9-5

 ディーンと一緒にメルのアパートメントを訪ねると、出迎えてくれたのは父親だった。

「はじめまして、マクファーソン……神父?」

「ええ、マクファーソンです。お会いできて光栄です、エーデルスタイン教授」

「やあ……これはどうも。昨今、聖職者といえば年配のかたばかりという印象イメージがあったもので……あなたは私の学生だといってもとおりそうですね。まあ、私たちの本を読んでくれるような物好きなかたも、学生くらいなものですが」

 ディーンが、「な、言ったとおりだろ?」とでもいうようにこちらを見上げた。

「ろくにおかまいもできずすみませんね……妻は娘についているんです」

 教授は私たちをリビングへ招き入れ、コーヒーをすすめた。

「どうぞお気になさらず。お嬢さんの様子は?」

「それがしごく平然としていますよ……以前だったら、あとでお釣りが一セント多かったとわかったのをどうしようかとか、自分の発言が友達を傷つけてしまったんじゃないかとかいって夕飯も食べずに悩んでいたようなあの子が、女の子とはいえ上級生ととっくみあいの喧嘩をして停学になったのに、悪かったのひと言もないんですからね」

 停学処分が決まったのが冬休みに入る直前だったのは、サリヴァン校長の粋なはからいだろうか。

「思春期の……反抗期に入ったお子さんでしたら、それくらいの反骨精神を示しても特段おかしいとはいえませんよ」

「ええまあそれはそうなんでしょうが。あなたにおいで願ったのは、校長が言われたような、カウンセラーとしてではなくてですね……」

 エーデルスタイン教授は黒ぶち眼鏡を持ち上げて、こちらをじっと見た。

「ディーン君から、あなたがその……祓魔師エクソシストだというのを聞いて……」

「お前はそんなことまで言ったのかい?」

 ディーンの携帯にエーデルスタイン氏から連絡が入ったというのは聞いていたけれど……。

「……いけなかった?」ディーンはちょっと肩をすくめて、申し訳なさそうな顔つきになった。

「だってほら……ダニーの件もあったしさ。困ってる人がいたら、クリスはほっとけないだろ」

「それは、そうだけど……」

「メルもそうなんだよ。年寄とか下級生とかにやさしいんだ。いつもはひっこみじあんなのにさ。だから、今のメルはメルじゃないと思うんだよね」

「エーデルスタイン教授」私は父親に向きなおった。「あなたがたが悪魔憑きに対してどんなイメージをお持ちかわかりませんが、お嬢さんの変容の原因が霊的なものではない可能性もじゅうぶんに考えられるのですよ」

「ええ、それはもちろん理解しているつもりです。神話の研究者なんていうと、頭の中がファンタジーだと思われがちですからね。でも我々研究者は、事実と意見と想像とを区別するよう教えられてきています。それでもあの子――今のあの子は私たちの知っている娘じゃない。化粧も整形もしていないのに人の姿かたちがあれほど変わるなんて、ちょっとありえないですよ!」


 ひとまず状況をみせてほしいと申し出ると、教授はほっとしたようにふたつ返事で承諾し、家の奥へと案内した。

「ここが娘の部屋です。――スー、メル、マクファーソン神父さんが来られたよ。入るよ」

「ディーン、お前は外にいなさい」

 女の子の部屋だし、万が一彼のほうにも悪影響があると困る。ディーンは黙ってうなずいた。

「こんにちは神父さん」

 メルはベッドの上に腰かけていた。

 心配そうな面持ちの母親が机の前の椅子に座っている。会釈すると彼女は椅子を私にゆずり、娘の横に移った。

「久しぶりだね。ちょっと早い冬休みだくらいに思っていてくれているなら、私も気が楽になるよ。アマンダといざこざトラブルがあったことはディーンからも聞いたけれど――」

「どうしてそんなことをしたのか、って聞きたいの?」

 小馬鹿にした口調だった。

 たしかに父親の言ったとおり、彼女はさまがわりしていた。第二次性徴を迎えるとホルモンの作用でサナギが蝶になるように変貌することはままあるけれど、全身から発散されている気配は、蝶というより美しい毒蛾の鱗粉のようだった。

「ざまあみろだわ、あの脳味噌筋肉男も性悪女も。まああなたには残念だったかもしれないけど。お気に入りがあんなになっちゃって」

「ミス・ラヴレースが私の?」

 メルは一瞬、の色が真紅に変わったのかと思えるほど激しい憎しみをたたえて私をにらみつけたが、すぐに平静な表情に戻り、

「あなたのことが好きみたいなふりをしてたけど、ほんとうは嫌い。だってあなたがいるせいで、わたしの好きな人はわたしのほうをふりむいてもくれないし。だからそうしたの。あいつらはほんのついでよ」

「もし君が本当にそう思っているなら、それは誤解だよ。私は誰とも」

「ええそうでしょうね」彼女は妙に大人びたように唇をゆがめて嘲笑わらった。

「神父さん、あなたにはわからないわよ。ぜったいにわからない。いくらそういうをしたってダメよ。生まれつききれいで、みんなに愛されて、なのに誰もほんとうに愛することができない人にはね」

「メル、あなた神父さんになんてことを言うの!」

「気にしないでください、エーデルスタインさんミセス・エーデルスタイン

 つんとすましているメルに向きなおる。

「私の言動が君につらい思いをさせたとしたら申し訳なく思うよ……でもそれは君自身の言葉なのか、それとも誰かが言わせているのか?」

「わたしを悪魔かなにかだと思っているんならおかど違いよ、神父さん。ためしにお祈りしてみてもいいけど、福音書は効かないわよ」

「それはたしかに君の言うとおりかもしれないね――邪魔してすまない」

 父親のエーデルスタイン教授をうながして外に出る。ディーンはなにも言わずに黒いをこちらに向けた。

「失礼、少し彼と話をしてもいいでしょうか?」私は教授にたずねた。

「ええ、もちろん。私はリビングに戻っていますから。新しいお茶でも淹れますよ」

「ディーン、たしかお前はミスター・ブラウンの一件のときに冷気を感じたと言っていたね。今それを感じる?」

 ディーンは首を横に振った。

「全然。硫黄のにおいすらしないよ。いい匂いはするけど。ただメルのじゃないけどね」

「彼女のじゃない?」

「うん。何人かのが混じったような匂い。メルの匂いもするけど」

 思わずため息が漏れる。

「……お前の鼻はすごいな」

「俺にいわせりゃ、気づかないほうがおかしいんだけどね――ホラ、あいつとか」

 古傷をえぐるのはやめてほしいのだが、今はそんなことを言っている場合じゃない。

「誰の匂いかはわかるのかい?」

「三魔女だよ」

「誰だって?」

 『マクベス』か?

「学校じゃごちゃごちゃいろんなにおいがしてわかんなかったんだけど――ただでさえ女って、コロンだのなんとかクリームだの、においのするものをやたらとつけたがるからさ。でもここんちは、メルとメルの家族のにおいしかしないからわかったんだ。なんでか知らねーけど、メルから、アマンダとポーラと、それからリズのにおいがしてる」


「それで……娘はどうですか?」

 不思議な香りのするお茶を前にエーデルスタイン教授が切り出した。ディーンはカップを持ったまま、しきりに目をしばたたかせている。

「なにか尋常ふつうでないことが起きているようには思うのですが――まだ決定打はつかめていません」

「私たちになにかできることはないんでしょうか?」

「お嬢さんは、食事は?」

「ふつうに食べますよ。口数はめっきり少なくなりましたし、とげとげしい言葉づかいもしますがね。一番ショックだったのは、不法移民のニュースを見ていたときにあの子が口にしたことです――昔みたいにゲットーをつくって、そのあと全員をどこかに輸送してしまえば解決するのに、って」

 エーデルスタイン教授は眼鏡をはずし、クリネックスで眼鏡と目頭をぬぐった。

「――信じられますか? 私と妻はあやうくあの子をひっぱたくところでした。もちろん、すんでのところで思いとどまりましたけれどね。それでも、その日の夕食は抜きですよ、甘いと言われるかもしれませんが。私のほうはまだいいんですが……妻の母方の親戚は、何人か……つらい思いをしていますからね」

 私は祈りの許可を求めた――この種の件についてはカトリック教会は功罪半ばするところがあるからだ。教授は快く受け入れてくれた。

 祈りを終えると、

「台所をお借りしてもいいですか?」

「どうぞ?」

 興味津々のていでついてきた教授に、いつも料理に使っている水はなにかと尋ねる。ウォーターサーバーだと言われたので、小さなグラスを借りて、少量を注ぐ。

 を聖別する様子を、神話研究者は面白そうに見つめていた。

「これを、スープでもお茶でも構いませんが、お嬢さんにはなにも言わずに、日常飲んでいるものに入れてみて、なにか異常が起こるかどうか知らせていただけますか?」

「ミネラルウォーターですよね?」

「そうですよ」

「異常というと、具体的にどういう……?」

「苦いから飲めないとか、吐き出すといったことです。ですから、もとから苦みのあるものや、食べ慣れないものには入れないほうがいいでしょうね」

「私が飲んでも大丈夫ですか?」

 どうぞと言うと教授はちょっと取って舐めてみて、

「なるほど、ただの水だ」

 と言った。

 悪魔憑きなのか、それともそれ以外のものなのかわからない現状ではどうすることもできないので、なにか手がかりになりそうな事柄がないか探してもらうよう依頼して、私たちはアパートメントを辞去した。

「ねえ、クリス」

 帰りがけ、アパートメントとバス停のあいだ、誰の姿もないところでディーンが言った。

「さっきメルがあんたにひどいことを言ったかもしれないけど、あれは本当の彼女じゃないよ」

「……聞こえてたのか?」

「聞くつもりはなかったんだけど」彼はくしゃくしゃと髪を片手で掻きまわした。

「……気にしないよな?」

「気にしないよ」

 と私が言うと、ディーンはほっとしたように笑顔をみせた。

 ……そうだ。あれは何年も前に解決したことだ。たかだか十五歳の少女が、ただやり場のない怒りをぶつけるためだけにたわむれに口にしたことでこんな……。

「だよな。あんなふうに考えるのっておかしいよな。たしかに俺はクリスのことが好きだけどさ、だからってメルのことが嫌いだとか、どうでもいいって話にはならないのに」

 屈託なく言ってのけるその様子を目にすると、もうこの世にいない人たちのことが思い出される。本当に誰かを愛するということを知っているのは……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る