7-4

「……あの、そこ、メルのロッカーだけど……」

 授業の前、ロッカーを開けようとしていたら、そんな声が聞こえた。

 声のしたほうへ顔を向けると、小柄な黒髪の女子が、メルのロッカーの扉に手をかけた相手に言っていた。

「やだ、ナオミ、わたしよ、メルよ」

 言われた下級生は信じられなかったみたいだ。今日のメルは髪を全部おろしていて、おまけにメガネをかけていなかったからだ。服装も、ロゴ入りのスウェットにチェックのスカートとかいうおとなしいやつじゃなく、肩が出そうなざっくりしたセーターにスキニージーンズって格好だったからだろう。

「コンタクトに変えたのか?」

 俺が声をかけると、アジア系の女の子はビクッとして身を引いた。とって食ったりしないのに。

「うん、そう。まだ少し慣れないけど。どうかな?」メルはちょっと恥ずかしそうに髪をいじった。

「いいんじゃね? メガネだと体育のときとか邪魔だろうしさ」

 サングラスも含めて、俺はその手のものにお世話になったことが全然ないんでわからないんだが、さぞかし重くてうっとうしいんだろう。

 せっかくコンタクトにしたのに、いつものくせで、メルは教室の前のほうに座り、俺もその隣に座った。

 歴史の授業は先生とか時代によっては、物語を聞いてるみたいで面白いんだけど――超低空飛行な俺の成績の中で、体育のほかには唯一歴史だけが補習を受けずにすんでいるのはそのおかげだ。クリスもそのへんは詳しいから、相談すればレポートのネタをくれる――ビザンチンとかメソポタミアとか、とにかくそのあたり(どこにあるのか俺にはいまだに見当もつかない)になると、俺の理解力は急降下する。教師が催眠術でもかけたんじゃないかって思うくらいだ。

 いいや。あとでメルにノートを借りよう。

 そう決めて、登場人物のスペルミスだらけになったノートから顔を上げる。

 それにしても、今日はやたらとうしろ頭がチリチリするんだよな。

 俺は後頭部を掻いた。なんか嫌なことが起こるとか、狼に変わる前とかはうなじの毛が逆立つけど、そんな感じでもない。誰かがエアコンの設定を間違えて温度を下げたってわけでもないだろうし――と思って教室を見回したとき、俺はクラスの三分の二がメルを見つめているのに気づいた。

 三分の一は男どもで、シャーペンを唇に当てて頬杖をついているメルを、うっとりと眺めている。ナードのやつらは直視できなくて、チラチラ目線を送るだけだ。残りは女どもで、男連中の視線の先を食い殺しそうな目で見ている。

 実際にビームかなにかが出ていたとしたら、メルは丸焼きになっていてもおかしくないくらいだった。

 授業が終わって廊下に出ると、三魔女のひとり――リズが騒いでいた。

「――ない! ない!! なーい!!! あーもう、どこいっちゃったの?!」

 ガレージセールでもやってるみたいに、ロッカーの中身を全部床にぶちまけてひっかきまわしている。俺は彼女のうしろから声をかけた。

「なんか失くしたのか? 探すの手伝ってやろうか?」

「ホント?! あのね、〈ヴィクトリアズ・シークレット〉で買った――」

 勢いよくふりむいたリズは俺を見て顔を赤くして、

「……やっぱいいわ」

 なんだよ。変なやつ。

「じゃあ、メル、俺、先に図書室行ってるわ」

「うん、わたしも、ゴミを捨ててから行くね」

 メルがロッカーを開けると、白や水色の封筒が雪崩をうってこぼれ落ちるのが見えた。まるで未払いの請求書の束みたいに。

 図書室でもおかしな状況は続いた。

 俺がメルの前に座ってスペイン語の格変化(自分でもなに言ってるかわかんねーが、たぶんこの授業を選択したとき、俺は正気でなかったに違いない)と格闘しているあいだじゅう、俺は同学年や上級生の男子からガンつけられているのをひしひしと感じた。

 誰かから見られてるっていうのを敏感に察知するのは、車泥棒は監視カメラのほかに、カーテンのすきまからのぞいている好奇心たっぷりの隣人からも身を隠さなきゃならないってのと、(これは特にうちの兄貴たちにいえるんだが)狼人間と不必要に目を合わせるのは、自分の死刑執行命令書にサインするようなものだからだ。

 メルは本を何冊か積み上げてちょっとした壁をつくり、時々ケータイをいじって調べものをしているみたいだった。たまに顔を上げて、誰かを探しているのか室内を見まわす。メルの視線が通りすぎるたびに、風になびく草みたいに男どもが挙動不審になるのはなかなか楽しい見ものだった。

 その中に、アメフト部のマーカス・アダムズが現われて、やつと目が合ったメルはそれまでの無関心な感じから一転して、チップをもらった〈フーターズ〉のウェイトレスみたいににっこりした。

 そこまでされたら、いくらにぶい俺にだって見当がつく。

 メルの好みはわかんねえなあ、と俺は思った。

 善男善女老若男女に好かれるクリスみたいなタイプならわかるんだけど――あ、吸血鬼は善男善女には入らないか――あいつは下級生にちょっかいをかけてるのを見たことあるし、一度は俺にも、目つきが気に入らないって絡んできたことのあるやつだってのに。

 まあそれでも、誰を好きになるのかは自由だしな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る