夜の底で希望を唄え

第11話:ウルトラヴァイオレット

 バー『Skim Heaven』。

 イズモタウン駅東側。バビロンタワーを見上げる通りの、そこから少し外れて入り組んだ路地にある、小さな雑居ビルの地下。

 おそらくは、イズモタウンで最も『ガラ』が悪い場所。


 窓が一切ないこのバーの壁面には、配管や配線が剥き出しのまま走っている。コンクリートもあちこちにひび割れが見られ、場所によっては水漏れすら見受けられる。

 店内は黄色がかかった電球がぶら下がっているが、あちこち点滅したり切れていたりで薄暗い。その片隅にあるジュークボックスからは、古いロックがぼつぼつ流されっぱなしになっていた。


 バーの客の顔ぶれは様々。人種も年齢もバラバラで、多様性に溢れている。

 と、思わせておいて。その『種類』はやはりシンプルだ。いずれも祈祷機プレイヤーを携えていたり、、銃や剣で武装している。それを隠そうともしていない。

 トラブルシューターか。傭兵か。あるいは、そういうキナ臭い者を相手にする手配師や娼婦か。

 いずれにせよ。剣呑な連中の集まりだ。


 当然店内は騒がしい。だいたい常に怒号が飛び交い、何かが壊れる音がする。たまに悲鳴も聞こえるし、殴り合いも起きている。銃声だって、驚くようなモノではない。

 そんな中で、一人の女性がバーカウンターに座っていた。


 しわ一つない燕尾服にかっちりと身を包み、黒い髪を左側でサイドテイルに結んでいる。バーの安物の丸椅子に、背筋のを伸ばしてしゃんと座りつつも、その両目は閉ざされている。

 女性の前にあるグラスには、錆色をしたカクテルが注がれている。しかし、彼女が手をつける様子はない。 ただただじっと。周囲がどんな喧騒に包まれようとも、グラスの中の氷が解けてくるりと回っても、気にも留めずに座って、目を瞑っている。


 あるいは、寝ているのかもしれない。


 だがそうだとしても、彼女に近付いたり声をかける者は皆無だった。

 それはあるいは、彼女が腰のベルトから下げている、軍刀のせいかもしれない。

 紫色の柄巻が施されているが、装飾はだいぶ簡素で無骨な打刀だ。鞘は鉄製のいかにも頑丈なもので、美術品と言うよりも兵器としての趣が強い。

 

 燕尾服の女性が身に着けるアクセサリーとしては、あまりにも不釣り合い。

 そしてその優雅さと無骨さの衝突したアンバランスさは、一種の『不吉』の象徴である。


『よくわからない奴には近付くな』


 危険と隣り合わせで生きる者達だからこそ、そう言ったジンクスじみた危機に対しては、誰もが敏感だった。

 それを賢明と呼ぶかどうかは、別問題だったのだろうけど。


「……む」


 女性が目を開く。

 同時に、懐に収めた携帯電話が振動を発する。通話の着信を知らせる。

 三コールするより早く、女性は携帯電話を開き、応答した。


「田井中リキヤさん。約束の時間は過ぎていますよ」


 騒がしい店内でも響く、落ち着いてはいるが通りの良い声。

 しかしその声色には、若干の苛立ちが含まれていた。

 同時に女性は、ポケットから真鍮製の懐中時計を取り出す。開いて覗いた時刻は、二十時をすでに八分回っていた。


『ああ、ごめんごめん。都市があちこち渋滞でさ。そっちのお店に近付くのも一苦労だよ』


 そんな女性に対し、電話の向こうはのらりくらりと応える。

 若い男の声。がしかし、変声機を噛ませて声色を変えていることがわかる。喋っているのが本当に男かわからないし、もしかしたら若くもないのかもしれない。


「トラブルですか? 場所を行っていただければ、こちらからお迎えに上がりますが……」

『いやいや。いいよいいよ。悪いよお。ひとまず落ち着いてさ。カヲルさんはバーで待っていて。先に飲んじゃっていても構わないからさ』

「ラスティ・ネイルを。氷を溶かしながら少しずつ飲んでます。氷が溶けてしまうまでは、まだ時間はあるでしょう。焦らずとも大丈夫ですよ」

『はは。結構渋いの飲むんだね。お酒に詳しい方?』

「いいえ。カクテルはこれしか知りません」

『へえ……』


 沈黙。

 女性は何かの気配を感じ、グラスを手に取った。

 目線の高さに掲げて、錆色のグラスを覗きこむ。


「……なぜ裏切ったのですか?」

『おおい。おいおい? いきなりだね。とんでもないね』


 電話の向こうで、男がわざとらしい抑揚を付けて答える。


『オイラのせいじゃあないよ。これはキミのお客さんさ。オイラはインテリだから、暴力は苦手でね。そういうのは得意な人に任せて、邪魔しないようにしたんだ』

「シラを切るつもりですか? これが貴方の差し金でないと言えるので?」

『言えないねえ。でも都市は異能者狩りの真っ最中だろう? キミとデートしたい人は、何人もいるってだけだと思うよ?』

「こちらは、『取引』のためにダイヤを用意したというのに……」

『あっそう? じゃあ無事に生き残れたらまた連絡してねー』


 通話が切れる。

 舌打ちしながらも、女性は携帯電話を閉じる。


「よお姉ちゃん。デートの約束をすっぽかされちまったのかい?」


 同時に。背後から声。

 既にグラス越しに人数を確認している。四人組の、魚族サハギンの男達。少し生臭い匂いが鼻につく。せっかくのラスティ・ネイルの香りが鈍り、女性は眉をひそめる。


「俺たち元々は紅港で真面目に働いていたんだがよ」

「妙な騎士がある日突然理不尽な暴力を振るってきてさ」

「取引先も潰れちまったし。新しい都市でビジネスを始めることにしたのよ」

「なあ? 平和を乱す異能者や、平和を乱さない異能者を生け捕りにすれば、カネになるんだってなあ?」


 四人で、背後から、女性を取り囲む。

 逃げ場を塞ぐ。

 生臭さが一層強まる。女性は、鼻をつまみたくなるのをかろうじて堪える。


「菫川カヲル。現市長の秘書だったか?」

「なんで秘書がこんなバーでデートの約束なんかしてる?」

「今の市長はいろいろ変な噂も多いしな。そういう話も聞かせて貰えれば『取り立て』の役に立つかもなあ?」

「生け捕りにするんだったら。ついでにいろいろ『調べる』のは当たり前だよな……ぶべら!?」


 魚族サハギンの一人の顔面に、鞘の末端部が叩きこまれる。

 女性は。カヲルは座ったままの姿勢で振り返りもせず、刀をベルトから外し、ほとんどノーモーションで振るっていた。


「てめえ!」


 残った三人が、一斉に祈祷機プレイヤーを操作し、霊子外骨格アーキタイプを起動させる。

 やはりこの手のチンピラにはありがちな、作業用霊子外骨格アーキタイプのセーフティやリミッターを外して、戦闘用に転用した違法改造タイプだ。

 それはあまりにも、ありがちすぎで。


「捕まえて、圧し潰してしまえ!」


 三方向から一斉に。

 作業用霊子外骨格アーキタイプの巨大なアームが、カヲルへ振り下ろされる。

 それすらも、やはりありがち。

 相手が実力を発揮する前に、力と数の暴力で圧し潰してしまおうという浅はかな知恵に過ぎなくて。


「紫流。【空蝉】……」


 彼らは。カヲルがすり抜けたことにすら気付かない。

 彼女が既に背後に回り、刀を構えていることにすら、気付かない。

 気付かないまま、彼女が座った椅子を、必死に叩き壊していた。


「紫流。【花宴】」


 ばばば。と。三連撃。

 鞘の尻で、柄の頭で、そして抜刀した刀の峰で。それぞれに、的確に。男三人の膝を砕いた。


「が、があああ! 膝が!」

「膝の皿が!」

「膝の皿って軟骨だから硬い場所じゃないって皿が!」


 カヲルが抜き放った刃は、エーテリウムで生成された複製品レプリカではない。

 実際に打ち鍛えられた鋼であり、唯一無二オリジナルの日本刀だ。 

 そしてその性能についても、間違いはない。瞬きする間で、男四人を打ち倒してしまった。


 そんな騒ぎを、遠巻きに見守っていた他の客たち。

 止めに入らなかったのは、それぞれに武器を構えていたからだ。騒ぎが大きくなれば、両方とも撃ち殺そうとしていた。

 実際には騒ぎにはならなかったので、客たちはそれぞれの武器から手を離す。


 しかし。そこで。


「わっさー! みんなやってるー?」


 元気な。しかし少々間の抜けた挨拶をしながら、一人の少女がバーに入ってきた。

 白いコートを羽織り、赤い髪をツインテイルにした、金色の瞳を持つ少女。

 コッコ=サニーライト。


「店長! ミルクセーキ! ミルクセーキ頂戴……って、あれ?」


 そしてカヲルは。その右手に日本刀を握ったまま。

 コッコと、目を合わせてしまった。

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