第五話:最高の元型師。ぬいぐるみに転生する。
そしてコッコとマータは、目的の部屋の前に辿り着いた。
西棟1301号室。死んだ潮の匂いや、ひび割れたコンクリートから浸水しているのは相変わらず。ただし、上層階では電力も通っている様子であり、電灯もいくつか生きている。若干ながら人の生きている気配があった。
ドアのそばに設けられたインターホンも、しっかりと電源ランプが灯っている。
「ここだね」
「ここなんだね」
コッコはそのインターホンを鳴らす……のではなく、拳でドアを三、三、七のリズムで叩いた。
「……合言葉だ。合言葉を言え」
インターホンが起動し、スピーカーから音声が届く。
おそらくは男性の声。ただしノイズがひどくて、声質や年齢を推し量ることは困難だった。
コッコはインターホンのマイクにそっと唇を寄せ、髪を片手でかきあげ、囁くように答えた。
「じゃが……バター……」
そしてしばし。沈黙。
後ろで見守るマータ。
「……え? もしかして今のが合言ば……」
「よし。入れ」
「お邪魔しまーす!」
「やっぱり合言葉だったんだ!? なんで!?」
コッコは部屋のドアを開け、中に入る。そもそも鍵はかかっていなかった。
ドアの中は数歩ほどの廊下が真っすぐ伸びていて、突き当りに部屋が一つある。廊下の途中にはキッチンとシャワーが備わっており、それ以上の部屋はない。必要なモノが最小限備わっているだけの、シンプルな1Kアパートだった。
だが構造はシンプルでも、中は混沌としていた。
床にも壁にも、様々な電子部品や雑誌、あるいはもっとよくわからないオモチャやガラクタの類が散乱している。キッチンに設けられたガスコンロの上にも雑誌の束が積み上げられてる始末で、せっかく置いてある冷蔵庫もコンセントが挿さっていない。
コッコはその中を、そろりそろりと進んで行く。散らかすことを気にしてるわけではないが、おかしなモノを踏みつぶしてしまうのもぞっとしない。
そうして、居室へ続くドアを開く。
直前。
「聖霊は現れ給えり……久しぶりだな。レイヴン!」
冷蔵庫の上。無造作に載せられた電子レンジ。
その中に潜んでいた『俺』が、飛び出してきた。
「うわあ! びっくりしたあ!」
「ぐはぁ!」
死角から飛び出してきた影に対し、コッコの対処は冷静だった。
頭で状況を理解する前に、右の肘で襲撃者を撃ち落とす。だから、口に出して驚いた時すでに、『俺』は彼女の足元にあった空き缶の山に頭を突っ込んでいた。
「……あ、ごめん! 大丈夫? 平気? わっさー? というかキミ……何?」
『誰か?』ではなく、『何か?』と問うコッコ。
当然だろう。今の俺の姿を人間だと認識する者はほとんどいないハズだ。
全長40センチほど。黒い羽毛に覆われ、頭にモヒカンのように逆向いた黄色いたてがみ。丸いクチバシと短い二本の足と、長い耳を持つ……要するにまあ『毛むくじゃらの妖精さん』のような感じだ。
より詳しい者なら、この姿が都市で数年前に流行したペットロボット『ファーファ』の期間限定モデル『モヒカンエンペラー』だともわかるだろう。とはいえもちろん、それは『俺』の霊子化された自我データとは何の関係もない。
「待て。お前こそ誰だ? ここは俺の家だ。説明をする前に、お前の素性を教えろ」
俺は逆さまに突っ込まれたまま、コッコに問う。
この時の俺は起動したばかりで、状況を半分も理解していない。ただ、目の前の少女が、元々はここに来るはずだった人物ではないことだけはハッキリしていた。
「お前はレイヴンじゃないな。アイツはもっと黒かったし、背も高かったハズだ。タレ目ではあったがな」
「ボクはコッコ。コッコ=サニーライト。トラブルシューターで、アナトリアの巡礼騎士だよ」
「巡礼騎士だと?」
俺は空き缶の山から身をよじり、身体全体を反転させて顔を出す。
そして二つの目でコッコを見上げる。別にこの目は単に表情を出すための液晶画面であり、光学センサーは別にある。単に慣習として『顔』を見せて会話をしようというだけだ。
「女王騎士の下、神殿騎士の下、正騎士のさらに下の、一番下のランクじゃねえか。そんなヒヨッコがなんでここにいる?」
「ヒヨッコじゃないよ。コッコだよ。騎士レイヴンはボクの先生だ。ボクは先生から依頼を受けてここに来ている」
「……ああ、なるほど。あいつのお弟子さんか」
俺は両の目を操作して『目を丸く』する。
そして『にっこり』と笑う。
「それはそれは。失礼した。どうぞ部屋の中に入ってくれ。良かったら冷蔵庫の中に缶コーヒーがある。好きに取ってくれていい」
「お構いなく。缶コーヒーは飲めないんだ」
「そうか。悪いな。『この体』には手が無いもので案内もできなくてな。まあまあ散らかっている部屋だが、ベッドの上はかろうじて無事だ。遠慮なく座ってくれたまえ」
コッコは居室に通される。
廊下やキッチンの時点で散々な有様だったが、部屋の中はもっとひどい。
破壊されたPCが五台。破損したブラウン管モニターが三台。映画やゲーム、あるいはポルノのDVDやらが床一面に散乱しており、空になった合成食品やピザの箱がゴミ袋に無造作に突っ込まれている。
部屋の中心にはテーブルがあったはずだが、エナジードリンクの空き缶に埋もれてしまって影も見えない。
「ほら。どうぞ座ってくれ。あのレイヴンのお弟子さんだ。立ち話なんてさせちゃあいけねえよ」
そんな中では、確かにベッドはマシと言えた。シーツも枕も比較的清潔さが保たれていた。コッコも俺に促され、その隅にちょこんと座る。
かちん。
そして。ベッドに仕掛けられた対人地雷の感圧センサーが、したたかに作動した。
「動くな。感圧センサーから離れると起爆する。部屋ごと吹っ飛ぶぞ」
再び俺は表情を『警戒』に戻し、ジト目でコッコを睨みつける。
「嘘つきめ。あのカラス女に弟子なんかいるわけねえだろ。つくならもっとマシな嘘つきな」
「い、いや嘘じゃないよ! というか、危ないよ? 部屋の中に爆弾なんて仕掛けちゃ……」
コッコはうろたえるが、それでも下手に立ち上がったり俺を刺激しようとしたりはしない。状況の判断は的確なようだった。
「ふん。確かにな。お前が
「そうじゃなくて! ボクはそもそも、先生からはここに来いとしか言われてないんだって!」
そしてコッコは携帯電話を取り出し、受信したメール画面を俺に見せてくる。
「ほら、このメールアドレス。先生のメールアドレスでしょう?」
「いいや。俺はレイヴンのメアドなんか知らねえよ」
「合言葉もちゃんと言えたでしょ?」
「……確かに。合言葉の入力があったら俺が起動した。レイヴン以外の奴に教えたことはないから、レイヴンが他の誰かに教えるしか知る方法は無いハズだが……」
整理しよう。
俺は腕を組んで……違う。組めるような腕はもう無かったんだった。
「自己紹介からしてやる。俺はイナバ。元は港湾労働者組合の
「うん」
背筋を伸ばし、コッコは俺の話を真面目に聞き入る。
俺も現状の確認も含めて、改めて語ってみる。
俺ことイナバは、港湾労働者組合にて、組合員達の
もちろん俺くらいの天才
だが俺は元々大きな組織というものが好きではなく、あくまで雇われの
賃金は特に高くは無かったが、不満は無かった。元々カネには興味が無かったし、改造した
けれど、俺はそんな中である問題がきっかけとなり、労働者組合を追われることになった。その結果として、手榴弾二個で自爆を敢行した。
俺の人生はそれっきりになった。
というのは嘘で、俺はタダでは死ななかった。記憶と人格を霊子頭脳に移殖し、ペットロボットの中に組み込んで隠したのだ。
もちろんこのねぐらも、組合の奴らにはバレている。だから合言葉を用意して、このペットロボもそれ無しには起動しないような仕組みにしていた。
何も知らない組合の奴らには、電池の切れたオモチャとしか映らなかったろう。
それ故に、組合員の輩は手がかりらしいモノは何も見つけてはいない。せいぜい、ディスクの破壊されたパソコンや、ゲーム機のメモリーカードを持ち出すのがせいぜいだったろう。
後は、ほとぼりが冷めたタイミングでレイヴンがこの部屋に来るのを待ち、しかるべき方法で都市から連れ出して貰えれば良い。
そのハズ。だったのに。
「なのに、なんでレイヴンじゃなくてお前が来るんだ?」
「先生は最近忙しいらしくて……もう長いことイズモタウンに帰ってきてないんだよ」
「よくある言い訳だぜ……」
「いや本当だって! メールだって本物でしょう?」
「本物なのは合言葉の情報だ。メールそのものをレイヴンが送った証拠はない。紙の封書ならいざ知らず、エーテルネットワークを通したメールならどうとでも誤魔化せる」
「そんなあ……」
「あの……ココねーは、悪い人じゃないと思うんだけど……」
廊下から、ひょっこりとマータが顔を出してくる。
新たな登場人物が追加されて、俺は頭を抱えた。抱える腕はないが。
「……こいつは?」
「ボクの友達。ここまで水上タクシーで案内してもらったんだ。乗り心地は良かったよ」
コッコの端的な注釈。
「ココねーは、組合に絡まれていたマータを助けてくれたし……組合の仲間じゃあないよ」
マータも恐る恐る意見するが、それがむしろ俺の猜疑心を強めてしまう。
「そうかそうか。じゃあ
「
「おめーが馬鹿なのは見た目でわかるわ! 赤髪ツインテールなんて馬鹿以外しない髪型だからな!」
「ストームルーラー!」
その単語をコッコが叫ぶと、一瞬空気が止まる
「……メールの最後に。『ストームルーラーが届いていない』って書いてあった。先生が受け取って、財団に渡すハズだったんでしょう? でも先生が受け取った荷物に、ストームルーラーはなかったって」
「……なんだと?」
刹那。
「ココねー!」
マータが叫んだと同時に、部屋が『ひっくり返った』。全てのモノが突如として吹き飛ばされ、全ての上下左右が回転し、反転したのだ。
そして『攻撃』が始まった。
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