第4話 見えない恐怖

 胸倉に迫った手を避ける。沸点の低いやつなのだろう、熊の様な男は龍馬が避けたのを見てさらに怒りのボルテージを上げる。

 中に入った途端これだ、この世界の人間は血の気の多いやつが多いのか。うんざりとした視線でアルフレッドを見ると苦笑で返された。


 「まったく…」

 溜息も吐きたくなる。知らない場所で知らない人間達に囲まれたこの状況、既に悪者扱いでも受けているような、そんな感覚。


 「おぉ前ぇええ!」

 そんな龍馬の態度が、自分を馬鹿にしていると受け取ったのだろう。こめかみに青筋を浮かべた熊男は、龍馬を捕まえるには些か鈍すぎる動きで尚も迫る。


「ニグマ。耳障りだ…」

 静かで冷ややかな声が場に響く。動きを止めた二グマの背後、騎士が並ぶ中で声を上げたのは目を瞑った男。腕を組みただ立っているだけだというのに、声に込められた威圧と放つ雰囲気が場の空気を支配する。


 「ギ、ギドナ。でもよぉ…っ!」

 「陛下の御前だ、両方弁えろ。」

 玉座の傍に立つ四人の騎士。王国騎士団・国王直属四騎士が一人、ギドナ・クルックバックが閉じた目を龍馬に向けた。ギドナと呼ばれた男が放つ、熊の様なニグマに冷や汗を搔かせるほどの雰囲気が肌に刺さる。


 「悪いな。敬語、苦手なんだ…身体がむず痒くなってな。」

 「構わんさ。貴殿は召喚された身、我らの間に身分の差は存在しない。」

 しかし、と湧く声も国王直々に両断する。分かる人間で助かったと、龍馬は胸を撫で下ろした。心配だったのか、強く裾を握っていた桜の手を優しく解く。


 「陛下、私にお任せください。」

 「うむ。」

 そう言ったのは変わらずに目を瞑るギドナ・クルックバック。闇の中、静かに歩くその姿はまるで見えているかのように自然で、それ以上に一切の足音がしない。


 「光が無いのだ、許してくれ。私はギドナ・クルックバック。ギドナで構わない。して、貴殿の名を聞きたい。」

 【盲剣】畏怖を込めてそう呼ばれるギドナは、目が見えないことで発達した鋭敏な聴覚や嗅覚を使い、健常な者を凌駕する動きを見せるという。それに加え第六感を持つとの噂もあるが、それは本人にしか分からない。


 「龍馬、ただのリョウマだ。それ以上でも以下でもないさ。」

 簡素に名乗る。目の前のギドナを見る、盲目の騎士がいることにも驚きだが、王のそばにいる他の三人を見るに、彼含めた四人は特別な存在なのだろう。


 思わず口角が上がってしまう。この世界に来てから戦いが身近になったことに嬉しさが溢れているのだ。先ほどもニグマが出て来たことに笑みが零れた、がそれもふいになった今、目の前の盲騎士に期待する。


 「リョウマ、貴殿は中々の強者に見える。どうだろうか、我が騎士団に所属するというのは。」

 思わぬ提案、誰もが予想外だったのであろう、所々から驚きの声が上がる。確かに魅力的な提案ではあるが、ここで決めるにはあまりにも早計。


 「えー!弱いのはいらないよ、あたし。」

 嫌そうな顔を見せたのは、またも四騎士の一人。四人の中で唯一の女性である彼女は子供のように無邪気な笑顔を見せた。


 「だってほら…」

 そう言った彼女の姿が消える。一瞬のうち、気配が後ろに現れる。ゾワッっと嫌な気が龍馬を撫でる。小さな手が首筋に当てられ、爪が皮膚に食い込んでいく。


 「ねっ!反応すら出来ないんだもん。あっはは!」

 無邪気に笑う、その顔は龍馬を見下す鋭い目と不気味に歪んだ口元を見せた。さぞ楽しそうに、しかしそんな顔が出来たのは彼女だけ。何かおかしい、誰一人言葉を発さない。彼女は辺りを見渡すと、皆一様に驚愕の表情を浮かべている。そんなに自分が見せた動きが意外だったのか。


 「ル、ルト…あなたそれ…っ!」

 恐ろしい怪物でも見たような顔で彼女を指すのは、レティシア王女。震えた指はルトと呼ばれた彼女の手首を指している。


 「え。」

 短く切られた言葉は自分の手首に向けられる。手を握ろうと力んだが、鋭い痛みに邪魔をされ痙攣させることが精一杯だ。明らかに異様な方向に曲がった手首、人差し指と中指は爪が剥がれ横に折れている。

 やっと自分の異常に気が付いた彼女は咄嗟に手を引っ込める、痛みを隠すように胸に隠し龍馬を睨む。


 「殺気が無かったから斬らなかったが、不用意だな。ここはだ。」

 ビリビリと電気のように全身を貫く殺気がギドナとルトを襲う。不本意だが、恐怖による反射が働いたおかげだ。あの場にいたら確実に、最低でも重傷は免れなかった。一瞬の内に脳裏に浮かんだ自らの身体が両断される未来。


 「…っ!!」

 深く深く、まるで闇を覗いているかの様な、邪悪な笑み。目の前の男が見せる悪魔的な表情に覚えのない恐怖が二人を包む。

 (危険だ、危険すぎるっ!)

 心の中、声に出さずに必死に叫ぶ。侮っていた、いや見下していた。聖女様と一緒に召喚されたとはいえ所詮はただの人間、巻き込まれた付属品だと。


 「…冗談だ。」

 話すことも出来ない圧迫感が収まった。ドッと汗が噴き出すのを背中に感じる。挑発的に微笑んだリョウマという男。


 「驚いたな、二人を退かせるとは。」

 声を上げたのは国王だった。呑気な声、殺気を浴びていないからこその悠長な言葉が龍馬にかけられる。

ルトとギドナだけが分かっているのだ。ルトの手首を折るところなど誰も見ることが出来なかったというのに、この事態の異常さに気が付いていないのか。


 「どうだろう、聖女様の護衛に彼を着けるのは。」

 いや気が付いているのだろう、国王の表情に言葉が焦ったように上ずっている。しかし別の考えが頭を埋めているのだ。あの戦力を我が物に、他の奴らに渡しては危険だと。

 騎士たちも戸惑い半分で国王の提案に拍手を返す。


 「わ、私もそれが良いです!」

 声を上げたのは龍馬に引っ付いて離れない桜。殺気に気が付いていなかったのか、何食わぬ顔で声を上げている。聖女様がそういうならと、国王が頷き龍馬を護衛にするということが決まった。


 「ん?どうしたレティシアよ。」

 不安げな顔で俯いていた王女様に気が付いたのか、国王は彼女に水を向ける。顔を上げた彼女は龍馬を睨み口を開けた。


 「陛下、神聖なるサクラ様のお身体。お守りするにはそれ相応の戦闘力が求められます。」

 「それは、そうだ。しかしお前も見たであろう…」

 先ほどの光景を見れば分かるだろうと暗に言った国王は、説得するように語り掛ける。しかし納得がいかないのか、彼女は首を縦に振ることは無い。


 「確かに驚きましたが所詮はそれだけです。まだ、信用に値しない…」

 まだ、とは言っているがその眼は少しの信用も無く龍馬を見ている。ずいぶんと嫌われたものだ、肩を竦めた龍馬は自嘲気味に笑う。


 「ではどうするのだ。」

 「こうしましょう。つい先日我が国に、ある凶悪な指名手配犯が入国したと国境警備から報告がありました。」

 どよめく間内、有名な事なのか誰もがひそひそと噂している。


 「それを捕まえる事が出来れば、貴方を認めます。」

 「殿下!それは…」

 ギドナの上げた声を睨みで制した彼女。どうやら余程の凶悪犯の様だ、彼の顔がそう告げている。


 「分かった。捕まえる、それは殺すということか?」

 「生死は問いません。」

 淡々とした会話、それは龍馬がそいつを捕まえることなど出来ないと確信したものなのだろう。プイッと可愛らしくそっぽを向いた王女様に少女らしさを感じる。


 「名は【錆騎士】、多くの人間を殺めた凶悪な人間です。」

 騎士の名を持つ人殺しとは、ずいぶんと洒落ている。龍馬は返事の変わりに一つ、小さな笑みを落とした。騎士や兵士が戦場で人を殺せば英雄で、他はみな人殺し。違いは無いはずなのに何もかも変わってしまう。


 目的は決まった、その錆騎士とやらには恨みは無い。しかし龍馬にとってそんなものはどうでもいいことだった。これから起こる楽し気な未来に、深く静かな笑みを浮かべた。

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