5-2
白地にワインレッドの流麗なフォントで〈Regina〉と書かれた扁額が、フランスふうの可愛らしい白いガラス戸の上に飾られている。
ホームページで見たのと同じであることにメルはほっと胸を撫でおろした。もし看板に偽りありなら、ドアをノックするまでもなく回れ右して階段を降り、街路の雑踏にまぎれて帰ろうと思っていたのだ。
インターコムが見当たらないので、しかたなくドアを押してみる。クリスタルガラスを編み込んだドリームキャッチャーが鈴のような音を立てた。
「いらっしゃい」
主はすぐに姿をみせた。
彼女を見て、メルは人違いかと目を疑った。
〈ヴィダルサスーン〉のCMに出てきそうなつややかな赤毛と
四十代後半に思えたのが嘘のようだ。二十代後半か三十代にしかみえない。
メルが呆気にとられているのに気づいたのか、女主人――店名と同じ、レジーナといった――はくすりと笑って、
「驚かせちゃったかしら? こういう商売をしていると、あんまり若い格好だと、ありがたみがないと思われることがあるのよね」
そうして、クッションのきいた猫脚の椅子をすすめ、ハーブティーを出してくれた。ピンク色で、ローズヒップをベースにした、甘酸っぱくてフルーティーなお茶だ。
紙みたいに薄いチューリップ型のティーカップのへりから、メルは店内を観察した。
内装はベージュと白で統一されていて、レースのカーテンがかかっている金のポールからは、ドライフラワーの束がいくつも吊るされている。シャビーなペイントのほどこされたサイドボードの把手は金の帆立貝の形。その上の、白い素焼きのアロマポットからはラベンダーの香りが漂う。少女が一度は揃えてみたいと願うような、夢のインテリアだ。
そんな中で、黒いワンピースのレジーナは、雪の上のカラスのように目立つ。おそらく効果を狙ってやっているのだろうけれど。
タロットカードが載っている丸テーブルも、白いレースのクロスの上に、黒い布が一枚かけてある。
「占う前にちょっと聞いておきたいんだけど、あなたのお名前は? こういうのって、具体的なイメージが大切なの。
「メル・エーデルスタインです」
「それ、本名? フルネームはなんていうの?」
「メ……メリンディアといいます」
「すてきな名前ね」レジーナはにっこりした。「ギリシャ神話の春の女神コレーの別名ね。ご両親はきっとすばらしい教養をお持ちなんでしょうね。――それで、ボーイフレンドのほうは?」
「ディーン……ええと、名字は……ラッセルです。……あの、彼は、べつにその……」
ステディでもなんでもないのだとメルは説明した。
「ああ、そうなの。でも、そんなに恥ずかしがることはないわよ。あなたはその名前のとおり、初々しくて可愛いんですもの」
カップを片づけると、ふたりはテーブルで向き合った。
「じゃ、実際に占ってみましょうか。テーマは、あなたの気になっている彼と今後どうなるかってことでいい?」
赤くなりながらも、メルはこっくりとうなずいた。
レジーナはメルに、じゅうぶんだと思うまでカードをシャッフルするように言った。
「そのときにね、知りたいことを強くイメージするといいのよ。こういうのは気持ちが大切なんだから」
また“気持ちの問題”だ。それでものごとが解決できると思うほど子供じゃないんだけどな……とメルは思ったが、占いの世界ではそんなものなのだろうか。
カードを返すと、レジーナは流れるような手つきで、最初にテーブルの真ん中に十字の形に二枚のカードを重ね、その上下左右に一枚ずつ配置していった。最後に、メルから見て左側に、上下一列に四枚のカードを並べる。
「それじゃ、みていきましょうか。タロットはね、絵柄が正位置か逆位置かで意味が変わるの……」
今置いたばかりのカードを次々とひっくり返していく。無機質な銀の地に黒い
一枚目は教皇の三重冠をかぶった男性の絵だった。
「まずあなたの現在の状況。〈
暗灰色の空にうかぶ青白い三日月と、月に吠える二頭の狼を指す。
「〈
メルは心臓がきゅっと縮まるような感覚を覚えた。思わず胸の前で手を組む。
「まあまあ、焦らないで。ほかのカードもみていきましょ。三枚目は〈
女の教皇なんて聞いたことがないと考えていたメルは、自分の気持ちを言い当てられて、少なからず驚いた。とはいえ、自分の気持ちが顔や態度に出ているのを目の前の占い師が敏感に読み取って、カードのせいにしている可能性もあるのだが。
五枚目も女性が描かれていたが、輝く王冠を戴いた、意志の強そうな女王の絵だ。
「〈
真紅のマニキュアを塗った指が指し示した六枚目のカードに、メルはどきりとした。頭から二本の角を生やした、真っ黒で毛むくじゃらな〈
「正位置かぁ……。“彼”にすごく惹かれるようになるってことかな。それでここに〈
ぶつぶつ言いながら、
「やっぱり、次が〈
「そんな……そう言われても、わたし……」
相手の気持ちもわからないのに当たって砕けろとでもいうのだろうか。
「まだあと三枚残ってるわ。次の二枚が助けになるかもしれない。〈
「どういう意味ですか?」
「あなたに強い影響を与える人がいるって意味にもとれるの。それが助けになるのか、そうでないのかは、今はわからないけど」
「誰か、まではわからないんですね……」
「占いだからね。ここまでは
カードに描かれているのは、向かい合うひと組の男女だ。
「〈恋人たち〉の逆位置。これをみると、あなたが願いを叶えるには、大きな苦しみを伴うけど……」
最後に残った、ランタンを持った修道士ふうの老人が描かれたカードを指差す。
「〈
「それって……悪い意味なんですか」
「悪い意味じゃないわ。地味なカードだけど。少なくとも、手ひどくふられるとかいうことにはならないわ」
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