第8話 はいよる

 時間がこんなにもゆっくり流れたのは初めてだった。重く倒れる音を横に聞き、閉じ濡れた目を開ける。広がっていく血だまりに映った顔には既に、笑みは無い。

 銀を隠すように濡れる赤い血を振り払う。


 「う…そだよね、ね?アルフレッド、さん…?」

 枯れた声が聞こえるのは、今別れを告げた友の連れる二人の方。口を開け絶望を浮かべる少女は地面に膝を落とし、少年は倒れた者を見詰めている。


 あんなにも晴れていたというのに、勢いの止まない蝕みに心を闇が埋め尽くしていく。しかしどこか穏やかで、いつまでも浸っていたくなるほどに気持ちがいい。

 いつの間にか横にいた彼に全く気が付かなかった。アルフレッドの首に手を当てた少年は名をリョウマと言ったか。足音の一つ聞こえなかった。


 「言ってたぜ、嫌な役目を任されたってな。」

 立ち上がった彼と対峙する。双方既に間合い。自分は抜き身の剣を携えているというのに、踏み込むことが出来ない。


 「お前のこと、大好きだったんだなぁ…」

 敵前だというに目を閉じた彼は息を吐いた。舐められているのか、怒りが溜まっていく。


 「…もう聞こえてねえか。」

 牽制するように魔剣を振るうが、後退し避けられてしまう。乾いた笑顔を向けているというのに全く隙の無い彼を睨む。


 「どうしたぁ、剣を抜けえ!!」

 何故だか激しくなっていく怒りを飛ばす。暗い殺気を纏った魔剣が灰色のオーラを歪ませる。

 「抜かないのなら、殺す!!」

 剥き出しにした野生が襲う。瞬間に放つ二連撃破十字に空を切り裂く。怖い、身体を襲っている得体の知れない恐怖を振るい飛ばすように斬撃を放つが、全て紙一重に躱されてしまう。


 整わない息を吐き続け睨みつける。目の前で悲し気な表情を浮かべた少年、自分を見ているようで見ていない、空虚な瞳が恐れを加速させる。何故こんなにも怖いのか、何故こんなにも怒りが湧いて出るのか。増える疑問を掻き落とし、連撃の内において行く。


 「お前もう、銀じゃあ無いんだな。」

 龍馬の言葉はもう届いていない、黒く濁った眼で吠える銀の騎士だったもの。錆を落とすことの出来る唯一の人間もいない。もう落とすことの敵わない錆がどんどんと濃く広がっていく。


 「ぐがぁああああ!!」

 十を軽く超した連撃は服を裂くことさえ出来ない。袈裟斬り、左薙ぎ、右斬り上げ、そして突き。幾度も放つ斬撃は、まるでトロッコが敷かれたレールを愚直に進むように、決められた線上を正確になぞる。そしてリョウマは避けるどころか魔剣に触れ、行く先を掌で優しく誘導する。


 「どうしてどうしてどぉうしてぇえ当たらないぃ!!!」


 眼の前の光景に彼女は驚愕と恐怖の眼を向けていた。まるで世界が反転してしまったのか、コインの裏表がひっくり返ってしまったのか、それほどまでに大きな変化に頭が追いつかない。

 

 最初に出会った野生の狂気を孕んだ【錆騎士ロドム】とも、アルフレッドとの闘いで垣間見えた穢れの無い【銀騎士ロドム】とも違う。同じ姿を模った全くの別物に変容しようとしている。


 アルフレッドを切り伏せ、龍馬と会話をし始めてからだ。言葉への反応が鈍くなり返答も無くなった。得たいの知れないどころの話じゃない何かが、背中の冷や汗が流れるのを加速させる。

 (何か、何か出来ることは…?)

 自分だけ、何もしないで見ている現状に嫌気が差す。しかし必死に辺りを見回しても転換の種が落ちているわけが無い。


 激高するロドムに対して冷たい顔で舞う龍馬。激しくなる戦闘を正面に、目の端で何かが動く。腹を裂かれた死んだと思ったアルフレッドの身体がピクリと僅かに動いたのだ。確証は無い、しかし今のロドムを戻せるのはアルフレッドだけ。


 呼吸を殺し、足を忍ばせゆっくりと、アルフレッドに近づいて行く。王女様が言っていた、聖女というのはあらゆる傷を治す治癒の能力を持っていると。それはたとえ不治の病だろうと部位の欠損だろうと、全てを治す人知を超えた力だと。


 「治って、治って治って治って…っ!」

 しかしまだこの世界に来たばかり、当然力の使いかたなど知る由もない。血の溢れる深い溝に手を添えて、必死に祈るが何も起こらない。


 「な、に…してるっ!」

 鋭い怒気に桜の身体は凍りつく。叫ぶロドムの殺気に中てられ、逃げなければならないのに足が動かない。


 「桜!」

 間一髪、桜の前に割り込んだ龍馬はロドムを蹴り飛ばす。綺麗な回し蹴りは確かな手ごたえと共に腹部に減り込んだ。その内に桜を抱き寄せ距離を取る。


 「…ごめんね、私足手纏いで。」

 「いいからここで待ってろ。」

 ぶっきらぼうに言う龍馬が頭を軽く叩く。役に立とうとしたことが裏目に、命の危機に代わってしまった。この世界に来て私は何もしていない、自分のせいで龍馬を巻き込んでしまったのに戦っているのは龍馬。


 「私、何も出来てない、何も…」

 服の裾を引いた桜の髪を撫でつける。幼い頃からこうだった。すぐ泣くくせに、強がって隣に立とうと頑張る。垂れそうな涙を指で拭い、手を離す。起き上がったロドムが両手で地面を掴み、突進姿勢を取って龍馬に歯を剥いた。


 「待たせたなロドム…」

 鯉口を切った途端、空気が逆巻いた。目の前に引かれた死地との境、自我をなくしつつあったロドムの勘は地鳴りのような警鐘を鳴らす。頭痛がするほどの警告音、そして龍馬の背に見える死神の幻想が【魔剣クルガ】を震わせた。


 「ぐぅぅぅぅ…っ!」

 しかし胸を締め付ける何かが退くことを許さない。激しい刺痛を消すように、土を握りつぶして死地へと飛び込んだ。


 カチンッと小さく高い、通り過ぎて後ろに聞こえた音。自分の背中を正面で見ている、肘の裏を、腰を。反転する景色の中、空中に浮く自分の身体を少し離れて見つめていた。


 両手と両足が切り離され、二分された胴体から鮮血の飛沫が噴き出している。鈍痛と共に跳ねた頭に遅れてやってきた、皮膚を裂き、筋肉を割っていく冷たい刃の感触。太い骨が両断される音も聞こえるのに、口に入った鉄の味と匂いも分かるのに、遠くなっていく自分の身体に触れることが出来なかった。


 は、?

 無意識に飛び出た声も、たぶん聞こえて無いんだろう。ビシャリと地に叩きつけられたロドムという人間を構成していた物達を、地面に頬をつけて見る。


 「…灰霧はいぎり。」

 誰にも、感じ取ることさえ敵わない超速の抜刀術、空に舞った灰燼を細切れにするほどに速い連撃の名は灰霧。

 吐き出した息が虚空に溶けていく。


 転がるだけのロドムは逃げていく意識の中、斬られる前を思い出していた。

 死地に入る直前、心占めていたのは恐怖でも怒りでも無く、ただただ蒼い哀しみだった。何故悲しいのか、何故空虚に胸が空いているのか分からなかった。思い出せない誰かの名前を探しても、暗く濃い闇が侵食していった。

 剥がれ落ちていく意識はもう、黒く淀んで穢れていた。



 「終わったぞ…」

 それは地に伏した友人想いの男に向けての言葉。危険も去り、駆け寄った桜が必死に手を翳す。 そこには淡い光も無く、もう動かなくなった彼は優しい顔を浮かべていた。


 「おねがい、おねがいっ!!だ、だってさっきは動いたんだよ…?本当にっ!!」

 喉を絞って叫ぶ桜の涙が彼の身体に落ちていく。彼女が言うことは本当なのだろう、龍馬は直接見ていないが疑うつもりはない。しかし、しかしもう遅い。

 

 「なんでよぉなんでぇ…っ」

 流れ過ぎた血が淀をつくり、臭いも強くなってきた。縋りつく彼女の肩を引く、日が傾いて夜の姿が見えて来た。街に戻らなければ厄介な敵を作り出してしまうかもしれない。


 アルフレッドの身体を背負い、桜の手を引く。今なら暗くなる前には街に着くだろう。

 歩み始めたは寒くなって来た身体を温めるように身を寄せた。


 「を゛」

 足が止まる。声が後ろから、誰もいなくなったはずの後ろから不気味な声が聞こえた。全身を柔らかい棘の生えた舌で嘗め回されたような、得体の知れないどころの話じゃない程に理解不能な雰囲気が二人を包む。確実に言えるのはそれが人間のものではないということ。

 ザリッと土を踏みしめる音に二人は振り向いた。

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