第2話 死霊は追いついた

 今日から本格的に学校が始まります。初日は遅刻しそうになりましたが、今日の私は一味違います。なんてったって3本も前の列車に乗ったんですから。


「おはよう、オルブライトさん」

「おはよう、ジョセフくん」

「昨日のマーケットはどうだった?」

「すっごく楽しかったよ!」

「それはよかった」


 嘘です。本音を言えばちょっとだけつまんなかったかも。


 ヴェルリア・ストリート駅というのはヴェルリアの中心街道ヴェルリア・ストリートの名前を冠したもので、そこでは定期的に出店が開かれるそうです。


 果物屋から干物や、八百屋に食器・小物・衣料品にアクセサリーまでたくさんの品物が売られています。ガナティと呼ばれるクリームの入ったミルフィーユ仕立てのお菓子はおいしかったですが、ジョセフくんは賭け事のほうにご執心でした。


 射的やくじ、カードやサイコロ、小動物や昆虫同士を戦わせてどちらが勝つか予想するなんてものもありました。特にジョセフくんは昆虫同士の戦いに熱中してすごく楽しそうにしてましたが、そういうのにあまり興味のない私は楽しめなかったのです。


 しかし、せっかく誘ってもらったんです。ここで楽しくなかったというのは失礼というものでしょう。


「次のマーケットの時もどうかな」

「うん、機会があれば」


 ここで予鈴が鳴ります。


「やべ、そろそろいかないと。オルブライトさんも遅れないようにね」

「うん、分かった!」


 その前にいったんお手洗い……




 ◇◇◇



「あちゃー」


 やってしまいました。


 授業開始まで残り三分。すでに席はいっぱいです。魔術の授業では席は自由で教室も大学のようになっているのですが、裏を返せば早い者勝ちということ。そして、お手洗いに行っていた私は見事で遅れたわけです。


「空いてる席は……」


 一つ見つけました。アリアくんの席の隣です。


「隣いいかな?」


 アリア君は少しだけ驚いたような顔をしていました。


 明らかにほかの席と違ってすいてるアリア君の講義机。本来は5人ほど座れるのですが、席にいるのは黒髪の女の子だけ。彼女もまたアリア君と同じでおとなしそうというか、インテリ系の人です。そんな席にきたわたしが少し意外だったのでしょう。


「ああ」


 アリア君は短く返事すると手元の分厚い本に視線を戻します。教科書じゃないよね、これ。


 しばらくすると先生が教室に入ってきます。生徒を見回して欠席がいないことを確認すると合図もなく授業が始まりました。ティルティア学園最初の授業です。頑張らなくちゃ!



 ◇◇◇


 

「ベクトル操作における前提命題で必要となるのは空間の情報とそのベクトルの状態だ。よって、空間解析とベクトル空間解析を行うこととなる。相手のベクトル操作に対抗する方法はいろいろあるが、まずは──」


「うう……」


 どうしましょう、全然わかりません。


 一応魔術の勉強もあらかじめしておいたつもりなんですが、やっぱりヴェルリア有数の魔法学園なだけあってすっごく難解です。中学生から魔法の勉強をしてきたことを前提にしているのもあるのでしょう、中学は普通の学校だった私からしたら全く別の言語です。


「宇宇……」


 私はもう一度うなります。


「……大丈夫か?」

「全然大丈夫じゃない」

「どれくらい大丈夫じゃない?」

「全部わかんない」

「それは……大変だな」

「どうしよう……」


 近くに座っていたアリアくんが声をかけてくれました。ありがとう、そして、こんな私は放っておいて先に行ってください……


 意気揚々とこの学校に来たのに落ちこぼれなんてごめんです。けれど、今の私にこんな難しい授業を理解できるとは到底思えません。アンジェやエイリーンたちに聞く? いやでも、「こんなのもわからないの?」などと思われたらどうしましょう……いや、実際できないので見栄を貼るところではないんですが。それでも、友達には失望されたくありません。


「……よかったら少し教えようか?」

「ホント!?」

「うわっ」

「こら、そこ! 私語は慎む!」

「あっ。ごめんなさい」


 怒られました。しょんぼり。


「……じゃあ、どこから説明しようか」

「全部説明してください……」

「……わかった」

 

 アリアくんは読んでいた本を置くと私のほうに少し詰めて、教科書を指さしながら説明を始めてくれました。


「まず……そうだな。古来より魔術は四大元素に分けられている」

「それは知ってるよ。火と水、風と土だよね」

「ああ、その通りだ。だが、現代の魔法学では別の分類の仕方をとる。

 まず初めにベクトル操作。これは特に、いわゆる力を操る操作だ。物体を浮かせたり減速したり、加速したりもできる。魔術を使う上で最も基本的な魔術的操作の一つだ。

 次は圧力操作。名前の通り圧力を操作するが、魔術はその性質上エネルギーを与えることしかできない。だから、圧力操作というと加圧することを意味する。ベクトル操作の応用によって使えるようになるから、これもかなり基礎的だな。扱いはちょっとばかし難しいんだが、慣れればすぐだよ。固体や液体も加圧できないことはないが、ほとんどのばあい気体の圧力ぐらいしか操作しない。

 次は流体操作。水や空気といった流体を操作する魔術だ。これもベクトル操作の発展形だが、ベクトル操作は物理学のとりわけ力学にのっとって操作する。流体操作はその中の、とりわけ流体力学という分野に沿って扱うんだが、本来は大学で学ぶものだ。流体操作はほかの魔術でも利用することが多いから、この学校では先行して学ぶことになってる。ここまでで質問は?」

「んーん、大丈夫」


 大丈夫、まだ行けます。


「そうか、じゃあ続けるぞ。

 次は電磁場操作だ。これは電磁場を操作するが、そもそも電場と磁場を理解しなきゃならない。だから、習うのは二年生の後半からだな。簡単に言えば光と電波を操作する。

 次は温度操作。その名の通り物体の温度を操作するものだが、これも圧力操作同様温度を上げることしかできない。

 次は化学結合操作。物質を別の物質に変換したり分解できたりする。これは化学の知識が必要だ。

 最後はプラズマ操作。その名の通りプラズマを発生させ、操る。このプラズマ操作は温度操作・化学結合操作・流体操作の複合によって成り立つが、かなり高等的な操作だから習うのは四年生の後半か六年生だ。基本的にこの7つがこの学校で学ぶ魔術になる」

「たくさんあるんだね……」

「次は魔術解析について説明したいんだが、魔術の構造は知ってるか?」

「それなら知ってるよ! 前提命題・論理命題・結論命題の三つだよね!?」

「ああ。魔術はその3つによって成り立つ。それなら、魔術を行う上で必ず必要になるのは三つのうちどれだ?」

「結論命題!」

「じゃあ、前提命題と論理命題は何のためにある?」

「前提命題は論理命題に情報を代入して、それで論理命題は前提命題の情報に従って演算して、結論命題を導出する……だったよね?」

「正解だ、よくできたな」

「えへへ~」


 褒められて私は顔をほころばせる。そんな私を見てアリアくんは少し目をそらした。


「どうしたの?」

「いや、何でもない。それじゃあ説明を続けるぞ」

「うん!」

「前提命題を構築するには前提となる情報がいる。ただ、俺たち人間は自分一人では正確な値を測定できない。必ず道具が必要となってしまう。そこで、俺たちの先人は魔術的に情報を取得しようとした。これが魔術解析と呼ばれるものだ」


 アリアくんは教科書の図を指さします。


「魔術解析には二つのプロセスがある。まず、空間を魔力で満たすこと。次にその魔力を介して空間の情報を知る。これによって得た情報をもとに前提命題を構築し、すぐさまあらかじめ考えておいた理論をもとに論理命題を立て結論命題を導出、魔術を発動する」

「それは知ってるんだけど、先生の言ってる「隔絶された空間」って何?」

「……ややこしくなるからな、順を追って説明しよう。まず、魔術解析の方法にもいろいろある。

 まず空間の位置情報を知る空間解析。空間を魔力で満たすことで空間の正確な位置関係が見える。

 つぎにベクトル解析。数学でも「ベクトル解析」っていう分野はあるんだが、それとは名前は同じでも意味しているものは違う。物理や数学でもよく同じ名前なのに別のものをさすことがあるから注意するように。ベクトル解析は魔力で満たした空間のベクトル情報を読み取ることだ。抽象的でイメージしずらいだろうが、これによって物体の動いている方向や空気の流れ。場合によっては電磁波や音なんかも調べられる」

「うーん、難しい……」

「ベクトル操作ではこの二つの解析で前提命題は十分だから、これだけ覚えればいい」

「えっと、空間解析で位置を調べて、ベクトル解析で力の大きさとか向きを調べるんだよね?」

「ああ、物体が今どこにあって、どっちにどのくらいの速さで動いているかを調べるのが空間解析とベクトル解析だ」

「私、そんな複雑なことしてたんだ」


 ベクトル操作はいっつもやってたのにしらなかった……


「で、ここからは魔術師同士が戦うことになった時のことになるが──」

「アリアくん」

「ん、どうした?」

「……頭パンクしてきたかも」

「……また今度説明しようか」

「お願い」


 結局、午前の授業はよくわからないまま終えてしまいました。



 ◇◇◇



「隣いいかな」

「どうぞ」


 お昼ということで食堂に来ました。あたりは学生でにぎわっています。


「授業はどうだった?」

「うーん、全然わかんない……」

「そうか、まあ焦らずやればいい」

「アリアくんは大丈夫だろうけど、私ぐらいになったら焦っちゃうんだよ~」

「……」

「ん、どうしたの?」

「いいや」


 アリアくんは黙々と食べ進めています。けれど、顔はどこか寂し気。


「きぅいっ」

「ん、」


 すると、食堂の入り口から小さなドラゴンが飛んできて私たちの座る机に留まりました。


「きぅい!」

「わ、かわいい」

「こいつはイグノ。イグノワールっていうドレイクの一種だからイグノだ」

「学園で飼ってるの?」

「らしい、放し飼い状態だ」

「きぅいっ!」


 イグノはとてとてと机を横切ると食べ進めているアリア君の指に手を載せました。


「なつかれてるんだ」

「……どうなんだろうな」


 そう言っている間にもイグノはアリアくんの指に頭を擦り付けます。きっとアリア君のことを気に入っているんです。当のアリア君も頭を指の腹でなでたりしてまんざらでもなさそう。


「そういえば、この学園はドラゴンも飼っていいんだよね?」

「ああ。幼体でも有毒種や吐炎能をもつものはかごの中で飼育しなきゃならないし、大きくなれば学園で買うことになるから卒業した時、十分に飼育できる設備が整っていないと飼育許可は下りないから、誰でもってわけには行かないが……」

「私は家でピルクール飼ってるよ! 名前はピルク!」

「それは安直すぎないか?」

「イグノだってそうじゃん!」

「イグノは略称だし、学園生全員が覚えやすいようにだからなぁ……」

「ええぇ、そんなぁ……」

「二人とも、こんにちは」


 振り向くと、そこにはトレーを持ったフリーダさんがいました。


「あ、フリーダさん!」

「何してるんだい?」

「アリアくんがうちのピルクの名前が安直すぎるなんて言うの!」

「二人は仲良かったっけ? 意外な組み合わせだね」

「そんなに意外?」

「どちらかといえばアリア君のほうかな」


 フリーダさんはアリアくんのほうに目を向けます。


「私がちょっと勉強苦手でね、教えてもらってたの」

「へぇ、意外だな。君が」

「そんなに意外なことか?」

「アリアくんは自分の勉強以外に興味がないものと思っていたよ」

「そこまで冷たい人間に見えるか?」

「違うのかい?」

「え、えっと……」


 二人の間に沈黙が走ります。なんだか嫌な雰囲気。


「それじゃ、レティ。私は御呼ばれしてるから、これで」

「あ、うん。それじゃあ……」


 フリーダさんはそういって向こうの席のほうに去っていきます。


「……アリア君とフリーダさんって馬が合わないの?」


 少しオブラートに包んで聞きました。


「さあな、この学園で俺のことが好きなやつは少ないだろう」

「……いやなら答えなくていいんだけど、アリア君のうわさって本当?」

「うわさって?」

「起こって人に魔術を向けたことがあるって、前に友達から聞いたことがあるから」


 でも、話した感じどうにもそんな風には思えません。きっと、何かの勘違いです。


「……」


 アリアくんは今日で一番の沈黙を残します。


「人に魔術を向けたことはあるよ」


 捨て置くようにそういうと、アリアくんは自分のトレーをもっていってしまいました。


「……」


 横顔が、どこか物悲しそうにみえたのは私の気のせいでしょうか?



 ◇◇◇



 あれからフリーダさんに事情を聴いたエイリーン(紅茶の子)やアンジェリーヌ(お嬢様っぽい口調の子)が私に魔術のことについて教えてくれました。みんなとっても優しくて、あんまり頭がよくない私にもわかりやすいように根気強く教えてくれて、何とか授業にもついてこれるようになった頃です。


 入学から二週間ほどたったある日のこと。


「あ、オルブライトさん!」

「ジョセフくん、どうしたの?」

「実は明日放課後にクラスのみんなでパーティをやることになって、よかったらオルブライトさんもどうかなって」

「うん、いいよ。パーティの会場はどこ?」

「うちの実家だよ。すっげえ広いんだぜ。メイドとかシェフもいるし、料理も絶対おいしいから!」

「わかった、絶対行くね」

「なあ」


 声をかけてきたのはアリアくんでした。


「どうしたの?」

「……おかしなことを聞くようだが、最近変なことはないか?」

「変なこと?」

「……ない、ならいいんだ」


 思いつめたように俯くと、それだけ言ってアリア君はさっさと行ってしまいました。


「どうしたのかなぁ」

「どうせ、オルブライトさんの気を引きたいんだろうぜ」


 ジョセフ君は口をとがらせてそう言いますが、どうにもそうは思えません。何か悩み事があるんでしょうか。





 ◇◇◇




 最後の授業が終わって放課後、これからジョセフ君の家でパーティがあります。ドレスコード……はよくわからないので制服でいいでしょう。家に荷物を置いたらさっそく出かけます。早く教室に戻って荷物を取りに行かないと!


 そう思った矢先のことでした。ふっと後ろから冷たい風が吹き抜けます。なんともなしに振り向いた時のことでした。


「ひっ……」


 突き当りの向こうから何かがこちらを除いています。黒い靄のような、それでいてヒト型にも見える恐ろしい何か。周囲にはほかの生徒もいて、なんならそれをつっ来ている生徒もいますが、私以外の人には見えていないようでした。


 私は硬直しました。何かの見間違いかと思いましたが、数秒たっても消えないそれが現実のものであると理解した時には、私は廊下を走りだしていました。


 叫び声は上げられません。私にしか見えていないのならきっと何を言っても信じてもらえないし、おかしくなったと思われるでしょうから。いえ、もしかしたら本当におかしくなって島田のかもしれません。だから、助けてなんて周りにいくら生徒がいようと助けなんか求められません。


 だから、私は走ります。


 必死に走って、たどり着いたのは教室でした。そして、探したのはアリア君の姿。


 この時、なぜアリア君を探したのか、今でもよくわかりません。もしかしたら、入学式の時に私を助けてくれたように、授業のとき親切に教えてくれたように、今度もどこかつかみどころのないあの人が文字通り魔法をかけるみたいに解決してくれる、そんな気がしたのかもしれません。


「アリアくんっ!」

「えっ、なに」

 

 アリア君は目に見えて驚いていました。


「あの……はぁ、はぁっ」

「どうした?」

「あのっ、こんなこと言っても信じてもらえないかもしれないんだけど」

「……言ってみろ」


 アリアくんは驚いて、でもどこか心当たりのあるような声で言います。


「私、黒い何かに追われてるのっ」

「黒い何か?」

「こう、もやもやっとしたやつで、人みたいにも見えるし霧みたいな、チリのようにも見えるやつがさっき私の後ろから──」

「それっ! いつ会ったんだ!!」


 アリアくんがいきなり私の肩をつかみます。


「えっ、と。今さっき」

「ああ、もう!」


 そういうと、アリアくんは私の手を引いてどこかに連れて行こうとします。


「えっ、アリアくん!?」

「どうして早く言わなかったんだ!!」

「あの、ご、ごめんな──」

「おい、何してんだ!」


 後ろから声をかけてきたのはジョセフくんでした。


「お前、オルブライトさんに何してんだよ!」

「うるさい!!」


 教室が静まり返ります。


「レティシア、いいか。今から保健室に行く。万一のために手をつないでいくが、我慢してくれ」

「わ、分かった」

「よし、それじゃあ──」


 その時でした。次に目を開けた瞬間には、周囲に人がいなくなって、世界が闇に包まれます。でも、見えないわけではありません。真っ黒で、光などみじんもないはずなのに周囲の輪郭だけは分かります。


「……遅かったか」

「えっ、何!?」


 私は突然のことに慌てましたが、アリアくんが私の手をしっかり握ってくれていたおかげで何とか平静さを取り戻しました。


「アリアくん、これは……」


 それでも、恐怖まではかき消せません。


「──ナイトメアだ」


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嫌われ者の最強魔術師に理解者はいるのだろうか? どうも勇者です @kazu00009999

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