9-3

 当たり前だけど、メルはそのあと俺と口をきくどころか目も合わせなくなった。俺はマーカスみたいな自信過剰男でもないから、さすがにメルの隣にも座れない。俺の眼が悪くないのが唯一の救いだよ。 

「ひとの男をるなんて、いい根性してるじゃない、この泥棒猫!」

 まるでドラマソープ・オペラみたいなセリフを実際にこの耳で聞くとは思わなかった。たぶん、人間、アタマに血がのぼると、独創的なセリフを考えつく余裕がなくなるんだろう。

「なんの話ですか?」

 ロッカーの前でメルはゆっくりと声の主をふりかえって、イヤホンをはずした。

「よく聞こえなかったんですけど。もう一回言ってもらえますか? ――その下品なセリフ、言えるものなら」

 アマンダはただでさえ勝気な目を吊り上げて、猫が威嚇するみたいに肩をいからせていたが、

「あんたがマークにちょっかい出したってみんなから聞いたの! 一体全体どーゆーつもり?!」

「どういうつもりもなにも……」メルの声はびっくりするほど滑舌がよくて、内心わくわくしながらコトの成りゆきを見守っているやつら全員の耳に入ったのはまちがいなかった。「みんなって誰ですか? わたしなにもしてませんけど。向こうが勝手に声かけてきたんです。今の彼女とは別れるからとか言ってましたけど、はっきり言って迷惑です、あんなフン族のアッチラみたいな人。あなたも早く別れたほうがいいですよ」

 ピュウ、と誰かが口笛を吹いた。あのメルがここまで言ってのけるとは誰も想像できなかった。

「なによ、言わせておけばいい気になって、あんたなんかちょっと前まで誰にも洟もひっかけてもらえないようなブスだったのに、少し色気づいたと思ったらこれなんだから!」

「見苦しいのはあなたのほうでしょ、、男をとっかえひっかえしてるのも、誰にもまともに愛してもらえないから――」

 たしかに美人だけど、方面でもアマンダは有名人だったから、ひそかにやっかんでる女の子たちからだろうか、残酷なくすくす笑いが聞こえた。

 キレたアマンダがメルに飛びかかったのはその直後だった。ふたりとも小柄で同じような体格だから、メルはロッカーに肩をぶつけて床に倒れ込んだ。そのセーターの襟元をつかんでアマンダが泣きわめく。

 男同士のケンカだったら悲鳴があがるんだが、このキャットファイトに無責任な野郎どもはヤジを飛ばすし女の子はけしかけるしで、ロッカー前は大騒ぎになった。

 でも誰も止めに入らない。メルの友達らしい下級生はオロオロしてるだけだし、今日に限ってポーラもリズも見当たらない。ポーラのやつ、扁桃腺が腫れたっていってたけどまだ休んでるのかよ。つうか俺もふたりのあいだに割り込む勇気はない――下手すりゃケツに噛みつかれそうだし。

 そうこうしてるうちに、アマンダがメルの顔をひっぱたいた。下級生が小さく声をあげる。さすがにこれはマズい――クリスか誰か先公を呼びに行ったほうがいいだろうとその場を離れようとしたら、廊下の向こうから警備員が走ってきた。誰かが知らせたんだな。

「君たち、やめるんだ!」

 警備員の制止の声と、メルがアマンダの顔を――お返しとばかりに――手の甲で張り飛ばしたのは同時だった。

 ――あーあ、やっちまった。

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