決戦編

第二十話:評決の日

 夜が明けた。

 しかし東の空は雲が分厚く、朝焼けは見えない。鉛色の空が、どこまでもどこまでも続いているだけだ。


 港湾地区。埠頭倉庫。

 その名の通り、港に集まり、また港から運び出される物資を保管する倉庫だ。、港のほとんどの倉庫は、港湾労働者組合によって管理されている。彼らの許可無しには、事実上港を利用することは不可能となっていた。


 なって。いた。

 昨日まではそうだった。

 これからは違うだろう。港湾労働者組合は、局長であるトニー自身の手によって壊滅状態となった。もはやその機能が回復する見込みは無く、倉庫の所有権や利用権も曖昧になったままどこかへ散逸してしまうのかもしれない。

 

 あるいは。

 トニーが。クラスⅢの異常存在イレギュラーであるストームルーラーをも手に入れて。組合どころか、紅港の都市全域を掌握するほどの力を得るのかもしれない。そうすれば、再び倉庫の所有権を手に入れることもできるだろう。


 いずれにせよ。今のトニーは。

 埠頭の倉庫の一つを、不当に占拠しているということになる。


 空っぽの倉庫。

 その真ん中の、コンクリートの真ん中に、マータとトニーが直に座っていた。

 マータは特に拘束されている様子はない。海色の装束を着て、足を横に流して座っている。腰に差した一対のナイフすらそのままだ。

 逃げようと思えば、いつでも逃げられる体勢。

 だがトニーはマータを逃がすつもりはないだろう。それだけ己の能力に自信を持っている。圧倒的な差がある。

 

「どうした。食わねえのか?」


 マータ自身。逃げるつもりなどは毛頭ないが。 

 その膝の先には、ピザの箱が口を開けて置かれていた。


「食べない」


 トマトが真っ赤な、マルゲリータピザだ。おそらくは合成食品工場で作られたモノだろうが、まだ十分あたたかい。チーズやバジルの香りが、マータの鼻腔をくすぐっている。

 その度に、きゅうきゅうと、マータは自身の胃が締め付けられるのを感じていた。


「腹減ってるんだろう? 別にヘンなモンは入ってねえよ。さっき注文して届けてもらったモノだしな」

「それはわかる。ピザ屋さんのバイクだったもんね」

「まあそのせいでホテルの奴らに感付かれたようだが……お前には関係ないし、既に追っ払ったしな」

「それも見てた。戦いってほどでもなかったね」


 倉庫の一角で、千切れたキョンシー達が『片付け』られている。

 数分前に襲撃してきた者達だが、結論から言うとトニーに傷一つつけることもできなかった。フォースフィールドを突破することすら叶わないまま、『轢き潰された』。

 真っ赤な血と肉をまき散らし、骨が突き出ているが、動くものは一つもない。


「……チーズピザにするべきだったか?」

「それはね。血の匂いがする中で赤いピザ食べるのは嫌なんだけどね。そうじゃないよ」


 マータは首を横に振って、答える。


「正直。昨日の朝は寝坊して、お昼はワンタンメンを食べ損ねて、夕ご飯はホテルのディナーだったんだけど、変な火薬の匂いがしたから食べられなかったしで……丸一日食べてなくて、今はすっごくお腹空いているんだけど……それでも……」

「それでも?」

「お前は悪者だから。お前からは受け取らない」

「……かはは」


 トニーは、列を成す牙を覗かせて、凄惨に笑う。


「マータは。大きくなりたい。だから。もっとたくさん食べたい」

「おう」

「けれど、それは正しい方法じゃないとダメだと思う。悪い方法じゃダメ。マータは、もっと、ちゃんと大きくなりたい」

「そうか」


 貧民街にいた時もそうだった。

 悪徳の吹き溜まるどうしようもない場所だったけれども。組合費も払えなくなってしまったけど。それでも、マータは善くあろうとしていた。

 実現できないことも多かったけど。それでも。


「そんなに言うなら、自分で食べれば? 決闘の前なんだから、腹ごしらえした方がいいんじゃない?」

「いいや。俺様は食わん。というか、食えないんだ」

「ピザ嫌いなの? どうして?」

「味が、しないんだよ」


 べえ。と、トニーは舌を出してくる。

 三角にとがった、ざらついた舌。


「昔はそうじゃなかった気がするんだがな……舌が味を忘れてしまった。もう砂の味しかしない。だから今は、他の『新しい味』を探し続けているってわけさ」

「それでも、お腹は空くんじゃないの?」

「空かない。オチミズを飲んでいるからかな。霊力フォースをカロリーに変えているのか、そういう体質になってるみたいだ」


 言いながらも、トニーは手にしていたスキットルの蓋を開け、中身を口へ流し込む。

 色の無い水。オチミズを飲み込む。

 スキットルから、最後の一滴が落ちるまで。


「ありゃ、もう無いのか……補充しとけば良かったな」

「…………」


 マータは気付いていた。

 トニーの身体から、音が消えていることに。

 心臓の音も。呼吸の音も。筋肉の収縮や血流の音すら、何も聞こえてこないのだ。

 まるで身体の中身が、まるっきり空っぽの、がらんどうになったみたいに。当然そこにあるはずの、生命の音というものがない。


 そういう風になった人間を、マータは見たことがある。

 悪夢病に侵されて倒れている、九朧城の流民たちだ。


「ねえ。夢は見るの?」

「知らん。最近は、眠ってすらいないからな……っと」


 そう、トニーが答えたその時だった。


「……来たか」


 倉庫の入口に、コッコが現れた。

 ミニハットの羽根帽子に、白いコート。太腿まで届く乗馬用のロングブーツ。いつもの、巡礼騎士の装束だ。

 だが、コートはボロボロになって汚れている。表情にも若干、疲労が見えている。

 それでもコッコは、毅然と胸を張っていた。

 

「うん。来たよ。約束だからね」

「一人でもあるようだな。まあ、水上警察が来ていたところで、それがなんだって話だがな」


 トニーはキョンシーの成れの果てを、顎でしゃくって示す。

 コッコもまたそれを一瞥するが、すぐに視線を戻した。 


「……約束だからね」

「お前。死ぬ気か?」

「そういうつもりはないよ……マータちゃん!」


 マータに向かって、大きく手を振るコッコ。

 心なしか、トニーに話すよりも大きく高く、声色も明るい。


「預かってるものを返しに来たよ。さっさと終わらせて、一緒に帰ろう」

「え? 何か預けてたっけ?」


 マータは首を傾げる。

 そもそも自分は何も持っていない。護身用のナイフなら今も腰に提げているし、ホテルで着ていたドレスは元より借り物である。


「ほら、これ」


 言いながら、コッコは。

 おもむろに。自分が履いているショートパンツのファスナーを下ろした。


「……いや。いきなりぱんつ見せられても困るんだが。何のマネだそりゃ?」


 当然に、流石に。トニーがツッコミを入れる。

 コッコは足をそろえたままで、ショートパンツを膝の辺りまで下ろしている。必然、中に履いていた下着は剝き出しになって外気に晒されていた。

 シンプルな装飾だが、両端がひもによって結ばれていて、股上が浅めに作られた、要するにぱんつだ。それ以上の特徴はない。


「あ。それ、マータのぱんつ……尾びれ出す時に無くしちゃうから……そっか、あの時……」


 マータはようやく思い出して、顔をぱっと赤らめる。その赤さを、両手で覆い隠す。


「え、怖。なんでそんなもん今履いてるんだお前!?」


 トニーの方は、混乱し、恐慌している。全く理解の埒外であり、正気の沙汰とは思えない。なぜこの少女騎士は他人の下着を履いた上で、それをわざわざ見せつけてくるのか。

 そんな疑問に対し、コッコは律儀にも答える用意があった。


「これはアナトリアの古くからの風習で……つまりボクは今、マータちゃんのために戦おうとしている。貴婦人の意志を背負って、決闘に臨むわけだよね?」

「まあ確かに、そこな人魚を巡る戦いではあるな」

「だから。騎士は貴婦人の身に着けていたモノを預かり、お守りとしてこれを身に着けて戦うんだよ。それこそ愛と正義を証明する決闘に必要なことで……」

「いやだからって他人のぱんつ履くなよ!」


 より理解不能な理屈を脳天にぶつけられ、トニーは声を荒げる。

 どんな宗教的文化的背景があろうとも、近代的な紅港の都市においては蛮行であり奇行であり、なんなら変態行為である。

 マータの立場としても、とても受け入れられるような考え方とは思えない。


「ココねー……ありがとう……」

「感動してる!? お前らなんかおかしいぞ!? それとも、最近の女子はこれが普通なのか!?」


 そうでも無かったらしい。

 マータもまた、コッコとアナトリアの『流儀』に染まり始めていたようだ。


「だから、ボクは負けないよ。あとこのぱんつ履き心地が良い」

「知らねえよ! なんだよそのやる気!」


 思わず頭を抱えるトニー。

 もちろんトニー自身、他人に正気の有無を問えるような人間性ではない。しかしそれでも、これはあまりにも規格外イレギュラーだ。完全に調子を狂わされてしまった。

 しかし。やることは変わらない。


「全くわけがわからんし、噛み合わん。ただでさえ中年男性は若い女の子と話すのに気を使うって言うのによ……」

「これから、その女の子を食べようとしている人の台詞とも思えないね」

「いやいや。世の中、女の子がセクハラされるのには敏感でも、サメに食い殺されて臓物まき散らすことは何とも思われないモノさ。むしろ前者の方が不道徳だと非難する。そういうモノだぜ?」


 立ち上がり、自らの祈祷機プレイヤーにMDを挿入するトニー。

 トニーの霊力フォースにより大気中の霊子エーテルがエーテリウムに変換され、光の粒となる。粒はそれぞれの方向に動いて線となり、それらが平行し、交差し、ねじれていくつもの面を作る。

 そうしてフレームがトニーを覆って、各種センサーと霊子兵装が起動し、脳が霊子頭脳と接続され、OSが立ち上がる。

 『異端審問官型』アーキタイプ。HB-13H DEVOURER。

 もののコンマ数秒ほどで、トニーの霊子外骨格アーキタイプの着装は完了した。


「さあ。来な」

「うん。それじゃあ……」


 と、コッコは自身のMDを出そうとしたところで、気付く。

 イナバはまだ、スタンドアロンモードから目覚めていない。コッコの背中にしがみついたまま、停止している。


 「え!? まだ寝てるの!? ちょ、もう時間だよ起きてよイナバ……!」


 例の『三号機』のディスクはイナバの腹の中だ。眠ったままでは取り出せない。


「なんだあ? アーキタイプは使わないのか? だったら、こちらから行くぞ?」


 トニーが指を鳴らす。

 するとコッコの頭上に、金色の直方体が現れた。

 コッコにとっても見覚えのある、エーテリウムの輝き。


「イエローブリックロード!?」


 それは、コッコの異能アーツ

 しかし、出現したブロックは、コッコが出すブロックよりも遥かに大きい。ただ一つで、貨物用コンテナのような大きさを誇っている。


「一部を『食って』やるだけで簡単にコピーできるような、安い能力だったぜ! 俺様流にアレンジしてみたが、気に入って貰えるかい?」


 瞬間。巨大ブロックがコッコに向かって落ちてきた。

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