〈The Wheel of Fortune〉
11-1
メルと魔女のほうは相変わらず進展がなかったが、それでもクリスは引き受けることにしたみたいだった。
魔女のメールにはのらりくらりと返信して、数日のあいだ、夜、どこかへ長いこと電話をかけていた。英語じゃなかったから、なにをしゃべっていたのか俺にはわからない。
それからメルの家へ電話して、必要なものと日時をメールで連絡しますと伝えた。
当日、クリスは紫のストラをつけて、教会でメルの一家を出迎えた。おふくろさんたちの顔はこわばっていたが、メルはこれからなにが起こるのか全部お見通しだとでもいうみたいに、ピンクのグロスを塗った唇に余裕の笑みをうかべてクリスの前を通りすぎた。ついでに俺の顔を見てにっこりしたが、それがほんものじゃないと思うとあんまりいい気持ちはしなかった。
祭壇の前の通路に置いた椅子に座るようクリスが言い、メルは拍子抜けするくらいおとなしく従った。
「言ったでしょ、わたしは悪魔じゃないから、十字架も聖水も効かないわよ、エクソシストさん」
並みの男なら腰がとろけそうになるくらい甘い声だった。クリスは硬い表情でそれを無視して、
「お願いしていたものは持ってきてくれましたか?」
と親父さんたちに聞いた。
「……ええ」おふくろさんがハンドバッグから、なにか液体の入った試験管と小さなジッパーバッグを取り出してクリスに渡した。目を逸らしながら言う。「どうやって
クリスが、用意してあった道具類の中から素焼きの壺を取り上げて、ジッパーバッグに入っていたもの――ちらっと見えたところでは栗色の髪の毛と、なにかの切り屑だった――を入れる。次は試験管の中身だったが、これはにおいでわかった――小便だ。
メルはすましているが、おふくろさんの顔が少し赤い。だからクリスは昨日、俺に手伝わなくてもいいって言ったんだな。
「最後にもう一度お伺いしますが、これから私が行おうとしていることはあなたがたにとっては異教徒のわざで、おまけに正規のエクソシズムでもありません――それでもお嬢さんを
「……ええ」おふくろさんが堅い声で言った。
「こうみえて私は実利主義者なんです。ラビが尻込みしたときから、あなたにお願いしようと思っていましたよ。それにまあ、おそらく、
親父さんの微笑みはちょっとぎこちなかった。
「わかりました。では万が一お嬢さんが暴れ出すようなことがあれば、しっかり押さえていてください。それから、なにが起こっても、祈りが終わるまでのあいだは沈黙を守っていてください」
ふたりはうなずいた。
「ディーン、お前もだよ」
「わかった」
「そんなことしたって無駄なのに」メルがぽってりした唇を尖らせた。しぐさだけみれば可愛いんだが。
「まあいいわ、ちょっとやってみて、それでダメならあきらめてね。――そしたら、ねえ、ディーン、今度こそこっちにこない? 辛気臭い教会なんかやめて!」
メルが自分の胸元に手をやった。セーターの上からでもふくらみがはっきりわかる――こんなに胸がデカかったっけ?
「ディーン、相手にするんじゃない」すかさずクリスがさえぎる。
「神父さん、あなたもよ。瘦せ我慢なんてすることないのに」
おふくろさんが娘の口を片手でふさいだ。
「始めよう。ディーン、コンロを用意しておいてくれ」
クリスに言われて、近所の家から借りてきたアウトドア用のポータブルコンロを通路の真ん中に置く。
メルが座っている横におふくろさんがひざまずき、不安そうな、というか不審そうな目でクリスのほうを見ている。親父さんはおふくろさんのそばに立っているが、こっちは好奇心丸出しの目つきだ。
それからクリスはいつものように十字を切ってお祈りをはじめた。
「主よ、私の言葉に耳を傾け、私の嘆きに御心をとめてください。我が王、我が神よ、私の叫びをお聞きください。
……あなたの義をもって私を導き、私の前にあなたの道をまっすぐにしてください。彼らの口には真実がなく、彼らの心には滅びがあり、その喉はひらいた墓、その舌はへつらいを言うのです。
――神よ、どうか彼らにその罪を負わせ、そのはかりごとによって
暖房が入っていないので教会の中は冷え込んできたが、誰もくしゃみすらしない。
「……しかしすべてあなたに寄り頼む者を喜ばせ、
主よ、あなたは正しい者を祝福し、盾をもってするように、恵みをもってこれらを覆い守られます……」
クリスの声が高い天井に消えた。
「コンロに火を入れて」
祭壇のロウソク以外に火の気のなかった教会に、ガスの青白い
鍋の代わりにその上で炙られるのは、栓をした例の壺だ。酒瓶みたいなそれを火にかざしながら、クリスは〈主の祈り〉を逆に唱えはじめた。
国と力と栄光は限りなくあなたのものなれば
われらを悪より救いたまえ
われらを試みに引きたまわざれ
われらの罪を赦したまえ
われらが人に赦すごとく
お祈りがはじまったときには馬鹿にしたような笑みをうかべていたメルも、途中からハッとした顔で壺を見つめる。
われらの日用の
地にも行われんことを
とろ火で炙られる素焼きの底がだんだん赤く色づいてくる。
俺の乏しい科学の知識からすると、キッチリ栓をした密封容器を加熱すると爆発するから、目ん玉を失いたくなかったらやめとけって教わった覚えがあるんだが……おまけに今回の中身はちょっとヤバめだ。
願わくは御名の
天にましますわれらの父よ
「――アーメン」
俺がまさかの大惨事を想像して、消火器と
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