第二章 本の虫

第16話 帝国ガヴェイン

 分類ごとに区分けされ、発行年や著者の名前で順番に並べられた本からは紙とインクの匂いが香る。

 ガヴェイン帝国帝都。住宅街や商店街の喧騒から遠く離れた、閑静な場所でひっそり構えられた帝国で最も古い建物。地味な外観だが立派な建造物は厳重な塀に囲まれ、堅く門で閉ざされている。


 高い天井に延びる何段も重ねられた棚には隙間がない。何千、何万という数の蔵書は全て保存状態が良く、一般の者に閲覧が許されていないものばかり。そして常人には閲覧許可が下りない禁書も存在すると噂されている。


 「君、黒の君。彼等を重ねることを許した覚えはないよ。」

 まったく、下の彼女が可哀そうだ。重いと嘆く声が聞こえないのだろうか。そもそも、聞こえなくとも重なるなんて愚行は見逃せない。

 本達を元居た場所に戻すこの男は、部屋の主である管理人。革製の覆いを撫で、積もった埃を丁寧に払う。


 「はははは。すまない、失念していたよ。」

 低く腹の底に届くような声。抑揚をつけず、まるで言葉を繋いだだけの様に単調な話し方が気味悪い。数か月前から住み着いた彼を管理人は、「黒の君」と呼称する。

 「取ってつけたような笑い方はやめてくれ、不快だ。」

 一瞥もくれず、文字に目を落としたまま管理人は言葉を吐いた。


 「…蔵書の整理を頼んでいたはずなんだが。」

 書殿には、紙同士の擦れる小さな音だけ。聞こえるはずの物音も、僅かな足音さえ無い。当の彼に目をやると低い棚に腰掛けて楽しそうにページを捲っている。見られている事に気づいた彼は、手を上げて答える。

 「おっと。いや、失敬。面白いものを見つけたものでな。」

 彼の手には分厚いのが一冊。


 「【聖姫巫女見聞録】…」

 おかしい、と黙考した管理人。当然この書殿に存在する本達の全てを彼は把握していた。しかし、黒の君に支えられたものは見覚えも聞き覚えも無い一冊。彼の手から本を攫い、開く。


 「古い本だが保存状態も良好、著者は、アリア・ヴィデルチ。知らない名だ。」

 ページ数も多く、分厚い本。使われている表紙の素材や匂いからして二百五十から三百年前のものだろう。言語も大陸のもの。驚くべきは手書き、つまり原本であるということ。前書きを読み進める、丁寧な文字が並べられ…


 「もし。」

 かけられた言葉にハッとした。思わず夢中になっていた、を閉じ窓の外に目をやる。

 換気用に設けられた小さな窓から心地よい空気が吹いてくる。彼らにとって毒となる日差しを当てないように、快晴で気持ちのいい外を覗いた。


 「良い天気だ、文字を追うのに絶好の。」

 「直近で外出したのは三週間も前だよ。」

 昼過ぎの少し眠気が出て来る時間。なんでもない会話を交わす二人。それの何が悪い、と管理人は至極真面目な顔で問う。


 「この世界、この国は平和を謳歌している。例え仮初だとして、少なくとも僕の周りは安穏だ。」

 「立派とは遠い。世辞にもならないね。」

 黒の君が苦く笑う。

 

 「構わないさ。どれだけ崇高な理念に心を染めて目を閉じようと、他人に怠け者だと揶揄され自分を変えようと決心しても、いつまでも文字に目を奪われる。何故なら、」

 目をやった書殿には静寂が。

 薄暗く、音の無い世界。所詮僕らは本の虫。





 「休憩にしましょうか。」

 御者に声をかけ、街道から逸れた草絨毯の上に馬車を停めさせる。王都を出て数日、いくつかの街を過ぎて国境は目の前だった。


 「んんんー…」

 寝ぼけ目を擦り固まった身体を伸ばす。王女の言葉に目を覚ました桜は少しだけ痛む臀部に手を当て立ち上がる。

 「おはようございます。国境を越えれば大きな街に着きますので、今日はそこに宿を取りましょう。」

 扉が開かれ外の心地よい空気が身に染みる。差し出された手を取り馬車から降りた二人は、これまでの道のりを引いていた馬を撫でる。柔らかな毛並みは触りがいい。


 「殿下、近くは安全です。」

 一人の騎士が馬にまたがり近づいた。長い青髪は後ろで一つに纏められ、護衛というには武器も持たない丸腰の彼女は少ない調査隊の一員である。

 「退屈だな。それに疲れた。」

 そして彼女の後ろで欠伸するのは護衛としてついて来た龍馬だ。慣れない馬での移動に疲労が大きくなっていた。

 桜の頬が無意識に膨れた。二人の距離が近いことに少し妬いてしまう。


 国王の命令で組まれた調査隊は僅か四人だった。密偵としての動きやすさに加え、なるべく疑いのかけられないようにとのこと。

 計画実行の核となる王女レティシアに聖女の桜。護衛に決まった龍馬に加え、もう一人はすぐに決まった。悩む暇もなく、立候補したのはベルフィーナ・レギオレンだ。ふらつきながら謁見の間に立ち入ったのには誰もが驚いた。


 「リョウマは揺れていただけだろう。」

 談笑する二人の会話を遠く聞く。この世界に来て自分が成したこと、振り返るほど濃い内容は無かった。聖女として彼を巻き込んでしまった負い目を感じる。だから此度の計画は彼女にとって最高の機会であった。


 (能力の使い方が分かれば私だって…)

 握った手に力を籠める。既に蘇生という形で発揮されたが、彼女は知らない。

 聖女とは混沌に打ち勝つための切り札となる存在だ。それに癒しの力は全ての希望となる。

 

 「行きましょうか。」

 十分な休憩を取り、馬車は再び進み出した。目指すは未だ遠くガヴェイン帝国。

 桜は逸る気持ちを胸にしまい、窓の外に意識を向けた。




 降り続く雨が指を濡らした。

 人の来ることを想定していないのだろう、固く閉ざされた門から建物の入り口へは遠い。黒いローブに頭から身を包んだ四人が門の前に立ち往生している。


 「困りました…」

 叫び、呼ぶわけにはいかない密偵の身。雑踏から離れているとはいえ、住宅地が近い。声を消すには弱い雨の中、どうすることも出来ない状況に頭を悩ませる。


 ガヴェイン帝国帝都、悪天の街中にはポツリポツリと人が行く。長い時間をかけてたどり着いた結果門前払い、では許されない。小さく何度か声をかけるが出て来る人の気配は無く、仕方なく四人が宿へと引き返そうとしたその時。


 「あれは、」

 龍馬の言葉に振り返る一同は敷地内に現れた人影を見る。扉から出て来たとは思えない、何処からともなく出現したその影は歩み寄って来た。黒いフードからは老いて皺の刻まれた顔が覗いた。


 「雨の中お待たせを。失礼、私はここの使用人です。」

 慣れた動作で門の鍵を開けた老人は名乗らず、使用人とだけ。彼の背を追い四人は建物へと足を踏み入れた。


 武骨な見た目に反して玄関は豪華な装飾に包まれていた。赤い絨毯が足に優しい。

 「ここに客とは、暇な人間もいたものだ。」

 出迎えたのは黒一色の正装に身を包む男。短い茶髪は後ろに流され、細い眉毛に髭は無い。整えられた見た目は清潔感を与えるが、どことなく胡乱な雰囲気が漂う。


 「私はミルバーナ王国第一王女レティシアです。ここへは一冊の本を探しに来ました。どうか、」

 要件を告げようとした彼女を、片手で制した男は顎に手をやった。


 「主導権を握ろうとしても無駄さ、ここの主は僕だ。それで、本が欲しいと。それはこの場所を知っての言かい?」

 クスリと微笑を浮かべた彼は後ろで手を組んだ。

 ここが何処か。勿論知っているレティシアは息を飲む。【ミドの書殿】そう名付けられたこの場所には、帝国が保有する貴重書物の全てが所蔵されている。その価値はものに差はあれど一冊一冊が宝物としての扱いを受けており、閲覧することさえ許されていなかった。


 「…どうやら、これ以上の会話は不要のようだ。元々雨の中いつまでも帰らない君たちを憐れんで呼んだのだよ。しかし時間の無駄だった。まだ降りやまないが、傘をあげよう。感謝を忘れずに、ね。」

 言葉に詰まった王女を見て、彼が扉に手を向ける。もう帰れと告げた行動、しかし何もせずには帰れない。


 「まったく、知恵の無い者と話すと肩がこるよ。」

 小さく独り言を吐いた彼が背中を向けた。既に興味は失せたのか廊下の奥に戻っていく。

 そんな時ふと、何かが龍馬の意識に干渉した。見えない何かを見つけようと目を配る。


 足を止めた彼の身体が僅かに動く。少し振り返り、辺りを探していた龍馬と目が合った。

 「君、分かるのかい?」

 その言葉が何を指しているのか理解できなかった。目を見開いて近づいてくる足音は大きい。

 「君、分かるんだね!あぁ、初めてだ。この数か月、僕は君を待っていたのかもしれないね。」

 恍惚と、自分の世界に溶け込んだ彼は龍馬の肩を揺らす。


 「な、おい。」

 龍馬が声をかけても反応はなく、ぶつぶつと何かを小言で漏らしている。

 

 「入りたまえ、詳しい話は中で聞くとしよう。」

 どういうことか一転して中へ案内しようと手を挙げた彼は笑顔を浮かべた。その言葉に動揺しつつ四人が足を踏み入れる。しかし、今度は不機嫌そうにレティシアの前に立ちはだかった。


 「なにを、しているんだ?僕が許可したのはそこの彼だけだよ。」

 相手が王女だというのに態度を微塵も変えない。それどころか睨みつけるように見下した彼が龍馬を指した。得意気に鼻を鳴らす彼が参院に帰れと告げている。

 どうやら四人は珍しいほどの変人に出会ってしまったようだ。

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