第15話 噂

 暇を持て余した老騎士はあてもなく、城内をうろうろと散歩していた。日差しに目を細め、穏やかな朝を過ごしていた。


 それは突然のことだった。肌をビリビリと刺激する、濃密で強力な殺意が二つ。敵襲かと身構えるもどうやらそれらは互いに向き、ぶつかり合っている。片方の気は知ったものだ、しかしもう一つの気は初めて感じるもの。鳥肌が立つほどの寒気が全身を撫でる。


 「やっぱりあいつか…」

 闘技場の片隅から中を覗き見る。白が交じった短髪を掻き、やれやれと溜息を吐く。四騎士が一人実力で言えば自分に次ぐ強者であるベルフィーナが、一人の少年と対峙している。聖女様と共に異なる世界からやって来た彼の名は確か、リョウマと言ったか。


 凄まじい打ち合いが繰り広げられる闘技場。常人では近づくことが困難なほど、息を飲むような剣戟。

 クツクツとこぼれる笑い声を噛む。ずるい、ずるいぞと嫉妬の炎が燃えている。自分を仲間外れに行われる死闘に血が騒ぐ。


 しばらく気配を殺し闘いを見守る。感嘆を漏らしながら食い入るように見つめる。ベルフィーナは強い、最強を背負うオーゼオが素直に認めるほどの戦闘力を有している。得意の既による連撃がリョウマを追い詰めていた。しかしそれも束の間、薄く細い剣が少し鞘から覗いた途端にオーゼオの身体が凍り付く。

 久々に感じる重い恐怖を振り払うように身体にオーラを貼り付ける。鎧のように纏ったオーラ小刻みな揺れは、あの武器の恐ろしさを示していた。


 眼の前でそれを感じているベルフィーナはもっと恐怖に怯えているだろう。その証拠に彼女が発動したのは肉体の限界を無理矢理に引き出し、自らを気絶するまで闘いを続ける狂戦士に変える魔法。しかし、その力を持ってしてもリョウマとベルフィーナの間には遥か高い壁があった。


 全力の二人がぶつかろうとしている。止めなければ、必ず彼女は死ぬだろう。そしてリョウマも無事では済まない。

 気づけば身体は動いていた。矢のように走る中、身体を覆う蒼い光が尾を引いて輝く。


 轟音と、筋肉を強く打つ衝撃が身体に響く。ミシミシと骨が悲鳴を上げる。狂化したベルフィーナを素手で抑え、リョウマの斬撃を大剣で受け止める。思ったいたよりも重いリョウマの攻撃に押されていく。ベルフィーナを素早く気絶させ、両の手で大剣を握り力いっぱい跳ね飛ばした。


 「やめだ、やめぇ!殺す気か!」

 戦闘態勢を解こうとしないリョウマを慌てて制する。

 【覇竜オーゼオ】は改めて出会う。先ほどまでの恐怖はもう消え、対峙する少年に希望を感じていた。




 【灰屍】を鞘に納め息を吸う。顔に刻まれた深い傷に、武骨な大剣を握る手はまるで岩の様に重厚だ。

 完全に受け止められた本気の一閃、手加減は無かった。僅かに押し込んだとはいえ、最後には力負けしたことを手のしびれが如実に語る。


 名をオーゼオ。この国最強の戦士とやらは想像を超していた。

 「何か用があったのか?」

 「別に大した用はねえさ。ただ面白い気配を感じたからな。」

 彼はベルフィーナを長椅子に寝かし、地面に胡坐をかく。壁にもたれた龍馬をオーゼオが見上げる。


 「しっかしなあ、姫さんがロドムを倒せと命じた時は冗談を、なんて思ったが…」

 想像以上だったぜ、と笑う彼の顔は心底楽しそうで、そして少年の様に無邪気だった。

 実際、王女レティシアも無理難題を課したつもりであった。かの銀騎士を倒すなど不可能だと、ちょっとした意地悪心が働いたのは無意識だった。しかし同時に、それを果たすことが出来たなら護衛の任に就かせることも認めるつもりだった。


 「実際骨が折れたぜ、」

 「そりゃあそうさ、ローデンス王国の英雄だぞ。」

 英雄、それもあるが彼の身体に憑りついた混沌の欠片が厄介だった。しかしそれを知るのはあの場にいた三人だけ。

 オーゼオが立ち上がった。手首を回し、立てかけていた大剣を手に取り振り返る。


 「休憩は済んだだろう?次は俺とだ!」

 うへえ、と声に出るほどの深いため息を吐く。ベルフィーナとの決闘での疲労はとうに無いが、今からこの老人とやり合うのは骨が折れる。

 「悪いけど、」

 龍馬が壁を離れ、断ろうとしたその時。闘技場に近づいてくる足音が一つ。歩幅もめちゃくちゃなその足取りは、持ち主の焦りを露わにしていた。


 「オーゼオ様、オーゼオ様!!」

 一人のメイドが闘技場の入り口に現れた。靴を突っかけ、壁に手をついて荒く呼吸する。

 「どうした!」

 ただ事じゃないことを告げる彼女の顔がみるみる青ざめていく。


 「こ、混沌の出現が確認されたと…!」

 その報告は二人に戦慄を走らせた。決闘のことなどもはや頭の中から消え去っている。

 二人は謁見の間へと急いだ。

 



 「陛下、陛下!本当ですかい混沌が出たっつうのは!!」

 重い扉を勢いよく開いたオーゼオは玉座の国王に迫る。謁見の間には、酷く静かで重い空気漂っていた。

 後に続いて龍馬が入室する。王女の隣に並ぶ桜を見つけ、それに倣う。


 「よお、もう大丈夫なのか?」

 「龍馬!その傷どうしたの!?」

 オーゼオを加え進む会議を聞きながら、小声で話しかける。龍馬がつける小さな切り傷を見た桜が、慌てて取り乱す。無理もない、耳から流れ出た血でさえ拭わずにそのままなのだから。


 「二人とも、大切な話ですよ。」

 そんなこんな、耳打ちで話していると横から王女様の注意が飛んで来る。

 大人しく、会議に耳を傾ける。


 どうやら混沌が出現したのは、ミルバーナから二国越えて北に位置する、ガヴェイン帝国という場所らしい。皇帝による独裁が長年続くガヴェインは、今の皇帝に代わって人族至上主義を掲げているという。

 そんな帝国内に混沌出現の噂が立ったのは今から半年も前のこと、情報の規制が徹底され伝わるのに時間がかかったのだ。何故存在を必死に隠すのか、奇妙なのは混沌による被害は一件も無いということ。


 「混沌は言わば全ての敵となる存在、今までに出現が観測された個体は最少でも百人以上を殺害。最大では小国を二つ滅ぼしています。」

 まさに災害とも言える存在の混沌をひた隠しにしていたのか、そして何故被害が全くないのか。

 「これは一国の問題では無い、他国もガヴェインに密偵を送るだろう。そして我が国も…」

 国王が宣言する。調査内容はガヴェイン帝国に出現した混沌の生体観測、そして場合によっては始末するということ。


 「しかし誰を送るべきか…」

 相手は得体の知れない、闇の存在。名乗り出ようというものは少ない。オーゼオは既に却下されたのか、肩を落としていた。

 「陛下、私にお任せいただけませんか?」

 行き詰まるかと思われたそんな時、名乗りを上げたのは王女であるレティシアだった。


 「私にどうか、」

 「だめだ!危険すぎる!」

 国王が彼女の言葉を遮った。当然自分の愛娘を危険に放り込むことを受け入れることは出来ない。しかし、彼女もここで引く素直な娘ではない。


 「これを。」

 国王に提出したのは一枚の調査報告書であった。目を通した彼が驚きに目を開く。

 それは桜をこの世界に呼ぶ前から行っていた極秘調査の結果であった。一冊の本が見つかったのだ。勿論のことただの古本では無い。


 「三百年前、一冊の本が出版されました。題は【聖姫巫女見聞録】、著者の名は三百年前に確かに存在した聖女アリアです。」

 「しかしこの本は全て焼かれ、歴史から消え去ったと…」

 国王が言うのは、二百余年昔に起きた反聖女組織による歴史の焼き討ちのこと。【聖姫巫女見聞録】とは聖女アリアが自らの能力や功績などを書き写したものであった。当時世界では飛ぶように売れ、何万と増刷されたそれは焼き討ちによって一冊残らず消えてしまった。


 「そう、世界に出回ったものの全てが。しかしたった一つだけ表に出ることの無かった物が残っていたのです、が。それもガヴェインに!」

 何の巡り合わせなのか、混沌が出現したガヴェイン帝国に見聞録もあるというのだ。

 「桜様の力を発揮させるためにも絶対に必要なのです、そしてこれは私の役目。陛下、どうかお願いします。」

 深く頭を下げた彼女に国王は頭を悩ませる。ここ数か月娘が、慌ただしく寝る間を惜しんで何かをしていたのを知っている。そしてその成果がこの報告書なのだろう。

 

 国王としての判断を下すべきか、一人の親として行くなと言うべきか。片方に危険の乗った天秤をジッと見つめ眉間に皺を寄せた。


 「だったらリョウマを連れて行くのはどうですかい?」

 それはオーゼオの提案だった。

 「殿下、聖女様も同行させるつもりなんでしょう?だったら護衛は彼以外いない。」

 まさか彼が龍馬を推薦するとは思わなかったのか、面食らったレティシアが睨む。しかし思い出すのはあの約束。ロドムを倒せば彼を護衛として認めるということ。


 「陛下、リョウマが護衛に着くなら心配いりませんよ。」

 王国最強の戦士が言うのだからと、否定を許さないような圧を放ったオーゼオに国王も渋々頷いた。

 「オーゼオがそういうのなら…リョウマよ、娘をどうか頼むっ!」

 いきなりの大役が降りかかったことに思わずこぼれそうになった溜息を飲み込む。細く返事した龍馬、面倒ごとに巻き込まれたことが確定した瞬間だった。


 「頼みました、リョウマ。」

 プイっとそっぽを向いた彼女に初めて名前を呼ばれた気がする。龍馬が付いてくると聞いて嬉しそうな桜を横に、彼女の後姿を眺めて笑った。

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