Regina
5-1
メインストリートの一画にある書店〈セレンディピティ〉は店内に一歩足を踏み入れると、表の喧騒から完全に逃れられる店だった。
通りに面した入り口は狭く、紺地に金で店名だけが書かれた看板は重厚で、いかめしささえ感じさせる。今時、自動ドアでないというのも理由のひとつだった。若い世代に人気のコミックや、話題のベストセラーの類を置かない代わりに、英語圏以外の翻訳書や、ふつうの書店では店員に尋ねても調べてすらもらえないような専門書を並べている。
中は縦に長くなっており、看板と同じ藍色に金字のインデックスが背の高い棚のあいだから突き出している。
〈アマゾン・ドットコム〉で買ってもいいのだが、本の森のような雰囲気が好きで、メルは月に二度は店を訪れていた。自分が、同じ年頃の子と比べるとあまり一般的ではないジャンルを読んでいるのは自覚があるが、それでも、読んだことがないというか近寄ったことのないジャンルもあるわけで、たとえば「
それなのに、今日はどういうわけか、今までは通り過ぎていた棚のあいだに足を向けていた。これまでは「
(四柱推命、オラクル、タロットカードかぁ……)
自然科学の信奉者である彼女は、いわゆる未来予知や読心術といったものが偶然の一致の域を出ないことや、心理学を流用したものであることを知っている。浮世離れした両親でさえ、想像で研究論文を書いているわけではないのだ。
(占いとか、信じるわけじゃないけど、世の中にはまだ科学で説明できないことがあるのは否定できないし……どんな感じか見るだけなら、悪くない、よね……)
適当に棚から一冊抜き出してみる。二十二枚のカードがついているタイプのもので、妖精がモチーフのようだったが、色調が
誰かに見られているわけでもないのに恥ずかしくなって視線を外した先に、表紙をこちらに向けた一冊が目に入った。淡い紫色のカバーに、湖をバックに中世ふうの服をまとった若い男女が手をとって向かい合っているのが、やわらかな水彩画タッチで描かれている。
(きれい……)
「タロットに興味があるの?」
手を伸ばして触れようとしたとき、横から声をかけられた。
声の主を探すと――いつからいたのだろう――朗読会などのイベントに使われる店内奥のスペースに、紫のクロスをかけた丸テーブルが置いてあり、そこに女性がひとり座っていた。
年のころは四十代後半くらいだろうか。黒い長袖のワンピースを着ているので、髪を覆う色柄物のスカーフが鮮やかに映える。
「えっ……いえその、きれいな絵だなと思って……」
「ありがとう。それ、わたしがデザインしたの」
「そうなんですか……。あの、デザイナー……のかた?」
「うーん、本職は占い師なんだけど。出版社の販促キャンペーンの一環でね、ここに出張させられているわけ」
「占い師……」
「そう。――ね、本当は、買ってくれた人に一回無料で占うことになってるんだけど、ヒマだから占ってあげようか」
「えええ、いっ……いいですそんな、わたし、なにも買ってないのに……」
「遠慮しないでいいわよ。ホント、お客さん誰もこないし。わたしも練習になるし」
なにごとについてもハッキリ断ることの苦手なメルは、結局、占い師の前のスツールにちょこんと腰かける羽目になった。
「ええっと、本来は最初に、なにについて占ってほしいかを聞くんだけど、待ってね……当ててみるから」
小卓の上にはタロットらしきカード一組が伏せてあったが、使うつもりはないらしい。白い頬に人差し指を当てて、じっとメルの顔をのぞきこむ。
「友人関係……というより、恋愛かな」
どう? と小首をかしげる相手に、
「いえあの、当たらずといえども遠からず、ですけど、どうしてその……」
口ごもりながら答えると、占い師は笑い出した。
「やだ、こんなの占ううちに入らないわよ。あなたぐらいの年頃の女の子が、仕事が成功するかとか、結婚生活を続けるべきか、離婚すべきかなんて聞きにくるはずがないもの。十中八九、友達か恋の悩みよ。たまに将来のことね――彼と結婚できるかどうか、とか」
完全にからかわれたのだ。メルが憮然として押し黙ると、彼女はかるく謝り、
「今度は真面目にいきましょうか。あなたのお悩みが恋だとして、お相手を当ててみるわね。その人のイメージを頭に思い描いて――詳しければ詳しいほどいいわ」
ちょっと片手を出してほしいと言われたので、右手をテーブルの上に置く。女占い師は上品なワインレッドのマニキュアをした左手をそっとその上に重ね、
「占いなんて当たらないって顔をしてるわね。そうよ、占いだもの。科学じゃないんだから、遊びだと思ってイメージしてみて、そう、強く――」
言われて、メルは目の前の相手を試してみようという気になった。どうせなにをイメージしてもわかりっこないのだ。
「同じ年頃の子……男の子ね」
ほら、ね。心の中で自分サイドに得点を入れる。人類の半分は男だし、
「黒髪……だけど、アジア系にはみえないわねえ……目の色はちょっとわからないかな。瘦せ型で……精悍な顔つきの、なかなかハンサムじゃない?」
どきり、としたのを知ってか知らずか、占い師は続ける。
「モデルとか、芸能人って感じじゃないわね。齢もそんなに離れてない。あなたの身近にいる子でしょ、どう、当たってる?」
「あのっ……ど、どこかで、その人とわたしが一緒にいるのでも見かけたんですか」
確率論も忘れて問いかける。
「まさか。わたしは数週間前にこの街へ来たばっかりなのよ。あなたの名前も、ボーイフレンドのことも知らないわ」
相手は気を悪くしたふうでもなく微笑んだ。
「さ、こんなものかしら。少しは占いっていうものを信じてみるきっかけになったかしら?」
「ええ、あの……」
そのとき女性客がひとりやってきて、手に持った本とレシートを見せ、次の順番を待っていてもいいかと尋ねた。女占い師はOKし、メルは
「残念だけど、これ以上はカードを買ってくれたら、ってことになるわ。わたしはあと一週間はここにいるから、気が向いたらまた来てちょうだいね」
気恥ずかしさもあいまって、本を買おうと思ったメルだったが、運悪く持ち合わせが足りず、翌日再び本屋を訪れてみると、占い卓の前にはすでに何人かの客が列を作っていた。
「また来てくれたのね、嬉しいわ」
それに今回はちゃんと買ってくれたみたいだし、と小脇に抱えた本を指さされ、メルはあたふたした。なんだか自分が、おまけにつられて物を買うような考えなしみたいに思えたからだ。
「ここで占ってもいいんだけど――」彼女は言った。「人数や時間のせいですごく簡単な方法になるし、あなたみたいに若いお客さんはめずらしいから、よかったらまたべつの日に、わたしの店のほうに来てくれたら、もっとゆっくり時間がとれるわ。予約制だから」
「え……でもあの、いきなりそんな……」
臆病なハリネズミみたいに全身を警戒させた雰囲気が伝わったのだろう。
「そうね、占いの店なんていうとちょっといかがわしい感じがするかもしれないわね。ホームページがあるの。見てみる? それからでも遅くないし。なんだったら、そのボーイフレンドと一緒に来てくれてもいいわ――って、それができるんなら相談には来ないわよねえ」
ちょっとハスキーな声でカラカラと笑う姿は、稼業につきものらしいなれなれしさはあるものの、あやしげな人物にはみえない。
「ひょっとして、押し売りかなにか心配してるの? 大丈夫よ、あなたみたいな若い女の子からなにを絞り取れるっていうの。それに、本を買ってくれたんだから一回は権利があるわけだし、ね?」
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