Wheels within wheels

6-1

 俺は背筋がぞくぞくして、二回くしゃみをした。

お大事にゴッド・ブレス・ユー

 読んでいる本から片目だけあげて、クリス。

「あんたにそう言われると、なんだか変な感じ」

「それはそうだろうね。鉄板ギャグみたいなものだから」

「あ、返事がきた」

 ケータイにメルの名前が出た。参考図書が図書館で誰かに借りられていたから、持っていないか聞いてみたんだ。

「ねえ、クリス」

「なんだい」

「来週日曜の午後ってヒマ?」

「ちょっと先約が入っているけど……どうかしたのか?」

「メルがさ、家にこないかって」俺はあわててつけ加えた。「いいか、余計な小言は一切ナシだからな!」

「小言だなんて……」

 本の陰で笑ってるのはバレてるんだぞ。

「ぜひ行っておいで。向こうで彼女のご両親に挨拶したら、私からもよろしく言っていたと伝えてくれると嬉しいな」



 メルの家は煉瓦造りの、小ぎれいな五階建てアパートメントの三階にあった。

「あのね、びっくりしないでね、うちの両親、ちょっと変わってるから……」とメルは言っていたが、

「やあ、君がディーン君だね? まさかこんな日がくるなんてね! さあ、どうぞ入って!」

 メルの親父さんは俺の顔を見るなり、玄関先で俺の両手をがっちり握った。昔のコメディで見るような黒縁メガネによれよれのシャツ。寝癖なのか、頭の横の毛が一部はねている。

「メルが男の子を家に連れてきたのははじめてなんだよ」

「あら、幼稚園以来よ」

 リビングにいた女性が口を挟んだ。メルのおふくろさん――は女性にしては背が高くて、たぶんクリスと同じくらいある。メルと同じ茶色の癖っ毛を長く伸ばして、首のうしろでひとくくりにしている。こっちもフランネルのシャツにジーンズっていうラフな格好だ。目の感じとか、そばかすの具合とか、メルは母親似なんだろうな。

「そうだったっけ?」親父さんが聞いた。

「そうよ。そのときあなたはエリス地方に行っていて留守だったじゃない」

「もう、やめてよふたりとも、恥ずかしいから!」

 メルが顔を赤くして叫んだ。

「あらいけない。よく来てくれたわ、ディーン」

 俺が呆然としているあいだに、おふくろさんはすばやく俺をハグした。

「まあ、細いわりに意外と筋肉がついているのね。なにかスポーツをやっているの? 力があって手先が器用なら、発掘品の倉庫整理のアルバイトに興味ない?」

「えっと……」

 俺は他人ひとに招かれたことがほとんどないから、これが「ふつう」なのかそうでないのかよくわからなかった。メルはムンクの『叫び』みたいに両手で頬を挟んでいる。

「まあまあ、みんな座って」親父さんがまともなことを言った。「今お茶を淹れるから。コーヒーと紅茶、ハーブティーとどれがいい?」

「コーヒーにしておいたほうがいいわよ」おふくろさんが言った。「インスタントだから、それ以上まずくなりようがないもの」

「ママ……!」

「安心して、お茶菓子はまともだから」

 お菓子で思い出した。

「あの、これ、クリスが――俺の後見人のマクファーソン神父が、持ってけって」

 俺はバックパックから紙袋を取り出しておふくろさんに渡した。

 親父さんがコーヒーの入ったマグカップを持ってキッチンから戻ってきたのと入れ違いに、メルとおふくろさんがキッチンカウンターに立った。

 テレビの左右のラックにも、ソファーセットの前のテーブルにも、本が縦にも横にも積み上げられていて、親父さんは本をコースター代わりにカップを置いた。

「それで?」と親父さん。「メルとはどういう?」

 俺はあやうくコーヒーを吹き出しそうになった。

「どういうもなにも、友達です。英語のクラスで一緒になって、助けてもらったんで、勉強を教えてもらえないかって俺が頼んで……メルから聞いてないんですか?」

「まああなた、見て、ブラウニーだわ、それも手作りの!」カウンターの中からおふくろさんが叫んだ。

「それ、マクファーソン神父が作ったんです。メルの家に呼ばれてるって言ったら、口に合えばいいけど、って。俺、今、教会に世話になってるんで」

「ああ、マクファーソン神父のことならメルから聞いてるよ。私たちの本を読んでくれたんだってねえ、あんなマニアックなものを! 神父のことはよく話すのに、君のことはつい昨日までひと言もしゃべらなかったものだから、驚いたのと嬉しいのとで、心臓が止まるかと思ったよ」

 クリスのことはしゃべるのに、俺のことは話さない?? ……ひょっとして、俺、迷惑だったりするのか?

「あの、俺……」

「嫌だなあ、口頭試問じゃないんだから、そんなに深刻そうな顔をしなくていいよ」

「ごめんなさいね、この人、思ったことをそのまま全部しゃべっちゃうものだから。それで学生に引かれるのよ」

 おふくろさんとメルが、大皿に、切り分けたブラウニーと、ゴマと蜂蜜の匂いがするお菓子を山盛りにして戻ってきた。

(俺に言わせりゃ、どっちもどっちだと思うけどなあ……)

「あ、これうま……おいしいです」

 見たことのない四角いお菓子は、噛むと蜂蜜の甘さとしっとりした食感と一緒にゴマの香りが鼻に抜ける。

「でしょ、市販品だけど」とおふくろさん。

(……ああ、だから「お菓子はまとも」なわけか)

 ギリシャのお菓子でパステリというんだと、メルが教えてくれた。

「こっちもおいしいよ。いやあ、今どきめずらしい人だね、ケーキを手作りするなんて」

「ええまあ……ちょっと変わってるんです」

 許してくれよ、クリス、俺は嘘はついてない。



 家にいたのは二時間かそこらだったが、そのあいだじゅう、親父さんとおふくろさんは学校でのメルの様子や、最近の若い子のあいだで流行っているものなんかを聞きたがり、メルがひっきりなしにツッコミを入れ、俺は会話の洪水に半分もみくちゃにされながら、なんかこういうのも悪くないなあとか考えていた。

「ごめんね、うちの両親が……!」

 アパートメントのエントランスまでついてこようとした両親をメルがなんとか押しとどめ、「今度はご飯を食べにおいでね」の声に見送られて、俺たちは一階に下りた。

「なにが? 俺ああいうの嫌いじゃないぜ。いつもはクリスとふたりだけだからさ」

 それに、六人の兄貴と皿を奪い合わなくていいってのがありがたい。

「ほんと……?」

「ああ。借りた本まだ全部読んでないんだけどさ、俺、読むの遅くて……また間に合わないとこ教えてもらえたら助かるよ」

「……あ、うん」

 なんだか歯切れが悪い。

「もしかしてさあ……俺、メーワク?」

 俺より頭ひとつ分低いところにあるメルの顔をのぞきこむと、メルは茹でダコみたいに真っ赤になった。

「めめめ迷惑なんかじゃ! ぜんぜん!」

「ならいいけど。また教会にも来いよな。ブラウニーの受けがよかったってクリスにも言っとくからさ」

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