認められるということらしい。

 しかしこんなもの、あの魔王(赤ずきん)が見てしまったらどうなることだろう。当然喜んで参加することは目に見えている。それだけなら問題無いのだが、格闘大会ということは彼女と戦う相手がいることになる。人間離れしているであろう彼女と戦って、無事で済む人間がいるだろうか。「怪我で済む人間」がどれくらいいるだろうか。

 リレインは、そんなことを考えただけで顔が青くなっていく。


「……た、大変だ! こんなの、辞めさせなきゃ!」


 まずポスターを剥がして……、いや、そんなことをしても一時しのぎにしかならない。やっぱり辞めさせるのが一番だ。しかしどうにか辞めさせることができたとして、ゴミ箱に投げ込まれたポスターを一度見られただけでも終わり。その場合、むしろ隠そうとしたことで逆上されることだろう。それこそ本当の魔王になりかねない。ならば……。

 と、いうようなことを考えながら、リレインは慌てて市役所に駆け込むのであった。



「へぇー、『格闘大会』。そんなのがあるんだ。」

「ああ。五日後に開かれるらしいぜ。」

 ……だが、リレインの焦燥は完全に無駄だった。彼が見たそのままの情報を、彼が知ったのとほぼ同じくらいの時間に、赤ずきんは買人から教えられていたのだ。


「んー……。その、『魔王』に直接繋がる情報って無いの?」

「流石に知らねぇな。無いモノは売りようがねぇ。」

「そっかー。ま、いいかな。どーせ元手はタダだし。」

 タダ、というのはサンドアリゲーターのこと。駆除対象だったものをひとりで殺してひとりで運んできたのだから、それ自体に費用はかかっていない、というわけだ。

 しかしそれを聞いた買人は、疑問を頭に浮かべる。


「……なぁアンタ。」

「ん?」

「アンタ、いったいナニモンだ? ただの若い女じゃないと見たが。」

「ま、そうかもね。」

「アンタくらいの年齢じゃあこの場所ブランシェットのしきたりも分からんだろうに、『裏メニュー』まで知ってると来た。明らかに普通じゃねぇよ。」

「あ、それ? ルールについては他のトコで『恫喝』して教えてもらったんだ。」

「……は? 恫喝?」

「そう。こんな感じに。」

 赤ずきんはそう言うと右肘を曲げて天井を指差し、パァン! と、指先から小さい氷の弾丸を撃った。

「――な、なにを!?」

「だいじょーぶ。天井に着くまでに溶けきるように調整したから。」

 確かに言うとおり、音がしたのは射出の一回のみ。天井にぶつかるような音はしなかった。


「………………。」

 しかし買人は天井を気にするどころではなく、単純に弾を撃つという行為の音に驚いていただけだった。そんな呆然としていた買人に対して、赤ずきんは続ける。

「だからね、あんまり『不誠実な対応』はしてほしくないかなって。代わりに、欲しいならお金も情報もあげるから。」

「……あ、ああ。」


 おそらく他の場所では、赤ずきんをただの少女と見くびってまともに相手をしなかったのだろう。そんな時に発砲することで「魔法でいつでも危害を加えることができる」と脅し、強引に相手をしてもらった訳である。

 そして今回も、もし「不誠実な対応」をされたら大目に見ることはしない、というつもりで意思表示をしたのだ。赤ずきんはなにかと、見た目で軽く見られることがよくあるのだろう。


「じゃ、また。なんかあったら持ってくるから。」

 赤ずきんはそう言い、踵を返して出口へ向かう。

「………………。」

 買人は赤ずきんが振り向き、自分の姿が見えなくなったことを確認した。すると「右手」を赤ずきんのほうに向けて伸ばし……。


 パァン!

「――うおおッ!?」


「だからさ……。」

 赤ずきんが後ろを見ず、かつ買人に当てないように氷の弾丸を撃っていた。続けて赤ずきんは再度振り返り、

「なんか欲しいなら言ってよ。言いたくないの? それとも『それ』、利用料として必須?」

「………………いいや。」

「ふうん? まあそれならいいか。……それじゃあね。」


 今度こそ出口へ歩いていく赤ずきん。

 そんな彼女を見ながら買人はまた手を伸ばすのだが、ついになにもすることはなかった。


 買人がかけようとしていた魔法は、対象の位置を知ることができる【プレイス・ゲット】というもの。一度に確認できる対象は十人程度なのだが、ある程度「物になりそう」な人の動向を探るため、厳選してかけることがある。しかし赤ずきんにかけようとしたところ、不審な動きを勘づかれて失敗した、というわけだった。

 【プレイス・ゲット】により場所だけを知り得たところで、それがすぐ有用な情報になるわけではない。あくまで念のためという意味合いが強いので、赤ずきんにもわざわざ「かけさせてくれ」と頼む必要性も無い。

 ゆえに本来はノーリスクなのだが、よこしまな気配を察知した赤ずきんにより、余計なリスクを付けられてしまった。ゆえに買人は動けなかったのだ。


 ……。


 そして赤ずきんの気配が完全に消えた後、ようやく買人はゆっくりと腕を降ろす。そしてすぐさま、持っている電話でとある人物に連絡することにした。

「――お、おい、婆さん! なんだよアイツは!」

『おや。その口ぶりは……。イッヒッヒ。来たんだね、「赤ずきん」が。」

「あ、ああ。」

『ちゃんと伝えてくれたんだろうね、例の情報は。』

「もちろん、だ。……本当にあれだけでいいんだろうな。」

『ああ、いいともさ。それで充分。「あやつ」を目覚めさせるには、それでな。イッヒッヒ……。』

「……なあ、アイツっていったい何者なんだよ。」


……。


「おい、聞いてるのか? ……おい。」

 買人は電話の相手に、赤ずきんの正体について聞こうとした。しかしその通話はすでに、終わっていたのだった……。



 リレインは奔走ほんそうした。赤ずきんに魔王討伐隊の情報を知らせてはいけないと、市役所に掛け合おうとした。

 しかし、いくら危険だと訴えたところで話にならないことは理解していた。なにせ「証拠が無い」のだから。ゆえに哀しきかな、駆け込んだリレインは特になにもできずにいた。


 もうこうなったら、赤ずきんには速やかに帰ってもらおう。そうだ、サンドアリゲーターはすでに退治してもらっている。ならこれ以上、彼女がここにいる意味は無いはずだ。


 赤ずきんとは連絡先を交換していたので、まずは携帯電話から通話をかけることにした。

 意外にもすぐ、赤ずきんが出たようで、風を切るような音が聞こえてきた。

「あ、あの、もしもし。」

『はーい、どちら様ー?』

「あの、赤ずきんさん。僕です、リレインです。」

『リレイン? えーっと……、ああ。で、どしたの?』

 赤ずきんはリレインのことを思い出すのに時間がかかっていた。彼にはさほど興味も無いのだろう。

「えっと、赤ずきんさんは今どこにいます?」

『んー、どこだろ。でもメテビア駅までそろそろ着くかな。』

「そうなんですね。で……、赤ずきんさんってこっちにいつまでいる予定ですか?」

『え?』

「いや、その……、サンドアリゲーターを退治したじゃないですか。それでこの後、どうするんだろうなーって。」

 リレインはなるべく遠回りに、勘づかれないように帰る気にさせるよう、さりげなく予定を聞くことにした。

『なんだっけ。えっと、とりあえず……、「五日」はいることにしたけど。』

「エ"ッ"!?」

 五日間もいると聞いたリレインはすぐ、声にならないような声をあげてしまった。五日といえば、例の格闘大会が開かれる日だったからだ。

 なにがあったかは知らないが、大会のことを知られてはいけない。どうにか、さりげなく会話を誘導し

『魔王討伐隊メンバー募集があるんだって。五日後。』

「………………え? あ、え?」

 ……赤ずきんの口から「魔王」の言葉が出てきたことを認識し、リレインの脳は一度処理を停止した。


「今、なんて……。」

『だから、魔王討伐隊の募集。メテビア市でやるんだって。』

「え……。ああ……、そっか。ははは、ははははは……。」

 そして脳の動きが正常になってから、改めて情報を理解するリレイン。だが、理解したのちに乾いた笑い声を漏らした。

 彼女がもう知っているのなら、奔走する前から考えるだけ無駄だったのだと、無力に笑うことしかできなかったのだ。


 ……しかしそもそもリレインは、赤ずきんがメテビア市内で宿泊するということを忘れていた。例えば彼女が市内を観光するだけで、格闘大会のポスターが見つかる機会などいくらでもあっただろうに。


『……あれ? もしもし、もしもーし。』

 赤ずきんはリレインが急に黙り込んだので呼びかけるが、彼が応えることはなかった。


 ……。



 ――その後その夜、リレインの体温は平熱よりも二度ほど高くなり、寝込んだらしい。

 赤ずきんがいる限り、彼の気苦労は絶えないであろうことが予測されるのだった……。



続く

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