第一章 錆びていく

第5話 銀

 重い扉が閉じられ、二人だけの空間。話がしたいと言った聖女様、もとい桜が龍馬を連れ謁見の間を外れたのはもう数分前。


 「ごめん。」

 背中にかけられた後悔の言葉に振り返る。鉄扉を背に下に目線を落とす桜は、ずいぶんと似合わない恰好で、似合わない言葉を呟いた。

 謝られることなど身に覚えのない。あまりにも可笑しかったからか、少し吹き出してしまった龍馬を半眼で睨んだ彼女は、頬を膨らませる。


 「ああ、馬鹿にしたわけじゃあねえよ。しょげてんのはお前らしくねえ、ぞっ。」

 彼女の頭を指で小突く。額を抑えた彼女が小さく唸りを上げた。

 「ほら、そうやって怒ってる方がまだましだ。」

 「もー…」

 静かな廊下に小さな笑い声が消えていく。



 「しかし、意地悪なお方だ。」

 低く優しく笑みを浮かべて言うのは四騎士が一人、最年長の彼は背に特大の剣を背負う。不敬ともとれる一言だが、この男を咎める者など一人もいない。

 短く、額を見せるようかき上げられた髪には白髪が混じる。顔には歴戦の過去を誇るように、深く傷が刻まれている。


 「ロドムをあの若者に、」

 「その名は廃れ、滅び!葬り去られたものです!それを…っ」

 「レティシア、声を落とさないか。」

 国王が激しくなりそうな王女の声を制する。彼女と騎士は胸に手を当て深く頭を下げた。


 「オーゼオ、あまり娘をいじめてくれるな。」

 「無礼をお許し下さい陛下、それに殿下。」

 古騎士の名はオーゼオ。オーゼオ・ヴィルウィーナ・レンバース。若い現国王の父の代から国に仕える、数少ない者の一人。そして、ミルバーナ王国が誇る最強の老戦士。老躯とは思えないほど隆々とした筋肉は、鎧など必要ないと言わんばかりに分厚く存在感を放っている。


 「はぁ…っそうだオーゼオ、あの龍馬という男を見ていてはくれないか?」

 「監視、ということですか。」

 溜息を吐いた国王が名案を思い付いたとオーゼオに言う。得たいの知れない、そして計り知れない戦闘力を持っている。しかし、当のオーゼオは豪快に笑い首を振った。


 「陛下、この老骨には監視など荷が重い。どうでしょう、私の倅にやらせるのは?」

 オーゼオが目を向けたのは、話を半分に未だ桜と龍馬が出ていった扉を気にしているアルフレッドだ。自分に話が来たのを感じた彼は慌てて姿勢を正す。


 「お、俺ですかい!?まったく…嫌な立ち回りだなぁほんと。」

 「見極めろアル、あいつは悪者じゃあねえとは思うが…危うさを感じる。」

 最強の戦士なんて偉大過ぎる父親といつも比較されて来た。しかし損な役回りを経験と押し付けられてきたことは認めるが、成長してきたのも確か。そんな彼を尊敬している。

 オーゼオの目を見る、鋭く強い瞳は信頼をしかと伝えている。無言で頷いたアルフレッドの肩を叩き国王に向き直る。


 「構わない、頼んだぞアルフレッド。」

 「は、仰せのままに。」

 国王は不機嫌そうな顔をした王女に顔を向ける。彼女もなんとか納得してくれたのか、数回首を縦に振って答えた。国王と王女ではなく、まるで不貞腐れた娘を慰めるような父と娘のように。


 

 「リョウマ。」

 重い扉が開かれ中から飛び出したのはアルフレッドの疲れたような顔。

 二人が出た謁見の間で何が議論されていたのか、アルフレッドは簡潔に話した。

 

 「監視ねえ、悪者扱いも慣れて来たよ。」

 「ってよりもしもの時に俺が選ばれたんだよ。別にお前さんを悪人扱いしてねえさ。」

 もしもの時、それは【錆騎士】と龍馬が対峙し敗れた際、彼が尻拭いをするということ。龍馬の顔を見て彼はガシガシと頭を掻いた。龍馬の顔は雄弁に疑問を語る。それは、お前がか?ということ。


 「俺がリョウマに負け、いや引き分けたのは誰も知らねえからな。しっかし陛下も王女様もあれを見てまだ理解してないのか…」

 あれ、というのは龍馬がルトと呼ばれた女騎士の腕を折り、ギドナと彼女を飛び退かせたこと。見れば分かる、あの二人よりも確実に戦闘力が上だということ。


 「違うよ、えっとアルフレッドさんだっけ?理解したくても理解できないんだ。」

 桜の挟んだ言葉に彼は妙な納得を覚える。理解できない、もっと正しく言えば理解したくないのだ。国が誇る四騎士を簡単に上回るなど、心のどこかで拒否しているのだ。


 「そうだな。でも、それでもだ。今回は辞退するべきだぜ、俺が親父に言って入団させてもらえるようにするさ。」

 「…そんなにか?」

 彼にしては弱気な発言、父親にも陛下にも任されたことを放棄しててでも龍馬に警告しているのだ。覚悟を持った防衛、死を確実にした戦場に赴けと言えるほどアルフレッドは立派にはなれなかった。龍馬の言葉に苦しそうな顔で彼は首を振る。


 「【錆騎士】…いや彼がロドムと呼ばれていた時の話だ。」

 語り始める過去のこと、それは僅か五年前から紡がれる。


 銀が錆びていく物語。




 大国ミルバーナの隣に位置する、小さくて平和なローデンス王国。大国の庇護下におかれ、長らく穏やかな暮らしを民に享受してきたこの国には大陸に轟くほどの名が二つあった。

 一つは、魔銀と呼ばれるとても貴重な鉱石が使われた白銀の直剣、【魔剣クルガ】。そしてもう一つ、十八という若さで大隊の隊長に昇りつめたローデンス王国無敵の騎士、魔剣の所有者に選ばれた彼の名は【銀騎士ロドム】。


 清廉潔白、高材疾足のまさに出来た人間を我で行く。そんな好青年を絵にかいたような人間、それがロドムだ。人を惹きつける人望に、若い自分に向けられる嫉妬の後ろ指を跳ね返すほどの精神を持つ。それが彼、それが【銀騎士ロドム】だ。いや、今もそのはずだったのだ。


 事件は隊長を任されて二年、特別でも何でもない日常のある時に起こった。幼くして両親を亡くした彼に残された、唯一の家族。そして唯一血を分けた妹が無残にも殺されたのだ。発見は熱い日差しの照った正午過ぎ。


 足の悪い彼女は杖を突き、週に一度のお祈りをするため教会に行く途中だった。遺体は綺麗なものだったという、首に一筋赤い線だけが彼女に刻まれていた。


 命を懸けて愛していた妹が殺されたことを知り、ロドムは絶望に打ちひしがれていた。食事も喉が通らず、日に日に弱っていく彼を皆心配したが妹は返ってこない事実に顔を上げることは無かった。しかし、本当の絶望はここからだったのだ。


 「まさか、ああまでも衰弱するとはな。まるで棒の様だ、はははっ!」

 ふらふらと辿り着いた先で誰かの密談を聞いたロドムは、話の種が自分であることを瞬時に理解し、それと同時に聞こえる笑い声が暗く卑劣なものであることも感じ取った。


 「時が来たんじゃあないか?そろそろだ、魔剣が戻る。」

 「あんな若造に【魔剣クルガ】をくれてやるなど、陛下もどうかしているな。」

 「いいさいいさっ!あれさえ戻れば全てを立て直せる…」

 男は三人、国家の転覆を狙う反逆者達には他にも協力者がいるようだ。声を殺して聞くロドムは必死に自分を抑えていた。


 (おかしいと思ったんだ…一月経とうというのに犯人の目撃情報すら掴めていない。自分で探そうにも急に忙しくなった職務が足枷に。もっと早くに気が付いていれば、俺はなんて馬鹿なんだ…)

 噛み締めた唇からは血が滴り、優しかった目つきはもはや影も無い。全ては魔剣を奪い、国を乗っ取る計画。妹はそのために殺された。


 自分が許せなかった。あの時魔剣を授与を断っていればこんなことには、その後悔や怒りが湧いて出る。罪もないのに、腰に差した魔剣を憎む。そして、愚かな自分を激しく嫌悪する。

 (待ってろよ、必ず、かならず…っっ!!)

 どす黒い憎悪を殺意が心を支配していく。白銀のように綺麗だった心が少しずつ灰みがかって、穢れていく。美しい銀を闇が染めていった。


 それから五年、ローデンス王国の内に巣食う反逆の害虫が駆逐されたのを誰も知らなかった。この五年、国の重鎮や商人、農民に狩人という多くの民が惨殺されるという事件が続き、その犯人は魔剣と共に姿を消した【銀騎士ロドム】であることが分かった。


 大陸に手配された彼を人々は【錆騎士ロドム】と蔑んだ。罪の無い人間を殺して回る凶悪殺人鬼だと。真実は彼が殺めた全てが妹殺しに関わっていた人間ということ。しかしそれを知り信じる者など一人もいない。


 こうして、銀の騎士は姿を変えた。恐ろしいほどに編まれた人の悪意によって。


 


 「ひどい…」

 桜の力強く握った手を振りほどいた龍馬は、首を横に振る。彼女が自分を傷つける前にと、解かれた手にはくっきりと爪の後が残る。


 「ロドムは…いいやつだった。ローデンスの国王だってこの事情を知ってる!でもな、全て許すには遅すぎたんだよ。」

 アルフレッドは彼を思い出す。歳も近く、尊敬していた男だった。一緒に戦ったことを忘れられるほど薄情じゃない。この国の騎士は彼と戦を共にした者が多い。陛下も王女もそれを分かってか、まだ部外者の龍馬に命じたのだ。


 「余計、退けないな。聞かない方が良かったか…」

 同情で刀を鈍らせるなんてことは無いが、龍馬だって人間だ。

 「ロドムは強い、さしでやって勝てんのはこの国には親父かベルフィーナ・レギオレンくらいだ。」

 知らない名は四騎士の最後の一人。終始つまらなそうに退屈を全面に出していた長身の女騎士。一人だけ得物を身に着けていないのが気になり覚えている。


 「はぁ、アルフレッド。監視でもなんでも好きにしろ。俺は…終わらせる。」

 後ろを振り向いた龍馬が言い捨てる。可哀そうに思ったから、同情したからじゃあない。それでも早く、出来るだけ早く胸糞悪い物語に結末を。


 アルフレッドの案内で城を出た。桜は残っていろという言葉を聞かず、三人で。日が照っている、昼頃の街は喧騒に飲まれている。平和に、浸っている。

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