第七話:暗闇での戦い

「マータ逃げろ! 後ろだ!」

 俺が叫んだ時には、既にコッコは霊子外骨格アーキタイプを着装し、拍車にアクセルをかけて飛び出していた。


 マータの背後。破裂した水道管によって作られた水たまりの一つから、ぬらりと影が起き上がる。

 それは人型ではあったが、上半身を菱形のマントのようなもので覆っていて、腰部から尻尾が伸びていた。


「屈んで! マータちゃん!」


 コッコの声に反応し、マータはその場でしゃがみ込む。

 その背中に手をついて、馬跳びの要領でコッコはマータを飛び越すと同時に、不審な影に跳び蹴りを浴びせる。


 しかし。

 コッコの拍車がその身をえぐる直前。ほんの瞬きする間で、不審な影は水たまりの中に吸い込まれ、消えてしまった。


「……なるほどな。『水中工作員型』か」


 一瞬だけ見えたシルエット。

 あの霊子外骨格アーキタイプは俺も知っている。


 LB-11As STINGER。リヴァイアサン連合が開発した戦闘用アーキタイプであり、魚族サハギンの使用を想定した水中工作員型だ。

 エイにも例えらえれるその特徴的なマントは、熱センサーや光学センサーを欺瞞する。さらに水中では『ヒレ』として機能し、素早く、静かに潜水する事を可能とする。

 なぜか、奴はその上から作業服の上着とネクタイを締めていたが……理由はよくわからない。


「どうしよう。また逃げられた……!」

「落ち着けコッコ。敵が逃げたってことは、逆にチャンスだ」

「何の?」

「決まってる。俺達も逃げてやるのさ!」


 言うが早いか、コッコは状況を理解し、素早く判断。

 その場に丸まっていたマータを両手で抱きかかえて、拍車を床面に噛ませて一気に加速。ドアを蹴破るようにして飛び出す。

 俺はコッコの襟元に、クチバシで噛みついてしがみついた。


「ひゃああ!」


 状況に追いつけず、コッコの腕の中でマータが悲鳴を上げる。


「失礼! マータちゃん! でも敵がマータちゃんを狙った以上、一緒に逃げてもらうしかない!」

「マータが『聞こえる』と言ったとたんに襲い掛かってきたからな。『地震』の能力についてもヒントが得られたな!」


 おそらく、あの地震の能力は『音』が関係している。

 聞こえてくる方向がわかるのなら、こうして移動しながら『撃たせる』ことで、『音』の発生源がわかる。それこそがあるいは、『地震』の敵が潜んでいる場所なのかもしれない。

 

 とはいえ、敵も間抜けではない。

 部屋を飛び出し廊下へ出たものの、その廊下もあちこちが水浸しだった。いいや、雨漏りや浸水がひどいのは元からだが、これは明らかに、準備として水を撒いている。

 コッコの拍車の駆動に問題が出るほどの深さがあるわけではない。しかし、そっちの方があるいは、あのエイ男にとっては都合が良いらしい。


「来るぞ!」


 俺の警告に、コッコが反応。

 浸水した床から、手が飛び出し、コッコを捉えようとする。


「邪魔!」

「ケヒャヒャヒャ!」


 コッコがそれを踏みつける直前。一瞬だけエイ男の頭部が姿を現し、嘲るように笑ってから、また消えてしまった。

 

「ココねー! あのエイ男、水たまりの中を泳いでいる! 人が潜れるような深さなんてないのに!」


 マータの観察と発見。

 それは視覚というよりは、聴覚の賜物だろう。鯱族オルカは、受け継いだ遺伝技能である超音波探査エコーロケーションで周囲の物体を探知できる。

 エイ男が暗闇の中、水たまりの中へ『潜っていく』様子が、マータにはしっかり『聴こえて』いるのだ。


「おそらく水面に異層空間へのゲートを作っているんだ! 境界そのものに挟まってるだけだから、どんな浅い水にも潜っていられる! 潜っている間はこちらからの干渉を受け付けない!」

「だったら、攻撃の瞬間をカウンターで……」


 今度は、壁から飛び出してきた手。そこに向けて、コッコは拍車の蹴りを放つ。

 しかしコッコの蹴りは空を切り、やはり手はすぐに引っ込んでしまう。


「異層空間への出入りもかなり速い……閉鎖されて水もある状況なら無敵モードだなこいつは……」


 しかも。問題はそれだけではなく。


「ココねー! 音が!」


 マータの警告で、コッコは急停止。

 片足のピックを突き刺し、その場で反転。


 瞬間。強烈な振動と共に壁と床がはじけ飛ぶ。壁ごと吹き飛び、通路は崩落してしまった。


「大丈夫! 別のルートから行ける! 次の角を左に曲がって!」


 超音波探査エコーロケーションと、立体的な空間把握能力。鯱族オルカであるマータがいてくれたおかげで、何とか命を繋いでいる。

 マータ自身、九龍城の構造に詳しかったのも助かった。後で聞いてみれば、マータはこのスラムに『配達』の仕事で訪れることもそこそこあったのだとか。 


「ケヒャヒャヒャヒャ!」

「ココねー! 上から来てる!」


 天井の雨漏りの染みから上半身を乗り出し、両手に金属棒を携えたエイ男。アレは水上警察で使われているスタン・ジッテだ。打撃と電撃を与え、相手を拘束するための武器。


 コッコはジッテによる強襲を蹴りで撃退するが、それきりだ。マータを抱え、両手を塞がれたままではそれ以上の追撃はできない。

 そのまま、エイ男は天井から引っ込む。


「……むむう」


 コッコは唸るが、すぐに頭を振って思考をリセットする。

 マータのおかげで敵の攻撃を察知できている。防御しながら逃げ続けているだけでも僥倖なのだ。ならば。あとはこの有利を保ったまま、スピードで包囲網を抜ければ良いだけだ。

 

 再び。コッコは雨漏りにも注意しつつ拍車を滑走させる。  


 だが、気付かなかった。

 ローラーダッシュによって跳ねた水しぶき。その一粒にエイ男の姿が映っていたことに。

 異層空間とは、要するに虚数の世界だ。故に俺達が存在する『基底現実』の質量や体積は無関係にモノを格納することができる。

 エイ男も、水しぶき一つの中に潜むことは可能であり。

 そこから飛び出して、手榴弾を投げつけることも、そう難しい話でもない。

 

「しまった!」


 コッコは咄嗟に、蹴飛ばして打ち返すか、その場でターンして退避するか、はたまたレンガで防御すべきか『良く見て』判断しようと試みる。


 だがそれは、それは地面に落ちるより早く炸裂してしまった。化学反応によって発せられた閃光が、コッコの目を白く焼いてしまう。

 破片や熱をによる攻撃を目的としていない、閃光手榴弾だった。


 通常の。破片手榴弾や焼夷手榴弾であれば。フォースフィールドやコッコの異能で防げたかもしれない。だが直接的ダメージを及ぼさない『閃光』による攻撃は、フォースフィールドによる防御が難しい。

 

 空中で炸裂されたのも予想外だった。コッコはおろか、エイ男の至近距離でもあったのだ。しかし元より、エイ男は視覚ではなく霊子外骨格アーキタイプによる霊波レーダーでこちらを探知しており、閃光は問題にならない。


 そしてコッコは、通路のひび割れに拍車を取られ、その場に転倒してしまう。

 かろうじてマータをかばい、自身が下敷きになるように倒れたのは、流石騎士といったところか。


「逃げて! マータちゃん!」

「ケヒャッヒャァアアアア!」


 倒れた、一時的な失明状態のコッコに、改めてエイ男が空中から襲い掛かる。

 盲目状態で、転倒していて、敵の方向もわからない。おまけに味方もいるので動けない。

 そんな状態のコッコに、火花を散らしてエイ男のスタン・ジッテが振り下ろされる。 


 瞬間。


 エイ男が姿を現したまさにその時、マータが先に動いた。

 壁を蹴りエイ男に向かって飛び、ナイフを手にしていた。

 厳密には、左に櫛状の刃が並んだソードブレイカー。右にシャチの背びれのように黒く光るコンバットナイフ。鯱族オルカの伝統であり、『岩礁』で発掘されるダーク・スティールで造られた武器だ。

 

 迎撃に飛び出してきたマータに対し、エイ男もターゲットを変更。

 右、左と襲い来るマータのナイフを、エイ男はスタン・ジッテで受ける。そしてそのまま、スタン・ジッテの電圧を高める。

 鍔迫り合いをすると見せかけて電撃を流し込む。『あり勝ち』なハメ技だ。


 しかし。


「ろっしょい!」


 そこへさらに、頭上からマータの『尾びれ』が襲い掛かり、エイ男を床面と尾びれでサンドイッチにして、叩き潰してしまった。

 鍔迫り合いに見せかけたのはマータの方も同じだ。早々にナイフを棄て、身を翻して脚の変身を解き、尾びれでの攻撃に切り替えたのだ。


「……できちゃった」


 尾びれのまま着地失敗して、コッコの隣に倒れるマータ。


「尾びれの変身を利用した水上警察の格闘術……霊子外骨格アーキタイプも無しに? マータお前、なんで貧民街なんかにいるんだ?」


 昏倒したエイ男以上に、不可解な状況だった。

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