第二十三話:きたれり
トニー・ジャオには幼少期の記憶がない。
あるいは『幼少期の記憶』がいくつも出てくる。ある時は団地に住んでいる少年だったし、アナトリアの学校に通う女子学生だったり、ジャングルの川で水浴びをする象だったりした。
そしてどの記憶も。最後はサメ男に食い殺されて終わっている。
それはトニーが『食べた』能力をコピーする能力ではあるが、この機能はあくまで能力の一部でしかない。より正確に言うならそれは、彼が食べたモノの『記憶』を読み取り、自分のモノとする能力だ。
元より
しかし『似たような能力を持つ者』の条件はもう一つある。記憶と人格だ。これらが近しい場合もやはり、能力も『近い』モノになる。
もちろん。通常の手段では人格はともかく、記憶を『近く』することなど不可能だ。それを実現するためには『普通でない』手段がいる。
トニーにはあったのだ。その『普通でない』手段が。
その身に宿りし
そして、彼は細かいことは気にしない性質だった。
鶏肉を食べれば鳥の記憶が。豚肉を食べれば豚の記憶が脳髄に
だから。どんどん食べた。
何でも食べて、そのカロリーを吸収し、記憶を取り込む。『他人』が自分の中に入ってくる。自分という存在が希釈される。しかしそれでも食べる。取り込む。繰り返し。繰り返す。
やがて、どんな『他人』にも持ちえない『食欲』が、トニーの自我となった。
能力も記憶も、他人を食べて奪い取る魔獣。
ずっとそうして生きてきた。必要なモノはすべて、他人から奪って生きてきた。トニーと言う名前すらも、食い殺して奪ったモノだ。
気付いた時には、トニーは既に港湾労働者組合に雇われていた。いいや、記憶が混濁しているだけで、ハイドラ教会の修道士か何かに誘われたような覚えが無いわけでもない。ともかく、いつからかトニーは港湾労働者組合で『集金』や『交渉』をして生計を立てるようになった。
そんな風に。いつしか局長と呼ばれるようになり、そして。
今回。彼が食らい。奪おうとした『愛と正義』と言うモノは、ついに手に入らないまま終わってしまうようだ。
完璧なハズだった多重のフォースフィールド。
それを全て破られ、トニーはエーテリウムの刃によって左肩を貫かれていた。
「くそ……動かん……」
コッコは、その金色の双眸で、まっすぐトニーを見つめている。
赤い髪も、白いコートも、うす汚れていた。しかしながら、照明の暗い倉庫の中で尚、鮮やかで。
「ボクの、勝ちだ」
「ああ、クソ。マジかよ。負けるなんてな……」
舌を鳴らして、顔を伏せるトニー。久しぶりに『空腹』を感じていた。
コッコは剣槍の刃を動かさないよう、慎重に両手で支えている。ここまで深く刺さっていると、迂闊に抜いてしまっては大量出血の恐れがある。騎士の『決闘』にそんな結末はふさわしくない。
「動かないで。今オチミズを用意するから」
「オチミズ? 敵の傷を治すって言うのかお前は? 治った後でもう一度お前を食い殺しにかかるかもしれないぜ」
「そうしたいならそうすればいい。決闘の結果に納得がいかないなら、何度だって勝負を受けるよ……それでも……」
「それでも?」
「ボクの方が強い」
断言した。
静かに。しかし明らかに。コッコはトニーに対して告げた。その金色の瞳は、少しの揺らぎも見せない。
「ああ……無念だ。何とも味気ない。せっかく。せっかく本当の、正義の味方って奴に出会えたのにな……」
観念したかのように、トニーはため息をついた。
実際として考えても、今のコッコをトニーが倒すことは不可能だ。トニーのどんな技を使ってとしても、今のコッコの
あらゆる点で、完全な、トニーの敗北だった。
「……ボクは、そういうのじゃない。正義の味方なんかじゃないよ。ただあの子と、もう一度話したかっただけで」
「かっか。違わねえよ。ただ会いたい。話したい。なんともロマンティックな話じゃあねえか。この都市じゃそれすら珍しい。ああ、口惜しい。もう少しで食えたのに」
首を振るコッコと。それすらも肯定するトニー。
コッコにとっては、この行いは正義ではなかった。行き当たりばったりで、取り繕っているだけの、その場しのぎの辻褄合わせでしかない。一つかけ違えていれば全てが破綻していたし、そのような一か八かの行いを、彼女自身認めることはできなかった。
一方でトニーにとっては、それは十分に愛であり正義と呼べる行いだったのだろう。ただ利益や打算や確率ではなく、純粋に相手のことだけを考えて、自らの身を投げ出す。そのような自己犠牲的な行いに、トニーは感動すら覚えていた。
「……そうして、他人から奪うだけだったの? 愛とか正義が欲しかったというなら、自分でそれを実践してみせようとは思わなかったの?」
「ああ……?」
そんなトニーの。丸い瞳を。コッコは覗きこむ。
だがそこには、無限に黒い深みがあるだけで、それ以外は何もない。
「……残念だよ」
コッコは片方の手で水筒を取り出し、その中身のオチミズを、トニーの傷口にふりかける。そのまま、オチミズで傷を治しながら、刃をゆっくりと引き抜いた。
当然。トニーには激痛が走っているハズだ。オチミズは傷を治すことはできるが、直接痛みを消す効果はない。治す際にも痛みは発生するし、傷が塞がっても痛みが消えないこともある。
けれどもトニーは、身動き一つせず、呻き声すら上げることはなかった。
やがて。トニーの肩からは刃が全て引き抜かれた。同時に傷口も塞がり始めており、オチミズによって高められた治癒力で、すでに出血も止まっている。
とりあえずこれで、出血多量で死ぬ心配は無いだろう。
「ココねー!」
その時。
待ちきれなくなったマータが、コッコの胸に飛び込んできた。トニーが決闘に敗北した時点で、マータを閉じ込めていたブロックは消失している。特に拘束もされていなかったので、マータはそのまま駆け寄ってきたのだ。
「……よかった」
そしてコッコは。その場で。涙を流す。
「ボクでも……うまくできた……」
マータを受け止め、しかしすぐに膝を落とし、その場にへたり込む。飛び込んできたマータを、抱き寄せて、縋りつく。お尻も地べたにつけて、めそめそ泣いている。
「ココねー……」
コッコと目の高さを合わせるため、マータも膝をつく。
向かい合って。へたりこんで。二人で抱き合う。
「ごめんマータちゃん。護り切れなくて」
「もういいよ。大丈夫だよ」
「本当に。本当に……ごめん……怖かったよね……」
「いいよ。ココねーは来てくれたんだから」
マータは困惑しながらも、コッコの頭を抱えて、優しく撫でる。
縋りつくコッコの身体は軽かった。背も高いと思っていたが、結局マータとは5センチ程度の差であり、トニーと比べればずっと小さい。
その大きさで。その軽さで。コッコはずっと戦っていたのだ。マータを護っていたのだ。
「コッコ! 違う! まだ終わっていない!」
しかし、俺ことイナバは叫んだ。
そう。この事件はまだ、終わってはない。
むしろ本番は、ここから。
コッコとマータが俺の声に反応し、そしてトニーを見る。
そのトニーが、自身の尾びれを食らっていた。
比喩でもなんでもなく。脚の下から自身の尾びれをくぐらせ、背中を丸め、先っぽから齧って、次々飲み込んでいるのだ。
「自分……自分で……? そうだ。そうだ。わざわざ他を食わなくても、俺様には俺様があるじゃないか。ああ、そうだ。この味だ。ずっとこの味が欲しかった……」
ある日の朝。
トニーは、自分の『味覚』が失われていることに気が付いた。何を食べても、砂の味しかしない。腹は満たされるし、記憶も取り込めている。だが『味』については、何をどうやっても戻ってくることはなかった。
悪夢病。
オチミズを取り込み過ぎた者が罹る奇病。『味覚の消失』こそ、その初期症状だった。トニーには、『悪夢に憑りつかれるほど』オチミズを飲んだ記憶はない。だが
オチミズは体内にて血液に溶け込み、
トニーは自分で自分を食べる。しかし、今やオチミズによる再生能力が暴走していた。
尾びれを食べたとしても、食べた部分からまた尾びれが再生する。食べる。再生する。食べる。再生する。二股に分かれる。食べる。食べる。尾びれがさらに増えて再生していく。
もはや食べる量より、増える量の方が多い。
尾びれの黒い皮膚を突き破り、ピンク色の肉が泡立つ。
泡立つ肉から、手が、目が、足が湧いてくる。他の肉にまた飲み込まれ、膨らんでいく。
「
イナバが叫ぶと同時に、コッコはマータを連れて立ち上がり、倉庫の出口に向かって走る。
トニーの尾びれの増殖が止まらない。もはや尾びれは、様々な器官や臓器が無秩序に泡立ち生えて、元のトニーの体重以上の質量にまで膨れ上がっている。それをトニーが、片端から食べ続けている。血をまき散らし、肉をちぎり、骨を砕く。
そして。その泡立つ肉の中に、少女の姿が現れた。
この世に存在するどの色とも言い難い、
種族は
なぜ。トニーの肉から。そんな少女が生えてくるのか。
その場にいる誰も、トニー自身でさえも、その答えを持ち合わせてはいなかった。
ただマータは、その少女が、その唇で呟いたことだけは聞きとることができた。
「きたれり」
瞬間。トニーは少女を喰らう。
頭を、首を、肩を、胸を腹を腰を、足まで丁寧に噛み砕き、噛みちぎり、飲み込んだ。
そして。
トニーの肉体は、それをきっかけにして爆発的に増殖し、倉庫は内側から崩壊した。
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