エピローグ

エピローグ:太陽の騎士と嵐の王

 俺はこの都市まちの匂いが嫌いだった。

 人の心の澱みが、腐った感情が、あるいは本当に路上で死に腐った肉とか臓物が、都市を迷走する運河を巡り、海の底にヘドロとなって堆積する。

 そんなヘドロの、その残り香だけは。逆巻く潮風に乗って都市に戻ってくる。この都市が、どこにも開いていないのだと思い知らせるかのように。


 だが。

 そんな都市にも嵐が起これば、澱みも腐りも何もかもを吹き飛ばされてしまう。

 別に。何かを解決したり、何かを変えたり、まして答えを見せてくれるようなモノではない。風はただ吹き荒れて、過ぎ去っていくだけだ。

 それでも。鉛色の雲を吹き飛ばし、澄んだ風の下で広がる青空を見上げれば。まあそれはそれで、生きているのも悪くはないのだという気分にさせてくれる。

 それが一時的なモノにすぎず、いずれ元に戻ってしまうモノだとしても。


 顛末。

 決着の後、ほどなくして水上警察がやってきた。

 いいや。唐突な竜巻、落雷。そして巨大不死イモータル。そこまで事態が大きくなってしまっては、もはや水上警察だけではどうにもならない。海軍の駆逐艦までもが出張って、現場は騒然となっていた。


 トニーは。コッコの最後の一撃を受けた後、フォースフィールドが『内側』に崩壊し、周囲の空間を削り取りながら消滅した。

 強力すぎる霊力フォースを持つ不死イモータルの末路としては良くある話だ。異層次元と基底現実を繋ぐ力のバランスが崩れ、エネルギーが虚数の方向へ引っ張られる。不死イモータルとして未完成だったからこそ起きた『自滅』だ。


 だから。トニーの遺体を弔うことはできなかった。


 コッコとマータ。そして俺は現場から逃走した。一連の事件について説明することそれ自体がすでに面倒だ。トニーについてはコッコも心残りだったようだが、これに関してはどうしようもない。不死イモータルは死者ではないし、トニーの魂はもうどこにもないのだから。


「それは、同情なのか? トニーのような奴にも、慈悲があるべきだと?」

「ボクはみんなを救いたかった。彼にも、本当なら。救われる道があったんじゃないのか? そう思うんだよ」

「奴は既に手遅れだったよ。悪夢病がかなり進んでいた。人を食ってそうなったんだから自業自得ってものだろう。こうして倒され『分相応な死』ってヤツを迎えらえただけでも、マシって話じゃないか?」

「……そういう考え方は、あんまり好きじゃない」

「背負うなよ。キリがないぞ」

「わかってるよ。一応。そういうつもり」


 そしてコッコとマータは、地下鉄駅のホームいた。

 イズモタウンへ向かう列車を待ちながら、ホーム上に設置された立ち食いそばの店舗にて、そばを食べていた。


「ごめんねマータちゃん。本当はもっといいものを奢ってあげたかったんだけど、列車の時間がね……」

「いいよ。こういうのはマータ、食べたことないし」


 久しぶりに食べられる。あたたかい食事。

 マータはコッコの勧めもあって、天ぷらもコロッケも油揚げも卵も載せた『フルパッケージそば』を注文していた。もはやトッピングが多すぎて、下のそばが見えない。

 コッコも同じものを注文して、それはそれは美味しそうに、パクパクと食べている。

 マータも、なんとか天ぷらをを持ち上げたりしながら、苦労してそばをたぐっていた。


「結局。港湾労働者組合は壊滅状態だ。あそこはハイドラ教会から資金提供を受けてるし、いずれ後任者が現れて復活するんだろうけどな」

「ああ、やっぱり組合って、ハイドラ教会と関わりがあったんだ。トニーの霊子外骨格アーキタイプがそうだったもんね」

「教会としては、紅港での足掛かりを失って企業体連合リヴァイアサンばかりに強気になられちゃかなわんだろうからな……」

「貧民街にもハイドラ教会はあったよ。修道士さんも結構いい人だし」


 企業体連合リヴァイアサン所属のホテル・ウィクトーリアと、ハイドラ教会がバックについた港湾労働者組合によって紅港のバランスは保たれていた。

 しかし今回の事件で、全てが嵐によってかき回されて、破壊されてしまった。それはストームルーラーだったと言えるし、トニーだったと言えるし、コッコとマータとだったとも言えるのだが。


「ホテル・ウィクトーリアも、これ以上は利益が見込めないってんで、ストームルーラーに関わる気はないようだ。もちろん、事が起これば別だが……」

「異能を使わなければ、普通に暮らしていくこともできる?」

「触らぬ神に祟りなしってヤツだな。今のところマータの中のストームルーラーは安定状態だ。下手に触らなければ何も起こらないし、あるいはそのために今度はキョンシーどもがマータを護るかもな」


 けっけと、俺は皮肉っぽく笑う。

 クラスⅢ異能と言うのはそういうものだ。制御することも管理することも不可能なので、遠巻きに見て巻き込まれないよう注意するくらいしか対処方法がない。無理矢理押さえつけたりするよりは、よっぽど安全な策だろう。


「うん……」

「ほら。ボクのケータイの番号と、メールアドレス。困ったことがあったらすぐ駆けつけるから」

「うん……マータはケータイ持ってないけど……」

「え、そうだったの?」


 そばを手繰りながら、コッコの連絡先が書かれたメモを受け取るマータ。

 

「どうしよう。マータ住所ないし……交換する連絡先がない……」

「……しょうがねえな。俺のねぐらを貸してやるよ。貧民街のボートで寝るよりセキュリティはマシだろ」

「イナバのねぐらはひっくり返っちゃったじゃん」

「違う違う。あそこは複数あるねぐらの内の一つだよ。因果な商売をしてるんだから、セーフハウスは複数用意してるんだ」

「なるほど」


 九朧城のねぐらは、わざと察知されやすいように置いていた。いわば囮に過ぎない。貴重なデータとか、財産などは当然別の場所に隠している。

 使わないセーフハウスの一つくらいは、マータにくれてやるのはワケないことだ。

 商業区の雑居ビルの中に、丁度いいのがあっただろう。


 なんてことを考えていると、ホームにベルの音が鳴り響いた。

 列車の到着を知らせるベル。


「……ごちそうさまでした。おいしかったよ」


 コッコはいつの間にかスープまで空にして、器を機械生命体オートマトンの店員に返す。そしてそのまま踵を返して、ホームの乗り口へ向かった。

 その動きがあまりにあっけなさすぎて、マータも反応が遅れてしまった。何か声をかけようとしても、タイミングを失って、見送ることしかできない。 

 ほどなくして、列車がホームに滑り込んできて、停車。

 ゆっくりと、ドアが開いた。


「……イナバも来るんだ?」


 共に列車に乗り込んだ俺を見て、コッコは首を傾げる。


「こうなっちまった以上、レイヴンをもう一度捜さなきゃならんようだ。あいつ行方不明なんだってな? 連絡先を知ってるのはお前だけだ。しばらく世話になるぜ」


 結局。非常にややこしい事態になってしまった今回の件。

 原因はまあ、いろいろあるが。中でもレイヴンについては謎が多い。

 そもそも。レイヴンは何故コッコを紅港に呼んだのか? 今回はこうして、何とか事件は上手く収まるところに収まった。しかし同時に『うまく行きすぎている』ともどこかで感じていた。


 マータがストームルーラーを継承し、コッコと出会い、不死イモータルとなったトニーを撃破する。

 レイヴンは、どこまでこの事態を予想していたのか? 全てが予想外だったのかもしれない。何にも考えてなくて、適当にやったら『たまたま』そうなったというだけのことかもしれない。

 

 けれどそれにしては。やはり。気になることが多すぎる。もう少し、調査をする必要がある。


「……別に良いけど、ボクのアパートってペット平気だったかな」

「ぬいぐるみって言い張れ。平気だろ」

「うん。それじゃあ……」


 マータは焦った。

 まだ半分以上残っていたそばを一気にすすり、天ぷらも油揚げも咀嚼して飲み込んで、スープを喉へ流し込んで、そこで七味唐辛子にむせそうになるのを必死でこらえる。

 機械の店員にごちそうさまを言ってから、立ち上がり、急ぎ足で列車のドアに駆け寄っていく。


「それじゃ。お元気で。マータちゃん」


 肩越しに、半身だけでコッコがマータに振り返る。

 赤いツインテールの一房を揺らして。金色の目の片方を、ほんの少し細めて。少し、微笑んでいた。


「さ、さようなら。ココねー……」


 マータは列車のドアを挟んで、コッコに別れの言葉を贈る。

 事件が終わった。

 故に巡礼騎士も、トラブルシューターも、この都市に留まることはない。だからコッコは行くべきなのだ。マータは、それを見送らなければならない。そう理解していたし、そうしたいと思っていた。

 別れのくらいは、ちゃんとして。


 発車のベルが鳴る。

 ドアが閉まる。

 列車が出発する。


 そして、窓の外を見るコッコ。そこを見ても、地下鉄なのだから、そこにはまっくらなコンクリート壁があるだけなのだが。


「紅港。いい都市まちだった。次は、もうちょっとゆっくり観光したいなあ」

「そうだな」

「マータちゃんも、そう思う?」


 そこには。コッコの胸に抱きとめられて、マータが居た。

 マータはコッコの胸元に顔をうずめたまま、頷く。


「マータは。ここがいい。ここにいたい」

「……そっか」

 

 全てを変える力が手に入ったら、どうする?

 自分が死ぬとしたら、どうする?


 マータは。この都市が。好きでも嫌いでも無かった。

 それは都市にいても。岩礁に帰っても。居場所など無かったからで。異常存在イレギュラーという大きな力を手にしたとしても、マータの中の現実が何か変わるわけではなかった。

 どうしようもなく、何にも変わっていなかった。

 

 けれども。

 マータ自身で、選ぶことができることに気が付いた。最初からその権利はあって、マータはいつも、それを選び続けていた。

 なんということはない。

 マータは最初から、そこにいたのだ。


『何度も命を救われた。彼女がエイ男の攻撃を防いでくれた。彼女が身を挺してボクをかばってくれた。体温を分け与えてくれた』


 コッコの中に。いたのだ。

 彼女を護ることを、いつの間にか選んでいた。護られるだけではなく、少しでも返したくて。微力でも無力でも、なんとか役に立ちたいと願って。

 そうして、必死に行動して、ようやく見つけることができた。


 ただそれを。離したくなかった。

 そんなコッコに、離れて欲しくなかった。


「ココねー。お願い。マータもココねーの都市まちに行きたい。置いてかないで」

「置いていくも何も、もう列車に乗っちゃってるからねえ……」


 いいよ。と、コッコはマータの頭をかき抱く。


「それなら、ボクたち二人、どこまでもどこまでも一緒に行こう。ボクは本当の幸いのためならば、ボクのからだなんて百ぺん灼いてもかまわないからね」

「それは嫌。ココねーが熱くなると、抱けなくなるから困るよ」

「あらら……」

「代わりに。ココねーが冷たくなったら、マータがあたためるから」


 マータはコッコの背中に腕を回し、ぎゅうと抱き締めた。


 そして二人は。列車は。次元を超えて、無明の闇の中を走り抜けていった。

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