11-2
突然、正面扉が激しく殴打された。
音がおさまると、分厚い木の扉の向うから、くぐもった声がかすかに聞こえた。
「やめて――やめて――ちょうだい――苦しい!」
その声が聞こえるや否や(私の耳に聞こえたのだから、彼の耳にはもっとはっきり届いたに違いない)、ディーンの目が大きく見開かれた。さらに、瞬時に瞳が黒から閃光のように黄色に変化し、制止する間もなく黒い狼の姿に変わる。
うしろでエーデルスタイン夫人が悲鳴を吞み込むのがわかった。
二十ヤードはある身廊を、ディーンは四つ足で駆け抜け、重い扉を
大きなカラスのようなものが床に倒れこんできた。
黒い外套から細い腕がのぞいたので人間とわかった。すかさずディーンが真っ黒な人影を押さえつける。
聖堂の冷えた空気の中に彼の吐く息が白く立ちのぼり、大きくひらかれた口から鋭い牙がのぞく。
「――ディーン、やめるんだ!」
彼が黒衣の人物の喉元に牙を突き立てる寸前に私は叫んだ。
彼は機械仕掛けの人形のようにびくりと動きを止めた。赤い舌を出して喘ぎながら、目だけでこちらを見る。闇の中のランタンのように輝く黄色い眼は、「どうしてだよ」と訴えているように思えた。
「ディーン、私はお前を殺人者にはしたくないんだ。たとえ相手が魔女でも」
特にメルの前では。
狼の姿のディーンはしばらく眼をぎらぎらさせ荒い息を吐いていたが、牙の並んだ口からなにかがこすれるような発音で、
「死にたくなかったら、メルにかけた魔法を全部解け、クソババア」
「それからほかの子たちから奪ったものも」
「――嫌よ!」メルが叫んだ。
「どうしてこのままでいちゃいけないの?! 勉強なんかできたって、べつに誰かから好きになってもらえるわけじゃないのに! みんなわたしを利用しようとするだけ! どうしてあんな可愛いだけで意地悪な子たちが好かれるの?! 不公平だわ!」
私はディーンが馬乗りになっている魔女に近づいた。
暴風に乱されたように髪はくしゃくしゃにもつれ、緑の目は血走っている。二十代後半か三十代くらいの若い女性とメルの日記には書かれていたが、呪いがはねかえされた今は、
「ちくしょう、人狼だったなんて! 道理で映らないはず――ええい、放せこの、いまいましい腐肉喰らいめ! 教会の手先なんかに使われて情けないとは思わないのか!」
「レジーナ・デメトリオウと言ったな。本名じゃないだろう。本当の名前は?」
「誰がお前なんぞに教えるもんか、腐れ坊主が!」
彼女はしわがれ声で吐き捨てた。
もともと正直に答えてもらえるとは思っていない。
「ディーン、気が進まないかもしれないが、彼女のどこかをひっかいて、少しだけ血を取ってもらえないか」
「やめろ!」
魔女は青くなって手足をばたつかせて暴れたが、ディーンががっちり押さえつけていたうえに、暴れた拍子にディーンの牙に手が当たり、裂けたところからひとすじの血がにじんだ。ハンカチを押し当ててそれを吸い取る。
「もういいよ、ディーン。どくんだ。彼女は私たちを傷つけることはできない。――さあ、瓶の中で焼かれたくなければ、少女たちにかけた呪いを全部解くんだ。そして二度と我々に近づくな」
メルが泣き出した。
ディーンがけわしい目つきでにらみつけながら、ゆっくりと魔女の上からどく。いまや老婆のように見える彼女はその場に座り込むと、不機嫌な声でぶつぶつつぶやき、最後に、メルのほうへ片腕を差し伸べた。
ついみなの視線がそちらに逸れた一瞬に、魔女の姿はかき消えた。
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