第11話 ただ夜が、
強く吹いた風は冷たく肌を撫で、地面に残った灰も奪い去ってしまった。彼がいた温かさも、もう無い。
「ほら、アルフレッドが寒そうに待ってるぞ。」
地面を見詰めた桜の頭を撫で、横たわる彼の姿に目を向ける。夜風に揺られて震える身体はまるでただ寝ているだけのようで、もう希望は無いというのに期待する気持ちを殺す。
「…アルフレッドさん、死んじゃったんだね。」
やっと受け入れたのか、俯いた顔に涙は無く悟った彼女が言う。
「私、何も出来なかった。何もしなかった。ただ龍馬の後ろに隠れて、泣いてれば慰められた…」
自分の無力が虚しく心を締めつける。聖女だと担ぎ上げられていい気になっていた、結局守られて足手纏いになっただけ。龍馬の抉れた右腹を直視出来ない。
横たわるアルフレッドに静かに歩み寄る。優しい顔、出会って間もないというのにこんなにも悲しいのは、彼の人柄の良さを表していた。おどけて話す彼はもういない。
膝を着き、自分の胸に両手を合わせて祈る。王女様が言っていた、聖女というのは祈りの力で人々を救うものだと。
自分に力はない。傷を癒すことは出来ないがせめて、彼が安らかに眠るように。目を瞑り、願う。
「ありがとうございました…」
呟く彼女から、一粒の涙が流れた。
「行こう、夜は危険だ…」
龍馬がアルフレッドを担ごうと手をかけた途端、急に力が抜けてしまったように桜が倒れる。音なく横になった彼女に声をかけるが返事がない。
「桜!どうした、」
揺すっても起きる気配がない。心臓は動いている、それに呼吸も問題ない。気を失っているようだ。
フワリと優しい風が吹いた。アルフレッドの身体が淡く光を放ち始める。徐々に強さを増していく黄色い光が、彼の身体をすっぽりと覆った。思わず目を瞑る龍馬。
一際大きく光った途端フッと消え、辺りは再び夜の闇に覆われた月光の下。微かな光に照らされたアルフレッドの身体が震える。
「うっ…なんだ、おれは…」
むくりと起き上がった彼は龍馬を見て驚愕の表情を浮かべた。それに劣らず龍馬も信じられないという顔で彼を見る。
死者の蘇生。死んだ肉体に魂を戻すという奇跡が目の前で行われたのだ。それも一人の少女の手によって。空いた口が塞がらないというのは言ったものだ。思わず呼吸するのを忘れてしまうほどの驚き。
「嘘だろ…」
生唾を飲み込んで喉を鳴らす。自分の身体を隅々まで見回したアルフレッドは、傷一つ無いことに気が付く。致命傷となった腹部の大きな傷もきれいさっぱり消えている。
生き返ったという嬉しさと絶大な力への恐怖が入り混じる。
命を奪うなんて簡単なことだ。意思と行動でいくらでもできる。下手をすれば赤ん坊にだって。しかし命を与える、生命を吹き返すなんてあってはいけない事なのだ。人の理を凌駕している。
たとえ一万人殺そうと、人一人生き返らせるのとでは釣り合わない。その奇跡と形容する他ない所業を目の当たりにした二人は顔を見合わせて頷いた。今見たことは他言無用、言葉には出さないが二人の意見が噛み合った。
寝息を上げる少女を見る。無垢な表情に内包する恐ろしい力は隠し通さなければならない。これは一個人の問題では無く、国家間果ては世界中の問題にもなり得る。存在が明るみに出た暁には戦争が始まることも考えられる。いや、奪い合いが起こるのはもはや確実と言えるだろう。
桜を背負い街に戻る二人。アルフレッドが一度死に、再び息を吹き返したことはここ二いる三人しかいない。国王にさえ伝えることをしないと約束を交わしたアルフレッドと龍馬は夜の草原を静かに歩いた。
「帰ったか馬鹿息子!」
豪快に笑い出迎えたのは老騎士、アルフレッドの父オーゼオ。太い腕で背中を叩く。
「なんとか、な…」
溜息を吐いたアルフレッドを見てオーゼオは安堵の表情で笑う。彼も心配はしていたのだろう、微かにだが父親としての姿が漏れ出たのを龍馬は見逃さなかった。
国王への報告は簡潔だった。
無事に【錆騎士ロドム】を打ち取ったこと。
その証拠として【魔剣クルガ】を見せると一同が驚き声を上げた。皆興味深そうに寄ってきて、龍馬の持つ魔剣を眺める。当然のことながら武器としても一級品、そして鞘に施される凝った装飾は宝物としての価値も一級品だった。
一人の貴族が声を上げた。
「ところで陛下。この魔剣、我が国の宝物として献上させるのでしょう?この国で起きた問題を肩続けたのですから当然…」
暴論である。しかし是が非でも手に入れたいのだろう、騙してでも取り上げるという目をしている。
「いや、陛下。この剣を受け取るべきなのはここにいるリョウマですぜ。」
貴族の話を遮るようにアルフレッドが声を上げた。至って当然のこと、誰だって本当は分かっている。しかし、賢い国王でさえ彼の言葉を素直に飲み込むことが出来なかった。
龍馬の後ろに控えるオーゼオに困った表情で顔を向ける。しかし彼はこの問題には不干渉を貫くようで、静かに首を振った。
「リョウマ、お主の意見を聞きたい。」
国王にしてはまだ若い、威厳というものがいまいち無い彼は訪ねることしか出来なかった。
「俺にはこいつがいる。」
龍馬は腰に携える【灰屍】を見せる。魔剣は必要ないという彼の言葉に、控えていた貴族達も喜色の笑みを浮かべた。しかし、彼の言葉にそれは落とされる。
「だから、こいつはロドムに添えるよ。元々あいつのものだ。」
鞘から銀の剣身を抜く。謁見の間、敵意は無いとは言え皆が身構える。しかし、彼の表情に警戒状態を取った騎士たちは剣を納めた。
「せめてな、こいつだけでもロドムの墓に供えてやりたい…」
目を瞑り呟いた、龍馬の悲し気な表情に昔見た銀の騎士を思い出す。若くして武功を上げるロドムの姿は誰もが目標としていたものだった。
騎士達が憧れの騎士の死を実感したのは正に今、この時だった。カタカタと鎧がぶつかり合う音が、カランと槍が落ちる音が鳴る。
声を上げるものはいなかった、ただ静かに顔を覆う。白く綺麗な石床に幾滴もの白金の涙達。銀の彼に捧げる涙を見て、愚かな言葉を吐ける者などいなかった。
「魔剣の処遇はのちに詳しく話すとしましょう。まずは…」
静かな均衡を破ったのは王女のレティシアだった。龍馬に背負われる桜を覗き見て言う。
「聖女様にお怪我は無いのですか?」
「ああ、疲れて眠っているだけだ。」
艶やかな髪を撫でる。それだけでムッとする王女まるで嫉妬しているかのように見えてしまう。
王の前を後にした四人は夜の廊下を歩く。僅かな会話を交わしながら、王女の顔を龍馬は観察する。
美しい女性であるのはだれに聞かずとも分かる。欲情するようなものでは無く、侵し難く犯し難い。どこか神聖な雰囲気の彼女は返ってくる前とは違い、少し柔らかくなった態度を見せた。
「貴方の傷も手当させましょう。」
龍馬の腹の傷を一瞥して苦い顔を見せた王女。彼女なりに戦いから生きて戻った龍馬を評価したのだろう、会話をするまでには進展出来たことに微笑を浮かべる。
その笑顔が癪に障ったのかまたもムッとした彼女。小言を言われるかと思ったが、どうやら部屋に到着したようだ。
「…何だ?」
両手を広げた彼女は何も言わずに待っている。ハグでもしたいのだろうか、返した手を軽く弾かれる。
「聖女様の寝所です。騎士と、丁年にすら足らない護衛を入れるなど正気ではありません。」
さあ、と催促する彼女は頬を膨らませて言う。アルフレッドと顔を見合わせ溜息を吐いた龍馬は仕方なく桜を下ろす。彼女を抱えた王女はフラフラと部屋へと入っていった。
「頑固だが、優しい方なんだ。」
「ああ、」
言われずとも分かる。気づかれていないとでも思ったのか、何度も傷を見ては顔を反らしていた。彼女なりに気をつかってくれたのだろう。
「なんにしても疲れたよ…俺も戻る。」
手を上げ別れを告げたアルフレッドを見送る。
彼は部屋に戻ってロドムを想うのだろう。気丈に降る舞ってはいたが、友を一人亡くしたのだ。自分は助かり、彼は死んだと責めるのだろう。無力な自分を、自らの手で終わらせることが出来なかった弱い自分を。
外は暗かった。闇の中淡く光る月光は、ただ悲し気に見下ろしていた。一言、慰めをかけることも無く。
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