第4話:住人その1。天宮ウヅキ。

 鬼気迫る勢いだった。

 割烹着を着てテーブルに向かい、一心不乱に原稿用紙に立ち向かう女性。

 霊子外骨格アーキタイプのアームの先にはペンや筆や定規が接続されており、彼女の両手と合わせ、神がかり的な勢いでペンを入れていく。

 良く見れば、原稿用紙の上にもエーテリウムが光の線を引いている。これを下書きにして、彼女は漫画の原稿を一コマ一コマ仕上げているのだ。


 作業用アーキタイプ。LW-221CA TOHOTH。

 本来は製図作業のために開発された霊子外骨格アーキタイプであるが、彼女はこれを漫画の作画に利用し、また独自にカスタマイズを加えているらしい。

 OSの支援があるとはいえ、複数のアームを十全に制御するのは並大抵のことではない。原稿用紙に投影した『下書き』の通りに作画するという手順を踏んでいるようだが、それでいて最も重要な線は本来の自分の手によるペンで引いているようだ。

 究極的に効率化がなされながらも、アーティストとしてのこだわりも忘れていない。


 しかし。それすら。


「だめ! 描けない……! 描けないよお……」


 トーンまで貼って一度は仕上げたというのに。

 原稿用紙をまた破いて、丸めて放って捨ててしまった。

 そうして。ついに力尽きて。カフェのテーブルに突っ伏す女性。


 それ以上は何もない。

 一連の様子を見守った上で、コッコはマータと顔を見合わせる。コッコはなんとなく首を傾げて、しばし逡巡した後に、意を決して女性に話しかけた。


「あの……ウヅキさん?」

「……は!? 誰!? 編集さん? 私を探しに来たの!?」


 すぐにばっと顔を上げ、コッコに対し身構える女性。

 なんなら、デザインカッターの刃さえ突きつけてきそうな勢いだ。


「う、うう……わかってる! わかってるの! もう締め切りは過ぎちゃってるし、いい加減入稿しないとヤバいってことは! でも、でもここ! ここの部分がどうしても納得いかないの! だからあと六時間……ううん! 三時間! 三時間待ってくれれば!」

「落ち着いて。落ち着いてよウヅキさん。ボクだよ。コッコだよ。あなたを追ってきた担当編集とかじゃないから……」


 今にも暴れ出しそうな女性を、必死に宥めるコッコ。

 さもなければ、デザインカッターどころかペン先も投げてきそうな剣幕だ。口調とは裏腹に、構えがとにかく物騒で、形としてはもう完全に脅迫している。


「……あ、あれ? コッコちゃん? どうしてここに? あれ。そもそもここどこ? あたしは誰?」

「ボクはコッコ。コッコ=サニーライト。ここはアナトリアの神殿で、あなたはウヅキさん。アパートではボクの隣の部屋の住人で、漫画家の、天宮ウヅキ先生だよ」


 正体を失っていたウヅキに、状況説明するコッコ。

 テーブルの上には、サンドイッチやエスプレッソコーヒーの残骸が散乱している。漫画の機材に汚れが付かないのが不思議なくらいな惨状だ。

 ウヅキ本人も例外ではない。肌は荒れているし、目にクマができているし、ぼさぼさに乱れた髪を無理矢理ヘアバンドで留めている。眼鏡に跳ねたインクを拭うことすら忘れて、ひたすら漫画に没頭していたのだろう。


「……あちゃあ。これはやっちゃったね……どうにもこうにもひどい……」


 冷静になり、ウヅキ自身も現状を再確認する。

 

「ダメな時に無理しても仕方ないんだから、最初からスケジュールに余裕を持つべきってわかるんだけどねえ……追い込まれないとどうしても動けなくてねえ……」

「心中。お察しするよ。煮詰まってるみたいだね」

「……ねえ。ところでどうしてここに来たの? 編集さんがトラブルシューターに依頼した……ってわけでもなさそうよね? どうしてコッコちゃんがここに? あたしに用事?」


 言いながら、コッコは俺とマータに目を合わせる。

 なんとなく言わんとしている事はわかる。

 この状態の彼女に、アパートが焼けたことを言うべきかどうか。だ。

 まあ。無理だろう。こんな心身ともに困憊している相手に、さらに追い込むような事実を伝えるべきではない。最悪その場で暴れ出す可能性すらある。戦闘用ではないとはいえ、彼女ほどの霊子外骨格アーキタイプ使いが暴れたら、鎮圧には相当手を焼くことだろう。


 三人。同様の結論に至り、互いに頷き合う。


「コッコちゃん。その子誰? 新しいお友達?」

「ん。ああ……この子はマータちゃん。紅港で知り合ったんだ。ええと……」


 少し、マータを見て考え込むコッコ。


「簡単に言うと。一緒に寝た仲だよ」

「ココねー!?」

「彼女はボクの命の恩人で、その肌で凍えたボクの体をあたためてくれたよ」

「ココねー!?」


 間違いではなかった。

 しかし誤解を招く、悪意ある事実の切り抜きである。

 

「ねねねね寝た!? ほっ、ぷふぉわあ!?」


 しかしそれを聞かされたマータ以上に、ウヅキの方が強く反応した。

 それはもはや『沸騰した』という言い方の方がより自然なくらいに。


「あわ、あわわ……コッコちゃんがそんなことに……男子三日会わざればというけど、女の子……アナトリアの子でもそういうことなの? でもその子も銀髪だし肌も白いし、二人並んでると結構色合いのが良いし映えるね……コッコちゃんはふにゃっとしたタイプだけど、マータちゃんはもちっとしてるね。かわいい……『ココねー』と呼んだのも見逃せない。どちらかというとコッコちゃんは妹キャラで売ってきたように見えるけど、そんな彼女もまた『妹』のような『甘えてくれる対象』が欲しかったとか、そういう関係性で……コッコちゃんは彼女を守ろうとすると同時に攻撃的な感情をも芽生えてついには……」


 一人で。全く勝手に。

 ぶつぶつとウヅキは呪文のように独り言を呟いている。

 彼女の中で、現実と妄想が混ざり始める。それは霊力フォースの流れとなって、目に見えてしまうほどだ。


 何を言ってるのか内容はよくわからないが、マータは背筋に怖気が走るのを確かに感じた。

 だがさらに、コッコは大胆な提案をする。


「ウヅキさん。せっかくだからお風呂行かない? その様子だと、ずうっと作業してたんでしょ?」

「こ、ココねー!?」


 声を荒げてしまったが、マータはなんとか口元を隠し、表情に出るのを抑えた。

 こんな怪しげな人間と風呂に行くなんて。と。


「多少は気分転換した方がいいよ。その方がいい画が描けるかも知れないし」

「うふふ……そうだね……二人の話ももっと聞きたいな……いいよね? 女の子同士だもんね?」


 ゆらりと、椅子から立ち上がるウヅキ。

 意外と高いその身長に、小柄なマータは思わず身構える。

 だが、これでいいのだ。コッコがここに来た理由として、アパートの話をしなければならないのはマズい。とりあえず興味の矛先を、コッコとマータに移し替えてもらう。その方が、きっとずっとマシなのだ。


 そして三人は連れだって、沐浴場へ向かった。

 当然。俺ことイナバは、漫画の機材と一緒にテーブルに置いていかれた。


 アナトリア神殿の沐浴場は、巡礼者がその身口意を清めるためにある。

 なので。その設備は神殿の占める面積の中でも一際大きく、充実している。

 ちなみに、 太陽教アナトリアは人種や性別で人を区別することはない。浴室そのものは男女で分かれておらず、同じものを使う。深層まで地面を掘り出して湧いた温泉は、平等に分け合って使うというわけだ。

 ただ。様々な事情もあって、脱衣所と洗い場は男女で分かれている。こういった忖度もまた、アナトリア流だ。


「ああ……コッコちゃんはやはりバランスがいいねえ……骨格と筋肉がね。ほぼ理想的なラインで繋がっている感じ」


 そうして。コッコとマータ。そしてウヅキ三人そろって洗い場へ。

 それぞれに鏡の前で椅子に座り、石鹸で体を洗っていた。


「ボクとしては、もう少しくらい背が伸びて欲しい所なんだけど……」

「バランスがねえ。すごくいいの。作画の参考になるなあ……筋肉の線と骨の線がすんなり重なってねえ……しばらく見ないうちにまた鍛えたみたいだね」

「え、えへへ……」

 

 体を洗いながら、なんとなく照れているコッコ。

 そんなコッコの様子に、マータは少し面白くないものを感じた。


「そもそも、人のカラダをそんなに見るものじゃ……」


 呟きかけて、慌てて頭からシャワーをかぶり、打ち消す。

 別にウヅキは盗み見ているわけでもないし、コッコも褒められて喜んでいる。そういう感情を、第三者であるマータから横やりをいれること自体、望ましい事ではない。と。

 コッコが喜んでるならそれでいいはずだ。なのに。心のどこかで納得できない。


「あー……きもちいいー……コッコちゃん頭洗うの上手ー……あ、あ、そこいい。いいよお……」


 マータが悶々としていると、さらに横では事態が進行していた。

 いつの間にかコッコがウヅキの後ろで屈んで、ウヅキの髪を洗っている。


「かゆいところありますかー……って、もう。ちゃんと手入れしないとダメだよウヅキさん。シャンプーもこないだオススメしたやつあったじゃん」

「あれー? ああ。なんか無くなっちゃってー。どこで売ってるかもわからないから買い足しもできなくてー」

「安物で済ませるにはこの髪はむしろ損だよ。いい髪なのに」


 なにそれずるい。と、流石にマータは思う。

 ウヅキの髪は黒くて長い。だからといってしかし、コッコが洗うほど面倒を見なくて良いではないか。マータがショートカットだから、手伝う必要はないと思われているのだろうか。

 普通に。うらやましい。


 あまつさえ。


「ちょ……ウヅキさんめっちゃ凝ってる! 肩も背中もバキバキだよ! こんなんじゃダメだよ!」

「あはは。ごめんねー。でもマッサージされると眠くなっちゃうから……そこまでは後でいいかな……」

「もう。無理しちゃダメだよ?」


 コッコがその手で。そこで立てた泡で。ウヅキの肩や背中を撫でていた。いいや。肩や背中を洗っているのはマータにもわかる。マッサージをかねているのもわかる。

 しかし素手で触れていた。撫でていた。

 はしゃいでいるようにすら見えた。

 

 もちろんこれは、コッコ自身の優しさ故のモノだとは頭で理解できる。しかし、ここまで他人に優しく、面倒を見るコッコを間近で見せられて、モヤモヤしたものを感じないわけがない。

 『特別』を奪われたようにすら感じてしまう。


「マータちゃんは、終わった?」


 気が付くと。

 マータは。二人で体を洗い終わるのを、横目でずっと見ていた。

 だがそのことを、素直に伝えることはできなかった。なんでもない風を装って、コッコに向かって立ち上がる。


「こ、ココねー!」


 そして提案する。


「湯浴み……持ってきたから! 使って!」


 脱衣所に入る前に、借りていた湯浴み。胸元から膝まで覆えるワンピース様のそれを、三人分差し出す。


「ああ。浴槽は混浴だからね。マータちゃんは湯浴み使うんだ?」

「あたしは普段は使わないかなあ。なんか面倒だし」


 しかし。コッコとウヅキは使わない装備だった。

 混浴ということで、洗い場の先には男性もいる。同じ湯につかることも当然ある。

 だが二人にとっては、それだけのことだ。それ以上の問題は何も無いし、気にすることもない。

 そもそも人間やアナトリア人の他にも、様々な種族が沐浴場を利用している。近しい種族ならまだしも、普段関わらない種族だと男女の区別すら難しい。

 それは結局、他人にとっても同じことなのだ。


「ココね―も着て」


 しかしマータには関係ない。

 

「ウヅキさんも着て」


 正直言ってウヅキはどちらでもいいのだが、押し通す都合上、外すことはできない。

 一人で湯浴みになるのもそれはそれでちょっと恥ずかしいから、三人で一緒に着ようということにできるから。


「でも……」

「あたしは……」

「着て」


 半ば無理矢理、マータはコッコとウヅキに湯浴みを押し付け、着させた。


「……まあ、それじゃ。行こうか」


 そうして三人、連れだって浴槽へ向かった。

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